あの日の告白

春嵐

一緒に帰りたかった

 むかし、いちどだけ告白されたことがある。


 とても婉曲的な方法で、好きという言葉をまったく使わずに。私も一緒に帰りたいです。それだけ。


 東京の片田舎、踏切の前。景色は覚えていた。でも、告白してきた相手の姿はおぼろげ。


 なんで用事もないのに一緒に帰るんだと返してしまい、その子は泣いて帰っていった。きっと、その子にとっては乾坤一擲の勝負だった。それを、私は、無下にした。たぶん、窓側のいちばん後ろに座ってた子だと思う。


 その子の名前も顔も、そのあとどうなったかも覚えていない。ただ、そのときの記憶だけが残っている。暇になると、なぜか思い出してしまう。


「恋人がいないから、かな」


 日本で最も人が集まる東京に生まれたのに、今まで一度も恋人ができなかった。そしてこれからも、できる気配がない。そもそも、友達の数が極端に少なかった。ゲーム機についてるフレンド機能ぐらい。二桁あるかないか。


 ゲームのフレンドには、なんでも喋ることができた。告白のことも、何度もチャットで喋っている。


 仕事は、窓際の部署だった。左遷とか冷遇とかではなく、単純に社内でいちばん仕事ができるというだけ。好きなところにデスクを置けるので、なんとなく窓際にした。その子の記憶があったからなのかもしれない。


「すいませんっ。ここの数字の打ち方を教えてもらってもいいですかっ?」


 女性社員。結婚二年目。気軽にデスクに来る。この前は実家の帰省土産だといって北海道のお菓子をくれた。ときどき一緒に帰ったりもする。


 社内で男性は自分だけだった。インターンの枠が余っているからという理由で無理矢理放り込まれた職場が、そのまま自分の職場になってしまった。望んでここにいるわけではないが、ここにいることは望まれている。


「ありがとうございますっ。やってみますねっ」


 女性社員。笑顔を残して足取り軽やかに去っていく。

 社内唯一の男性成分だからか、ひとりを除いて周りからはとても優しくされていた。呑み会の費用も出したことがない。もっとも、酒を呑まないので安上がりだというのもあるけど。


「はい。新商品のお茶です」


 目の前の机に、おもいっきりペットボトルを叩きつけられた。派手な音。


「ありがとうございます」


 商品開発課のエース、諏訪野さん。社内で唯一、私にきつく当たる人。特に、私がひとりでいるとき、とても当たりが強い。


「後で飲んで感想を」


「今飲んで」


「はい」


 こんな感じに。とにかく、有無を言わせない。だが、きらいではなかった。普通のデスクワークにも張り合いが出る。


 ペットボトルのふたを開け、ひとくちだけ飲んだ。


「うまい」


 さすが商品開発課のエース。彼女の作った商品に、外れはない。


「どこがどう美味しいかを訊いています」


 デスクの引き出しから、この前もらった北海道のお菓子を取り出した。ひとくち食べて、お茶を飲む。


「うん。やっぱり。味の薄さです」


 お茶のペットボトルにありがちな、とりあえずカフェインやねっとりした飲み口でごまかすという気配が、まったくない。


「とても薄い。この薄さならお菓子だけじゃなくてどんな料理にも合うし、口に残る感じもないからスッキリと飲み干せる。自販機で迷ったときの選択肢になると思います」


「そうですか」


 次に彼女は、必ずこの一言を口にする。一緒に帰るときに、買うかどうか。


「誰かと一緒に帰るとき、これを買おうと思えますか?」


 少し、考えた。薄口のお茶。誰かと帰るときに、ことさら買うのか。


「この状態で買おうとは思いません」


「じゃあだめですね。やりなおしてきます」


「待ってください。状態の問題です」


 薄口のお茶。誰かと帰るとき。自販機。


「値段とパッケージを、工夫すればいいと思います」


「値段と、パッケージ?」


 値段とパッケージは商品開発課ではなく、受注生産課の担当になることが多い。


「はい。2本買ったら安くなるとか、買ったときに一本無料のロットが揃いやすくなるとか、あと、交互に違うパッケージが出てくるように、とか」


 ターゲットを二人に絞り、そこで付加価値を持たせる。三人以上なら、スーパーでリットルを買ったほうが得にしてしまえばいい。それはそれで売れる。


「味以外ですか。わかりました」


「受注生産課に連絡いれておきますか?」


「いえ。私がやります」


 きついなあ。当たりが。



 数日後、商品の正式生産が決まった。色違いの搬入システムがたまたま可能だったらしく、自販機からは交互に違う色のお茶が出てくる仕組みになった。私の発案だけど、社内では諏訪野さんの手柄ということになっていた。


 どうでもいい。仕事で手柄を主張する気はない。給料も特に気にはしていない。独り身だし。最新のゲーム機が買える程度なら、なんでもいい。


 生産された商品の自販機売れ筋が好評だったらしく、祝勝会と称して呑み会が開催された。なぜか、その日だけはゲームのフレンドは全員が用事でログアウトする日だった。どうせ家にいても一人。


 ごはんを作るのが面倒だったので、付いていって呑み屋でごはんを食べた。


「二輪さんって、お酒呑まないですよね」


 隣。この前数字の打ち込みを教えた女性社員。結婚2年目。


「はい」


 呑めないわけではない。呑まないだけ。酔うと、惨めな気分になるから。


 普通の人間なのに、恋人ができない。独り身。そして、告白されたのを思い出して、また惨めになる。だから、呑まない。


 一度、呑み会で諏訪野さんに絡まれたことがある。なぜ呑まないのかと迫られて、つい本当のことを口にしてしまった。それ以降、諏訪野さんは私と一緒の呑み会に来ていない。


「あ、諏訪野さん。ここですここ」


「えっ」


 諏訪野さん。来ている。

 よく考えたら、当然のことだった。彼女が作ったお茶が売れたのだから。


「しまったな」


 来るべきではなかった。せっかくの祝勝会なのに、諏訪野さんの気分を害してはいけない。残った白米を口でもぐもぐした。


「じゃあ、俺はここで」


「あ、二輪さん。もうお帰りですかっ?」


 女性社員。いい笑顔。


「また今度、数字で詰まったら教えてください。だいたい窓際にいますから」


 あの子のいた、窓際に。今は、自分がいる。告白されるのを、待ち続けている。


 店を出た。


「こういう呑み屋でも、あのお茶は需要あるかもしれないな」


 明日、企画書作って外注課に送っておくか。


 ひとりで、とぼとぼと家路を歩きはじめた。十歩もいかないぐらい。後ろで気配。


「あの」


 振り向いた。


「諏訪野さん」


 しまった。もう少し早く歩くべきだった。絡まれるか。


「あの。一緒に帰っても、いいですか」


 拒否のしようがなかった。あの日の告白をふいにしてしまってから、必ず、帰るときに寄り添われたら、イエスと答えている。


「ええ。かまいませんよ」


 お茶のことについて、まだ何か言い足りないことでもあったんだろうか。


「あ、でも、諏訪野さん呑み会の主役じゃないんですか?」


「抜けてきました」


「抜けられたんだ」


 不思議だった。主役がそんなに普通に抜けられるもんなのか。


 並んで、歩く。あの頃とは、まったく違うな。

 今でも、よく考える。あのとき、一緒に帰っていたら。その子の好意に気付いていたら。

 今日は、それとはまったく違う帰り道。社内で唯一私にきつく当たる人間との、家路。


 無言。


 いつも通り、とぼとぼと歩いた。どうしても、ゆっくり歩いてしまう。あのときのあの子が、急に声をかけてくるかもしれないと、心のどこかで思っているから。そんなことは、ないのに。


「あの」


 諏訪野さん。


「はい」


「ありがとうございました。お茶のパッケージのアドバイス。助かりました」


「いいえ。あなたの作ったお茶の出来がよかっただけですよ」


 自販機で売れてるので、パッケージの効果のほうが大きいだろう。売れればどうでもいい。


「でも、売れ筋は自販機です」


「ですね」


「パッケージの工夫のおかげ、だと思います。ありがとうございます」


「あれ」


「どうしました?」


「今日は当たりが強くないですね」


 言って、すぐ後悔した。皮肉じゃん。


「すいません。つい調子が狂ってしまって。いつも通り、きつめに来てください。手柄とかどうでもいいと思ってるんで俺は」


 実際、どうでもいいと思っている。


「あの」


「はい」


「隣に座っていた、あのかたとは、どういうご関係なんですか」


「隣?」


「この前、試作品持って行く前にもいた。数字の打ち込みか何かを教えていた子です。今日も隣に」


「ああ、あの女性社員」


 名前も知らない人だった。


「特に何か特別な関係ではないですけど」


「そうですか?」


 当たりが強くなった。


「何度か一緒に帰ったりしてるんでしょ」


「そりゃあ、何度かは」


 一緒に帰ろうと言われたら、断れないし。


「どういうご関係なんですか。その、付き合ってる、とかは」


「あの女性社員、結婚二年目らしいですけど」


 帰り道に夫との新婚生活についてめちゃくちゃ喋ってたけど。結婚は最高ってしきりに呟いてたけど。


「あ、そうなん、ですか」


「本人が帰りながら言ってたので、たぶんそうだと思います」


「すいません。つい」


 当たりが柔らかくなった。


「調子狂うな」


 呟いた。当たりが強くないから、心の壁を敷きづらい。


 彼女が立ち止まる。


 しまった。今の呟きも聞かれたか。


「私。ばかですね」


「は?」


「その子に嫉妬してたんです。二輪さんとよく一緒にいる気がしたから。つい」


「なんでですか」


「ごめんなさい」


 彼女が立ち止まったので、自分も立ち止まった。


 沈黙。


「あの子の何に嫉妬してるんですか。話だけなら聞きますけど」


 近くを見回す。


「公園か」


 自販機あるかな。公園に向かって歩いていく。後ろ。付いてくる気配。


「お、あったあった」


 自販機。しかも、ちゃんとあのお茶もある。


 二つ買って、ひとつを差し出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


「こういうときのためのパッケージですから」


 ふたを開けて。飲もうとしたとき、彼女の、顔が見えてしまった。


 涙。


 泣いている。


「どうしたんですか」


 当たりの強い彼女らしくない。ハンカチを差し出すのは面倒だな。


「私も、同じ経験があるんです」


 なんの話だ。酔ってんのか。


「私。むかし、告白する側だったんです。でも、勇気がなくて。好きって言えなくて。それで、出てきたのが、一緒に帰りたいって」


 あ、一緒に帰るくだりの話か。そりゃあそうだろうな。私への当たりの強さを見ていれば、なんとなく男性関係下手なのは分かる。


「それで、なんでお前なんかと一緒に帰るんだって言われて」


「あはは。そこまで同じか。よくあることなんですかね」


「だから、あの頃の私を後押しするような商品を作りたくて、ここに入ったんです」


「そうだったんですか」


 やりたいことがあって会社に来たのなら、しあわせでいいじゃないか。


「でも、私と同じような境遇の人が、違う人と仲良くしてて、それで」


「ん?」


「ごめんなさい。つい、口調が、強く、なってしまって」


「あ、そんなのは全然。かまわないですよ。会社で俺に当たり強いの諏訪野さんぐらいですから。あれぐらいじゃないとデスクワークに張り合いがないですし」


 無言。


 器用に相手の気持ちを躱している自分がいる。こんなはずじゃなかったのに。


 あの日の告白をふいにしてしまってから、あの日、あのとき、なんて応えたらよかったか、何度も何度も考えたのに。


 目の前のそれに対して、言葉が、出てこない。


「だめだな。だめだ俺は」


 頭で考えてる時点で、だめだ。何も言わず、抱きしめるのが、最善の答えなのに。私は、いま、また告白を拒絶しようとしている。


「すいません。俺は、あの日一緒に帰りたいって言ってくれた子がいつか突然目の前に現れて、また同じことを言ってくれるんじゃないかってどこかで期待してたんです」


 お茶を、飲む。


「そんなことはないのに」


 すっきりとした飲み口。薄い味。


「私は」


「俺は、その子の名前も顔も覚えてないんです。薄情でしょう。でもたぶん、俺は、一生その子のことをなんとなく思い出しながら、ひとりで生きていくんだと思います」


 一気に飲んだ。薄い味だから、一気に飲んでも爽やか。


「諏訪野さんの言いたいことは分かりました。でも諏訪野さんには、諏訪野さんの引き留めたい人がいるはずです。それはきっと俺じゃない、と、思います」


 お茶。空になってしまった。


「似た経験をしたと思ったから、たまたま好きになってるだけだと、思います」


 諏訪野さんのことは、きらいじゃなかった。好きかきらいかで言えば、好きなほうに分類できる。当たりが強くても気にならないし。


「ごめんなさい。諏訪野さんのことは好きです。でも、俺には」


「わたしっ」


 公園の遊具のほう。突然の大声。


「わたしですっ」


 結婚二年目の女性社員。なぜかジャングルジムの頂上。


「ごめんなさい二輪さん。そのときの、一緒に帰りたいって言ったの、わたしですっ」


 よく見たら、ジャングルジムに呑み会参加してた社員みんな隠れてる。


「ごめんなさいっ。わたしっ、みんなと共謀してっ、今日の呑み会を企画しましたっ」


 頂上から女性社員がすべり落ちてくる。


「諏訪野さんと二輪さんが付き合えばいいなって思って、余計なことをしましたっ。ごめんなさいっ」


 勢いよく、頭を下げる。こんな人だったか。


「でもっ。わたしを理由に諏訪野さんを振るのはっ、ちがうとっ、おもいますっ」


「え?」


「わたしはもうっ、結婚してるのでっ。一緒に帰りたいっていうのもっ、叶ったのでっ。そこで二輪さんがわたしを理由に振るのはっ、納得がっ、できませんっ」


「参ったな」


 嘘だ。結婚二年目の女性社員は、生まれが北海道。私の生まれは、東京。すれ違うことすらない。


 それでも、なんとかして私と目の前の女性をくっつけようとしている。ひっしに。


「はあ。もう」


 なんなんだ。結婚は最高だから、私と諏訪野さんもくっつけようってか。


「そこまでして私と諏訪野さんを付き合わせたいんですか?」


「はいっ。それはもうっ。これは今日ログアウトして呑み会に参加してくれたフレンド全員の意思ですっ」


 ログアウト。フレンド。

 そうか。こいつら全員。

 なんかもう、面倒になってしまった。


 唯一の友達だと思っていたゲームのフレンドが、みんな、会社の社員だったのか。なんだそれ。どこかの見知らぬ誰かだと思っていたのに。


 もういい。もうひとりにしてくれ。


「すいません。あなたの生まれは北海道ですよね?」


「あ、はいっ。北海道。この前お菓子配った北海道ですっ」


「私の生まれは東京です。あなたは私に告白した人間ではない」


「うっ」


「東京」


 ずっと黙っていた諏訪野さんが、呟いた。


「東京の、どこ、ですか?」


「東京の片田舎ですよ。諏訪野さんの思い浮かべる場所ではないと思います」


「踏切の前」


「えっ」


「踏切の前です」


「うそだろ」


 考えるより先に身体が動いてしまった。


 彼女を、抱き寄せる。


「ふわぁぁおっ」


 ジャングルジムのほうから嬌声。それで、自分を取り戻した。


「あ、ごめっ、ごめんなさい。急に抱きついてしまって」


 彼女。今度は。彼女のほうから。暖かい身体が、私を包む。


「やたっ。フレンドのみなさんっ。遂に悲願が成就しましたっ」


「うわあああ」




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あの日の告白 春嵐 @aiot3110

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