枕の向こう側。—— シングルベッド

「あ、俺、この曲好き」


安っすい近所の焼肉屋で、もぅもぅと立ち上る煙の向こうで彼が言った。


有線なのか、ちょっと前に流行った歌なんかが、じゅぅじゅぅと肉が焼ける音に混じって流れている。

今かかっているのは、『ズルい女』だ。


「これもいいけど、私は『シングルベッド』の方が好きだなぁ」

「いや、あれはさぁ、過ぎるんだよ。売れるために作った曲って言うかさ」


そんなの、なんでわかるの?

てか、作った曲が売れたら、そんなふうに言われちゃうわけ!?


いつものように反発したい気持ちが湧き上がるけど、いつものように何も言わないでやり過ごす。



このころの私は彼に異を唱えなくなっていた。

特に、何かを時の彼は、人の言うことなんて聞くわけないから。



それでも、他愛のないおしゃべりで、衝突する要素がない時はそこそこ盛り上がれて、まあまあ楽しい。


それに、このままいけば結婚するのかな? という気持ちもなくはなかった。


彼のいいとこも悪いとこもわかっている。

これから新しい人と出会って、また一から関係を築いていく大変さを思ったら、ある程度わかってて、こうして気安く向き合えている相手というのは貴重でもあった。


ダイヤモンドなんて求めてない。

私は、目の前の、手の届くところにあるものを普通につかむつもりだった。


***


♪〜初めてお前抱いた夜ほら 俺の方が震えてたね


彼にとって、私は二人目の相手オンナだったらしい。

初めての夜、あまりに不器用で、でも一生懸命なのが好もしかった。



実家暮らしの私が、週末だけ時々彼の部屋に泊まるようになったころ、


「俺のベッド、セミダブルでよかっただろ?」


と、彼が言ってきた。


私は額面通りの意味で受け取って、「そうだね」と答えた。



のちに『シングルベッド』を羨むようになるなんて、思いもしなかった。


***


彼のセミダブルベッドで一夜を過ごすことに、私はだんだん疲れてきた。


彼は自分だけ、伸び伸びと寝る。

コトが終わるとすぐにいびきをかき始め、手足を存分に伸ばして、布団も独り占め。隣の小さい枕で私が寝てることなど忘れてるかのような熟睡モードだ。


ただでさえ慣れない寝床で、彼が腕や足をぶつけてくるのを恐れながら、私はいつも壁側に小さくなったまま朝方まで眠れずにいた。



「ねえ、今夜、そっち側で寝させてみてくれない?」


ほとほとイヤになって、ある時そう言ってみた。


「え、いいよ、別に」と、こともなげに答えて、彼は場所を入れ替わってくれた。


相変わらず熟睡モードの彼に、私はベッドからはみ出しそうになったりもしたけど、壁に押し付けられるような圧迫感がない分ストレスも少なくて、初めてちゃんと眠れた。


彼も十分に寝られたようだし、これで問題解決。


と思ったのも束の間。

次に泊まる時、また私が通路側に寝させてもらおうとすると、予想外にあっさり拒否された。


「俺、こうやってベッドの外に足を垂らしたりして寝るのが好きなんだよね」

そう彼は言った。


でも、私、壁側だとほとんど眠れないんだよ……。


「これ、俺のベッドだよ?」

そう言いながら、彼は眠ってしまった。


しかたなく、私は彼と逆さ向きになって寝た。

頭を蹴飛ばされるリスクより、轟音のいびきの隣で壁に押し付けられる窮屈さの方が耐えられなかった。



♪〜シングルベッドで夢とお前抱いてたころ

  くだらないことだって 二人で笑えたね



時々この曲を聴きながら、私は狭いシングルベッドの上の、幸せな恋人たちの情景を妄想していた。


腕枕してくれたまま寝て、腕が痺れても私を起こすまいとガマンしてる彼とか、布団がずれちゃっても、布団以上の温もりで寄り添って寝てくれてる彼とか。


実際の彼は、私を抱くようにして眠ったことは一度もない。

そうしてくれたら、どんなに窮屈でも、そのせいで眠れなかったとしても、きっとうれしかったのに。


妄想すればするほど、現実の彼が毎度きっちり避妊することにすら、さびしさを覚えるようになった。


私の妄想のシングルベッドの上の彼は、デキちゃったら喜んで結婚するようなオトコなのだ。



それでも、私は彼から離れずに、ガマンしていた。


これは、結婚するまでの辛抱なんだ。

結婚したら、二人それぞれのシングルベッドで眠ればいい。


彼が自分勝手な理屈で、自分のペースで、何か言ったりやったりしても、結婚してるんだという安心感があれば、私もなんとか折り合いをつけられるはずだ。今よりは反論だってできる。



酒好きの彼は、居酒屋だけは詳しかったけれど、昼間食事に行く時は、近所のファミレスか安っすい焼肉屋。デートらしいデートもしてくれないのも不満と言えば不満だった。

でも、結婚したら私が好きなおかずを作って、家で食べればいい。

夜や休日はいっしょにいるんだから、そんなにしょっちゅう外にデートに行かなくてもいいのだし。


そんな未来を描くくらいには、彼を憎からず思ってたんだろう。


***


それなのに、私たちは突然、別れることになった。


仕事の都合で忙しくなった彼は、私と会う時間を惜しむようになり、

この先どうつき合っていくつもりかを問い質すと、あっさり別れを言われた。



のちに再会した時、別れたことを後悔していると彼は言ったけれど、

冷めた私の気持ちは戻らなかった。


***


♪〜今夜の風の香りは あのころと同じで

  次の恋でもしてりゃ つらくないのに



今この曲を聴くと、私は不器用で一生懸命だったころの彼が好きだったんだなぁと思う。


うまくなるにつれて、彼は変わっていった。

より自分よがりなオトコへと。



それに、セミダブルだからって、なんだって言うんだろう?


あれは、二人で少しでも余裕を持って寝るためなんかじゃなかった。

自分だけがゆったり寝たかったんだよね。



一見よさげに見えて、中身は期待と全然違うという中途半端さが、彼であり、彼のベッドなのだ。

広いはずの彼のセミダブルは、私にはいろんな意味で窮屈だった。



私が無意識に欲してたのは、寄り添って眠る狭いシングルベッドの幸せだったのだ。

それなら、たとえぐっすり眠れなくても、翌日のデートがファミレスでも、安っすい焼肉屋でも、もっと楽しかったのに。



それとも、そんなのは若さゆえの幻想?


今の私は、別の人とシングルベッド2台で平和に眠っている。



♪「シングルベッド」シャ乱Q

https://www.youtube.com/watch?v=UYXNA54dDKs

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