55. 夢の先へ続く道

 北海道へ来て数日。

 その日は、上富良野町から、有名な知床しれとこを目指していた四人。


 その日は、運良く晴天だった。先導していたのは夢葉。


 彼女は、旭川から国道333号を通り、遠軽えんがる町、北見きたみ市と抜けて、知床峠の展望台を目指してバイクを走らせていた。


 それでも約5時間もかかるのが、広大な北海道の広さを象徴していた。


 そんな長旅の中、彼女自身は己を見つめ直していた。北海道の雄大な景色と、ゆったりと流れるような時間が、彼女の考えをまとめるのを自然と助けていた。

(やっぱり北海道に来てよかった)


 内心、そう思っていた夢葉には、理由があった。


 将来のことで、散々悩み、結局は明確な「答え」を出せないまま大学を卒業してしまった彼女。

 この北海道行きが、一つの大きなきっかけになると彼女自身が思っていた。


 走りながら、自分の中にある「思い」と「考え」を必死にまとめていた彼女は、途中の休憩でもどこか上の空だった。


 仲間たちがそんな彼女に心配そうに声をかける中、やはり彼女は考え事をやめようとはしなかった。


 最後の最後まで、彼女は「真剣」に悩んでいた。それは己の人生を決める一言だったからだ。


 一生を決める大事な一言。どう言うべきか、どう説明すべきか、友達は納得してくれるのか、親は理解してくれるのか、そんな悩みは尽きない。


 4時間半後。


 斜里しゃり町に着いた夢葉は、知床に行く前に、寄っておきたい場所があったので、そこに向かったのだった。


 小高い丘の上にあるそこに着いてみると、目の前に広がる、そのあまりの光景に絶句していた。


 ひたすら真っすぐな一本の道が、地平線の彼方まで続いており、一度ダウンしてアップした道の先が空に続いているようにも見える。周囲には遮るものが何もなく、道路と道の両脇の木々だけが地平線の彼方まで続いているように見える。


 そこは元々は、名もないただの道だった。何故なら、広大な北海道にはこういう道はいくらでもあるからだ。


 恐らくは地元の人間には「当たり前」すぎて、気にも留めなかったのだろう。


 ところが、北海道を訪れたライダーの間で、密かに人気になり、やがては観光客が訪れるようになった。


 その道のことを、今では、


 天に続く道。


 そう呼ぶ。文字通り、道路が空の彼方、天に続いているように見える。

 全長が約28キロ。つまり28キロもひたすら真っすぐな道だ。


 北海道には、こうした道はいくらでもあるのだが、確かにこのくらい見晴らしいのいい場所で、限定すればそんなにはないとも言える。


 晴天の空の彼方に、一本の道が伸びているようにも見えるそこは、どこか不思議で幻想的にも思える風景をかもし出していた。


「なんじゃ、こりゃ。すごすぎやろ!」

 翠がこの絶景に、珍しいくらいに大げさな大きな声を上げている。


「ホントですね! これは感動です!」

 涼もまた、きゃぴきゃぴとした女子高生のように騒いでいる。


「ああ。こんな光景、ここでしか見られないな」

 怜もまた、シャッターを切っていたが、不意に彼女の視線が夢葉を捕らえる。


「どうした、夢葉? 何だか元気がないな。せっかくこんなすごいところに来たのに」

 そう声をかけられる夢葉だったが、


「いえ。何でもないです」

 思わずそう返していた。彼女の瞳は、はるか彼方を捕らえながらも、心は内面に向いていた。


「そうか? マジで大丈夫か? 体調悪いなら言えよ」

「いえ、大丈夫です」


 なおもそれしか言わない夢葉だったが、怜はひとしきりこの絶景を見た後で、不意に呟いた。


「みんな。明日には帰るぞ」


「えっ」


 驚いたのは夢葉だった。まだ当分はこの北海道にいると思っていたからだ。


 ところが、

「北海道は、ライダーにとって夢のような土地だ。だけど、もう夢から覚める時間なんだ」

 怜がまるで詩でも言うように、格好つけてそう口に出していた。


 翠と涼も残念そうにうなずく中、夢葉だけが反応が違った。


「私は帰りませんよ」

 強い意志のこもった瞳で、彼女はそう告げた。


「夢葉。何を言ってるんだ、お前は?」


「ですから、私は帰りません。皆さんは先に帰って下さい」


「どうかしたのか、お前? なんか変だぞ」


 怜の一言に、夢葉は顔を上げて、彼女の瞳をまじまじと見つめながら、ようやく決意の一言を口にする。

 それは、ずっと秘めていた「思い」でもあった。


「私、決めました。私は『旅行家』になります」


 瞬間、仲間たちの顔色が一気に変わる。翠と涼は青ざめたようになり、

「何言うとるん、夢葉ちゃん。大丈夫か? 旅行家ってどうやって食っていくつもりや?」


「そうですよ。夢見すぎじゃないですか?」


 ところが、そんな仲間たちの声に、夢葉の表情は紅潮し、握りしめた右拳が震えていた。


「私は本気です!」

 珍しく、怒気を現したような声に、静まり返る中、怜だけは違っていた。他の二人は口をつぐむ。


「私、前にソロツーリング中に、西伊豆で旅行家に出逢ったんです。その人は、スポンサーをつけて日本中、いや世界中をバイクで回ってました」


「せやけど、ホンマにそないなこと出来ると思うとるん?」

「そうですよ、夢葉ちゃん。もう少し安定した職業に就かないと?」


 遮るように夢葉を制する二人に目を向け、夢葉は真剣な表情で語りだす。

「出来ます。翠さん、人間、強い『思い』があれば、なんだってできるんですよ」


「それはそうかもしれへんけど……」


「それに涼ちゃん。安定した職業って何? 今のご時世、たとえ大企業のサラリーマンでも、明日のことは誰にもわからない」


「そうかもしれませんけど……」


「ほんなら、スポンサーつけて、旅行家をやろうってのか?」


「そうです」


「せやけどな、夢葉ちゃん」

 なおも、納得がいってないように、怪訝な表情を浮かべる翠に対しても、彼女は真剣だった。


「それに、人生は一度きりですよ。だったら、本当に自分のやりたいことをやらないと損です」

 かつて、旅行家の大垣寛一に言われたことを彼女は思い出しながら、そう言い放っていた。その瞳は力強く、明日への希望の光に満ちていた。


「……そうか。お前が決めたことなら、私は反対はしない」

 怜が夢葉の瞳を真っすぐに見つめる。その瞳の奥に優しい光があるように、夢葉には思えた。


「せやけど、怜」

「そうですよ。大体女の子一人で、旅行家なんて、危険です!」

 翠と涼はまだ納得していないようだったが。


「危険? そうかもしれない。でもね、都会にいたら安全なの? もしかしたら、都会にいたら、ストーカーに襲われるかもしれない。事件に遭うかもしれない。そんなこと考えたら、どこにいたって一緒だよ」


「……夢葉ちゃん」

 もう言葉にならない涼は、それだけを呟いて、しかしながらなおも心配そうに見守っていた。


「ホンマにホンマかいな。まあ、結局は夢葉ちゃんの人生やから、私がとやかく言う筋合いはないのかもしれへんけど」

 翠はそう、自分を納得させるように、自分に言い聞かせるように呟いていたが。


「大丈夫ですよ、翠さん。それに私は『夢』を叶えたいんです」


「夢を叶えたい?」


「ええ。長い間、ずっと悩んでいました。自分には本当に『何ができるか』を。でも、人生ってのは、旅と同じで、悩みながらも『自分の道』を探して、一人で歩くものなんです。だから、この先に何が待っていようと、私は行きます。たとえ、後悔しても構いません。それよりも、この道を選ばなかった方が後悔すると思うんです」

 理路整然と、自分の心情を吐露する夢葉に対し、


「わかった。お前は『自分の道』を見つけたんだな。だったら、私は全力で応援するよ」

 怜だけは、夢葉の覚悟を冷静に受け止めているようだった。あるいは、彼女はこの日が来ることを予想していたのかもしれない。


「怜さん。ありがとうございます」

 二人の中では、すでに心が通じ合っているのか、不思議と怜は反対はしなかったし、夢葉はもう心に決めてしまっていたから、後戻りはできなかった。

 残りの二人も、強い決意を固めた夢葉に対して、それ以上は何も言わなかった。



 その日の夜は、新たな「旅立ち」を決意した夢葉のために、上富良野町のキャンプ場でささやかな「壮行会」が開催された。主賓の夢葉の器には、翠が道の駅あさひかわで買ってきた、北海道の有名な地酒「男山おとこやま」が注がれ、つまみには怜が用意した、北海道産のルイベ漬けが用意された。


 それを口に運んでいると。

「知ってるか? ルイベってのはサケ類などを冷凍保存したもので、アイヌ由来らしいぞ」

 調べものが好きな、真面目な怜がそう一言添えていた。


「へえ。北海道の郷土料理みたいなものですね」


「せやな。この広い北海道は、元々アイヌのもんやもんな」

 そんなことを言いながら、翠が日本酒の「男山」を飲んでいると。


「アイヌってのは、アイヌ語で『人間』を意味するそうだ」

 おもむろに、怜がいつものように、雑学を披露していた。


「人間?」


「そうだ。アイヌってのは、不思議な民族でな。この大自然の中で狩猟や採集をしながら長い間、生きてきたが、自然界にはカムイ、つまり神が宿っていると考えたらしくてな」

 そう言ってから、札幌ビールを口にし、続ける。


「自然界のあらゆるものに『神』が宿ると考えたらしい」


「あらゆるものですか?」

 涼は、セイコーマートで買ってきた、焼きそば弁当を食べていた。ある意味で、これも北海道らしい食べ物と言える。


「ああ。山、谷、海、火、風、動物、植物、道具や衣服にも神が宿ると考え、すべては一時的にアイヌを訪れたカムイが姿を変えたもので、自然と調和し、共存することが一番大事、と考えていたらしい」


「それは素敵な考え方ですね。人間は、何でもかんでも『自然を制して』生きてきた、って考えてますけど、そのしっぺ返しで、最近、地球温暖化したり、自然が猛威を振るってますからね」

 夢葉にとっても、豊富な雑学を持つ怜の言葉は、非常に興味深いものだった。実際に、地球温暖化の影響は大きく、近年、その影響で台風が巨大化したり、異常高温が発生したりしている。


「なんだか、アメリカのネイティブ・アメリカンみたいですね」

 不意に、箸を止めた涼が呟く。


「ああ。確かに近いかもしれないな。でも、ある意味では、それこそが最も『人間』らしい生き方なのかもしれない」


「怜は、相変わらず変なところで真面目やんな」

 翠は、そう言って笑っていたが、夢葉は、


(人間……か。今の日本人は特に、「仕事」に取り憑かれてるからな。本来、アイヌみたいな生き方が一番好ましいのかもしれない。いい話を聞けたな)

 密かにそう思って、怜に心の中で感謝していた。


「それで、夢葉ちゃん」

 不意に翠が口を開く。


「はい」

「旅行家になって、まずは何をするんや?」


 そう聞かれた夢葉は、心の中で密かにやってみたかったことを正直に吐露する。

「日本一周です」


 そう聞いた時の三人の表情は、それぞれ違っていた。

 怜は驚きもせずに、表情が変わっていないように見えたし、翠は驚きながらも、何となく諦めたような表情。そして涼は人一倍心配そうな顔つきをしていた。


「いいんじゃないか。むしろ、私は羨ましい」

 怜はまるで後押しするかのように、そう言ってくれるのだった。内心は、怜もやりたかったのかもしれない、と思えるほどだった。


「まあ、定番っちゃ定番やけどな。ホンマに気ぃつけるんやで。若い女の子一人なんやから。世の中、悪い男がおるさかいな」

 翠は、まるで母親が娘を心配するかのように、優しげで、しかし心の底から彼女の身を案じているような口ぶりと表情だった。


「本当に気をつけて下さいね。でも、日本一周ってどこを回るんですか? 世界一周なら一回りすればいいので、わかるんですけど、日本って平面じゃないですか? 海岸線をひたすら回るんですか?」

 涼は、どうもその辺りが気になるようだった。


 だが、それについては、夢葉自身も考えていた。つまり、ひたすら海岸線を回れば確かに「日本一周」になるかもしれない。

 だが、それだと、本当にただ「回った」だけになってしまう。


 だから、彼女の回答は。

「涼ちゃんの言いたいことはわかるけど、私はゆっくりと味わいながら、適当に円を描くように回るよ。厳密に、海岸線を全部、制覇する必要なんてないと思うし」


「そうか。まあ、がんばれよ」

 怜はそれだけを言っていたが。


「せやな。体には気をつけるんやで。あと、SNSにアップしたり、動画サイトにアップしたりしてくれれば、見るで。カンパもしたるか?」

 翠は、本当に心配しているのか、金まで出そうとしていたが。


「大丈夫です、翠さん。お金の問題は何とかしますから」

 夢葉は、力強く答えていた。


「日本一周するなら、バイクは絶対スーパーカブがいいですよ。頑丈ですし、汎用性もありますからね」

 涼は、やはりカブ乗りらしく、カブの素晴らしさをその後、時間をかけて力説してくれるのだった。

 それを聞いて、改めてカブとは素晴らしいものだ、と夢葉自身も思い直すようになっていった。


 こうして、楽しい「最後の晩餐」は夜遅くまで続けられた。



 翌日の夕刻。四人は苫小牧フェリーターミナルにいた。

「ホンマに大丈夫か? 何かあったら、遠慮のう言うんやで」

「そうですよ、夢葉ちゃん。気をつけて下さいね」

 翠と涼がなおもしばらくここに残るという夢葉を、心配そうに見つめる。


「大丈夫ですよ。もう少し見たら、一度ちゃんと帰りますから」

 そう返していた夢葉。


 彼女は、もうしばらく北海道にいて、色々と一人で見て回った後、一度埼玉県の実家に戻り、ちゃんと両親に話してから、スポンサーをつけて、準備をして、準備が整ってから、正式に「日本一周」を開始することを告げていた。


 それはいつになるかわからない。秋が来て冬になれば、この北海道は雪に覆われ、バイクで走ることはできなくなる。その前に北海道をもっと見ておきたい。それが夢葉の密かな希望でもあった。


「夢葉」

 怜が彼女の前に歩み出る。


 思えば、彼女との出会いが、すべての「始まり」だったと思うと、感慨深い思いがする夢葉であったが。


「怜さん」


「お前はついに『夢の葉』を広げたんだな。がんばれよ」

 と怜は、いつものように、気障きざにも思えるセリフを吐いたから、夢葉は思わず相好を崩していた。


「相変わらず、気障ですね。怜さんってホント、イケメンですね」


「お前なあ」

 笑い合う二人は、互いにもうずっと前から親友のように思えるほど、心が通じ合っていた。


 最後に、夢葉はみんなに対して、まるで何かを悟ったような、解放感すら感じさせるような、清々しい笑顔でこう告げた。


「Let's enjoy your life. 人生を楽しもう、ですよ。皆さん、人生は一度きりなんです。後悔のないように生きましょう」

 それが、夢葉と彼女たちとの別れの言葉になった。


 やがて、フェリーに乗り込んだ三人と地上で見送る夢葉が、距離を置いて向き合う。フェリーのデッキから、手を振る怜、翠、涼の三人を見送り、フェリーが海の彼方に消えるのを見届けた後、夕焼けに染まる西の空を眺めて、彼女は愛車のレブル250のエンジンをかける。


 ――ボルボルボル!


 重低音のエンジン音が夏の夕空に響き渡る。

 一人になった、彼女はこの日は宿に向かうつもりでいたが、翌日にはどうしても行きたい場所があった。それは最北端の岬、宗谷岬だった。


 日本の最北端、てっぺん。そこでせめて自らの「誓い」をしてから帰ろう、と。


 ――ブォォォーーン!


 真夏の苫小牧の西日を浴びながら、夢葉は一人、北海道の大地を走り出した。


(まずは日本一周。その後は、ユーラシア横断、そして世界一周かな)

 彼女は、同時に思うのだった。


(バイクは、涼ちゃんが言うように、スーパーカブの方がいいかも。耐久性が高いし、汎用性もあるし、丈夫だし、お金かかんないし)

 スーパーカブのことを教えてくれた涼、そしてそのスーパーカブで日本を、世界を回っていた大垣寛一。


 彼らに感謝しながらも、今はまだレブルを慈しむかのように走っていた。


 夢葉は同時に、日本一周に旅立つ前に、もっとバイクのメンテナンスについて勉強しようとも思い直した。


 誰にとっても、「人生は一度きり」。夢葉という、風変わりな名前を持つ彼女は、人生を「バイクと旅」に賭けることを決意した。


 彼女は、ついに「夢の葉」を広げた。それはこれから続く人生の「夢」をバイクと旅に捧げるための「葉」を広げる旅だった。


 夢葉の「夢」は果てしなく、どこまでも続く北海道の道のように続いていく。その先に「夢の先へと続く道」を求めながら。


(完)

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