第四十六話 稲葉陽菜

 桃香と碧衣が、再び崇天教総本部を訪問したのは土曜のことだった。二人は駅で待ち合せて、そこからバスに乗って遠山まで向った。しかしその道中、碧衣は桃香と碌々口も利かなかった。車内でも窓側の席に腰掛けた彼女は、窓外を行き過ぎていく畑や林、人家の集まりを眺めて、桃香の方を見ようとはしないのだった。

 桃香は気まずさを感じながら押し黙っていた。そして、碧衣が自分をもう見限っているためにこんな態度を取るのだと考えた。先輩を見返したい、と桃香は思った。そのためには強くなるしかない。いつしか彼女は、あれほど胡散臭さばかりを感じていたあの白井純洞に、淡い期待を抱き始めていた。彼がどれほどの力を持っているかはわからなかったが、碧衣がそれほど期待を寄せている人物ならば、自分の力を強めてくれることなどは何でもないのかもしれない。バスに揺られながら、そんなことを思っていた。

 遠山でバスを降り、あの林の間の道を、今度は碧衣と共に歩いた。歩きながら、傍らの碧衣の姿を見た。木洩れ日の揺れる中を、碧衣は真正面だけを見据えて歩いていた。そして桃香の方には目もくれなかった。桃香はうつむき、それから顔を上げて真正面を見た。あの寺院のような巨大な建物が、晴天の下に姿を現し始めていた。

「ようこそいらっしゃいました。水野碧衣さんと、佐々井桃香さんですね」

 大階段を上りきったところで、前回と同様に姿を現したのは太田だった。桃香には説明しようともしなかったが、碧衣は既に事前に訪問を白井に伝えていた様子であった。

 そしてこれも前回と同じく、二人はあの薄暗い応接室へと通された。アンティーク調の長椅子に腰掛けながら、桃香は、横に坐っている碧衣が白井にどんな風に切り出すつもりなのだろうかと考えた。卓子の上に紅茶を置いた後、白井先生をお呼びします、と告げて、太田は扉の外へと消えた。

 やがて扉が開き、白井と太田が姿を現した。

「ようこそいらっしゃいました」

 白井は皺ばんだ顔に微笑を浮べて一礼し、二人の向いに腰を掛けた。碧衣は深々と、桃香もそれに倣って頭を下げた。

「お二人にはまた、是非お会いしたいと思っていました。最近はどうですかな、ユーストガールとしても……」

「実はそのことで、相談があって参りました」

 碧衣が単刀直入に切り出し、桃香は緊張して居ずまいを正した。この感覚は以前にも味わったことがあるような気がした。記憶の中を探ってみて、そうだ、三者面談だ、と桃香は思った。教師と母親とを交えての三者面談は、桃香には苦い思い出だった。成績のことや学校生活のことなどが、遠慮なく両者の間で話として交される。緊張しながらじっと坐り、質問に答えねばならぬあの十数分間……あの時と同じ、評定される緊張感を、今また桃香は味わっていた。

「前回にお会いして以来、私達は再び、モンプエラと戦いました。しかしそこで、桃香さんは際立った戦果を見せてはくれませんでした」碧衣は明瞭な口調で断言した。「それどころか、敵が持っていた人間の死体に怯え、戦意を喪失して、私が助けに行かなければ、危うくモンプエラに命を奪われるところだったのです」

 ふうむ、と白井は頷いた。

「私は桃香さんと話し合いましたが、彼女にはユーストガールとしての覚悟が、まだ足りていないように思われます。つまり、正直に申し上げますが、このままでは到底私達は、モンプエラに対抗して立ち向うなどといったことはできません。桃香さんに代るユーストガールか、或いは桃香さんの力を強化させるための手段が欲しいのです」

「なるほど」と白井は答えた。「実は私も、かねてよりそのことを思っておりました。いえ、決して桃香さんを初め、お二人の能力に疑念を抱いたわけではありません。ただ、あれほどの悪魔の討伐にお二人だけでは、たとえ天使とはいえ、心細いのではないかと。しかし折しも、つい先日、新たなる神の声を受け取ったのです」

「新たなる……」碧衣が身を乗り出した。「どんな内容ですか?」

「『新たなる天使、自らの能力に目覚めたり。汝行きて、彼女の持てる力の意味を彼に教へよ。さすれば彼女、鋼の槍を手に、数多の悪魔どもを突き殺して、天使等の心強き味方となるべし』……そう神は仰いました」

「その新たなる天使というのは、一体どこにいるのですか?」

 驚いた様子で碧衣が尋ねると、白井は「そう急かさないで下さい」と笑い、太田に何事かを囁いた。太田は頷いて出て行った。

「今お呼びしますから」と、その後ろ姿を見送りながら白井は言った。

 やがて扉が開かれた。碧衣が素早くそちらへと視線を向け、桃香も訳のわからぬまま、太田と共にそこに現れた、小さな人影を見遣った。

 太田の後ろからおずおずと顔を覗かせたのは、白と黄色を基調にしたワンピースを着た、ショートカットの小柄な少女だった。少女は明らかに戸惑った表情を浮べ、服の裾を片手で摑んで、室内へ入ることを躊躇っている様子だった。その顔を見て、桃香は驚き、思わず声を上げかけた。

 少女は入口に踏み止まり、躊躇っていた。

「あの……私……」

「どうぞ、お入り下さい」

 白井は優しく声を掛けた。そのとき、桃香は混乱しつつも彼の顔を見たのだが、その時の白井はまるで孫娘にでも話し掛けるような、柔和で慈愛に溢れる表情をしていた。いかにも宗教家然としたこの老人にも、こんな一面があったのかと桃香は思った。何だか意外な気がしたが、ふと傍らの碧衣を見返ると、彼女はそれとは全く正反対な、硬く強張った表情で少女を睨みつけているので、桃香はびくりとした。

「何も怖がることはないんだよ。取り敢えず、この二人のお姉さんに、自己紹介をしてみてくれるかな」

 うつむいて両手の人差し指を突き合せていた少女は、白井に促されて顔を上げた。まるで泣きそうな表情だった。彼女は最初に桃香を見、それから碧衣を見て、その表情に一層蒼褪めた。桃香のことは、その顔を見ても、思い出してはいない様子だった。そして彼女は再びうつむくと、聞き取りにくい小声で自己紹介をした。

「稲葉……陽菜……、皆さんと同じウィステリア学院高校の、一年生、です……。よろしく、お願いします……」

 そう言って頭を下げると、白井は励ますようにその肩を叩いた。

「稲葉陽菜ちゃん、この子が今後、あなた方お二人と一緒に戦ってくれる仲間となってくれる人物です」

「待って下さい」遮るように碧衣が叫んで、憤懣やるかたないといった様子で立ち上った。陽菜という少女はその姿を見上げ、怯えてびくりと震えた。

「この子が……私達の役に立つっていうんですか?」

「立つ筈です」白井は厳粛な口調で答えた。「まだ悪魔との戦闘経験はないとはいえ、彼女のもとにも『神の声』が届き、そしてユーストステッキが授けられたのですから。……見せて頂けますか?」

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