4.アンタに馴れ馴れしくされる筋合いないよね?

 笑ったルカの口からギラリと鋭い犬歯がこぼれる。あ、だめだ、これは逆らっちゃいけないやつだ。


「ごめんなさい……もう逃げ出そうだなんて思いません……」

「ご理解頂けたようで何よりです」


 うぇぇぇーん、脱出計画がぁぁ


 だばーっと涙を流しながら付いていくと、背後からそっけない声が投げかけられた。


「ルカさんよぉ、マジでそんな奴を魔王に奉り上げる気か?」

「そうですよ、アキュイラの生まれ変わりなのですから。落ち着いたら記憶を取り戻すため儀式を行っていく予定です。ラスプにも協力して貰いますからね」


 ふり返ると赤毛の狼男は頭の後ろで手を組んでいた。まだ信用ならないといった表情で私の事を見つめている。


「……オレにはそいつの魂がアキュイラと同じとは到底思えない」

「鼻でも詰まってるんじゃありませんか?」

「ニオイだけで判断してるわけじゃねーよっ!」


 最後にギッと睨みつけてきたかと思うと、彼はまっすぐに指を突き立ててきた。


「オレはお前が魔王とは認めないからなっ」


 それだけ言い残し、ボンッと狼に姿を変え行ってしまう。ルカが少しだけ困ったような表情を浮かべながらこちらを気遣うように言った。


「お気になさらず、彼も混乱しているのでしょう」


 認めないって言われても、私だって信じてないんだけどなぁ。



 ***



 『貴女が』使っていた寝室ですと案内されたのはとんでもなく豪華な部屋だった。お城の内装から察してはいたけれど本当にお姫様にでもなった気分だ。ラスプに破かれたブラウスもろとも脱いで、ほこほこと白い湯気があふれるバスルームの湯船に身体を沈める。バラの香料でも入っているのかとろけるような甘い香りに少しだけ心が癒された。


(みんな、心配するだろうな……)


 明日になって出社しなかったら誰かがうちのアパートまで確認しに来るはずだ。もちろんそこはもぬけの殻で、どこを探しても私は居ない。実家に連絡が行って、お父さんお母さんが心配して探しに来てしまうかもしれない。


「帰りたい……」


 じわりと浮かんだ涙を湯船に落としていると、ふと水面に白い物が映って揺れた。


「?」

「……」


 泣いたまま顔を上げると、宙にふよふよと浮いていた白い男の人と目が合う。この浴室は照明が少なく薄暗いので、彼の少しウェーブがかった白い髪とボロボロの白いフード付きマントが余計に強調されていた。どこか眠たげな灰色の目が怪訝そうに細められる。


「……どちらさま?」


 それはこちらのセリフだとか、その手に持った鎌は何だとか、言いたい事は喉を通過した時点ですべて悲鳴となり、バスルームに響き渡った。


「だっ、誰! 何! どこから入った!?」

「えー、質問を質問で返さないで欲しいんだけど」


 どこかゆるい雰囲気を保ったままの彼の視線から逃れるべく、私はバスタブの縁にしがみつく。


「良いから早く出てってー! せめてあっち向いてよ!」

「ここ、俺の部屋への近道だからいつも抜け道で使ってるんだけど」

「抜け道って、え」


 スーッと滑るように移動した白い人は、そのまま扉を貫通して消えていく。……もう、驚かない。何があってもふしぎじゃない、こんな世界なんだし。


 それでも軽いめまいを覚えているといきなり扉からニュッと首だけが戻ってき――怖い怖い怖い!


「生首やめて!」

「あのさ、誰の許可もらってこの部屋使ってるの?」

「え」


 唐突に質問を投げかけられる。その口調は別に責めるとかそういうのじゃなかったんだけど……なんだろう、探りを入れるような色を含んでいる。正直に答えていいのかな。でも嘘ついてもしょうがないし


「ルカっていうバンパイアさん、ですけど」

「……ねぇ、アンタ名前は」


 どうして全裸で自己紹介しなきゃいけないんだろうと思いつつも、私は自分の名を口にした。


「あきら。山野井あきらって言います。あなたは――」


 なぜか白い彼はそこで軽く目を見開いた。そうすると眠そうだった顔つきがガラリと印象が変わる。うーん、男の人に言うのはアレかもしれないけどすごい美人だなぁ。肌も抜けるように白くてどこか浮き世離れしてて。そこでピンときた私は、少しこちらに乗り出して来た上半身をさして喜々と言った。


「わかった! あなたグリでしょう? 黒じゃなくて白いけど鎌持ってたし、死神のグリム・リーパー!」

「……」


 どうだこの名推理!ってほどでもないけど推察は。たぶん今私ドヤ顔してる。からさ、ほら、何か言ってよ、せめて当たりとか外れとか。沈黙はやめれ。


 そろそろ静寂が耐えられなくなってきた頃、ようやく彼は口を開いた。


「あのさ、確かに俺はグリだけど」


 お。


「アンタに馴れ馴れしくされる筋合いないよね?」


 お、おぉ?


「っていうかここに居られるとメ―ワクなんだけど、場違いだよ『ニンゲン』さん」


 ……。


「立場わきまえなよ、ここはアンタみたいなのが居て良い場所じゃないんだけど。さっさと消えてね」


 最後に冷たい視線をよこしたグリは、扉の向こうへと消えていった。



『本当にいいの?』

『えぇ、後はよろしくね。『彼』泣いちゃうと思うから』

『俺に押し付けないでよ……』

『ふふ、あなたは優しいから』



 また、誰かの記憶がよぎる。だけど私はそれを深く考えずに頭の隅に追いやった。すっかり静寂を取り戻したバスタブの中で膝を抱えこむ。


 なんで、あんな冷たい目で見られなきゃいけないんだろう。何か怒らせるようなこと言ったっけ。



 ――オレはお前が魔王とは認めないからなっ



 ふと、ラスプの言葉が蘇りますます気分が落ち込む。場違いだなんて、そんなの私が一番わかってるよ。望んでここに居るわけじゃないのに、どうしてそんなこと言われなきゃいけないんだろう。ダメだ、涙が止まらない。グスグスと鼻をならしながら身体の汚れを落として、用意されてたゆったりとした白いネグリジェに袖を通す。


(寝て起きたら夢だったとか無いかな……)


 すっかり打ちのめされて寝室に戻った私は、ベッドに無造作に腰掛けて待ち構えていた赤い男に足を止めた。


「ひでぇ顔。泣くと余計にブサイクだな」

「……私に魅力なんて感じないんじゃなかったの」

「自惚れんな、オレはルカに言われてこれを置きにきただけだ」


 ラスプがクイッと指し示す先を見ると、ベッドのサイドボードにマグカップが置かれていた。黒地に白抜きでコウモリの形がデザインされてるカップには、ほわほわと湯気をだすホットミルクが注がれている。手に持つとじわぁと熱が伝わってきた。


「城の中は安全だからこれ飲んでさっさと寝とけ。朝飯の時間に遅れられたらこっちが迷惑なんだよ」


 彼からは少し距離を置いて、私もベッドにストンと腰を落とす。大人しくコクリ、コクリと飲むと優しい幸せが喉を通って、からっぽになっていた心に少しずつ溜まっていった。半分くらい飲み終えたぐらいで張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまい、マグを抱えたまま、まるで子供のように大声をあげてわぁわぁ泣いてしまった。その間ラスプは慰めるでもなく、ただただ黙って隣に腰掛けていてくれた。それがありがたかった。


 泣くだけ泣いてしまえば後に残るのは澄んだ落ち着きだけで、私は残りのミルクを飲みながらちょっとだけかすれた声でこう尋ねた。


「おいしい……何か入れた?」

「あー? ハチミツをちょっと」

「ラスプが作ってくれたの? ありがとう」

「っ、たまたま! ハチミツが目に入ったからであって、別に大した意味は……っ」


 その必死さが何だかおかしくて、私は少しだけ笑う。少しだけ頬を染めてそっぽを向いていた狼男は、ぶっきらぼうに口を開いた。


「……悪かったな」

「何が?」

「服だよ服! オレが破いただろうがっ」


 あー、そんなこともされたっけ。何だかその後も色々ありすぎて吹っ飛んでた。


「しょうがないよ。ルカから聞いたけど警備任されてるんでしょ? 私、怪しかったもんね」

「怪しいっつぅか……匂いが、甘くて……」


 ぼそぼそと何か呟いていたラスプは、いきなりこちらに振り向いた。


「っ、名前……!」

「ん?」

「名前、教えろよ! こっちの名前知っててオレが知らないのは不公平だろ!」

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