重い女。 ──離したくはない

この歌は、あの時のアイツだ。


──何か曲を聞いて、そんなふうに思うのは初めてだった。



♪〜今 オマエをこの腕に抱きたくて せつないよ

  会えない気持ときがどれほどつらいかと 問いかけてた



強い想いに喘ぐような歌声が、あの時のアイツの目を思い出させる。

こっちを向いていたけど、私のことなんて見てなかった、あの目。


視線は私を素通りして、どこか別の所にいる元カノを見て想っていたのだ。

この歌みたいに、恋い焦がれる気持ちのままに。



***


その日、私たちは何の変哲もない居酒屋の座敷で、向かい合って座っていた。


付き合っていたんだよね、私たち。

だったらせめて最後に、私の言いたいこと、言ってもいいよね。

私の聞きたいこと、訊く権利あるよね。



一方的に関係をやめたがっているアイツにそんな思いを書き送ったら、

渋々なのか、精一杯の誠意なのか——

とにかくアイツはやって来て、今、私の目の前に座っている。



突然、別れを言われて、私がどう思ってるか。

(悔しいけれど)私はまだ好きなこと。

何が悪かったのか、どうしてそうなったのか。


ぽつりぽつりとそんなことを吐露し、静かに問いかける。



いつも飲んでいたビールやらサワーやら、

いつも頼むような肴やらを前に向かい合っていると、

二人がこれで終わりなんて信じられなかった。


声のトーンも、ふっと緩く笑う笑顔もこの前までと同じすぎて、

二人の間に流れるこの時間の、何がダメなのかわからなくなる。


だけど、

話したからって、何か解決するわけじゃない。

きっと、流れもアイツの気持ちも変わらない。

無為に過ぎていく時間が、そのことを告げている。


それでも私は、二人のこの時間を永遠に引き延ばしたかったんだ、きっと。



日付が変わるまであと一時間、というところで、業を煮やしたのかアイツが言った。


「ごめん、このあと彼女に電話することになってるから。今日はこのへんで」



──今日は?


何という簡単な嘘。


今日は、じゃない。


今日の「このへん」から、明日もあさっても、もう永遠に私たちは会わない。

そういうことでしょ?



アイツがあの目をしたのは、その時だった。

私をすり抜けて、電話を待っているというひとを見ている目。



今夜だけは、すべて私に向けられるはずだった誠意も、

視線といっしょに私をすり抜けて行く。


そう思った瞬間、私はやっと、もうダメなんだと悟った。


***


最初に言い寄ってきたのはアイツの方だったのに、

私が本気で好きになるにつれて、アイツの中で元カノへの未練が募っていった。



♪〜ひとりきりの夜ならば今すぐに 会いに行くよ

  遠ざかる二人の距離追いかけて 慰めてた



私と何かするたびに、彼女を思い出すようになっていったアイツ。

いつからよりを戻したいと思っていたのかはわからない。

けど、いつからか、いっしょにいるのに私はさびしかった。



人の心なんて、何か思ってしまったら、ひとたび感じてしまったら、

それをなかったことになんかできない。


ましてや責めたって、変えさせることなんてできないのに。


アイツの元カノへの未練を、今、私が未練がましく責めてるんだ。

何のドラマ性もない、笑っちゃうくらいありきたりな居酒屋で。


そして、責めれば責めるほど、言い募れば募るほど、

私はどんどん「重い女」になっていく。



そういうことに気づいたのは、もっとあとになってからだった。

引き止めようとするほどに離れていくということが、あの時はわからなかった。


すごく若くて、すごくみっともなかった私。


***


追いかけているのが好き。

アイツはそういうタイプのオトコだった。


それが性だっていうならしょうがない。

私は、次々と目の前に現れる獲物の一つだっただけなのだ。


私に責められて、「もう、誰が本当に好きなのかわからなくなってた」と

苦しそうに言っていた。


本人も悩んでいるのなら、それ以上に私が責めることじゃない。

どうしようもないことの結果として、別れていくだけなんだ。


自分の未練は自分が引き取る。

ただ、どうしようもないのだということを確認する前に、

私は私の思いをぶつけることが必要だったのかもしれない。


***


♪〜諦めるよりも 信じることに

  賭けてみる思いを 抱きしめていたい



この曲を聞くと、今もあの居酒屋とアイツの目が勝手に浮かんでくる。


この歌の思いは、私じゃなく彼女へ向かっていた。


──そんなふうに思って、今さら胸がうずく。



♪〜あふれる思いを 今さら投げかけてみるよ

  すべてが変わらないように

  こんなに Everyday Everynight

  愛してたなんて



盛り上がる歌声に、何の誠意だよ、と思う。


誠意を求め過ぎたり見せ過ぎたりすることが、時には重荷になること。

それがかえって、大事な何かを押しつぶしてしまうんだってこと。

今は、わかっている。


ただ私は、最後にあの場だけ、

嘘でもいいから全身全霊で私に向き合ってほしかったのだ。


本気で好きになって付き合った月日の、

その思いの重さだけはわかってほしかった。


アイツだって、元カノへの断ち切れない思いを抱えていたんだから。



聴いて、今さら胸がうずくなんて、きっと下らないヤキモチだ。


あの時、こんなふうに愛されてるのが自分じゃなかったことへの。



だけど、今の私は自分が愛することの幸せを知っている。


だったら、と、ふと思う。

もう一度会えたらいいのにって。


もしもアイツの記憶の中に、あの時のみっともない私がいるのなら、

今の私で上書きしてほしいって。


そんなことを、いたずらに思ってる。



♪「離したくはない」T-BOLAN

https://www.youtube.com/watch?v=FjG4A3_whXY


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歌のまにまに、想いのうたかた 〜あの日の私とあなたへ たまきみさえ @mita27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ