第11話 三日間の話 一日目

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『和食処 若桜』

 サナはいつものカウンター席で漫画を描く。

 店内には、鼻歌が流れる。歌っているのはコンだった。それは、サナの知らない曲だったが、こっそり歌に合わせてつま先で床を叩いていた。

「サナちゃん、ココア入れるけど飲む?」

「アイスで」

「寒くないん?」

「猫舌だから」

「キツネやのに?」

「キツネでもだ」

 コンとサナはそんなことを言って、笑い合った。

 二つマグカップを取り出すと、それぞれに少量の牛乳を注ぎ、電子レンジで温める。そして、そこにココアパウダーを入れて、かき混ぜて溶かすと、カップいっぱいになるまで冷たい牛乳を注ぐ。

「はい、どうぞ」

 コンは片方のマグカップをサナに差し出した。

「ありがと」

 サナは受け取り、ココアを一口飲む。味、ということでは市販の牛乳にこれまた市販のココアパウダーを溶かしただけなんだけど、コンが入れてくれるとおいしく感じる。

 サナの様子を見たコンは満足げに微笑むと、一つのマグカップに口をつけようとした。

 そのとき。


 カラン。


 ドアに付けたベルが音をたてた。

 サナとコン、二人同時に店の入り口に目をむける。

 そこには、サナよりちょっとだけ幼い、すなわち小学校四年生くらいの女の子が立っていた。

「イクちゃん!」

 コンは思わず叫んだ。

 その少女は、コンの父親違いの妹、イクだった。

 ちょうど一年前にも、彼女はこの店に来て、しばらくの間コンと暮らしていた。

 彼女は胎児の状態で、体と魂が分かれてしまったのだ。

 そう。イクの魂は十歳ほどの少女だが、体はまだ一歳になるかならないかという赤子なのだ。

 そして、ここにいるのはイクの魂のみだった。

「えへへ。また来ちゃった」

 イクはそういって笑った。

「あ、あかんで! イク。こんなとこ来たら」

 コンは慌てた様子でいった。

「大丈夫、コン。体と魂のつながりはしっかり保たれてる。一度抜けたから、抜けやすくなってるんだよ。特に、赤ん坊はまだ定着が浅いこともあるから」

 サナはイクをつま先から頭の先まで、じっくり見てから落ち着いた口調でいった。

「はい。別に私は死にかけてここに来たわけじゃなよ。私は今、ベビーベットの上で眠ってるの」

「まあ、夜には帰るんだぞ。あんまり長く抜けてると、体が元気でも死んじゃうから」

 サナがいうと、イクは「うん、わかってる」といいながらカウンター席に座る。

「生まれたばかりの子は、生まれる前の記憶を持ってる。でも、成長するにつれてそれを忘れてく。私はこれからここに来たことも、コンお姉ちゃんたちに会ったことも、忘れていってしまうんだね」

 コンは少し考えてから、笑みを浮かべた。

「イク、飲んで」

 コンはイクの前に、自分が飲もうとしていたココアを置く。

「もしも、イクが忘れてしもても、イクがここに来たことはほんとやホントやし、私は忘れへんよ」

 イクはココアを一口飲むと、小さくうなずく。

「それでも私は、お姉ちゃんたちに会ったこと、覚えていたいな」

 コンはカウンターの内側から出てくると、イクの後ろに立つ。

 そして、そっと髪を撫でた。

「イクの髪は太くてくせ毛。寝ぐせなおすのに時間かかるから、朝ははやめにおきるんやで。私もそうやったから。イクの髪は私によく似てる」

「コンお姉ちゃん?」

「私はここにいる。ずっと、イクのそばに。だから、大丈夫」

 イクは小さくうなずいた。


 カラン。


 そのときだ、再び、ドアにつけたベルが音を立てた。

 全員が一斉に目をむける。

 そこにいたのは、イクと同い年くらいに見える少女だった。

 とても凝ったデザインの高級そうな服を着ている。

「いらっしゃい。好きなとこ座って」

 コンは優しくいった。

 しかし、女の子は不安そうに周囲を見回すと、目に一杯の涙を溜めた。

 そして。

「うわ~ん。おかぁさ~ん、おねえちゃぁ~ん」

 号泣。

 その声は店内に響き渡り、この古い木造建築が崩れてしまうのではと思うほどだった。

「お、落ち着いて……」

 コンの声は届かない。

 サナは耳を抑えてうずくまる。

「落ち着いて。ここは、大丈夫」

 イクはそういって女の子の手を握ると、さらに何度も「大丈夫」と繰り返した。

 すると、徐々に女の子は落ち着いたようだ。

「コンお姉ちゃんがいれてくれてた。美味しいよ」

 イクは自分が飲もうとしていたココアのカップを女の子にわたした。

「いいの?」

「いいよ」

 少女は、ココアを一口飲んだ。

「……おいしい」

「お姉ちゃんがいれてくれたんだから、当たり前です」

 イクは自慢げにいった。

「お姉ちゃん?」

 少女はそっと、コンを見る。そして、左頬の火傷の痕が目に入ると、目をそらした。

「コンお姉ちゃんは恐いヒトじゃないよ。私も前に助けてもらったんだ」

 イクは少女の横の席に座った。

「お姉ちゃん……」

 少女はもう一度コンに目をむけた。そして、こういった。

「あなたも、お姉ちゃんがいるんですか?」

「うん。二人いるんだ。こっちがコンお姉ちゃん。もう一人、もうすぐ中学生になるおねえちゃんもいて、そっちはセリカお姉ちゃんっていうの」

「私も、お姉ちゃんが、いるんです。もうすぐ中学生になるんです」

 少女はゆっくりといった。それと同時に、また目に涙を溜める。

「会いたいよ……お姉ちゃん、お母さん……ここどこ?」

 イク、コン、サナの三人は顔を見合わせると、イクはゆっくりとなにかをいいかけたが、コンが手で制止した。

「ここはな、死んだヒトの魂が来る食堂やねん。つまり、あなたは、死んでしもてん」

 女の子は手で自分の顔を撫でる。

「私が……死んだ……」

 コンは一度息を吐くと、こう続けた。

「生きているうちに残した『想い』があれば、私たちがお手伝いします」

 女の子はまた泣きはじめた。さっきのようなワッという泣き方ではなく、うつむき、カウンターテーブルの上にポロポロと涙が落ちる。

「会いたい……お母さんに、お姉ちゃんに会いたいよ。会いたい。会いたいよ」

 コンは寂しそうな表情を浮かべる。

「その服、可愛いね」

 おもむろに、イクがいった。

「お母さんがね……私のためにって……買ってくれたの」

 女の子はしゃくり上げながらいった。

 サナはコン、イク、女の子と順に視線を動かす。

「大丈夫だ。私たちが、お母さんに会わせてあげるよ」

「……ホント?」

 サナははっきりとうなずく。

「だから、名前と住んでた場所、教えてくれないか?」

 サナが優しい口調で尋ねるが、女の子はまたうつむく。

「名前……ないんです。お母さんは私に名前を付けてくれなかったから。住んでた場所も、わからなくて……」

 店内に、沈黙が流れる。

「サナちゃん、なんとかならない?」

 沈黙を破ったのはイクだった。

「なんとか、なんとか……。とりあえず、出来ることをやってみよう」

 サナは近くにあった紙片になにかを書き込むと、手際よく折り曲げて鶴にした。

 そこに息を吹き込むと、鶴は羽ばたき、店内を飛び回る。

「ウカ様に、聞いてみる」

 サナは窓を少し開ける。

 鶴はその隙間から飛び出していった。


 しばらくして、鶴は帰ってきた。

 サナは飛び回る鶴をジャンプして捕まえると、広げて文字を読む。

「なにかわかった?」

 イクも紙を覗き込む。

「ダメだ。ウカ様、今忙しいか寝てるかどっちかみたいだ」

 サナの手の中のメモは白紙だった。

「そんな……」

 女の子の目に再び涙がたまる。


 夕方になったが、女の子に関する話は進展しなかった。

「じゃあ、私は帰るね」

 イクは元の体へ帰り、コンとサナも家に帰ることにした。女の子はサナの家に泊まることになった。


 家に着くと、サナの母は笑顔で出迎えた。

「お世話になります。……ごめんなさい」

 女の子は泣きそうな表情で頭を下げる。

「いいの、いいの。部屋も余ってるし」

 母は優しくいうと、女の子の頭を下げた。

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