第8話 塩と探検

 森で隠匿生活を始めたハウエルとアニスは、川で獲った魚を干物にするべく奮闘していた。


「ふ、む、むう? これは……中々難しいな」


「そうっすねえ……綺麗に捌けないっす……」


 川の近くで作業をする2人の手元。まな板代わりに使用している石の上では、切り裂かれた川魚が無残な姿を晒していた。


 2人が目指しているのは、干しやすいように魚を腹から開いた状態だ。だが、ハウエルの川魚は背中まで刃が通り、2つに分かれた身が頭部からぷらりと繋がっている。

 アニスの魚はそれよりも酷い。おっかなびっくり捌いた結果、綺麗に光を反射していた川魚の腹部は歪に切られ、溢れた血で猟奇的に見える。


「魚の捌き方が本に載っていないのは痛かったな……」


「捌いた後の絵は載ってましたけどねー。やっぱり切る順番が違ったっすか……」


 お互いの手元にある魚を見て、2人は同じように顔をしかめた。


「……まあ、仕方あるまい。多少の歪さには目を瞑って、とりあえずは干し易さを目指すとしよう。あとは、これから試行錯誤だ」


「了解っす。いやホント、魚がたくさん獲れて良かったっすね」


 2人がいるのは、人の出入りがほとんどない森だ。流れる川も、当然自然のあるがまま。簡単な罠を仕掛けるだけでも、それなりに川魚が手に入った。2人で食べるには十分な量だ。


 その川魚と格闘すること少し、数匹目で多少のコツを掴んだアニスが、捌いた魚を自慢気にハウエルに見せる。


「師匠できたっす! 本の絵にそっくりっすよ!」


「おお! でかしたぞアニス!」


 素直に弟子を褒めるハウエルに、アニスは意気揚々と捌き方を教えてみせた。おかげで2人の作業速度は上がり、捌かれた魚が次々と重なっていく。


 作業に終わりが見えたところで、アニスが「そういえば」と、疑問を口にした。


「師匠。この魚って、次はどうするんでしたっけ?」


「次は塩水に漬け込む工程だな。干すのはそれが終わってからになる。このまま干すことも出来るらしいが、塩に漬けた方が長持ちするのだ」


「そうなんすかー」


 納得したように頷いてから、アニスは再度疑問を覚えた。


「ん? 師匠。塩ってこれからどうするんすか? ここに来る前にたっぷり買ってきましたけど、いつかは無くなるっすよ。近くに海はないですし、また村まで買いに行くっすか?」


「ふむ。アニスよ。岩塩という物を知っているか?」


「なんすか、それ?」


 聞いたことのない単語に、アニスは首を傾げる。帝国で流通している塩は、ほぼ全てが海水から作られたものだ。帝国民の大部分にとって、塩とは海のも、というのが常識になっている。


「海ではなく陸にある塩で、名前の通り塩が岩のように固まったものだ。王国では塩の湖があって、そこで塩を採るらしいぞ」


「ふへえ~。そんなのあるんすねー。知らなかったっす。でも、何で帝国だと出回ってないんすか? アタシ聞いたことないっすよ?」


「この国だとほとんど採れないからだな。いや、採りに行けない、と言った方が正しいか」


「? 遠いんすか?」


「遠いのもあるが、だいたい近くに大きな魔物の巣があるのだ。塩を求めて魔物が集まってきたのだろう、というのが、最近の研究結果らしいぞ。確かに、魔物にとっても塩は必要だろうからな。納得できる考えだ」


「へえ~。でも、見た目は岩なんすよね? 齧るんすかね、魔物」


「齧るというよりは、たぶん舐めるだと思うが……。まあ、私も実際に見たことはないからな。詳しいところは分からん。とりあえず、魔物の障害によって岩塩の採取は難しく、帝国では貴族の間くらいでしか出回らない、という話だ」


「ふんふん。勉強になったっす……って、それで結局塩はどうするんすか?」


 アニスの疑問に、ハウエルは軽く答える。


「もちろん、岩塩を探してみるつもりだ」


「……さっきの話だと、岩塩があるとこには魔物がいるんすよね……?」


 アニスは不安そうな表情を浮かべる。ハウエルもアニスも戦闘は本職ではない。魔物に遭遇したら逃げるのみだ。


「ふむ。まあそれは大丈夫だろう。この一帯を治める領主は優秀な人物だ。なんでも、前の領主が酷すぎて、皇帝陛下が直接後任を指名したらしい。おかげで、この森は定期的に魔物の討伐が行われている。大物に出会うことはそうないはずだ」


「……小さくても、魔物は魔物だと思うんすけど……」


「ふむ。確かにそれはそうだ。だがアニス。相手が魔物であるならば、我々は光の術者だ」


 不安そうな顔を変えないアニスの前で、ハウエルは光の魔術を発動する。2人の目の前で、森の景色が捻じれたように歪んだ。


「アニス。我々の光の魔術には、直接の攻撃手段はない。しかし、相手を惑わすことについては、並ぶものはないだろう。光を捻じ曲げ、姿を隠し、虚像を映す。十全に扱えば、我々を捉えることのできる者はいない」


 ハウエルが魔術を操作し、森の木が一本増えたように景色を変える。その魔術を間近で見て、アニスは軽く唇を尖らせた。


「でもまだアタシ、そこまで上手く出来ないっすもん……」


「ふふふ。それはそうだろう。むしろ、簡単に並ばれたら私の立つ瀬がない。私とて、長い修行の日々を送ったのだからな。だがいつかは、アニスも私のように魔術を扱えるようになるはずだ。もちろん、練習を怠らなければだが」


 そう言って、ハウエルはアニスに笑い掛ける。ついでにアニスの膨れた頬を突こうかと思ったが、指先まで生臭いので止めておいた。さすがに怒られるだろう。


「とりあえずは、魔物に出会ったら強い光を出すといい。魔物とて、目を焼かれれば動けなくなるものだ」


「それで、その間に逃げるんすか……。なんか、ちょっと恰好悪いっす」


「恰好悪くなんてないぞ、アニス。世の中は結局、生き残っている者が一番の勝者だ。それから、我々の魔術だって戦う方法はある。幻影を操って魔物の群れを撃退した、偉大な光の術者の話は前にしただろう?」


「その話は覚えてますけど、凄すぎて参考にならないっす……」


「ははは。まあ、魔術を極めれば、それほどの高みへと行ける、ということを覚えておけばいい。先が見えているのなら、後は一歩ずつ上達するのみだ」


 そう言って、ハウエルは手に持った短剣を置いた。話ながらも手を進め、全ての魚を捌き終えたのだ。


「さて、では魚を塩に漬ける作業だ。それが終わったら2人で探検だぞ、アニス」


「了解っす。お塩が見つかるといいっすね」


 作業の内容について話し合いながら、2人は協力して動き始める。その中で、塩の分量を確認しながら、アニスが「そういえば」と話し出す。


「師匠。お塩が見つからなかったらどうするっすか?」


「そうだな…………それは、そのときに考えるとしよう」


「ええー……。考えてなかったんすか……」


「まあ、なんとかなる」


 すました顔で頷くハウエルを見て、アニスは仕方のなさそうな表情で小さく溜息を吐く。


 術者としては優秀だが、どこか抜けているこの師匠は、自分が支えなければならない。アニスはそう強く思った。





 そして翌日。魚の塩漬けが終わった2人は、予定通り森の奥へと入った。朝日が差し込む森の中を、当てもなく歩き続ける。


 人の手が入っていない森は植物が好き放題に茂っており、とても歩くのには向いていない。草で見えなくなった木の根に躓いて危うく転びそうになり、アニスは前を歩くハウエルに弱音を吐いた。


「師匠。やっぱりここ木と草だらけっすよ~。地面なんて全然見えないっす」


 この状態で岩塩なんて見つけるのは無理だろう、とアニスは緑に圧迫されるような景色を見て思う。

 アニスとしては森に引き籠るにしても、たまに買い物くらいはしたい。幸いなことに元は高給取りだったハウエルは金銭に余裕があるのだから、塩も近くの村で売ってもらえばいいと思っている。


 そもそも、あるかどうかも分からない塩の塊を、専門家でもない自分達が見つけるのは無理だ。そんな気持ちで出した言葉に、しかしハウエルは反応しなかった。


「……」


「師匠……?」


 アニスの前を歩くハウエルが無言で立ち止まる。その表情は、後ろにあるアニスからは窺えない。


「師匠? どうしたっすか?」


 アニスは再びハウエルを呼ぶ。自分の声が届いていないかのような様子に、急激に不安感が増した。自分の師匠がこの程度で怒ったりしないことをアニスは知っている。ならば、いったい何があったのか――


 アニスが緊張で無意識に喉を鳴らすと同時に、ようやくハウエルが言葉を発した。


「アニス。何か感じるものはないか?」


「え……?」


 反射的に疑問の声を出しながらも、アニスは意識を集中した。アニスは修行中の身ではあるが、術者として自らを律する方法は教え込まれている。

 そして、その感覚が、周囲を漂う異物を感知した。


「なんか分かんないっすけど……何か・・あるっす……」


「ああ、これは……我々と同じ光の魔術の気配だ」


 アニスに向かってハウエルが振り向く。その顔には困惑が浮かんでいた。


「どうやら、この先で魔術が発動しているようだ。まだ遠いから詳しくは分からないが、人を惑わす結界の類のようだ」


「こんな場所で、すか……?」


「ああ。こんな場所で、だ。何があるのかは分からないが、少なくとも魔術の形式は我々と同じ帝国のものだ。ならば、この先には隠さなければならないものが、もしくは……封じられていなければならないものがある」


 ハウエルの魔術は帝国が秘している技術の一つだ。それと同じものならば、この先には国が隠した何がある。そして、それはハウエルも知らなかったものだ。


「熟練の術者が成した魔術は百年続くこともある。しかし、永遠に続く魔術は存在しない。この先に隠されなければならないものがあるのなら、私はその術を受け継がなければならない」


 顔つきを真剣なものに変えたハウエルを見て、アニスは呆れた心地になる。


「ここまで来て、結局仕事をするんすか、師匠?」


 仕事が嫌で逃げて来たのに。しかも、この先にはどんな危険があるかも分からないのに。結局、術者としての義務を優先するのかと、アニスは目を細めた。2人の生活の優先順位を下げられたようで、少しむっとしてもいる。


 アニスの視線に慌てるハウエルを見ながら、自分は思いのほかこの生活を気に入っていたらしい、とアニスは自覚した。


「い、いや、確かにこれも仕事ではあるのだが、むしろ私の本来の役割なのだぞ? 帝国の封印術の一翼を担うのが光の術者の正しい在り方であって、書類をひたすら写すのは内職のようなものなのだ。……それで倒れたら嫌だろう……?」


 情けなく言い訳する自分の師匠の様子を見て、アニスは機嫌を直すことにする。


「分かったっすよ。大丈夫っす。アタシは師匠の弟子っすからね。お仕事の邪魔なんてしないっす。むしろ、ちゃんとお手伝いもするっすよ」


「あ、ああ。それは助かる。ありがとう、アニス」


 ハウエルはほっと胸を撫でおろし、小さく咳払いをしてから表情を改めた。


「それでは行くとしよう。もう少し進めば、術の正体も分かるはずだ」


「了解っす」


 再びハウエルを先頭にし、2人は森の中を進む。向かう先が分かっているため、その足取りには迷いがない。


 そうして歩くこと少し、2人の前で、突然森が開けた。遮る物のなくなった日差しに、2人は目を細める。

 そこにあったのは広い空間だ。森の木々も、あるべき地面もない。


「うわあ……なんすか、これ。深いっすねえ……」


「ああ。かなり大きな谷だ。下に小さく川が見えるから、長い年月を掛けて削られたのだろうが……それにしても大きいな……」


 ハウエルからは、谷の下を流れる川が細い線にしか見えない。対岸に見える木々の小ささも、谷の広さを表していた。


 2人が目指す先にあったのは、巨大な爪で抉られたようにも見える、広大な峡谷だった。

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