二十日目 ミヤマクワガタ

 正直助かったのは認めよう。だけどこの状況は認めたくないものだな。若さゆえの過ち、だったら、どんなに楽だったのだろう。用心棒として連れ帰るように旨いこと言いくるめられてしまったかもしれない。


 なぜか俺の部屋には、カブトムシとミヤマクワガタ、それにヘラクレスオオカブトが居た。いやね、一号とヘラクレスはくっついてもらわねば困るので、百歩、ううん千歩譲って一旦居てもいい。俺が仲人になってやろうと言うのだ。話し合ってもらわねば。


 でも三号は何だ? 君は森へ帰れー。今度こそはスズメバチから俺を守ると豪語しているが、君は全然役に立ってなかったからね!? 報せてはくれたけどさ!


「さて、その、単刀直入に言いますが、一号はヘラクレスさんのお嫁さんになりなさい」

「はぁ!? 幹也クン、何言っちゃってるの!?」


 背中に回っていたカブトムシが叫んでいる。何言っちゃってるの、はそっちだ。こんなにも好きになってくれている相手がいるのに、俺なんかにうつつを抜かしている暇はないだろう。


「幹也殿、本当に宜しいのですか!?」

「うん、宜しい」


 そしてヘラクレスさんは大事そうに握っている俺の両手を離して、二匹で愛の逃避行をしてください。誰も探しません。末永くお幸せに。


「だが、そうもいかんだろう。ヘラクレスは日本では生きられないぞ」

「はぇ!? そうなの!?」


 マジかよ、ミヤマちゃん。え、じゃあ何? 野に放ししちゃいけないってこと? だったらヘラクレスさんが外で樹液吸ってたのは何なんだよ!


「その、実はそのことでご相談がありまして……、幹也殿をお探ししようかと思っていたところなのです」

「は? どういうこと?」


 勝手に相談相手にされては困ったものだが、さっき助けてもらったし、まぁ、聞くだけならしてやってもいい。代わりにその筋肉はどうやったら鍛えられるのか教えてください。足だけでいいから!


「幹也殿のおカラダを、どうか少しだけ舐めさせてはいただけませんでしょうか?」

「貴様もか! ヤメロ!」


 おっと、つい口に出てしまった。どうしてこうもこいつらは、俺のカラダを舐めたがるの!? もうストレスで引き籠りになるぞ!


「あぁ、いきなり申し訳ありません。ある噂を、耳にいたしまして……」


 おや、でも彼は妙に聞き分けが良い。このくらい素直だったら、メスどもももう少し可愛く見えるのに。しかしまたその噂か。


「俺が森から虫を誘拐してるってアレだね?」

「……え? いえ、違いますが」


 違うんかい! じゃあなんだ? それ以外には聞いたことないぞ?


「幹也殿のおカラダから出る樹液を吸えば、人間になれるとの噂です」


 ん? 俺が、……人間だって? そりゃあ人間だよ。どこからどう見ても、正真正銘の人間……いや、違う? 何が、人間になれるって? ……虫が?


「ウッソだぁ!」

「ウソじゃないもん! クワガタは仲間が人間になったのを、誘拐されてるって思い込んだらしいけど!」


 その話の間に入ったのはカブトムシだ。いやでも、俺自身が、虫が人間になったのを見たことなんてない。残念だけど真っ赤なウソなのだよ、それは。


 つまりはカブトムシ勢は、仲間が戻ってこないのは人間になったからだ、と思っていたということか。クワガタ姫は人間になれるとは思っておらず、ただ誘拐されているのだと思っている。どちらかと言えば後者が近いよね。なんだよ、俺、急に悪者みたい。


「ちょっと待ってね。人間になれるのはウソだと思うよ。最近のことは証明できないけど、俺だって昔は吸われることだってあったんだ」


 小学生のときの記憶を呼び起こす。昔は昆虫の口に、何とも思わず吸わせてしまったこともあったけど、でも普通に虫のままだった。人間になれるだなんて誰が言い出したの?


「虫が人になるところなんて見てないし、そんなこと有り得ないよ」

「でも、こうやって話せるようにまで進化したんだよ?」

「え――?」


 どういうこと? 思考が全く追い付かない。するとミヤマクワガタが順を追って説明してくれた。


「我々も初めはただの虫だった。ご先祖から受け継いできた貴様の樹液成分が、わたしを人に見えさせるまでにしたのだ。まだ貴様にしか見えんらしいがな」

「つまりは……?」

「黒木の蜜を摂取することで、我々は人に近付くということだ」

「はぁー!?」


 なんだよ、そのトンデモ設定! おかしいだろ!? でもどうしよう、人間に見えていることに説明のしようがないよ……。いや待て。


「だ、だったらヘラクレスはどうなんだよ!? 海外には行った覚えはないぞ!?」

「ワタシも実はご先祖がお世話になったのです。幹也殿の昔のご友人にずっと買っていただいたのですが、その弟君(おとうとぎみ)が誤って放してしまいまして」


 野放しダメ、ゼッタイ。しかもこんなデカいの。その弟くんが間違って放さなかったら、今日この日はもしかしたら変わっていたかもしれない。カブトムシだって君を怖がってここに来なかったかもしれないし、ミヤマクワガタだって虫攫いだって言いがかりでここに来なかったかもしれないし……。考えれば切りがない。


 でもヘラクレスさんが悪い訳じゃないし、おそらく俺も小さい頃に見せてもらったのだろう。あまり思い出せないが、そのときにカラダを吸われたんだ。それで人に近付いてしまった、と。


 しかしその話を知っているのなら、虫攫いなんてレッテルを貼らないでほしかった。きっと信じられなかったのだろう。俺だってまだ信じられないし、信じたくない。


「それで、もし幹也殿のおカラダを舐めさせていただければ人の姿を取り、ご主人の元に帰れるのではと思ったのです」


 人になって、ねぇ。確かに昆虫が街中を飛び回るものじゃないけれど。しかし住んでた家を見付けたとしてもこんな大男の姿だったら、その家族もビックリしちゃうんじゃないかな? とはいえ俺だってもうソイツは覚えてないし……。


 だが今のままではこいつと一号とが一緒になっても、俺が面倒を見なければいけない未来しか存在しないよね。誰か新しく飼ってくれる人がいれば、全ては上手くいくのに――。


「あ! あ、あのさ、今日はもう遅いし、明日良いところ連れて行ってあげるから、取りあえずかごに戻ってくれないかな……?」


 ひとり心当たりがいる。虫が好きな彼女なら快く引き取ってくれるかもしれない。

 奇しくも明日は、借りた本を返す日なんだ。俺のカードで借りたから、俺がいないと返せないらしい。本を読むのは羽田さんなのに、図書館って意外と面倒なのね。


 名案なのに、どうしてか彼女らはかごに戻ろうとしなかった。これじゃあ一睡もできないから。心休まらないから。寝ている間にカサカサした動きで俺のカラダを蹂躙されることを想像し、血の気が引いた。君らはホント、いい冷房になれるよ。


 すると遠くから姉が呼ぶ声がする。久し振りに俺を助けてくれるのだろう! これ幸いと陽気に飛んでいったが、大目玉を食らった。


「餌減ってないじゃん! いつまでも遊ばせといたらダメよ!」


 やっぱり虫姫になれば良かったんじゃない、お姉ちゃん? 俺だってなりたくて虫姫になったわけじゃないんだよ。俺にも優しくしてよ。もう虫は好きじゃないんだよ。


「ヘラクレスオオカブトじゃない……。どうしたのよ、こいつ」


 でもさすがに英雄には驚いたらしかった。野生でいないもんね、いちゃあいけないしね。


「あー、なんか、野生っぽくてさ。誰か間違って放しちゃったのかもで……」

「そう、だったら新しいかごが要るわね。今日は一号と三号を別けようかと思ったけど、もう少し我慢してもらいましょ」


 そういう姉の手元には、すでに土と餌が用意されたかごがあった。本格的に飼う気だぞ。逃げるならいまのうちだ、三号よ。……全く動く気配がない。屍なのか?


 バリッ、とヘラクレスさんから最初に引き離されると、そのかごの中に入れられる。虫の姿になってなおも大きさは世界一だった。

 わー、やっぱデカい。デカいと気持ち悪さも増すんだね。どうして子供時代の俺はこんなのに夢中だったんだろう? 吸わせたことも覚えてないってことは、そこまで大事なことじゃなかったんだと思う。


 やがて全部の虫を剥がされて、俺はやっと肩が軽くなった。なんだかんだ言って助けてくれる。ありがとう、姉貴。けれど次に渡されたのはオオムラサキの餌だった。


「あたし、シャワー浴びるから後頼むわ」

「はっ? え、ちょ、待っ――!?」


 だけどその懇願虚しく姉貴は風呂場に行ってしまう。いつもの通り聞き入れてもらえるわけなく、俺は手元の皿に目を落とした。

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