33 負けだっていいじゃない


 鐘の音のように腹の底に響く低い声だった。

 声が実際に重さを持ったみたいに、辺りを圧し潰すような迫力が込められてる。


 明らかな怒気。確かめるまでもなく、その人は激怒していた。


 尻尾はいつの間にか股座に丸まっていて、体は勝手にお腹を見せて寝転がろうとした。

 ワタシに向けられたものじゃないと自分を必死に押し止め、それでも緑の人から目が離せずに震えていると、視界を小さな影が横切った。


「……だぁ」


 その場にいた誰もが震えて竦み上がってる中、ノノイさんだけが小走りにその人に駆け寄っていた。その足取りはまるで恋人を見つけた少女のように軽やかだ。


「……れぇ」


 タンッタンッと小気味いい足音を響かせながらノノイさんの体が跳ねる。ホップステップといった感じで、見ているこっちまで楽しくなるようなリズムを刻む。


「……がぁ」


 緑の人まで二メートルの距離に近づいたところで、ノノイさんの体が一際大きく跳ねた。


 肩から零れた金髪が風になびく。


 ノノイさんは美しさすら感じさせるフォームで宙を滑り、緑の人の広い背中に飛び込んで、



「妻かぁ!!!」



 見事な延髄斬りを見舞った。


 ――パァン!


 破裂寸前まで空気を詰められた風船を、手で叩き割ったときのような破裂音がした。

 手と違って体に見合って小さい、でもしっかりと筋肉のついたノノイさんの足が、的確に緑の人の頸椎を打ち抜いてる。


 ワタシの体はいつの間にかシュルカさんの陰で丸くなって、足に縋りながら震えていた。


 なんてこと……ノノイさんは気が狂ってしまったんだろうか。

 もう駄目だぁ……おしまいだぁ……!

 あんなの、勝てるとかそういう次元にすらならない、勝負が成立しないよ。


 恐怖にちびりそうになりながらシュルカさんを盾にして、ノノイさんが重力に従って地面に下り立つのを見守った。


 トンッと軽い音をさせながら華麗に着地したノノイさんは両手を腰に当て、実に一メートル以上ある身長差を感じさせない態度で胸を張って見上げる。


 ゆっくりと緑の人が振り返った。


 彫りが深く、潰れ気味の大きな鼻が特徴的な顔はどこもかしこもゴツかった。

 口元からは上向きに二本の大きな牙が覗いていて、歴戦の戦士と獣を混ぜ合わせたような風格。

 美男子と表現できないことはないけど、どちらかというと男臭さの方が強い。


 顔の大きさからすると小さい瞳が、鋭い眼光を湛えながらノノイさんを見下ろす。

 その目は怒りに染まってるように見えた。


 あの蹴りにはビクともせず、まるで効いた様子はなかった。でも、それが不快感と繋がらない訳じゃない。痛みはなくても、急に後頭部を足蹴にされて怒らない方がおかしいだろう。


 ドサッとバハートが地面に投げだされる。

 首を締めあげられた時点で気絶していたみたいだ。

 白目を剥いて、口の端から泡を吹いてる様は、あの見事な悪役ムーブをかましてくれた輩としてふさわしいオチだった。


 ズンッと重さを感じさせる足音を響かせ、緑の人がノノイさんとの距離を詰める。


 まさに子供と大人の体格差。


 次の瞬間には、あの魔動人形ゴーレムと同じように叩き潰されるノノイさんを幻視して、身を固くして目を見張った。



「……いい蹴りだ。さすがはオレの妻となる女よ」



 …………え、なんて?


 思わずズッコケそうになったのを、シュルカさんの足に縋ってなんとか保った。

 慌てて目を向けなおすと、ノノイさんが苦虫を千匹くらい噛み潰したような顔で緑の人を睨んでいた。


「だ・か・ら! 誰が妻よ、誰が!?」

「この場にお前以外に誰がいようとも、オレはお前を選ぶ」

「会話って知ってるかしら!?」


 急に夫婦漫才を見せられる他人の気持ちって知ってる?

 口の中から砂糖が溢れてくるんだぜ……。


 しゃがんで視線を合わせて真摯な瞳を向ける緑の人に、ノノイさんは何度もヤクザキックをお見舞いした。

 でも、まるで堪えた様子はなく、じゃれてくる子供を相手にするみたいに笑みすら浮かべていた。


 いったい、この状況はなんのか。展開について行けなくて取り残されてると、シュルカさんが肩をちょいちょいと突いてきて、内緒話をするみたいに顔を寄せてきた。


「誰が妻か明言してないのに、いの一番で飛びだしてったことは、もうハチャメチャに意識しちゃってるッスよね?」


 ……なるほど、そういうことね。


 ニヨニヨした笑みを浮かべるシュルカさんに習って、顔を寄せ合いながらギリギリ大きさの声で返した。


「いや意識してるどころか、あれはもう堕ちてますよ。きっかけが掴めなくて、甘えられてないだけです。一つ何かあれば、あとはもう一直線ですよ」

「あ、やっぱりイディちゃんもそう思うッスか?」

「ええ、間違いありません」

「アンタたち! わざと聞かせてるのは分かってるからね!」


 ノノイさんが体を捻って、ビシッと指を突きつけてくる。

 でも顔どころか耳まで赤く染まってるから迫力がない。というか可愛さしかない。


 さっきまで暴漢相手に大立ち回りしてた人と同一人物とは思えないね。いや、これも一種のギャップ萌えだな。


 そんなことを考えながら、シュルカさんと一緒にほっこりした。


「ガルドさん、式はいつの予定ッスか?」

「オレはすぐにでも挙げたいのだが、街の状況も見過ごせん。まぁ、そうは待たせん。早急に方をつけ、大手を振ってノノイを掻っ攫う」


「ワタシ、結婚式って行ったことないんで楽しみです」

「うむ。徒人ヒュームや獣人たちのそれとはだいぶ趣を異にするが、我ら緑人族オークの伝統にのっとり、盛大にやることを誓おう」


 いつの間にか緑の巨漢こと、緑人族オークのガルドさんも混じって会話に花を咲かせた。

 なんだ、見た目はおっかないけどすっげぇいい人っぽいな、ガルドさん。


 きゃいきゃいしながら結婚のあれこれを訊いてると、ガルドさんの背後からぬぅっと影を背負ったノノイさんが目をギラつかせて乗りだしてきた。


「アンタたち……いい度胸してるじゃない! 覚悟はできてるんでしょうねぇ!?」


 ノノイさんが額に青筋を浮かべて魔導書を開きながら脅しかけてくる。

 ワタシとシュルカさんは、とっさにガルドさんの陰に隠れた。

 でもガルドさんは逃げも隠れもせず、誇りすら感じさせる堂々たる風格で胸を張って振り返り、相変わらずの真剣な面持ちで頷いた。


「もちろんだとも。――オレの生涯をかけてお前の幸福を叶えることを誓おう!」


 真正面から愛の告白にノノイさんの顔が限界を超えて赤くなる。

 臨界点を突破した熱に、顔を手で覆ったまま空を仰いだノノイさんから煙と一緒に声が溢れてくる。


「ちっがぁああう!!!」


 魂の咆哮は廃墟の壁に空しくも吸い込まれていった。




      ☆      ☆      ☆




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