第12話 三日間の話 二日目

 次の日。

 学校へいくサナを送り出すと、コンと女の子はお店へいった。

「あの、なにか手伝います」

 女の子はそういった。

 コンは少し考える。

「じゃあ、テーブル拭いてくれる?」

 コンはそういって女の子にふきんを渡した。

「あの、コンさんはどうしてコンさんなんですか?」

 順番にテーブルを拭きながら女の子は尋ねた。

「それって……」

 コンは少し悩んんで、質問の意図に気付いた。

「そっか。あなたは名前がないから」

「お母さんから名前をもらう前に、私は死んだんです。だから、名前ってなにかな? って思って」

「私はな、生まれたときに仮死状態で、全身真っ青で、ママは私のこと嫌いやから、そのまま紺色になって死んでほしいと思ってコンって名前を付けた」

「……コンさん」

 女の子の手が止まった。

 コンは窓辺に移動する。

 青い水彩絵の具を平筆で伸ばしたような冬空が広がっている。

「小っちゃい頃はそう思ってたけど、ホントは違うかった。私が生まれたときの空、綺麗な紺色やってんて」

「コンさんは、お母さんのこと恨んでいますか?」

「ママは不器用やった。きっと、もっと上手な生き方いっぱいあったけど、それを選べなかったのは、ママの過ち。最近覚えた言葉やけど、咎(とが)、っていうらしい」

 コンは一度息を吐くと「そやけど」と言葉を繋ぐ。

「ママはの咎は消えへんけど、それを受け入れ、一緒に生きていくことを選んだ。だから、私は見守っていこうと思う。それだけ」

 そのとき、入り口の扉が開いた。

 やってきたのはイクだった。

「こんにちは。これが、表にありましたよ」

 イクの手にはクマのぬいぐるみが握られていた。

「それ!」

 女の子はイクに駆け寄る。

「これ、あなたの?」

 イクはぬいぐるみを女の子に渡した。

「うん。わかる。お母さんが私にくれたものだ」

 女の子は何度も匂いを嗅ぎ、ぬいぐるみを抱きしめた。


 それから女の子とイクはしばらく店内でおしゃべりをして、コンと一緒にお菓子をつくり、夕方になったイクと一緒に公園へ遊びにいくことになった。

 長い滑り台のある公園だ。

 イクと女の子はその公園で遊んだ。

 シーソーに乗り、滑り台を滑り、ブランコをこいだ。

 その間もずっと、女の子はぬいぐるみを手放さなかった。

 ジャングルジムのてっぺん。

 イクと女の子は並んで座る。

「お母さんが名前をくれなかったって、なにかあったの? あなたが嫌われているみたいには見えないけど。服もお母さんがくれたっていってたし」

 イクが尋ねる。

「お母さんはとっても悩んでた。なんとか、私が生きられる道を探してくれた。でも、駄目だった。それだけ」

 イクはじっと女の子の目を見つめる。

「あなた、もしかして私と同じ……」

 女の子は問いにこたえず、ぬいぐるみをギュッとした。

「コンさんの名前はね、お母さんがつけてくれたんだって。イクさんも?」

 イクは首を横に振る。

「私は、コンお姉ちゃんがつけてくれたの。お母さんが、私を育てられるようにって」

 風が吹き、ブランコを揺らす。

 金属のこすれる音がした。

「クマスケ。クマスケにする」

 おもむろに女の子がいった。

「クマスケ?」

 イクは首をかしげる。

「このぬいぐるみ、クマスケにする」

「うん。いい名前だと思う」

 イクは小さくうなずいた。

 そのとき、クマキチとなったぬいぐるみの頭に、水滴が落ちた。

「名前、お母さんにつけてほしかったな。お洋服も、クマキチも嬉しけど、名前が、一番、欲しかった。名前で呼んでほしかった」

「あなたは、生まれる前に死んでしまった子、なんだね」

 イクが尋ねると、女の子は泣きながらうなずいた。

「だんだんと、わかってきた。私は、お母さんのおなかの中にいた。生まれたら、あんなことや、こんなこと、いっぱい考えていた。だけど、ある日、無理やり表に出されて死んでしまった。お母さんがものすごく悩んでいたのも、私のことを大切に思っていてくれていたことも感じていた。だけど、私はお母さんの子供でいたかった」

 イクは何もいえず、ただ泣き続ける女の子を見ていた。


 女の子が落ち着くのを待ってお店に戻った。

 イクはコンに公園での出来事を話し、そうしている間に女の子は眠ってしまった。

「じゃあ、私はそろそろ帰ります」

 イクは申し訳なさそうにそういった。

「うん。大丈夫。後は任せて」

 コンの言葉にうなずくと、イクはトボトボと出口へ歩く。

「イク!」

 その背中をコンは呼び止める。

「またいつでも、困ったことがあったらここにおいで。私は、いつでもイクのお姉ちゃんやから」

 イクはゆっくりとコンを見た。

「ありがとう、コンお姉ちゃん」


 お店を閉めると、夕日が差す道をコンは歩く。

 背中には、女の子をおぶっている。女の子は眠っていても、ぬいぐるみをしっかりと手に持っていた。

 コンは静かに子守唄を歌う。

「だんだん、わかってきたんです。私は、生まれる前に死んでしまったんです」

 背中からおぼろ気な女の子の声が聞こえた。いつの間にか目を覚ましていた。

「うん、そうらしいな。イクに聞いた」

 子守唄を中断し、コンはそっとこたえた。

「ねぇ、コンさん。私はお母さんのお腹の中で、間違いなく生きていました。本当に短い間でしたが、生きていました。私が生きていたことに、意味はあったんでしょうか?」

 「そやねぇ。なかったんちゃう?」

 予想外の回答に、女の子は驚く。

「へ?」

「あなただけちゃう。私も、他のみんなも、生きる意味、命に意味なんてない。ただの自然現象の一環として生まれてきて、偶然、死に至る出来事に出会うことがなかったヒトだけが生きてる。たったそれだけのこと。まぁ、この前読んだ本の受け売りなんやけどな」

 女の子の腕に力が入る。

「でも、それじゃあまりにも寂しいです」

 コンは小さくうなずく。

「うん。まだこの話には続きがあって、だから、なぜ生きるのかじゃなくて、どう生きるのかを考えなさい、ってその本には書いてあった」

「どっちにしても、私たちは死んじゃいましたね」

「歩いた意味はなくても、歩いたという事実があれば足跡はのこっているはずやで」

 しばらく間をおいてから、女の子の「はい」といってうなずいた。

「コンさん、降ります」

「ええよ。もうすぐ家やし、おぶっていったげる」



 

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