十八日目 アブラゼミ

「駄目!!」

「何でなん!? ヘラクレスの居場所、知りたいんちゃうの!?」


 俺のカラダはそうやすやすと吸わせたり舐めさせたりしていいものじゃない。俺のカラダは俺のものだし、そんな蕩けたような顔で見られても困る。アブラゼミの彼女は持ち前の明るさからか、すぐに元気にツッコミを入れたが残念そうだとは感じた。


 いやでも、嫌だよ。セミってどうやって樹液吸うの? あ、思い出したぞ。鋭い棘みたいなのを突き刺すんだ。痛そう……。

 それなら一層お断りだ。


「そうだよ! こっちだってお預けくらってるんだから! ポッと出のアンタなんかに幹也クンの今年一番は渡さないもん!」

「わたしだってまだ……! っ、あ、いや、その」

「なんやなんや! お兄さん今年はまだシてないん!?」


 ちょっと待って、会話がおかしい。ううん、深く考えるのは止めよう。女性たちの口論は適当に聞き流すことにした。


 虫が苦手になってからは極力側に寄らせてないし、今年と言わず最近は吸われていない。一番がどうのこうの言っているが、これ以上捧げるつもりもないので一生誰にも回ってこないだろう。


「それならウチにもまだチャンスはあるってことやんな? 嬉しいわぁ!」


 そんなに初めてがいいのか? 女性はともかく、男の初めてなんかに価値はないぞ。しかし俺もそういう初めてならもっとムードを大切にしてだな……。そうじゃなかった。いまはそういうことを考えている場合ではない。


「その、俺のカラダは絶対駄目だけど、他に何か欲しいのないの? うーんと、服、とか」


 セミの水着姿を見て想像した言葉だった。我ながら安易すぎたとは思う。彼女も微妙な顔で苦笑いをしている。悪いね、面白くなくて。


「やったら、マッサージでもしてや」


 昨日羽化したヤツの言葉とは思えんぞ。と思っていたら、ちゃんと理由があったらしい。


「長いことじっとしとったから、バッキバキやねん。それに地上って敵が多いから、緊張するんやで?」

「ははぁ、そうなんだね」


 虫の世界も大変なんだな。まあ少しくらいなら、女の子の姿ならまだマシだろうと思ってしまった。吸われるよりかはいくらか譲歩できるだろうと。俺だって陸上部でいつもやってるマッサージがあるから適当にしていれば満足だろうと。



「ひゃ、あっ! あぁん!」


 え? これどういう状況? 背中にはカブトムシ娘とミヤマクワガタ娘を乗っけて、うつ伏せのアブラゼミ娘の脚を揉んでいるだけだ。抜け殻の脚は変なトゲトゲがあって気が引けたが、人間の姿ならつるつるすべすべだ。


 それにセミはいつも腹を上に向けてひっくり返っているイメージだが、うつ伏せにもなれるんだと感心した。でも背中を見るとリアルな翅が生えていて気持ち悪い。

 だから脚をメインにしていたんだが……、この嬌声は何だ? 貴様、わざとやっているのか?


「やだ、くすぐったいのぉ! ひぃやぁ! あはっ! ぅんん!」


 ひゃひゃひゃと笑っているが、こちらは笑える雰囲気ではない。もうやめよう、そうしよう。褐色の滑らかな肌にはもうマッサージは必要ないと思うし、続けることはないだろう。


「もういいか? そろそろ教えてくれよ」

「えー? もっとぉ」

「もう駄目です!!」


 辺りはもういい加減暗いし、これ以上暮れると今日ここに来た意味がなくなってしまう。何のために嫌な虫たちと散歩してたか分からないじゃないか。

 アブラゼミは不服そうに唇を尖らせていたが、渋々納得してくれた。


「しゃあないなぁ。ウチもそろそろお腹空いたし、案内してあげよかな。今日のところはお兄さん我慢するから、また会いに来たってな」


 土の上に何の疑問もなく寝っ転がっていた少女は、体を起こすとするりと俺の手から離れる。セミの姿に戻って、飛んで行ってしまった。


「あっ、ちょっと!」

「付いて来いと言っている。ほら、案内してくれるのか、まだ近くに居るぞ」


 置いて行かれたかと思ったが、ミヤマクワガタが説明してくれた。確かに目を凝らしてみるとそこにセミが居るように見える。木の幹と虫の色が同化して分かりにくい!


 しかしこちらが近付くと、素早く動く影があるのでミヤマちゃんの言うことは正しかった。木から木へと、こちらが付いて来れるような距離を移動してくれる。セミが飛ぶのは思っていたより速く、目的地に一直線に飛ばれていたら見失っていただろう。

 虫の後を行くのは嫌だったが、これもカブトムシを森へ置いていくためと我慢した。もうすぐで、もうすぐで……、この地獄から救われるはずだ。


「着いたな。そこに居るぞ」


 セミは樹液にやっとあり付けて、管を刺して食事を始めたようだ。ミヤマクワガタが指さした方向を見ると、一際デカいカブトムシが居る。おう、ホントに居たよ。ヘラクレスオオカブト。


 俺だってこいつくらいは知っているぞ。世界一大きいカブトムシだ。金色に輝く背中は虫ギライな俺でもかっこよく感じる。

 あー、でもやっぱ、無理だわ。


「あのさ、通訳とか、できそうかな?」


 これ以上虫をカラダに引っ付けるのも勘弁だし、付けたところで話せるか分からない。オスなら人に見えない可能性があったのでミヤマちゃんにお願いするが、渋い顔をしていた。クワガタにとっては、カブトは縄張り争いをする相手なのだろう。


 ちなみに一号は使い物にならない。俺の背中を使って、完全に隠れるようにして小刻みに震えていた。うーん、どうにかお婿さんとして受け入れてはくれないものか。


 俺がメス二匹に気を取られていたら、そいつは突然やってくる。大きかったはずなのに、やっぱり虫は動きが速くて捉えきれなかった。


「ハニー! 戻ってきてくれたんだね!?」

「ぎゅむっ!?」

「ぎゃあー!! いやいやいや! 離れてよお!」


 ヘラクレスは、俺ごと一号を抱き寄せる。隆々とした筋肉はまさにボディビルダー、いや、海外の古の戦士の方が表現的には合っているかもしれない。なんて言うの、コロッセオ? そういう場所に居そう。

 彼はその名の通り神話に出てくるようなヘラクレスだった。日本人では届かないような筋肉の付き方だ。羨ましい。


 思っていたより爽やかな声が大きく響く。でも暑苦しいんでどいてくれます?


「あ、あのぉ……」


 気付いたらミヤマちゃんは避難していたらしかった。血も涙もない非情な虫め。だからこいつらは嫌いなんだ。


「ぬ……、そちらは、人間の少年? これはどういうことだ?」

「や、その……」

「幹也クンは恋人なの! だからもうアンタとは子作りしませんから!!」

「ぶっ!」


 二重の意味で信じがたい言葉が俺の耳を打った。いやいや聞いてないし。そうじゃないし。むしろ完全否定だ。虫は虫同士仲良くやってほしいんだよぅ、俺はようぅ。


 恋人と言われて、ヘラクレスはまじまじと俺の顔を観察している。茶色ともオレンジとも取れる前髪の下で、瞳が真摯に光っていた。首も腕も足も、全てが太い。彼女を取ってしまった俺にその太い腕で殴りかかるのではと覚悟したが、その正義の鉄槌は向けられることはなかった。


「幹也、少年、であるか?」

「そ、そう、ですけど……」


 オスでも見えるようになってしまったのか、それとも波長が合ってこいつだけ見えているのか。これなら見えない方が良かったかもしれない。得体の知れないバラが咲いてしまう可能性があるぞ!?


 いやでも、英雄の彼はカブトムシにしか興味なさそうだし、俺のカラダの心配はないだろう。


「むう、やはり。あなたからは美味しそうな匂いがしていますから、もしやと思いました」


 アンタもかい! でも男と男はもっと勘弁だ。想像してしまってげんなりした。しかし筋肉は羨ましい。俺も欲しい。


「おい! 何か来るぞ!? 伏せろ!」


 筋肉に見とれていたら、いつの間にか戻ってきていたミヤマちゃんに警告をされた。え、何? 何が来るって!?


「ちなみに教えておいてやろう。御内室(ゴナイシツ)ってのは、嫁のことだ」

「はっ? 嫁?」


 誰が嫁だって? ミヤマちゃん? それとも一号? 誰も嫁にした記憶はないぞ!?

 あれ、ゴナイシツってどっかで聞かなかったっけ?


「逃げろ!」


 その言葉を合図に俺から全部の虫が飛び立つ。あぁ、やっと帰ってくれるんだ。そう思ったのも束の間、それは違ったのだと思い知らされた。

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