第3話 支配された魔王領を解放せよ! 中編

 マルコシアス率いる魔神軍を殲滅し城塞都市に入ったトール達だが、城内の光景は見るに堪えないほど悲惨なものだった。


 血の沁み込んだ地面。磔(はりつけ)にされ、炎で全身を炙られた魔族。子を守ろうと抱き抱え、その子ごと串刺しにされている親子達。蹂躙という言葉すら生温い、虐殺された街の光景。


「愚かだな……」

 

 苛立っているのだろう。隣に立つミストが顔をしかめながらがそう呟く。その言葉にトールはただ無言で頷いた。


 トールには魔族と魔人の違いは分からない。分かるのは魔族は元々魔界に住んでいた住民。そして魔人は魔界を滅ぼすために魔神に生み出された生き物だということくらいだ。


 そしてこの城塞都市は魔人によって制圧されていた。それはつまり、魔人によって蹂躙された都市である。この都市の光景を見れば、魔人達という存在がいかに残酷な存在か物語っていた。


「おいお前ら。ヤマトとカグヤはまだ城に入れるなよ。この光景は、あいつらにはまだ早い」


 トールは近くの神官に指示を出しつつ再び城内を見渡す。


 すでに戦場に立ち、いずれは知らなければならない事とはいえ、流石にまだ五歳。子供に血と肉で埋もれた大地を見せたいとは思えなかった。


 ここは戦場ではない。厳しい環境の中でも平和に暮らしていた、魔族達の街なのだから。






「あれは……」


 神官達と共に街を調査していると、高い壁で閉鎖されている場所がある事に気が付いた。かなり広い。この城塞都市自体とてつもない広さを誇るが、その五分の一程度はある様に見える。


 囲う壁の上には逃亡防止用の鉄線が張られており、入り口には巨大な檻。


 ――家畜小屋。


 壁にそう書かれた文字が何を意味しているのか、すぐに気が付いた。


「胸糞悪ぃな」


 檻に近づく。男女種族関係なく、裸で首輪だけを取り付けられていた。五体満足な者はほとんどおらず、酷いものになれば顔の半分が焼き爛れている者もいるほどだ。


 街の惨状を見るに、魔人達は残虐な思考を持って魔族を襲っている。魔族から流れる血に何の感慨も持っていないのだろう。


その光景は、人の尊厳を無視したあまりにも惨いものだった。


「おい、あの魔人を連れて来い」


 背後で同じ景色を見ている神官の一人にそう指示すると、すぐにボロボロになった魔神軍の将――マルコシアスを引きずって来る。


「……ぐっ」

「おいクズ犬。これ何だ?」

「オ、俺様は誇り高き魔神軍が将、マルコシアス様だぞ! 誰が下等な人間ごときにこたえ――」


 その言葉を最後まで聞かず、トールはその顎を蹴りあげる。


「――ひぁっ、ひぃぁ、ぁぁぁ」


 抉れた音と共に砕けた牙が地面に落ちる。完全に顎が砕けたのだろう。マルコシアスは口を半開きにした状態で声にならない悲鳴を上げ、鼻水と涙を流す。


「で、これは何だって?」


 しゃがみ込んだトールは地面に蹲るマルコシアスの顎を掴み、無理やり顔を上げさせた。


 砕けた顎は軽く掴むだけでクシャリと危険な音を響かせ、マルコシアスの顔が激痛で歪む。


「ひゃ、ひぁ……」

「ああ、そうか。顎が砕けたら喋れないよな? おいマリア、こいつを治してやれ」


 トールが一人の神官の名を呼ぶと、黒いローブに身を包み、蒼い髪をポニーテールにした女性が近づいていて来る。


「直すんだったら壊すんじゃないわよ馬鹿神官長」


 マリアと呼ばれたは面倒臭そうにマルコシアスに近づくと、砕けた顎を凄まじい速度で治していく。


「あ、あ……?」


 まるで信じられない物を見る目でマルコシアスが女性神官を見る。これほどの治療魔術の使い手、彼が知る限り魔神軍では一人もいない。


 ――自分が今相手にしている者達はなんだ? 絶対の自信を持っていた魔人軍は蹂躙され、己の武は通じず、見たことの無いレベルの魔術の使い手がゴロゴロしているこの集団は、一体何なのだ!?


 もしかしたら自分達は決して手を出してはいけない相手に喧嘩を売ってしまったのではないか。そんな恐怖がマルコシアスを襲うが、考える暇を与えてなどくれる相手ではない。


「さて、これで話せるな?」

「ひっ!」


 ――恐怖。魔神によって生まれ、将として数多の城を落としてきた彼には今まで縁のない感情。それを今、彼は生まれて初めて感じていた。


 だがそんなもの、認められるはずがない。


 魔神によって生み出された彼は、魔人以外の全ての生物は家畜同然の下等なものだ。そんな存在に屈するなど、魔神軍の恥でしかない。


 幸い目の前の相手は油断している。すでに戦場で金髪のメスにやられた傷も、先ほどの回復魔術で治っているのだ。今なら、目の前の男を縊り殺す事が出来るに違いない。


「ふ、ふざけるな! 俺様を、この俺様をコケにしやが――」


 だが、そんな言葉は最後まで続かない。マルコシアスが気付いた時、すでにその顎は蹴り砕かれ、両腕の骨と筋肉は潰されていたからだ。


「……で、何だって?」


 仰向けに倒れる自分を見下ろす、一人の男。その瞳はどこまでも見透かすほどに暗く深い闇色をしていた。


「ひぁ……ふぃ……」


 再び回復魔術がかけられ、強制的に治されていく身体。だがマルコシアスが起き上がろうにも、身体は金縛りにあったように動かない。


 ――起き上がれば、この男に再び身体を砕かれる。


 そんな未来を視た彼は、まるで嵐が過ぎるのを待つ子供のように、身体を震わせ時が過ぎるのを待っていた。


「……立たないのか? だったらその足はいらないな?」

「……え? あ、ぎ……ぐ、ギィャァァァァ」


 マルコシアスの両足が潰れる。何をされたのか分からないまま一瞬呆けたあと、あまりの激痛に天に向けて叫んでしまう。


 そしてすぐに身体は回復魔術によって再生するが、沁み込んだ恐怖と痛みはすでにマルコシアスの心を蝕んでいた。


 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ! もう壊されるのは嫌だ! 助けて! 助けて!


 巨大な頭を抱え、地面に蹲り子供のように泣き叫ぶ。その姿はとても雄々しい勇将とは思えない、あまりにも惨めなものだ。


 そんな彼をトールは冷たい瞳で見下しながら、地面についた指を踏みつける。


「で?」

「ひぃ! ……言う! なんでも話す! だからもう、もうヤメテクレェェェェ!」


 恐怖に負けたマルコシアスが泣きながらすべてを語り始める。


 魔人の目的、下等な魔族達をどう痛みつけたか。そして自分がその行為に対し、如何に愉悦を感じていたか。


 嘘を一つでも言えば体の一部が潰され、そしてゆっくりと回復させられる。肉がひしゃげる感覚を何度も植え付けられ、もはや抵抗する気力は完全に折れていた。


「ゆるして……もうゆるして……」


 心が壊れたようにぶつぶつと呟く魔人を見るトールの瞳には同情などない。当然だろう、この魔人が行ってきたことは、ただただ感情に任せた暴力でしかない。


 ――そうであるなら、同じように暴力によって捻じ伏せられても仕方がない事だろう。


「相変わらず敵には容赦ないわね」

「……悪いか?」

「べつに」


 女性がやや唇を尖らせ、不満そうな顔をしてる。


 男性が多い暗黒教団の幹部を押しのけ、ミスト、トールに次ぐ地位に立つ彼女は、比較的まともな感性を持った暗黒教団の良心ともいえる存在だ。ゆえに、こういった力の差を見せつけるような行為は、あまり好まないのだろう。


「アンタさ、ミスト様がいるときと違いすぎない?」

「いいんだよ。ミストは光だ。そして光が強ければ強いほど、闇は大きくなる」

「その闇がアンタって言いたいわけ?」

「ああ」


 そして出来る限り、この闇はミストに関わらせたくない。


 マリアはそんなトールをじっと見る。


「一応元聖女として言わせてもらうけど、アンタに闇には向いてないわ」

「……なに?」


 マリアの言葉に思わず眉をひそめる。その表情で何を思っているのか分かったのだろう。彼女は呆れた顔をして溜息を吐いた。


「ハァ……ま、それが理解できるならこんな事してないか。だけど覚えておきなさい。私も……それから一緒にされたくないけど他の変態達もみんな、アンタには光の道を歩いて欲しいって思ってることをね」


 ――まったく、せっかく大陸を統一して光の道を歩めてたのに……


 それだけ言うと、マリアは背を向けて歩き出した。


 もうマルコシアスから聞きたいことはすべて聞いた。これ以上この魔人を痛みつける必要も、そして治す必要もなく、彼女の出番もしばらくはない。


 去りゆくマリアを見送り、高い壁に囲まれた檻の先を眺めながら彼女の言葉を考えてみる。


「光の道……ねぇ」


 とても自分がその道を歩けるとは思えなかった。覇道を好み、あらゆる敵を正面から打ち砕いてきたミストとは違う。策略、謀略、暗殺、トールは『生き延びるため』なら何でもやってきた。


 正面から叩き潰せる時でさえ効率を考え、あえて邪道を選ぶのが自分だ。そんな自分が光など、胸を張って言えるわけがない。


 トールは絶望で死人のような目をした魔族達を見て思う。

 

「これが支配?」


 トールは昏い笑みを浮かべ、嘲笑う様に口元を歪めた。


「恐怖で感情を抑えつけ、暴力によって相手を屈服させる……それが、支配だと?」

「ヒィ!」


 そんなトールの表情を見たマルコシアスが怯えたように悲鳴を上げる。


「く、くくく……まったく笑わせてくれるな。魔人ってのはずいぶんとヌルい。支配ってもんを全然わかっちゃいねぇ!」

「な、なんだと……?」


 魔人の将として、考え尽く限り残忍な方法で魔族を苦しめてきたマルコシアスだ。それがまさかヌルいなどと表現される事になるとは思ってもおらず、男の恐ろしさを忘れて疑問を口にしてしまう。


「き、貴様は……貴様は何を言っている!?」

「ん? どうした声を荒げて……まさかこんな雑な支配でお前は満足してたのか!?」


 心底驚いた、と言わんばかりにトールは大袈裟に問いかけた。


「雑? 檻に閉じ込め、服を着る事すら許さず、体も心もこれ以上ないほど傷付け、知性ある生物としての尊厳を全て奪い取った俺様の支配のどこが雑だというのだ!?」


 マルコシアスは叫ぶ。叫ばなければ、その恐ろしさに己の全てを奪われると思ったからだ。


 そんな風に叫ぶ魔人を、トールは下らない物を見る瞳で見下して続ける。


「雑だよ。雑すぎる。なるほどどうやら魔人は支配に関しては素人らしい」


 トールは近づいて来る教団員の気配を感じ、そちらを見る。先頭を歩くのは彼等が主であるミスト・フローディア。大陸を統一し、支配尽した絶対の支配者。


「せっかくだからよく見ておけ。本物の支配者の、絶対的な在り方についてな」


 そう言うトールの姿はマルコシアスから見れば、彼こそ誰よりも恐ろしい本物の支配者にしか見えなかった。

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