第6話 萱津の戦い、守護代信友の凋落。

夏が過ぎ、秋が近づいた天文21年 (1552年)8月16日、萱津かやづの戦いが起こった。

意外と時間が掛かったと思った。

調整と調略に時間を掛け、稲刈り前まで戦を控えたのは愚策だ。

俺が信友なら翌日に陣触れを出してたたみ掛けた。

那古野まで攻めずにいくつかの城を落とし、信友の存在を大きく訴えておいた。

国人や地侍は頼りのある方に付く。

信秀に傾いた天秤を少しでも信友に戻し、調略のきっかけを作る必要があった。

だが、その手間を惜しんだ。

又代の坂井大膳が実権を握り、その坂井大膳は今川と通じて戦略を調整していたのだろう。

信友が信秀に代わって台頭して貰っては困るのではないか?

今川義元の手の平で巧く遊ばれているのを感じた。

でもさ、それは失策だよ。

兄上(信長)に時間を与えたことを後悔することになる。


その清州だ。

熱田・津島が栄えると守護代の織田信友が治める清州は京へ向かう通過点として栄えてもよかった。しかし、熱田商人を向かわすと賄賂を要求するばかりでこちらの要望に応えてくれない。

父上(信秀)が生きている間は亀のように首を引っ込めていたが、弾正忠家が台頭することをこころよく思っていなかった。

清州の台所に入って贅沢三昧で中から切り崩し、清州に味方する城主を寝返らせて信友の養子に兄上(信長)を入れようと画策しようと思ったが最初から躓いた。

流れに逆らうのは難しい。

主な原因は又代の坂井大膳が用心深い性格で熱田商人を毛嫌いしたからだ。


そういう訳で兵糧攻めだ。

熱田・津島の品を清州に一切入れない。

尾張に入る道に墨俣大和街道(墨俣―桑名)を使って桑名に下り、佐屋路で那古野・熱田に入ることができる。

津島を起点に木曽川・長良川を下る格安の船を増やせば、おのずと墨俣から津島を選択する行商や旅人が増えてゆく。

美濃路を使う商人も商品がなければ、那古野まで素通りしてしまう。

那古野が栄えるほど、物価が上がる。

米の買い取り価格も上がっているのだが、それ以上に物価が上がって実入りが小さくなってゆく。

つまり、貧しくなってゆく。

熱田や津島と取引のある領地には、それを補うように手仕事や農作物を依頼して高値で引き取った。

熱田商人を入れない領地は徐々に衰退する。

美濃との取引もすべて墨俣経由になった。

清州の後背に当たる尾張上四郡がその煽りをモロに食らった。

一方的に岩倉城の織田伊勢守信安から恨まれた。


「おのれ、信長ぁ!」


何故か、恨まれているのは兄上(信長)らしい。


こうして、2年余りの締め付けが続き、父上(信秀)が亡くなるという好機が訪れる。

当然、清州の武将達は不満が爆発する。

短絡的だ。

清州にないならば、那古野から奪ってしまえばいいという空気が出来上がった。

弾正忠家は分裂し、信長は孤立無援だ。

横山の戦い、赤塚の戦いと連敗し、戦下手と高をくくっている。

戦国時代、他者から奪うことに遠慮がない。

こうして、秋の収穫を終えると陣触れを出して押し寄せてきたのだ。


又代の坂井大膳に命じられた坂井甚介・河尻与一・織田三位は松葉城主織田伊賀守と深田城主織田信次を襲った。

清州から那古野に攻めるルートは2つしかない。

土岐川(庄内川)を渡河するには美濃路の稲生渡船場を通るか、佐屋路の万場・岩塚渡船場を使うかのいずれかである。

美濃路を選べば、佐渡守(林 秀貞はやし ひでさだ)の屋敷があり、武名で名を馳せた林一族が待ち構えていた。

一方、佐屋路を選ぶと川の手前の松葉城と深田城が邪魔になる。

どちらの道を通るかと言えば、一択しかなかった。


もちろん、清州勢は勝幡城を攻めることもできる。

だが、勝幡城の北側に津島酒造所が完成すると、河に囲まれた要塞島のようになってしまった。

あれを攻めるのはうつになる。

それに荷ノ上城の服部衆より津島衆の方が絶対に怖かった。

金に物を言わす津島衆は鬼に金棒というか。

(屋根付き)小舟の上から鉄砲で一斉射撃とか、一方的過ぎて洒落にならない。

清州勢が勝幡城を狙わず、那古野を狙うのはそこであった。


松葉城と深田城は城とは名ばかりの砦の中に建てられた屋敷で坂井甚介・河尻与一・織田三位が率いた清州勢1,700人を足止めできるほどの城ではない。

兵数も300人ほどしかならない。

織田伊賀守と織田信次は取るものも取りあえずに、土岐川(庄内川)を渡って那古野城に避難した。


「がははは、腰抜けどもめ! 我らに恐れをなして逃げて行きおった」

「完勝、完勝、幸先が良いですな」

「奪う物も多く、兵も喜んでおります」

「百姓が逃げてしまったのは惜しいが、すぐに手に入る」

「那古野ではごまんと人もいる様ですしな!」

「甘露、甘露、祝い酒だ」


勝った清州勢は好き勝手に乱取りを許し、城や村を襲って金品を奪った。

兵達は我先に取り合っていた。

その浮かれ気分のままに昼になると、兵を再召集して土岐川(庄内川)の渡河を始めた。

今朝の段階で那古野は大騒ぎであった。


「信長様、清州勢が攻めてきました」

「信勝に援軍の要請じゃ。皆をかき集めろ。総触れだ」

「戦場は如何に! 河を挟んで対峙しますか?」

「それでは数が減らせん。向こうが渡河を始めるまで那古野城で待機して、渡河させてから対峙する」

「少々、危険な戦になりますぞ」

「それは承知。この戦で清州の息の根を止める。数はこちらが多く揃えた。これで悪童あくとうに文句も言わせんぞ」

「余りこだわらない方がよろしいかと」

「うるさい、さっさと用意しろ!」


この数か月間、信長は何もしていなかった訳ではない。

佐渡守(林 秀貞はやし ひでさだ)に詫び状を書いて信勝との仲介を頼み、信勝には弾正忠家家督を認める手紙を送った。

外交を得意とする平手 政秀ひらて まさひで魯坊丸ろぼうまるに送って、内情を探らせた。


言われたからやるというのも癪であったが、信長は感情だけで軍政を放棄するほど偏屈ではない。

各家の次男、3男を側近衆として召し抱えると、農家にも専属の足軽衆を募集した。

新たに側近20名を増やし、同じく、足軽衆300名を抱えた。

こうした準備を終えた所で清州が動くのを待った。


清州勢が攻めてきたので信長は陣触れを出す。

直参足軽衆300名、動員した農兵から500名、平手と林の兵が500名、織田伊賀守と織田信次の兵が200名、信勝の援軍800名が到着して、総勢2,800名で土岐川(庄内川)を渡り切るのを待った。


伯父の信光は参加せず、清州勢の撤退を信友に申し出るに留めている。

信光はあくまで守護代を立てる姿勢を取っていた。

坂井甚介・河尻与一・織田三位からすれば、信勝勢の援軍に中条家忠と柴田勝家らが参加しているなど想定外だ。


「信長は戦下手でなかったのか?」

「信長などどうでもよい。何故、林と柴田が参陣しておる」

「渡河してしまった。ここで引けば、総崩れだ」

「数で劣っているが背水の陣だ。勢いで勝てるぞ」

「中央の信長を叩けば、我らの勝ちは揺るがん」


戦上手の河尻与一が中央を任され、左翼坂井甚介が柴田ら、右翼織田三位が林らに当たった。

翌日の早朝、辰の刻 (午前8時ごろ)から那古野勢と清州勢がぶつかった。

訓練する時間が足りなかったが、信長の足軽もがんばった。

拮抗していたように見えたが、武将の質が勝敗を分ける。

中条家忠と柴田勝家が二人がかりで坂井甚介を討ち取ると清州勢が崩れた。

大勢は昼前に決まり、逃げる清州勢を信長たちが追い立てた。

渡し舟に皆が我先に争っては戦にならない。

数多の死体を残して、清州勢は総崩れして逃げていった。

信長はそのまま兵を清州に進める。

大敗を喫したと言っても清州城は三日月湖みかづきこを天然の堀に利用した城で中々厄介なのだ。

信長は事前に町を焼くと宣言し、住民を逃がした後に火を放つ。

後は睨み合いを続けていると信光が和平の使者となり、和議が合意されたところで兵を引き上げた。


そこから信長の調略が始まる。

寝返った武将を討とうと兵を起すと、和議を破ったと信長が兵を起こす。

清州に兵が集まる前に信長が清州を襲う。

再び町が燃やされる。

信光が使者になって和議を繰り返した。

町人達が清州を去り、清州の衰退が加速する。

信友を支持していた武将が一人、また、一人と去ってゆく。


「え~い、どうしてこうなった」

「裏切り者を始末する為に兵を上げると、信長が攻めてくるのでは兵も上げられぬではないか?」

「あの信長の早さは何なのだ?」

「誰が裏切っている?」

「降伏するべきだ」

「何故、我らが頭を下げねばならん」

「まだ、打つ手はある」


清州の武将達はすでに坂井 大膳さかい だいぜんを見限っていた。

守護代の織田信友を支持する者は少なくなっていった。

しかし、坂井 大膳さかい だいぜんは諦めない。

なぜならば、弾正忠家も一枚岩ではない。

弾正忠家の家督は俺が相応しいと、守山城の織田信光が吠えている。

また、勝幡城の織田 信実おだ のぶざねとも亀裂はあり、現に清州攻めに参加していない。

末森の家老らは中立を保っている。

信勝は末森の家老を抑える為に信長の協力が必要なだけで本心まで信用しているとは思えなかった。

信長を恨む尾張上四郡を治める岩倉城の織田伊勢守信安も協力を惜しまないと言っている。

付け入る隙はある。

まだ、負けた訳ではなかった。

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