32 ザ・ロード

 世界が時間遡行を夢見るまでにかかる時間は、〈MAD〉の発動から十八年と三ヶ月。

 地上の生命がすべて息絶え、機械兵士たちもまた、電力をうしない機能を停止させたあとの完全なる死滅世界。

 その状況がおとずれてやっと、世界は時間遡行を夢見るようになる。

 熱力学第二則をこえて。

 わたしはそう結論しました。

 だから時間遡行機を発動させられるのは、わたしじゃない。

 そのときわたしは、生きていない。

 それが実行できるのは、きっと。


 森のなかの研究所でひさしぶりにふたりきりになったとき、わたしはメグにつたえます。〈MAD〉はもうとめようがないんです、と。

 そしてそのつぎに取りだすべき言葉を、わたしは、すぐには切りだせませんでした。それを口にだしてしまうのが、きっと、いやだった。

 なにかいいたいことがあるんでしょ。メグのそのひと言で、ようやくわたしは心をきめます。

 わたしはメグの目を見つめます。

 からっぽの世界に、美野留ミノルとメグ、ふたりだけというのはどうでしょう?

 それをきくとメグは、考えこむように目を閉じます。あたまをかき、腕をくみ、おおきくため息をついてから、じろりとわたしを見つめてようやくひと言つぶやきます。それは困る。

 どうして?

 美野留が好きなのはスミレだから。

 え?

 本人がそういってたから。メグは視線を落とし、にがにがしそうな表情をうかべてつぶやきます。美野留はスミレが好きなんだ。なにかを変えようという、スミレのエネルギーが好きなんだ。美野留はスミレといっしょの世界をのぞむはずだ。スミレが死なない世界をのぞむはずだ。わたしの出る幕なんかないんだよ。

 でも。

 でもじゃない。メグはわたしをにらみ、どこか責めるような声でいいます。そんなのはだめだ。なにかほかに方法があるはずだ。わたしたち三人が、誰も欠けることなく生きのびられる方法が。それが目ざすべき未来のはずだ。スミレは天才なんだから、それをちゃんと、見つけださなくちゃならない。

 メグ自身は、どう思うんですか。わたしは静かな声で、抑制された声で、そうたずねます。メグは美野留とふたりきりの世界は、いやなんですか。

 メグの表情はふいにこわばって、言葉はなにも出ず、静かにわたしをにらみつづけます。

 ひとつだけ方法があるんです。わたしはじゅうぶんに間をおいてからゆっくりと、それを声に出します。わたしはいま、あたらしい発明品をつくろうと考えています。それは〈時間遡行機〉で、このくだらない戦争を、根本から変えてみせるんです。

 〈時間遡行機〉。メグはニュートラルにそうつぶやきます。そしてたずねます。そんなことが可能なの?

 世界があまねく時間遡行をのぞむとき、それは発動するんです。理論上は。わたしはすこしだけほほえんで、じっとメグを見つめます。メグは〈時間遡行〉を、のぞみますか?

 え。

 メグがのぞまなければ、〈時間遡行〉は発生しません。わたしはできるだけ淡々とした声で、その事実をつぶやきます。それ以外の全世界が〈時間遡行〉をのぞんだとしても、ただひとり、それをのぞまない〈精神波形〉がひとつでも存在するのなら、それは実現しないんです。〈時間遡行〉の発生のためには強力な意志の共有が必要です。まじりけのない、完全な意志の共有が。

 わたしは目を閉じて、想像します。かわいた灰の降りかかる荒廃世界を旅する、美野留とメグ、ふたりきりのすがた。生命はなく、その痕跡すらまばらで、可塑性をうしなった〈精神波形〉は在りし日を思い起こす〈残留思念〉として記録をリピートしつづける世界。

 からっぽの世界。

 その世界を、美野留はメグと旅します。

 さまざまな〈残留思念〉につながりながら、さまざまな〈声〉をききながら、美野留は移動をつづけます。

 そしてそこにはメグがいて、ふたりがつくりだすささやかな思い出を、共有していく。

 嫉妬はもちろんあります。

 でもきっと、それだけじゃない。

 メグがなにをえらんでも、わたしはそれでいいと思います。ゆっくりと目を開いて、メグを見ます。メグはこわばった表情のまま、静かにわたしを、見つめています。わたしはすこしだけほほえんで言葉をつづけます。メグがえらんだことがそのまま、わたしののぞむことになります。うそじゃない。だってわたしたちは友だちで、わたしはいつでもメグの味方なんですから。だからメグは、メグの好きなように、自分がのぞむ答えを見つけてください。自分の心に向きあってください。

 メグは〈時間遡行〉をのぞみますか?

 それとも。




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