やらせ

ナツメ

やらせ

 Yさんが、大学生の頃の話である。


 サークルの女友達の家に遊びに行ったそうだ。

 割と仲の良い女の子で、冗談を言い合ったり、互いに「お前」と呼び合うような関係だったという。サバサバして男っぽい印象だが、顔はかわいいし、Yさんとしては憎からず思っていた。そんな子と家で二人きりになるのだから、もちろん、ある程度の下心というか、一種の期待を胸に、Yさんはインターフォンを押した。

 彼女はもともとホラー映画が好きで、サークルでもよくその話をしていた。「変わってんな、お前」なんて軽口を叩いていたのだが、実際に家を訪れると、そののレベルはYさんの想像を遥かに超えていた。


 壁が、一面真っ黒なのだ。


 正確には、壁一面を覆うサイズの、テレビ台と一体型のDVDラックが設置してあり、そこに収納されているDVDのほとんどが、黒いジャケットだった。

 タイトルをよく見ると、映画だけではなく、心霊モノというのだろうか? ほんとにあった呪いのなんちゃらとか、そういったタイトルがズラリと並んでいる。

 見た目からして禍々しく、女子大生の一人暮らしの部屋とは思えない圧があった。

 Yさんは、別に怖いものが苦手というわけではなかったが、さりとて取り立てて好きというわけでもない。テレビで心霊特集がやっていたら普通に見られるが、わざわざそのチャンネルを好んで見るわけでもない、というタイプだった。

 なので、そのときもただ、よくもまあこんなにコレクションしたもんだ、という点で圧倒されて、その棚を眺めていたら、

「興味あるの?」

 と言われた。Yさんは別に興味はなかったが、うん、ともいや、ともつかない曖昧な返事をすると、

「え、じゃあわたしが好きなやつ一緒に見ようよ」

 ということになった。


 テレビの前に横に並んで、缶チューハイを飲みながら、二人で心霊DVDを見ていた。

 女の子のほうも、さすがにそれが好きなだけあって、「きゃーこわーい!」と抱きついてくる、みたいなことは一切なく、ただ嬉しそうに画面に釘付けになっている。

 Yさんは生まれてはじめて、そういった心霊DVDをちゃんと見たのだが、そのときに思ったのは「やらせじゃん」ということだったそうだ。

 一般視聴者からの投稿映像ということになってはいるが、どう見ても背後に隠れた人が手を出してるだけだろ、とか、明らかに合成です、という透けた女が出てきたりだとか。

 酒が入って気が大きくなっていたこともあり、Yさんはつい、こんなことを口にしたという。

「これ全然怖くねーじゃん。だってやらせじゃん、こんなの」

 もちろん、いつもの軽口の一環のつもりだった。いつもどおり「なんだようるさいなー」と冗談めかして軽いパンチのひとつでも飛んでくるかと思っていたのだが、彼女は真顔で「は?」と言った。

「え、それはなに、ほんとだったら怖くて、ウソだったら怖くないみたいなこと言ってんの?」

「え、いや……だってそれはそうじゃないの?」

 予想外の気迫にたじろぎながらYさんはそう返したが、彼女は「ふうん」と唸って、微妙な空気が二人の間に流れた。

「……なんか、それって幼稚」

 そうつぶやくと、ふい、とYさんから視線を外して、彼女はまたDVDに没頭してしまった。

 Yさんは正直ムッとしたが、こんなことで喧嘩はしたくないし、空気を読んでその場は取り繕ったそうだ。


 結局、Yさんは彼女と付き合うことになった。

 彼女の家のほうが大学に近かったこともあり、飲み会の帰りや翌朝が一限の日など、ちょくちょく泊まりに行くようになった。

 ただ、彼女の部屋に泊まると、たまにおかしなことがあるのだという。

 夜中に起きてしまうのだ。

 自分の家で寝ているときは、夜中に起きることはまずないのだが、彼女の家だと三回に一回ほどの頻度で目が覚める。

 目が覚めたあとに何か起きるわけではないが、なぜ起きてしまったのかがわからない。

 起きたきっかけをなんとか思い出そうとすると、笑い声を聞いたような気がする。

 大笑い、といったような感じではなく、くすくす、というような、例えばいたずらを仕掛けようとしている時の含み笑いのような、そんな笑い声を聞いたような気がするのだ。

 しかし、目覚める前なので、それが夢なのか現実なのかは曖昧だった。

 夢見が悪いのか……俺は枕が違うとダメなタイプなのかもしれない、などと考えながらも、Yさんはさして気にしてはいなかった。


 その日も、ふ、と夜中に目が覚めたという。

 ああ、またかと思って寝返りを打とうとすると、


 ――ふふふ。


 笑い声がした。

 あれ、夢じゃなかったのか、とYさんは思った。

 音の発生源は、探るまでもなく、隣で寝ている彼女だった。

 彼女は窓側に、Yさんは押入れ側に寝ていて、その時彼女はYさんに背を向ける形で窓のほうに顔を向けていた。

 起きてるのか? と思って顔を覗き込んだが、彼女は目を閉じている。携帯の明かりで少し照らしてみたが反応がないので、やはり眠っているようだった。

 彼女は眠ったまま何度かくすくすと楽しそうな笑い声を漏らし、そして舌っ足らずに

「どうするぅ?」

 と言葉を漏らした。寝言のようだ。聞いていると、どうやら夢の中で誰かと相談をしているらしい。どうやったら驚かせられるか、みたいなことを言っているので、ドッキリを仕掛けようとでもしているのだろうか。

 なるほど、これまで目が覚めたのも、おそらく彼女の寝言のせいだったのだろう。自分も家族も寝言を言わないので、人の声に反応して目が覚めてしまったに違いない。

 寝言の内容も、うなされているわけでもなく、楽しい夢を見ているようなので、特に気にすることもないだろう。

 謎が解明されてすっきりとしたYさんは、再び眠りについた。


 その後何回か彼女の家に泊まり、また、夜中に目が覚めた。

 例によって寝言だろう、とすぐに二度寝を決め込もうとしたが、なにかがいつもと違う。

 いや、いつものように、楽しそうにくすくすと笑っているようではあるのだが、どうも、夢の中の誰かではなく、Yさんに呼びかけているようなのだ。

「ねぇねぇねぇ」

 そう言っている。あれ、今日は起きてるのだろうか、と思ったが、確認するとやはり眠っている。

「ねぇねぇねぇねぇ」

 子供のようにそう呼んでくる。しかし、寝言に返事をしてはいけない、という話を聞いたことがあったから、Yさんはそれには答えず、ただ彼女の顔の方に耳を寄せた。

 すると、


「これやらせだから。これやらせだから怖くないよね」


 ……何言ってんだ、こいつ?

 意味のわからない寝言に首を傾げていると、Yさんの背後、押し入れの方から


「ねぇねぇねぇねぇ」


 男か女かわからない、少し低い声がした。


「ねぇねぇねぇねぇ」


 Yさんは反射的に振り向いた。


 ――、という。


 もちろん背後にテレビはない。

 彼女の部屋の押し入れの前に、、画質が荒いような質感の、髪の長い女のような人影があった。


「ねぇねぇねぇねぇ」


 それは低い声で嬉しそうに繰り返す。

 うわッ、とYさんは腰を抜かした。

 それはいやにで、そのペラペラの何かがYさんの方に近寄りながら、


「え、でもこれやらせですよ。あなたのことを怖がらそうと思ってわざとやってるんですよ。やらせだったら怖くないんですよねぇ? やらせだから怖くないんですよねぇ? やらせだから怖くないですよねぇ? やらせなんですから」


 ずっと、そう言ってくる。

 どんどんそれが近づいて、このままだと顔が見えてしまう……! と思ったのを最後に、Yさんは気を失った。



 翌朝、目を覚ますと彼女はすでに布団から抜け出して、朝食の用意をしていた。

「なあ、昨夜変なことなかった?」

「え? 何が? わたし爆睡してたからわかんないや」

 そう答える彼女は、至っていつもどおりで、普通だった。

 じゃああれは、悪夢だったのだろうか。

 そう思ってテーブルにつくと、彼女が朝食を運んできてくれた。

 皿を置いて、飲み物を取りにキッチンに戻ろうとする彼女が、通り際にこう言った。


「ま、あれやらせだから」



 Yさんは結局、その彼女とは別れたという。

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