第4話 支配された魔王領を解放せよ! 後編

「ふん、なるほど。この魔人はこれを支配と呼んだのか」

「ああ」


 入り口を塞ぐ鉄柵を破壊し、魔族達が捕えられている家畜小屋へと足を進めるミスト。それに追従しながら、トールは彼女が内心で怒りに満ちている事を感じ取っていた。


「旦那様の言う通りだな。どうやら魔人共は、相手を支配すると言う事を何にもわかっていない素人集団らしい」


 足を抉られ、満足に歩けない老人。元は美しかったであろう顔面を殴打され、原型を留めていない女性。口を裂かれ泣くことすら許さない子供達。


 ミストの視線の先には、生きる希望を無くした魔族達がフラフラと歩いていた。その姿はまるで、かつての王都に巣食っていた浮浪者達と同じ、生きながら生を拒否した死者そのものだ。


 特に酷いのは若い男達。反逆を恐れてか、もしくは反逆をした後かはわからないが、まともな身体をしている者は一人もいなかった。


 彼等は鉄柵が破れたというのに、この家畜小屋から出る気配はない。外からの来訪者が気になるのか、視線を向けて来る。気付いていても、それに対応するだけの気力はないのだろう。


 それでもただ絶望の表情が晴れないのは――


「完全に負け犬根性が染みついているな」


 ミストは腕を組み、逃げ出さない魔族達を見ながら不機嫌そうに舌打ちをする。


「さ、散々俺様が痛め付けてやったんだ! 心が折れない方がどうかしているさ!」


 トールによって散々痛めつけられた筈のマルコシアスだが、自分が行ってきた事を見て優越感を覚えたのか、唾を飛ばしながら声を上げる。


「ちっ」

「ひっ……」


 メンタルの回復が早いやつは面倒だと思う。もう一度顎を蹴り砕いてやろうかと睨みつけると、植え付けられた痛みを思い出したのか、マルコシアスは小さく悲鳴を上げながら一歩距離を取って黙り込む。


 そんな愚か者から視線を外し、ミストの後ろを歩きながら周囲を見渡した。


「さて……この状況、どうする?」

「旦那様、それは私に対する挑発か?」

「まさか」


 少し不機嫌そうに答えるミストに対し、トールは肩をすくめて笑う。なにせ彼には、これから行われるであろうことが容易に想像できたからだ。


 ミストは己の着ている黒い軍服を見下ろし、血に濡れた部分を軽くなぞる。


「さて、それでは私は着替えて来る。それまでに準備は終わらせておけよ?」

「仰せのままに」


 仰々しく首を垂れると、ミストはその場から去る。そんな彼女を見送り、トールは近くの神官達にそれぞれ命令を下していった。





「これで……全員だな」


 しばらくして、トールは城壁の上からざわつく魔族達を見下ろしていた。神官達を使い、家畜小屋に囚われていた魔人達全員を、街で一番大きな広場へ集めたのだ。


 そして、全ての準備が整ったのを見計らったかのように、ミストが皇帝として振る舞うときに使用する礼服でトールの下へやってきた。


 ミストは彼の隣に立つと、集められた魔族達を見て機嫌良さそうに笑う。


「くくく、流石は旦那様だな。この短時間でこれか。相変わらずいい仕事をする」

「お褒めに預かり恐悦至極」

「……流石にへりくだり過ぎだ馬鹿者」

「いて……悪い」


 軽く脛を蹴られ、素直に謝る。


「ふん、まあいい。それで……これで全部か?」

「ああ、神官達の探索魔術も使って調べた。これが、この街に住む全ての住民だ」

「なるほど……これは存外、不自然なほど残っているものだな」


 ミストが眉を顰め、不審げに城下を見下ろす。


 言いたい事は理解出来る。魔神軍の目的は魔族の殲滅だというのに、この街に残っている住民は少なく見積もっても五万を下らない。


 もちろん中には老人や子供、女性といった戦力外の者も多いが、反乱を起こす分には十分過ぎる戦力である。


 これでは魔神軍の目的と行っている事に矛盾が生じる。確かに彼等はみな満足な食事も与えられず、五体満足な者もほとんどいない。だが蹂躙を目的としている魔神軍が彼等を生かす理由もなかったはずだ。


「これは、魔神とやらの真意は他にもあると見るべきか?」

「どうだろうな……完全に現場の独断という線もある」

「まあ、どちらもでいいか。魔神もその軍も全て蹂躙する。この方針に変化はないのだからなぁ」


 まるで悪魔のように口を三日月型に歪ませ、ミストはいくらか残った魔神軍の残党を嘲笑う。彼等は往々にして怯えていた。蹂躙する側だったのが、たった一日でひっくり返ったのだ。これまで自分達が行って来た悪行を思うと、怯えるのも当然だろう。


「さて、そろそろ下のやつらも騒めいてきたな」


 集められた老若男女の魔族達は最初こそ覇気がなかったが、今の事態がいつもと違うと思ったのか怪訝そうに当たりを見渡し始めた。それは一人、二人と増えていき、小さな音はどんどん大きくなっていく。


「やれ」


 ミストが手を挙げて合図をした瞬間、彼女の背後から巨大な炎の龍が現れ、天に向かって雄たけびを上げる。その音は街中全てを覆うほど大きく、騒めいていた魔族達の視線を一気に奪い取った。


 魔族達は当然、その先にいる集団にも気付く。あれはなんだ? ついに魔人が自分達を根絶やしにするつもりか? そんな絶望を感じているのが遠目にもわかる。


「く、くくく……なんだ、まだ恐怖という感情をちゃんと持っているではないか」


 ミストはそんな彼等を見下しながら不敵に笑った。彼女は仰々しく両手を広げると、まるでその大地全てを己の物だと言わんばかりにその手を握りしめる。


「さあ、はじめようか! ここからだ! ここから、我々の魔界制覇が始まるぞ!」




 ――その日、魔族達は一つの奇蹟を見た。


『貴様等は……負け犬だ!』


 広場に集められた彼等は、街を覆う城壁の上から叫ぶ一人の少女を見上げる。遠目でも分かる小柄な少女だ。魔族を蹂躙した魔人達にかかれば、簡単にその身をすり潰されてしまうことが容易に想像できた。


 だというのに、その声に込められた強い意志は、まるでかつて彼等を先導してくれた一人の王を思い出させる。


『何故だかわかるか!?』


 少女が叫ぶ。


 わからないはずがない。魔族達は負けたのだ。負けて家族を、仲間を、知り合いを根こそぎ奪われた。


 抵抗した者は殺され! 服従した者は生き物としての尊厳は奪われ! 身体を! 心を踏みにじられたのだ!


 自分達はもう生物として立ち上がることなど不可能だろう。それだけの事をされてきた。心が屈してしまったのだ。火種がなければ炎は立たない。もはやこの街の魔族達は死んだも同然である。


 だから……もう放っておいてほしい。例えこの先の未来が魔人によって殺されるだけなのだとしても、自分達はすでにその未来を受け入れた後なのだから。


『貴様等は負け犬だ! 本当は悔しい気持ちがあるはずなのに目を背け、楽な道を選ぼうとしている!』


 だが、少女は声を更に大きくして叫ぶ。


 彼女の言葉は的外れだ。悔しい気持ち? そんなものはもはやない。そんなものはないのだ。


 涙はすでに枯れ切った。慟哭によって喉は擦り切れ、まともの声など出やしない。魂の炎はすでに消えてしまっている。


『貴様達は負け犬だ! 本当はその身に怒りを宿しているというのに、それを表に出さない臆病者どもめ!』


 少女が叫ぶ。だが無駄だ。無駄なのだ。少女がどれだけ叫ぼうと、自分達魔族の心は決して動かない。


 動かない……はずだった。


「……なんで?」


 一人の魔族からそんな呟きが零れる。その魔族の瞳からは涙が流れていた。彼はそんな自分を、まるで信じれないという顔でそっと頬に触れる。


 涙は枯れた。喉は潰れた。彼等の心は死を受け入れた……はずなのだ。


『貴様達は負け犬だ! 己が魂の慟哭から目を背け! 誇りを宿した心の憤怒から目を背け! そして信頼すべき仲間からすら目を背け! 誰かが何とかしてくれるのを待っているだけの負け犬だ!』


 止めてくれ……そう誰かが言った。それは自分だったのかもしれないし、隣に立つ女性だったのかもしれない。


 城壁から叫ぶ彼女の声は、あまりにも眩し過ぎた。すでに心を闇で閉ざし、膝を抱えて絶望していればいいだけだった自分達を無理やり光の下へと連れ出そうとして来る。


 それはまるで――お伽噺で聞く、地上にあるという灼熱の太陽のようだ。


 だがそんなもの、望んでいない。望んでいない。望んでいない!


『立ち上がれ!』


 ――立ち上がることなど、望んでいない!


『顔を上げろ!』


 ――顔を上げる事など、望んでいない!


『怒りの涙で大地を濡らせ!』


 ――涙など、とうに枯れ切っている!


 そのはずなのに、彼女の言葉は何故こんなにも心に響くのだ!?


『魂を燃やせ! 心を震わせろ! その強靭な足腰は何の為にある!? その精強な牙は何のためにある!? その人智を超えた肉体は!? その強大な魔力は!? 魔界という過酷な地にてしがみ付きながらも必死に生きてきた貴様達の意地を、その魂の輝きをこの私に魅せてみろォォォ!』


 ――ウォォォォォォォォンl!


 瞬間、一人の狼獣族が立ち上がり天へ叫ぶ。魔人に特に抵抗したせいか、片目は抉られ両腕はなく、生きているのも不思議なほど重体な男だ。


 だが彼の叫びは空を突き抜け、周囲一帯を震わせる。それは空間だけではない。一緒にいる五万の魔族達の心を、心臓を、魂をも震わせた。


 ――魂の火種はまだ残っていたのだ。


 まるで彼に合わせる様に他の狼獣族達が立ち上がり、一斉に叫ぶ。叫び、叫び続け、他の魔族達をも巻き込み始める。


 それはまるで、湖に落ちた一つの小石が生み出した波紋のように最初は小さいものだった。だがそれは一つ、二つと合わさり、どんどんと大きな波紋の連鎖を生み出していく。


 ――ふざけるなぁぁぁぁ! 俺は、俺達は! 私達はここにいるぞぉぉぉぉぉ!


 狐獣族が、猫獣族が、エルフ族が、ヴァンパイア族が、魔界に住むあらゆる種族がまるで天に己の存在そのものを示すかのように、ひたすら叫んだ。


『ふはは……ハーハッハッハ! いいぞ貴様等! 少しは見れる顔になっているじゃないか! だがまだまだだ! もっとだ、もっと天に叫べ! 貴様達のその叫びを! 怒りを! この魔界中に伝えてみせろ!』


 そうして魔族達が天へ向かって叫んでいると、空にいくつかの黒い影が現れる。


「あいつらだ! 魔人共だ!」

「死ね! 死ね! シネェェェェ!」

「返せ! 家族を返せ! 仲間を返せ!」


 空中で見えない魔力によって磔にされた魔人達は、あらゆる罵声を受けながら恐怖に震えていた。この後何がおこるのか、わかっていたからだ。

 

『我が覇道は黄金の輝きをもって世界を支配する! さあ貴様等、私に付いて来い! この魔界を貴様達の手で取り戻すのだ! その為に光が必要だというのなら、この私が貴様達の太陽になってその道を照らしてやろう!』


 そして、ミストが生み出した巨大な炎の龍が凄まじい熱量を持って魔人達を喰らう。魔族達を虐げ、暴虐の限りを尽くしてきた彼等は、たった一振りの魔術によってその身を消滅させたのだ。


 そしてその炎の輝きは、立ち上がった魔族達の輝きそのものである。


『我が名はミスト……ミスト・フローディア! 天地魔全てを統べる世界の帝王である! 私に付いて来るものは我が名を叫べ!』


 瞬間、大地が爆発したかのような轟音が街中を埋め尽くす。


 ――ミスト・フローディア! ミスト・フローディア! 我らが新しき魔界の王、ミスト・フローディア!


『そうだ! 私だ! 私こそが魔界の王である! さあ行くぞ魔族達よ! 魔界の全ては私と、そして貴様達の物だ!』


 ――ウォォォォォォ


 その歓声は魔界の黒い雲を割り、血のように紅い空にすら亀裂を与えるようだった。


 そんな彼等を見てミストは機嫌良くしながら、背後で身動きを封じられたマルコシアスを見下す。


「どうだ魔人よ。これが、これが本物の支配というものだ」

「あ……あぁぁ、アァァァァ!」


 マルコシアスは目の前の少女に本能的な恐怖を覚えた。あれだけ完璧に心を折った魔族達を、僅かな時間でこうも完璧に己の支配下に置くなど、尋常ではない。明らかに、己とは格が違う存在だと、本能を上書きされたのだ。


「暴力だの、心を折るだの、全く無駄な事をする。支配とはこうして、逆らう者を己の物にする事だ。これから先、あれらの気迫は次の街でも響くだろうな。そうすれば、いずれその波紋は魔界全土へ普及し、我が軍門へと下っていくものさ」


 そしてミストは相手を恐怖に陥れる、歪な笑みでマルコシアスを見下す。


「さて、貴様等は中々いい道化だったぞ。ゆえに、褒美をやろう」

「ひぃぃぃぃ! たすけ! 助けてくだ――!」


 パチン、とミストが指を鳴らす。それにより、彼の言葉が最後まで紡がれる事はなく、その魂に一変まで焼き尽くされることとなった。


 ミストは城壁から叫ぶ魔族達を慈愛の表情で見ていた。


「くくく、あれが我が新しい国民達だと思うと、中々可愛く見えるな」

「そうだな」


 彼女にとって己の支配下にあるものは全て守るべき対象だ。ゆえに、これからは自国民と同じように愛情を持って接することだろう。


「怪我の重い者達も多い。マリア達治療部隊を出してやれ。仮にも元聖女だ。マリアなら死んでさえいなければ何とでもなるだろうさ」

「了解。ミストは?」

「久しぶりに叫んで疲れたから休む。あの魔族達も十分な休養を与えてやれ。これから、忙しくなるのだからな」


 そう言って背を向けるミストを見送り、トールは叫び続ける魔族達を見る。彼等はすでにミストを心酔しているのか、大怪我をしているはずなのに依然としてミストの名前が収まる様子は見られなかった。


 その熱狂的な姿は、暗黒教団の神官達を思わせる。


 そんな事を考えながらトールがマリアの下へ辿り着いた時、彼女はすでに準備を終えているところであった。


「それじゃあマリア。後は任せたぞ」

「分かってるわよ。まったく、アンタといい、ミスト様といい聖女使いが荒すぎるわ」

「信頼してるからな」

「……はいはい」


 トールがそう言うと、マリアは不機嫌そうに顔を歪ませて魔族達の下へと行く。


「さあ、ここからが本番だ」


 それを見送りつつ、トールは魔神がいるであろう東の空を見上げ、これから起こるであろう大戦に覚悟を決めながら、そう呟くのであった。

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