1.それは静かに、緩やかに

 五葉塾の任務であるとか、せっかくの休みだからと勉強もしないで趣味に興じて24時間ワニ映画耐久視聴会を一人でやるとか、ひたすらネカフェに籠って首が痛くなるまで漫画を読み続けるとかやっているうちに私の成績はガリガリ落ちる。地球に引力があるというのは本当らしい、成績まで地面に引っ張ってくるのだから。


 塾が閉まった夜、五葉塾の事務室。

 五葉塾を代表して東光院さんが定期試験の成績を確認すると東光院さんが結構な何とも言えない味のある表情をして「いや、頑張ればな、そう、人生は何とかなるから……勉強だけがな、ほら、人生の全てじゃないからな。うん。だから強く、強く生きればな……ううっ」とかマジで私を気の毒なものを見るような目で見始めて師匠は師匠で腹を抱えて笑った挙句、「はぁーん? 桐野、センター試験の過去問とか半分の時間で9割余裕ですが?」と言いながら平然と私の前でありとあらゆる難関大学入試の過去問を空で解き始める。


「え、嘘でしょ……嘘ですよね。師匠なのに……」

「久遠さん、桐野、これでも塾長代理ですよ……この五葉塾の一番偉い人の代理ですよ」

「嘘でしょ……」


 私は愕然とする。信じられない……こんなの間違っている……!


「久遠さん、笑い事じゃないですよ」


 尋常じゃなく冷たい、榎音未さんの声が背後から投げかけられる。


「え、榎音未さんいつの間にここに」

「事務処理で最近来ているので……というかまずいですよこの成績は」


 ああ、しまった。榎音未さんも勉強が出来る人だった。

 五葉塾、表向きは塾なのもあって《異能者》であろうと何だろうと問答無用に勉強の出来る人が多いのでついサボってしまう私は肩身が狭い。


「いや、というか久遠さん。言葉を扱う《言葉師》がこれは不味いです。本当に不味いですよ」


 いつの間にか榎音未さんの眼鏡が光っている。何かを見通すような鋭い光、いつも穏やかな榎音未さんのその鋭さが私に事態が「いかにヤバいか」を痛感させて冷や汗が背中を伝うのを感じる。


「いやぁ、久遠さん。これは一学年下のコースで勉強とかどうですかねぇ?」

「久遠、何とかなる。勉強ができなくても人生は多分何とかなるから……なるからっ!」


 師匠がニヤニヤしながらからかっていて、東光院さんは妙に真剣に私を励ます。というか東光院さん、暗に私に勉強を捨てろと言っていないか?


「久遠さん、とにかく学校に行きましょう。最近任務だ何だでサボりまくってましたよね?」

「あ、はい……はい……すみません……サボってました……」

「あのですね、久遠さん。日常って大事なんですよ。怪異とかに振り回されるのも大変というのは重々わかりますけど、というか私はそれでロクに青春なかったですけど……本当、遠足とか言っても変な噂話の怪異を感じてしまって全然心休まらなかったし、他の同級生も騒いで泣いたりで私全然学校生活エンジョイできませんでしたからいや本当……」

「あ、あの榎音未さん……」

「それで私はまぁ勉強しかしなかったですけど、まぁそれはいいんですけど。医師免許も手に入れましたし。それでも勉強って損ないですよ。人生の道が用意増やせるってそれだけで結構な心の余裕になりますからね。青春は楽しめなかったですけど。久遠さん、最近勉強自体だけじゃなくて普通に学校サボって変な映画見てますよね?」

「……はい。最近は動物WAR2020見てました……」

「それは青春を捧げて構わないというくらい好きなものなんですね?」

「……控えめにいって時間をドブに捨てているようなZ級ですね」


 動物WAR2020はそれはもうひどい低予算のアニマルパニック映画だ。大抵のこの手の映画はクオリティが低いのを愛でる虚無コンテンツだけど動物WAR2020はその中でも虚無っぷりが輝いている。

 ある日突然凶暴化した動物達が人々を襲い出す!凶暴化によって各種ステータスが超絶強化されたアニマル達が人々を噛みちぎってバラバラにする……というあらすじなのだけど、予算が全く追いついていない。人の腕の切断も全く書けていなくて露骨に服の中に腕を引っ込めているのが見ていてわかるし、血飛沫の演出も完全に画面外からバケツで赤いペンキをぶっかけたような演出で明らかに登場人物の出血箇所と違うし、凶暴化した動物は予算の都合で実際の犬とかを使っているものだからシナリオ上は「凶暴化した犬が少女を襲う!逃げる少女!しかし凶暴化した犬の狂乱からは逃げられず……」というシチュエーションなのに、実際の映像では普通の犬が女の子を楽しそうに追いかける牧歌的な映像になっていた。

 うーん、一品。問題はこれを見るなら絶対に学校に行っていた方が人生のためにはなったと私も痛感しているところだ。


 ハァー。という声が榎音未さんを始めに師匠や東光院さんまで重なって響く。よりによって師匠までため息ついてくるのが信じられない。違う! ただ私はつい虚無を愛でる趣味に精を出してしまっただけで。


「久遠さん、とりあえず学校に行きましょうか……勉強は私がサポートしますので……」

「は、はい……」


 そんな風に榎音未さんに真剣に言われて私は学校に行くことになる。元々特別行くのが嫌ではなくてただ任務と任務の合間の息抜き感覚でサボってしまっていただけなので良い加減ネジを締め直さないといけない。

 いや本当、非日常に慣れずに私はもっと日常を生きた方がいいはずなのだ。私が今生きていて、これからも生きていくのは日常なのだから。





 そういうわけで学校にしっかり通う……というのも意外と難しい。


 次の日、というかその日の夜中に言い渡された任務が深夜の地方の学校に現れる《怪異》についてだったものだから徹夜で行くことになる。

 ここのところ――正確にいうと《口裂け女》の一件から任務が増えていた。

 これまでは成立しないはずだった弱い《信仰》を起点とした事件が増えた。以前なら、それ単体では《怪異》として成立しないはずのもの。

 任務を片付けて、私は車に戻る。

「お疲れさん」

 東光院さんがそう私に言う。その声は優しく、同時にどう私に声をかけて良いか悩んでいるような色をしていた。

 私はその言葉を受けて助手席に座って、腰を深く下ろしてため息をひとつ。


「あまり後味の良い任務じゃなかったですね」


 私は東光院さんにそう話す。体力的にはすぐに寝た方がいいとわかっているけど、そうやって東光院さんに話して少しでも気晴らしをしたかった。

 今回の任務は放課後の学校に現れる少年の怪異の対処だった。この学校で少し前に亡くなった生徒の少年だ。何かの悪事をするわけでもなく、ただ放課後の教室に現れて元々の自分の席に座り続ける。

 それに気づいたのは同じクラスの友人が一人。初めは他の誰も気づいていなかったその怪異である少年に徐々に他の人も気づき始める。

 初めはただそこで佇んでいただけの少年の怪異は学校で噂が流れるうちに姿を変えていく。


「学校の皆を呪っているのだ」とか「道連れする相手を見定めているのだ」とかそういう勝手な噂が流れていく。その言葉によってその少年の姿は徐々に変貌していく。その噂、「そうであれ」という《信仰》によって禍々しく。

 人を、その噂通り襲い出すのは時間の問題だった。

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