17 騎士様は王子様で黒かった


 突如、頭上から聞こえてきた声にリィルさんは素早く視線を上げ、それとほぼ同時にその場から飛び退った。

 姿がブレるような速度でリィルさんがその場を離脱したのと同時に、高速で飛来した何かがワタシたちを分断するように地面に突き刺さって鈍い音を響かせた。


 まるで砲弾が撃ち込まれたみたいだった。

 凄まじい衝撃が地面ごと辺りを揺るがして、細かい石の欠片が跳び散った。


 一体何が起こったんだ……突然のことに目を白黒させて、モウモウと土煙が巻き上がるのを眺めた。

 すると、前触れなくワタシを拘束していた糸が切られて、宙に投げ出されたところを誰かに抱きとめられた。


「白昼、人気のない路地裏に幼気いたいけな少女を連れ込み、乱暴を働くその所業。まさに卑劣にして非道。鬼畜の悪行と言う他なし」


 視界を遮る煙の向こうから凛とした声が響てくる。

 男性にしては高くて、女性にしては低い、中性的な声音。

 それでいて聞いている人を落ち着かせるような、不思議な調しらべ


「天にそびえる巨樹アーセムのお足もとでのその行い、到底看過できるものではない。たとえ、あまねく正義が許したとしても――」


 ワタシを支える腕が、その細さとは裏腹に力強くワタシを抱き寄せる。

 辺り立ち籠めていた土煙が吹き抜けた一陣の風に攫われて――視界が開けた。


「――この僕。空帝騎士団が十三位、黒艶こくえんのゼタが許しはしない!」


 まず目に映ったのは、全身を覆う艶やかな黒の体毛だった。


 路地裏に降りる一筋の光に照らされながら、できすぎた映画のワンシーンみたいに全身があらわになっていく。

 額からなだらかに突きだした鼻筋、垂れ気味で先の尖った大きな耳、そして頭部から後方に向かって伸びる太く捻じれた鋭い角。


「……山羊?」


 ワタシを抱きかかえたその人は、黒山羊と人間が混ざり合ったような姿をしていた。


「如何にも、僕は山羊人族パーンヌスの騎士。以後お見知りおきを、お嬢さんリトルレディ


 ワタシを見下ろしてくる濃い黄金色の大きな瞳が、こちらの内心を見透かして安心してくださいと語りかけてくるみたいに、優しげに柔らかく弧を描いた。


 上半身を覆う実用性を重視ながらも美しい銀色の軽鎧けいがいと、見ているこちらの背筋まで伸びるような雰囲気が相まって、騎士のような風格をまとっている。

 もし胸部に大きな膨らみがなかったら、その色っぽいハスキーボイスも相まって男性と勘違いしてたな。


 うん、間違いないなく。


「あの……。そろそろ、降ろしていただいても?」


 しかし人生初のお姫様抱っこがやってもらう側とは……しかも相手は女性とか。

 ほんのわずかに残っている……残っていたらいいなぁって思う『俺』という男の部分が、とどめを刺された感じになってさっきとは違う意味で涙が出そうだ。


 顔面が出火しそうなくらい熱くなっているのを悟られないように視線を反らしたけど、赤くなっているのは隠せていないから、なんだか余計に恥ずかしいことをしている気がする。


「これは申し訳ない。僕としたことが大変な失礼を。いきなり抱きかかえるなんて。レディに対して失礼だったね。正式な謝罪は後ほど、今はこれで」


 ――チュッ


「わひぃん!?」


 急に手の甲に暖かくて柔らかいものが触れてきたのに思わず声を上げてしまった。

 目を白黒させているワタシに、山羊の人、ゼタさんは地面に片膝をついた騎士の礼の姿勢で微笑みかけてきた。


 ――トゥンク


 なんというか、まさにお伽噺に出てくる王子様。

 騎士像をそのまま体現したような振舞いをする人だった。


 くそぉ、不覚ながらちょっとときめいてしまった。


 それでなくても熱かったのに、熱がどんどん顔に集まってくるのを感じる。

 絶対にさっきよりも顔が赤くなってるぞ、これ。


 ――ドオォン!


「わをぉん!?」

「――ッ!」


 まともにゼタさんのことを見ることができなくて、右手を差しだしたまま固まっていると、さっきの焼き直しのような轟音が響いた。


 膝をついていたゼタさんが素早く立ち上がり、ワタシを背に庇ってくれる。

 彼女の背中に隠れながら音の発生地を恐る恐る覗いてみると、地面に小さなクレーターと共に蜘蛛の巣状の罅が広がっていた。


 とてつもない力で踏み抜かれた地面の上、全身を項垂らせたリィルさんが幽鬼のような姿でそこにいた。


「わ、わわたし。私し、だ、だってぇ……」

「離れて。今の彼女は正気を失っている」


 ゼタさんが石突の部分が紐で繋がった二本のピッケルのような物を構えて、険しい顔つきでリィルさんと相対した。


 影どころか闇まで背負っていそうな雰囲気でゆらゆらと身体を揺らし、全身をガクガクと不規則に震わせながら、ぶつぶつ意味になっていない呪詛めいた言葉を零す。


 今のリィルさんはそんじょそこらのホラーゲームに出てくる悪霊など目ではないとばかりに負のオーラを漂わせていた。

 俯いた顔は黒く影に覆われていて、ワタシのところからでは表情を覗うことができなかった。


 ゼタさんもその異様な雰囲気に圧されてか、自分から踏み込むことができないみたいだった。


 深く腰を落として構え、出方を窺っている。


 ゼタさんの緊張が伝播してか、ワタシを含めた辺りの全てが硬くなって息を殺す中……不意に、リィルさんの動きが止まった。


 幽鬼めいた動きも、言葉になり切れていない呪詛も、空気まで侵食しているようなオーラまで。

 まるで初めから存在してなかったみたいに綺麗さっぱり消え失せて、路地裏に奇妙な静寂が生まれた。


 ゴクッと、誰かの唾を飲み込む音が異様に大きく聞こえた。


 緊張がそのまま空気になったみたいに重く圧しかかってくる中。……ゆっくりと、ゆっくりとリィルさんの頭が持ち上がり――涙を湛えた瞳が覗いた。




「私だって……まだキスしてないのにぃッ!!!」




 まさに魂の咆哮だった。


 ……よく魂を吐き出しだす人だなぁ。




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