雑木林のため息の中

肥後妙子

第1話 古くて新しい地元

 余韻というのでしょうか。私は雑木林の余韻の中に住んでいます。数十年の昔には、私の家はこの地には存在せず、代わりに樹木ばかりが生えていたという事です。

 かつて、ここは武蔵野の雑木林の中だったのです。それが伐採されて、家がぱらぱらと建てられました。郊外の住宅地というものでした。町中のように家々の隙間が狭いわけではなく、少しばらけた感じで家々は並んでいます。住み心地はまあまあ良いです。困ることは特にありません。


 現在の我が家の庭には、武蔵野に、いえ、日本に本来なかった植物が植えられています。イングリッシュローズとか、ジャーマンアイリスなどです。でも、かつてあったものが全て無くなってしまった訳ではないのです。


 例えば、はす向かいのお家の庭にあるクヌギの木、あれは雑木林の生き残りなのです。何かの拍子に伐採を免れたのでしょう。更に道路を渡った向こう側にあるお家のナラの木、あれも生き残りです。どちらの木も、オナガという種類の鳥が、よく遊んでいます。

 経費の問題で切られるのを免れたのでしょうか。おそらくその可能性が高い。邪魔にならなそうだから、根こそぎ切らなくても良いだろうという感じだったのでしょうか。だとしたら、そう決めた人たちの事が、私は好きです。感傷的ですが、余韻を残してくれたおかげで土地の歴史と断絶した訳ではないと感じる事ができます。

 

 このような余韻の木々は点々と残っていると思います。きっとたどって行けば、武蔵野の森の本体、保護されて残っている木々の茂りに辿り着くはずです。ヘンゼルとグレーテルがこぼしていったパンのかけらに余韻の木々はよく似ていると思います。


 樹木だけが余韻ではありません。私の家の庭にも余韻はあるのです。ジャーマンアイリスやイングリッシュローズの中で、ひっそりと生きています。


 うけらが花の茂みです。うけらが花という名称は、今では殆ど使われません。でも昔は、和歌で武蔵野が詠まれる時に時々出てくる名前でした。西洋産の園芸品種とは打って変わって地味な花です。時季がくると、ちょっとチクチクした感じの花が咲きます。そうなると、庭がその部分だけ、過去に戻ったように思えるのです。うけらが花の歴史は、実は武蔵野の雑木林の歴史より古いのです。万葉の昔に詠まれた名前なのです。

 そんな古式ゆかしい名前ですが、今では殆ど使われません。うけらが花の名前は、時代とともに変わってしまいました。

 今ではこの花は、図鑑などには『オケラ/朮』と記されています。虫と間違われそうな、金欠の人のような名前になってしまって少し寂しい。私は庭の彼等を見るたびに、本当はうけらが花だったのにな、と考えます。


 点在する雑木林の生き残りを見るたびに思います。保護されている木々の塊が吐いたため息のような彼らが、これから子孫を残し、増えていく可能性も無くは無いのです。完全なゼロではないでしょう。吐かれたため息が濃くなる日、つまり点在していた木々が列になり塊になって再び雑木林になる日が来たら、我が家のうけらが花はどうなるのでしょう。

 この現在の郊外に、徳川時代と万葉の時代を混在させるようなものではないか、そんな事ができるのか、二種類の過去とそして現在はうまく混ざるのだろうか、そんな事をうけらが花を見るたびに心配してしまうのです。

  

                                  終

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