28.幕間2 東光院妙寺について
どうしようもないガキだと思った。この世の終わりみたいな顔をしていたガキだった。まだ小学校も出ていないであろう子供がズタボロで監禁状態から救い出された。本当に救いようがない、気の毒だと東光院妙寺は思った。
幼少期の経験は大なり小なり人間の人格形成に影を落とす。スタートがどうしようもなく歪んでしまった人間はどうやって真っ直ぐ歩けばいいのかも考えるなり学ばないといけない。真っ直ぐ歩くことに難しさを覚えない人間には奇異の目で見られ、そして下手をしたらそれを責められることもあるかもしれない。
彼はそんな風に思った。それは彼が当時アルバイトとはいえ、塾講師をやる程度には自分よりも若い人間の教育に関心のある人間だったからかもしれなかった。大なり小なり、人を育てているとそこに個人の限界を見る。それは才能であったり、環境であったり、様々な要因があると彼は思ったし、調べた文献にも書かれていたが、幼少期の経験は特に重要な要素だと考えた。
同情が湧いた。どうして世界にこんな悲しいことがあるんだと、彼は憤った。
少女の名前は久遠。少女は自らの名前しか知らなかった。とりあえずの苗字は与えられたが、それを呼ぶ人はいなかった。箸の持ち方も文字の読み方も簡単な足し算引き算も、真っ当な人間なら知っていることを疑問にも思わないことを知らなかった。
それが彼と久遠の出会いだった。もっとも、彼が目撃して一方的に見知っていただけだったが。
それがいつの間にか、すっかり過去を知らないような顔をして過ごしていてくだらない映画を見ていて、テストではろくな点も取らないようなことで悩むようになっている。
「ねえ、東光院さん。先輩、大丈夫なのかな」
真っ直ぐな心配だと思った。それは微笑ましくもあり、痛ましくもあった。
「……」
答えあぐねていた。彼には状況しか理解が出来ていなかったから。
今もなお彼の目に映る世界はほとんど代わり映えがない。世界の終わりだ、空間の書き換えだ、と言われるが彼の目には人通りがないこと以外は全く普段の日常と変わらない世界があった。
そんな自分が、どうして隣の少女の心配に何か言えるのだろう?
彼には《異能》がない。この世界を変えるほどの《信じること》はない。故に《怪異》も視えず、彼には久遠たちが語る現象を結果としてしか観測できない。
彼は傍観者だった。何もすることができない、無力で、それ故に安全圏に立ち続ける存在だった。
だから、そんな彼は真っ直ぐになってしまった少女が背負う運命の重さの残酷さを一層に感じる。
そんなこと、余裕がある奴がすればいいことなのだ。
東光院妙寺は思う。考える。静かに憤る。
元から真っ直ぐ生まれて、真っ直ぐ育って、真っ直ぐ生きてきた人間がすればいい。何かを背負う余裕がある奴がすればいい。ねじくれていて、真っ直ぐ歩くだけで努力しないといけないような人間がすることじゃない。
そう何度も思う。何度も言おうとする。
任務に送る時、任務の最中に調査を依頼されるとき、解決後の後始末をしている時、彼は安全圏に立つ自分を自覚した。
それでも、その言葉が彼の口から出ることはなかった。言えなかった。彼にはその現状を変える力が、《異能》がないから。安全圏から出す言葉ほど、安っぽくて、自己満足な言葉はないと思ったから。
だが――と、世界の危機とやらが迫る最中、その道中を運転する自分を俯瞰して彼は思う。
そんな正論が、こんな事態になった時にこいつらを動かしているんじゃないか。
自分に《異能》がないから。自分には《信じること》が出来ないから。自分が、無力だから。そう言って、目の前のことを「仕方ない」と思っているから《信じること》も出来ないんじゃないのか。
「久遠、お前はどうして五葉塾にいるんだ」
「え、どうしたんですか急に」
「真剣な話だ」
「……《怪異》が視えるから?」
「それは出来ることだ。能力と、理由は違う」
「《瞳》があるから」
「それも能力と大して変わらない。お前が望んだこととそれは違うはずだ」
「……」
間。隣の少女が静かになる。
本当はずっと聞くべきだと思っていた。それでも聞かないようにしていた。
ずっと思っていた。隣の少女に、理由なんてないんじゃないかって。自らを危険に晒して、世界の歪みのような出来事と向き合う動機なんてないんじゃないかって。
ただ、出発点が歪んでいたから、歪んだ世界に適応しているだけなんじゃないか。そんな疑問が湧いては、無視していた。
その歪みに気づかせても、自分にはどうしようもないから。抜けた穴を埋めることなんて、自分には出来ないから。
鮫神の時も、口裂け女のと時も、自分は無力だった。自分は何もしなかった。自分は安全圏から見ていただけだった。
彼はそう考える。
「やりたくないなら、やらないでいい。お前が望むなら、いますぐ来る前を逆走させよう。何処にでも好きなところへ連れて行ってやる」
彼は少女へそう、告げた。
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