十五日目 アブラゼミ

 その日も、セミがけたたましく鳴いていた。真夏のある日、ひいおじいちゃんが亡くなったのだ。自宅葬を執り行うため、家族総出で古いお屋敷へとお呼ばれした。


 もちろん俺も付いていったのだが、その頃は2歳くらいだったらしい。葬式があったことなんてそりゃあ覚えているわけがなかった。でも確か写真とかで少し見たことがあると思う。抱っこしてもらったものが残っていた。


「この度は誠にご愁傷さまでござい……」


 夏の熱気に、線香の香りとお経の声が乗って溶ける。喪服は意外と暑い。祖父はすでに亡くなっていたので喪主は父が務めていた。幼かった俺と姉には良くは理解できず、取りあえず母の隣に突っ立っている。


 誰か知らない人たちが父母に変な挨拶をしているが、小声なのでうまく聞き取れない。仏頂面で、姉は俺の手を握ってただ終わるのを待っていたようだった。


 父は相続すると掃除が面倒だからと継がなかったが、実は相当なお屋敷だったらしい。なんだよ、金持ちじゃん。だったら俺の小遣い上げてくれ。でも本当の理由はそうではなかった。


 お屋敷には、ひとりの女性が住んでいたのだ。昔では珍しく嫁にも行かず、ただじっと静かに過ごしている。ひいおじいちゃんの葬式にも出てくることはなかった。


「あとはお母さんがやっておくから、少し休憩してもいいわよ」


 いままでじっとしていた反動なのか、その言葉を聞いて姉は目を輝かせる。そのとき5歳だった姉は好奇心旺盛で、探検と称して俺を連れ回すことにした。曾祖父は園芸が趣味だったのか、庭には多くの植物が群生している。

 これが姉の冒険心を奮い立たせたのか、どんどんと奥へと進んでしまった。未知の場所の探検はワクワクしただろう。しかしそこで出会ってしまったのだ。


 黒木家の、虫姫に。


「黒木の、娘かえ」


 老婆は皺の深い顔をしかめて、こちらを、正確には姉の方を見ている。この暑いのに着物を着込んでいた。彼女の周りには、蝶や蛾がひしめき合っている。


「あ! ちょうちょ! ちょうちょ!」

「あっ、幹! 行かないで!」


 俺は姉の手を振りほどいて、その老婆に近付いてしまったらしい。彼女はひいおじいちゃんの妹で……、えっと、俺から見れば何になるかは分からない。


 取りあえずあまり芳しくない人に出会ってしまったのだ。屋敷の奥で隠れるように、いや隠されるように住んでいる人物に、何を話していいのか分からない。

 実はいままで姿を見せなかった親戚がいるのだと知って、姉は恐怖を感じたのだ。


「坊や、虫は好きかえ?」

「むし、すき!」

「そうかい。お嬢ちゃんは?」

「えっ……」


 さすがの姉も5歳の頃では、得体の知れないものは怖かった。話しかけられてもなお、答えて良いものか迷っている。枝のような指で招かれているが、どうにも足がすくんで動かなかった。


「こちらへおいで。私と同じ運命を辿るんだ、聞いておいても損はない」

「な、何ですか……!? ちょっと幹! 行くよ!?」


 いきなりそんなことを言われても、気を許せるわけがない。でも俺が老婆の近くから離れないので、どこかへ行くこともできなかった。


「ちょうちょ、ちょうちょ、なのはにとまれ」


 俺はそのとき、悠長に歌っていたらしい。変な緊張感に包まれているのに、なんとも呑気なものである。


「お嬢ちゃんは柊太郎(しゅうたろう)……、いや柾(まさき)の子だね。名前は何だえ?」


 柊太郎は祖父、柾は父の名だ。確かめられることで血の繋がりを証明されてしまったが、姉はさらに気持ち悪く思う。こちらが知らないのに向こうだけ知っているなんて理不尽だと、姉は語った。


「ぼく、みきくん!」

「幹! 喋らないで!」

「そうかえ、可愛い名だね。お姉ちゃんの名前は?」

「いつき!」


 俺は答えてしまった。ごめん、お姉ちゃん。名前を知られてしまって幼い姉は木の陰で怯えている。


「いつきちゃん、そこでいいからお聞き。黒木の女は、代々虫の姫にならなければならないのよ」

「虫の、姫……?」

「だから虫には慣れておくんだよ。悪いが私ももう長くはないからね。私の呪いがいずれ行くだろう」

「え、……いやよ! 虫なんか! 変なこと言わないで!」


 ただからかっているだけだと思っていたらしい。変人が変なことを言って子どもを脅かしているだけなのだと。

 その冗談には嫌悪感を覚えた。いくらなんでも最悪すぎる。


「おねえちゃん? おねえちゃん、だいじょうぶ?」

「幹!」


 すると心配して俺がやっと座敷から降りてきた。驚くことに土足で上がったのだと聞く。老婆は気にしていないようにも見えたが、歳を取っていると感情を読み取りにくい。


「みきくん、むしすきだから、おねえちゃん、まもってあげる!」

「幹……、ありがとうね。お姉ちゃんを、守ってね」

「そうかえ。それもひとつの、選択なのかね」




「ふーん、それで?」


 昔の俺ってば可愛いじゃん。こんな鬼みたいな姉貴を守ろうなんて。いや、姉も昔は可愛かったのかもしれない。それでどうなったの、その後? お姉ちゃんは虫のお姫様になってしまったの?


「アタシには呪いは来なかった。代わりに受けてくれたのが、アンタよ」

「……はいぃ?」


 そんなことした覚えはないよ、俺。なんでそうなった? したことって言ったら、お屋敷に行ってお座敷に土足で上がったことだけでは?

 それも俺の意志ではなく、姉に連れ回されたせいでやってしまった行為だし……。


「守るって言ってくれたでしょ? たぶんそれのせいで、アンタのカラダは木になったのよ」

「ぅえー!?」


 なんてこった! 俺の人生、そんなことで変わっちゃったの!? ウソだぁー! ……え、マジで? ウソだと言ってよバーニィ。


 こんな姉を守るなんて言わなければ良かった。でもそれの話と俺と羽田さんの間に、何か関係があるんだろうか。虫姫って言ってたけど、それが俺? だったら俺が虫の姫? いや俺男だし!


 待って、姫ってどっかで聞いたことある。


「あのさ、それって、『虫ナントカ姫君』って話と関係ある?」

「……なんだ、知ってたんじゃない」

「へっ?」


 いや知らない知らない。その物語だって今日初めて聞いたし。というかそんな少ないヒントで良く分かったね。


「『虫めづる姫君』。うちには伝承はないけれど、正式な系統の羽田家なら、何か残ってるかも。でも、あんまり近付かない方がいいわ。だって大昔、黒木に呪いを掛けたのはその家だもの」

「は? え、待って、それじゃ……。羽田さんが、俺をこんなカラダにしたってこと?」


 お嫁に行けないじゃない! とまでは言わないけれど、テンパって俺は謎の結論を出してしまう。そうじゃない、と姉は冷静に否定して、それでも、意味は似通っていると教えてくれた。


「違うけど、元をただせばそうとも言える。詳しくは調べきれなかったけど、いわば妬みよね」

「妬み……?」

「うちには手紙しか残ってないのよ。でも彼女とは別れた方がアンタのためかも。先祖とはいえ呪いを掛けた家と一緒には居られないでしょ」


 そんな……、そんなことはない。俺のカラダの元凶が羽田さんのご先祖様だと言われても、にわかには信じられなかった。呪いについては一旦流そう。だって実際こうなっているわけだし、姉の作り話にしては想像力豊かだ。


 自慢じゃないが、姉はお金が大好きな現実主義者だ。ファンタジー映画とかも鼻で笑うタイプの人間である。夢がないよぉ、お姉ちゃん……。


「そういうことだから、じゃ、アタシはもう寝るね」

「どういうこと!? あっ、えっ? ちょっと待ってよ!」


 引き留めたけれども、気にせず姉は自室に引っ込んでしまう。ガタリとドアプレートが揺れる音がした。


 えっと、何も知らないんだけど?


「終わったん? ウチもう退屈やで」


 すっかり忘れてた。いまはこのセミ娘をなんとかしよう。

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