倉橋つかさ(2)

 狭い通りを様々な人種が忙しなく行き交う光景に目を白黒させながら、僕は日向さんの横について歩いていた。

 お昼過ぎになって活気を帯びた秋葉原(というらしい)では、汗を流しながら大きなダンボールを運ぶ青年や、額を拭いながらチラシを配る着飾った女性などが照りつける太陽よりも眩しくなって僕の瞳に映り込んでいる。

 日向さんから教えてもらったアキバ城という古めかしいお城のそばを横切りながら、事務所にて起きた数分前のやりとりを思い出す。


――咳き込んだ鬼さんはそのまま糸が切れたようにテーブルの上へ頭を投げ出してしまった。


 鬼さんの角が硬い石板を叩く大きな音に気付いて、口論していた二人が同時に室内を振り返る。


「ぼぞぴさああああああああん」

「絶対そんな名前じゃないと思うけど!!」


 日向さんと天音さん(後になって名前を知った)はそんな受け答えを見せながら、ほぼ同時に鬼さんの元へ駆け出していた。そして、ぐったりとうつ伏せになったまま動かない鬼さんの様子を確認した日向さんが更に絶叫を上げて、その場に居合わせた僕を震わせる。


「おええええ!? ちょっとこのテーブル石なんだけど!? めこってなってるんだけど!? 亀裂入ってんだけどぉ!?」

「テーブルよりぼぞぴさんの心配しないとでしょ! あ、あの、大丈夫ですか?」


 天音さんがぞぼ、間違えた、ぼぞぴさんの肩を揺すりながら呼びかけると、ややあって意識を取り戻したぼぞぱ、間違えた、ぼぞぽさんが起き上がった。

 なにを思ったのか日向さんが


「ぼ、ぼぼ、えと、ぼぞぞぼっぼ」

「……ぞびが」

「ぞび、うん、えー、びねが」

「……ぼぼぞがそびびがごば」


 なんて風に意思疎通を試みるも、ぼぞぴさんはというと……怪しげな光を放つ瞳孔を残して眼球が真っ黒に染まっており、正しく鬼の形相になっている。


「むりむりむり、これはむりだって!!」

「どうにかならないの?」

「なる。でも、犠牲が必要だ……天音、あとはわかるな?」

「よくわからないけど、貴方が犠牲になればいいでしょ」

「いち男子としてそうありたい。でもね、この状況を打破してくれる存在を呼びに行けるの俺だけだろ? で、君は果たしてここにいる純粋そうな少年を身代わりにできるのかな?」

「だ、大丈夫です。僕でよければ……日向さん、今日までありがとうございました」

「外道があああああ!!」


 という流れにより……淑やかなイメージを一瞬で吹き飛ばす彼女の叫びを背にして僕と日向さんは事務所から逃げた。ごめんなさい天音さん。

 何処へ向かっているのか詳しく聞かされないまま、気付くと人通りの少ない路地裏に入り込んでいた。

 生活のどの場面で役立っているのかわからない鈍い色の品が軒先に並ぶお店や、雀荘とかメイド喫茶なんて看板を掲げるビルがひしめくように連なっている。


「そういえば……つかさ君は旺磨さんの世話になるんだったよな?」


 歩く速さは変えずに道の先を見据えたまま、日向さんがふと問い掛けてきた。


「はい、本当に感謝しかありません」

「あー、んー、そっか」

「日向さん?」

「いや、明日は皆で集まるって話してたでしょ? つかさ君……旺磨さんって、城から外に出るとみるみる残念になってくから気を付けてな」

「城ってお店のことですか?」


 旺磨さんが自身の喫茶店を魔王城と呼んでいたことを思い出す。アキバ城に魔王城……城という概念について、記憶を失った僕でも理解できているつもりだったけど、それぞれの在り方を目にした今、頭の中に残っている筈の自分専用辞典がばらばらと破かれていくような気分だった。


「そそ、あの人、管理人に無理言って住み込みできるようにしてるからあんまり外に出ないんだけど……なんだろうな、まぁとにかく無理だと思ったら無理で諦めればいいから」

「……よくわからないですけど了解です」


 肝心な部分を濁されたまま警告されて、それ以外に返す言葉が見つからず……会話もそこで途絶えてしまう。


「わるい、けっこう歩かせたな。着いたよ」


 意識が内側に……旺磨さんの残念な姿を想像してる間に目的地へ到着したようだった。

 日向さんの視線の先を追うようにして、解決の糸口となってくれる場所を見つめる。


「……空き地……ですよね?」

「そね」

「あれは……螺旋階段ですか?」


 両脇をコンクリートのビルに挟まれる形で、日の当たらない空間が奥まで伸びていた。

 突き当りにもビルの壁が立っていて、薄汚れた室外機や暗闇を透かす窓がぽつぽつと見受けられる。そして、そんな砂利続きの空き地の隅に螺旋階段だけが残されていた。

 柱を中心に渦を巻いて空へ伸びる階段、その先は周囲のビルに接着しているわけでもなくて、三階ほどの高さまで続くとそれきり何処にも繋がらず役目を終えていた。


「超芸術トマソンって言葉があってね、ここの螺旋階段みたいに……目的を終えた残骸って言えばいいのかな? そこに芸術性を見出みいだす人達が居るんだってさ」

「僕は好きかもです……なんとなくわかる気がします」


 街中の喧噪から切り離され、寂寥感せきりょうかんで満ちたこの空間を眺めていると落ち着くのは確かだった。


「まぁでも今はさ、偶然なのか知らないけど別の意味でって呼ぶ人達がいる……その最たるものが識訳師だね」

「さっき話してくれたアキバ城の成り立ちと繋がるんですね」


 この空き地へ向かう道すがら、僕はアキバ城のあらましを聞きつつ、城の塔部分から垂れ下がっている横断幕――トマソンがトロフィー『世界☆横断』を獲得しまちた――を視界におさめていた。

 アキバ城が出現し、トマソンという名称が浸透して、異世界が現実的な問題となって識訳師が生まれた……この理解でいい筈だ。


「そういうこと。つまり、識訳師観点から言うと、トマソンに見出すのは芸術性というより神秘性、或いはプラグマチック……悪ふざけなのか超現実トマソンなんて言い方をする人もいる。現実問題として解明し利用したいって考え方が一番しっくりくるかもな」


 まぁそれは識訳師というより現代陰陽道に基づく思想か、と独り言のようにこぼして日向さんは空地へ踏み入っていく。


「ニッチさーん! いますかー!?」

「……誰もいないように見えますけど」

「まぁまぁ」


 空き地の中に立つと、空気の流れに違和感を覚えた。足元から舞い上がったと思えば、次の瞬間には首筋を撫でるようなそよ風を感じる。


「おまえさん。こんな時間に……事務所はどうしたんじゃ?」


 ほどなくして……どこからともなく声が返ってきた。


「事務所から来たんですよ。ちょっと助けてほしくて」

「さようかぁ」


 間延びした声の主が、軽やかな身のこなしで螺旋階段より飛び降りて僕の前に姿を現す。

 人影が見当たらないのも当然だった。ニッチと呼ばれた存在は器用に尻尾をくねらせながら僕のことを見上げている。


「おん? どなたさんで?」


 独特な口調にややしわがれた声、その正体はどう見ても黒猫だった。


「あ、えと、つかさっていいます」

「これはこれは……わっちはニッチ、どうぞよしなに」


 目を細めて丁寧に会釈する黒猫さん――はっとして僕も慌てて頭を下げる。


「ニッチさんには昔から通訳をお願いしてるわけ……お願いできますか?」

「わっちが岬の願いを断るわけなかろうに」

「いやほんと助かります」

「おんや? 日向、おまえさんちょっと見ない間にいっちょう男前になっとるな」

「この顔を褒められたの今日初ですよ、はは、わーいウレシイナー」


 感情の抜け落ちた声と顔で答える日向さん。親しそうな関係について気になってしまい「お二人は長いお付き合いなんですか?」と疑問が口をついて出る。


「にぃ、わっちは朝日が京都に居る頃からの付き合いよな……あやつも変わりないか?」

「さーどうなんだろ」

「やれやれ、ぶきっちょなんはよう似とるなぁ、あやつも勇司と出会って幾分かほどけたんじゃが、さりとて肝胆相照らすとまでいかぬか」

「勇司さん?」

「あぁ、父さんの名前なんだ。そうだな……父さんが……父さんと妹が居れば、こんなぎくしゃくした関係じゃなかったのかもな」

「……日向よ、言えばそれは呪いとなるものよ、あやつにはあやつなりの考えがあるのであろう」

「わかってます……わかってるつもりだけど、そう上手くいきませんよ……話はこれぐらいにして急ぎましょう、天音が生きてる内に戻らないと」

「……なんと!? あいわかった!!」


 日向さんの冗談(たぶん)を真に受けたニッチさんに急かされて、僕らは駆け足気味で事務所へ戻ることになった。




「…………」


 そして、僕と天音さんは簡単に自己紹介だけ済ませると、あとは静かにニッチさんの仕事ぶりを見守っていた……ううん、言葉を失っていると言い換えてもいいのかもしれない。


「ふんにゃあ、ふごぉ、にぃあやああん」

「ぞぼ、ぼぞぞびがが、ぞびぞ」

「ふしゃあああああああ」

「ぞごぼぼぼぼぼぼ」


「「これ本当に大丈夫(なんですか)!?」」

「だいじょーぶだって」


 日向さんはすっかり一件落着とでも言いたげにお茶を啜っていた。


「ニッチさんは相手側の言語で理解できるように聞こえる話術を持ってるんだ。でも、そのあいだ俺達には猫が鳴いているようにしか聞こえなくなるってわけ」


 僕らがいつまでも不安げに立ち尽くしているのを見かねてか、日向さんが説明してくれる。

 それを聞いて僕はようやく胸を撫で下ろした。天音さんも緊張感から解放されてか、深く息を吐いている。

 やがて「にゃるほど」と話術が抜けきっていない様子でニッチさんが呟いた。


胡桃こももに事務所まで案内されたようじゃにゃ、ちょいとわっちが面倒を見つつ朝日と今後の方針を話してみるにぃ」

「お疲れ様です、いつもすみません……どうかよろしくお願いします」

「くるしゅうない」


 ぞぼぴさんがニッチさんを肩に乗せて事務所から出ていくのを見送ると、僕たちは思い思いに座り込んだ。


「胡桃さんって?」


 先程までニッチさんが居たソファーにぐったりと身を預けながら天音さんが聞く。


「このビルの二階の人だな、たぶん、明日の飲み会に来るんじゃないかな? その時に紹介するよ」

「飲み会って有紗さんが言ってた親睦会のことね、つかさ君もくるの?」

「はい、僕もご一緒させてもらいます」

「親睦会って!! やっぱ俺の思ってたのと違うじゃねーか!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る