第5話 大切な気持ち

 入学式が滞りなく終わり、いろいろと緊張していた制服姿のメアリーは、ホッとしていた。


 クラリスお嬢様の父親、親バカラングレイ辺境伯の姿は、入学式にはなかった。


「あの、親バカ辺境伯さまは来るかもしれない」

 そんな、メアリーの心配も杞憂に終わる。


 その寸前までの事態になっていたのは事実だが、家臣たちの説得で、渋々、ラングレイ辺境伯は、王都へ行くことを諦めた。


 辺境伯には可哀想だが、彼の立場を考えるとしかたがない。その高位な身分もあるが、戦力という実力を所持している辺境伯は、勝手気ままに、王都に行き来はできない。


 それは、隣国の王が、「いやあ、うちの娘の入学式があるから来ちゃった」と言うのと同じことだ。


 辺境伯が王都に来たら、王は外交に準じた対応を強いられ、辺境伯も、いらぬ腹の内を探られるハメになる。


「娘の晴れ姿が見れぬなら、こんな地位、くれてやる!」

 王国北部、ラングレイ辺境伯の所領周辺では、彼が、こんな言葉をのたまったと、まことしやかに囁かれている。


 真偽の程は定かでは無いが、そんな噂が流れるほど、家族を大切にする辺境伯だからこそ北部では愛されていた。


「メアリー殿は、理解が足らぬでござる」

「そんな理解はいたしません」

 クラリスお嬢様の脇に立つメアリーの厳しいツッコミ。いじけてるクラリスお嬢様は、一人で丸いテーブルの椅子に座り、ズズズとティカップの紅茶をすすっている。


 中庭でご休憩、軽い軽食の時間となったクラリスお嬢様とメアリー、それにアレンだが、「それ素振り」、「やれ素振り」とばかりに騒ぐ、お嬢様とメアリーで一悶着があったばかり。


 隙を伺うように、ズズズと音を立てるクラリスお嬢様を、「まあ、いいか」とメアリーは見逃している。この程度のお下品、帳消しにして良いぐらい彼女は、入学式を振り返るとご機嫌になった。


 式典の際、壇上の隅に、クラリスお嬢様とメアリーは立っていた。二人とも、ちゃんと事前に知っていたことだが、それが、メアリーにとって一番の心配事であったし、いろいろと緊張していた最大の要因。


 まさに入学式は、クラリスお嬢様の晴れ舞台、そこでお嬢様が淑女らしく立派に振る舞えるかどうか、そのことにずっとメアリーはヤキモキしていたのだ。


 衆目が注目するなか、もし、クラリスお嬢様が、突拍子もない振る舞いをしたのなら、それはそれは素晴らしいツッコミをメアリーは披露したであろう。


 彼女は、あらゆる事態を想定し、心の準備をしていたのだから。


 そんな心配をよそに、クラリスお嬢様は、公爵令嬢として、相応しい振る舞いを式の間、ずっとしていた。


 その姿は、メアリーが見惚れるほどで、さらには、壇上の主役が霞んでしまうぐらいだった。


 クラリスお嬢様は、壇上の隅に咲いた小さな花のように、静かに美しく立っていた。


 その花の可憐さと健気さに、式典の参加者は、胸がキュンとなって虜になる。


 それは、中身の「さむらい」が、入学式にまったく興味がなく、生粋のお嬢様としての本能が、今までに無いぐらい、しっかりと仕事が出来たからに他ならない。


「でも、それもそうよね」とメアリーは、隣に立つアレンを見た。


 霞んでしまった入学式の主役、壇上で新入生の挨拶をしたのは、首席のアレンだった。


 アレン、彼こそが入学試験のトップ。


 生粋のお嬢様は、春の風を喜ぶ野花のように、登壇したアレンを、ずっと見つめていた。


「二人は、座らないでござるか?」

 クラリスお嬢様の言葉を合図に、メアリーとアレンは軽く会釈をし、彼女と同じテーブルの椅子に、そっと腰を下ろした。


 暖かい陽だまりの中、三人が囲む丸いテーブル。


 一枚の絵画のような心地よい風景は、しばらくの間、続いていた。


 さて、試験結果は事前に通知される。


 それに、首席の挨拶についての、うかがいもセントレア王立学園よりあった。


 王立学園は、文武共に優れた次代の王国を担う人材を育成し、発掘するのが目的となっている。発掘とあるのだから、身分制限は建前上ない。建前なのだから、本音もある。


 身分の制限は無いが、身分制の放棄を、王立学園はしていない。


 ここは王国なのだ。国家の根幹をなす爵位制度を否定するような教育は、国を揺らがす。


 首席の挨拶についてのうかがいに、その一端が見て取れる。


 セントレア王立学園が、誰に、お伺いを立てるのか?


 首席の挨拶をするか、しないかのお伺いだ。


 爵位制度を否定する民主主義の学園なら、首席であるアレン当人に伺うだろう。


 爵位制度を国の根幹とするセントレア王立学園は、アレンの主人にあたるクラリス辺境伯令嬢にお伺いを立てることになる。


「入学試験の首席はアレン殿です。首席挨拶の件いかがされますか」

 学園の人間が、クラリスお嬢様にお伺いを立てる。


 当のお嬢様は、お嬢様としての本能が精一杯、頑張った結果「あらまぁ」と明るい表情となった。

「別に構わないでござる」

 クラリスお嬢様の素っ気ない返事、その横でひたすら恐縮するアレン。そんなポワポワした二人を、メアリーは、甘いお菓子のように見つめていた。


 さて、確かに、メアリーにとってその光景は大好物なのだが、学園の人間から聞いた、細かい試験結果には不満があった。


 彼女にとっても、アレンの首席は、喜ばしいことだった。従者の優れた成績は、その主人であるクラリスお嬢様の手柄になるからだ。


 メアリー自身の成績も狙いどおりの五位、女の子では一番という、満足できる結果。


 彼女の不満の一つ目は、クラリスお嬢様が平均よりちょっと上と芳しくないこと。


 クラリスお嬢様の試験結果の内訳は、筆記満点、魔法実技、百点満点で十点(魔力測定不能の為)、剣技ゼロ点(試合終了の合図を待たなかった為)となっている。


 このように、メアリーにとってツッコミどころ満載の採点内容となっている。学園の貴族社会を超えて、辺境伯の権力に対する政治的な思惑が絡んでいるとしか思えない内容。


 しかし、これはまだ我慢できた。人のうつわというものは、成績が全てでないとメアリー自身、周知しているからだ。


「もう一度、二位の名前を言ってください」

 前屈みでメアリーはテーブルをバンとたたく!


 その勢いで、学園から派遣された使者の尻がソファからポンと跳ね上がる。


 メアリーは怒っていた。彼女がこれほど怒ることは滅多にない。クラリスお嬢様にツッコミを入れるのは、「もうっ、お嬢様たらっ」という気持ちからであり、怒りとは全く違う別の感情から来ている。


 バンバンバンと連続で叩き、「ほらほらほらほら、早く言ってくださいよぉ」とメアリーは、相当におかんむり。


 学園の使者は冷や汗を流し、声も震える。

「に、に、二位は、れれれ、レフテン公爵の嫡子! カルロス卿です!」

 使者は死を覚悟した。


「お漏らし公爵が二位なんて信じられません! 絶対に受け入れられません!」

 メアリーの絶叫は、クラリスお嬢様が持つ、公爵令嬢としての特権発動を匂わせていた。


 とにかく彼女は怒っていた。

 クラリスお嬢様の剣技がゼロ点と採点されるのは、理由があるから仕方がない。

 カルロス卿の点数が、おそらく十点より多いという採点が許せない。


 何を評価すれば加点されるのか?


 辺境伯を侮辱し、アレンを笑い、クラリスお嬢様までも愚弄したカルロス卿を優遇する結果に、彼女は激怒した。


 カルロス卿の二位、それは、彼女の大好きなもの全てを否定する結果に他ならない。


「お漏らし卿」と言うべき所を「お漏らし公爵」と例えて、学園の向こう側に存在する権力を侮蔑するぐらい、メアリーは怒っていた。


 公正な試験結果は全ての受験生に周知される。

 もし変動があれば、その不正な試験結果も周知する。


 誰がどのように順位を変動させたのか?


 それが受験生全員に知れ渡るのだ。


 それでも、メアリーは、カルロス卿の成績を正しい位置へと修正するように、権力を使ってすべきだと思う。


 公正であるべき、変動前の試験結果が、メアリーの計算では、すでに不正なのだから……。


「お嬢様からも、仰ってください!」

 そんなメアリーを、クラリスお嬢様は、キョトンと見つめていた。


「何をでござるか?」

「お漏らし公爵の成績です!」

「お漏らし?」

 クラリスお嬢様は、まだ、キョトンとしている。


 アレンの助け舟。

「クラリスお嬢様、闘技台で決闘をしたカルロス卿のことです」

「そうでごさったか!」

 クラリスお嬢様が、表情を明るくして、ポンと手を叩く。


「ござったか、ではありません。あの、お漏らしのお坊ちゃんが、二位なんですっ!」

 さらに、メアリーは、興奮する!


「二位? 一位は、アレン殿でござったな?」

 クラリスお嬢様は動じない。

 アレンも同様に落ち着いている。

「そうでございます」


「なら、問題ないでござる」

「何が、問題ないんですか?」


「理解できないでござるか? なら、アレン殿、それがしは、二位より弱いでござるか?」

 クラリスお嬢様は、カルロス卿の名前を覚える気がない。だから二位という。


「カルロス卿より、お嬢様の方が、お強いです。さらに申し上げれば、私の中では、お嬢様が、いつも一番でございます」

 アレンは、彼にとっての事実も付け加えて、クラリスお嬢様に告げた。


 中身の「さむらい」は、それで良いと思った。あの時、決闘に勝ったのは「さむらい」であったし、その後に結果が変わるはずもない。


 それに、あの決闘は、アレンが侮辱されたのが発端で、そのアレンが一位という結果になっている。


 だから、クラリスお嬢様にとって、二位が誰かなど興味はない。


「アレン殿にとって、それがしが一番であれば、それで良いでござる」

 クラリスお嬢様は、ハッキリと強く言い切った。


「さむらい」の言動が、貴族社会の常識を踏まえていたか定かでは無いが、主人と従者の関係とは、こういうことだ。


 ポワーンとした空気、「もうっ!」とメアリーはなり、使者を追い出すかのようにして帰した。


 そして、メアリーは、アレンに負けじとばかりに声を張る。

「クラリスお嬢様、私にとっての一番も、お嬢様てすよっ! その気持ちは、アレンさんにも負けませんっ!」

 彼女は、アレンにイーッとしながら言い切った。


 クラリスお嬢様の耳は真っ赤になった。

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