20. 霧と行き当たりばったりと

 11月中旬。

 夢葉は、怜と翠と三人でまたツーリングの約束をしていた。

 場所は、またも長野県だったが、今回は軽井沢から長野市方面だった。


 そのため、三人は前回のバイク屋ツーリングイベントと同じ「道の駅 八王子滝山」に集まった後、圏央道のあきるのインターチェンジから高速道路に乗り、関越自動車道を経由し、埼玉県、群馬県から軽井沢を目指すことになった。


 バイクという乗り物は、軽快だし、快適な面もあるが、その反面、非常に「敵」が多い。環境に大きく左右されてしまう乗り物だ。

 夏は暑いし、冬は寒いし、雨が降ったら濡れるし、疲れればそれだけ事故を起こす確率も上がるし、厄介な乗り物だ。


 そして、今回、彼女が経験したのは。


「うわぁ。全然、前が見えない!」


 夢葉は圏央道を北に進んでいたが、すぐに視界が真っ白に遮られ、前方が極端に見えなくなっていた。わずか数メートル先がもう見えない有様だった。

 前を進む緑のZX-10Rのテールランプだけを頼りに、なんとか離れないように進むしかなかった。先頭を進んでいるはずの怜のバイクは視界にすら入っていなかった。


 そう、もう一つの敵、それは「霧」だった。

 ちょうど秋が深まる11月中旬から下旬にかけて、たまに発生する。


 前日は移動性高気圧に覆われて、穏やかに晴れていたが、地表面から空に向かって熱がどんどん放射され、地面近くの空気が冷たくなる。

 こういう時の早朝などによく霧が発生する。

 特に盆地などは発生確率が高いが、埼玉県はある意味、盆地に近い部分がある。


 そして、出発したのは早朝の6時だった。気象条件がばっちり合ってしまい、周囲には視界がほとんど見えないくらいの深い霧が発生していた。


(とにかく気をつけて走らないと、怖くてしょうがないな)


 と、思いながらも、夢葉は何とかZX-10Rについて行く。

 気をつけなければいけないのは、前後もそうだが、左右だ。

 視界が極端に悪いと、横に車が来ていても気づかない可能性もある。


 むしろ、こういう時は無理に車線変更をしない方がいいと、夢葉は思い、ゆっくり走っていた。


 ただ、朝霧が発生すると、日中は晴れると言われる。

 それに高速道路なので、そのうち関越自動車道に入り、埼玉県と群馬県の県境近くの上里かみざとサービスエリアに着いた頃には、ようやく霧が晴れてきていた。


「すごい霧でしたね」

 バイクを降りて、ヘルメットを脱いで、開口一番、夢葉は隣にいた怜に呟いた。ヘルメットが雨露で濡れている。


「ああ。久しぶりに見たな、あんな霧」


「まあ、最初だけやろ。今日は晴れる予報やで」


 怜も翠も特段、霧を気にしている素振りは見せていなかった。この辺りが夢葉との経験値の差なのかもしれない。


 上里サービスエリアからは再び高速で長野県を目指すが、上信越自動車道に入り、松井田妙義まついだみょうぎインターチェンジで降りて、国道18号を通るが、先頭を走る怜は横川の辺りから、真っすぐ伸びるバイパスの国道からそれ、旧道の国道18号に入った。


 ここからはカーブのきつい山道が連続し、古来より「中山道なかせんどう」と呼ばれたルートで、碓氷うすい峠を経て、軽井沢にたどり着く。


 が、その前に怜が行きたい場所に立ち寄ることになった三人。


 それは。


 まるで古代ローマの建築物のような、古い赤銅色のアーチ橋が秋の青空に映えていた。山道の中に突如、姿を現すその圧倒的な存在感、質感、そして美しさに、初めて見る夢葉や翠は、しばし立ち尽くしていた。


 碓氷第三橋梁うすいだいさんきょうりょう。通称「めがね橋」とも呼ばれる橋だった。


「ほう。これは見事なもんやな」

 翠が携帯カメラで盛んに写真を撮りながら、声を上げる。


「本当ですね。これはキレイです。怜さん、来たことあるんですか?」

 夢葉も同じように携帯で写真を撮りながら怜に尋ねると、


「ああ。昔、ちょっとな。群馬県はよく走ったから」

 と意味深なセリフを吐いていた。


 そういえば、群馬県は、走り屋が多く、有名な車の漫画の舞台にもなっていたような、と思い出す夢葉。

 それと、怜の走り屋気質が合致しているような気がした。


「ここには、昔、鉄道が走っていたんだ」


 この大きな橋の上は「アプトの道」と呼ばれ、歩くことができるようになっている。その上を歩きながら、怜が珍しく饒舌に語りだした。


「国鉄の横川から軽井沢まで、昔は信越本線が走っててな。1893年に、このレンガ式の橋が出来て、アプト式っていう登山鉄道によく使われる鉄道方式だったらしい」


「なるほど。だからここ『アプトの道』って言うんですね」


「つーか、怜。なんや『鉄ちゃん』みたいやな」


 二人は怜の意外な一面に妙に感心していたが、怜は冷静な口調で続けていた。


「この辺りは興味深いぞ。もう少し先に行くと、旧熊ノ平駅ってのもある」


 なんだか怜の知られざる意外な一面を見た気がして、夢葉も翠も物珍しそうに、怜の横顔を見つめていた。



 その後、碓氷峠を越えて、軽井沢市街地に入った三人は、バイクを停めて、軽井沢銀座商店街を中心に歩き、シャレたカフェに入って、紅茶を飲んだり、クレープ屋でクレープを食べたりしたのだったが。


 楽しそうにはしゃぐ、夢葉や翠に対し、怜はどことなく不満そうな表情をしていた。そのことに気づいた夢葉。


(あれは、きっとタバコを吸えないからだな)


 この辺りは軒並み禁煙だったため、そう思っていたが。


 実際の怜は。タバコを吸えないイライラはもちろんあったが、それ以上にこのいかにも女子向きなオシャレ感丸出しの雰囲気が気に入らなかった。


(相変わらず軽井沢の、こじゃれた感じが好きになれねえな。私はもっと男らしい店の方がいいし、走っていた方がいい)


 食後、真っすぐに長野市を目指すのかと思っていた夢葉と翠に対し、先導していた怜は、いきなり、


「予定を変えた。ついてこい」


 と言っただけで、TZRを急発進させていた。


 彼女は長野市方面に真っすぐ向かう国道18号からそれ、北に延びる国道146号を走り出した。


 軽井沢特有のペンションや別荘、ホテルを横目に森の中を抜け、山道に入っていく。そこは再び「群馬県」だった。


 群馬県をよく走ったという彼女が1時間ほど走って、バイクを停めた場所。

 そこには。


 つまごいパノラマライン


 と書かれた看板があった。


 そう、ここは群馬県嬬恋つまごい村。

 つまごいパノラマラインとは、この辺の広域農道で、北ルートと南ルートに分かれている。


 全体が約30㎞の道路で、嬬恋村の中央周辺の山裾に沿って、ほぼ2/3周する経路を取る。

 そして、この辺りは交通量が少なく、絶景が広がり、沿道にはキャベツ畑が広がる、人気のドライブコースだった。


「ここは、ある意味、穴場のツーリングコースだ。個人的には北ルートの方がオススメかな」


 ヘルメットのシールドを上げて、怜が声を上げる。


「じゃあ、行くぞ」


 早速、怜に従って、翠、夢葉の順に走る。


 北ルートは、緩やかな丘陵地帯に心地よいワインディングロードが続き、遠くに浅間山を見ながら走ることができ、適度なアップダウンもあり、道幅も広く、快適な道である。


(すごい! まるで北海道みたい!)


 初めて来る夢葉は感動しながら、この絶景を見ていた。キャベツ畑の向こうに浅間山が見え、パッチワークのような丘が、まるで夏に行った北海道を思わせるような風景だった。


 だが、ここはあくまでも「広域農道」。実際、交通量は少ないが、たまに地元のトラクターが走っている。


 大型バイクには垂涎の道だが、スピードの出しすぎも危険な一般道だ。


 やがて着いたのは、「愛妻の丘」と呼ばれる展望台だった。


 バイクを降りて、展望台に向かう三人。


「すごいですね! まさに絶景です!」


 その目の前に広がる丘と山と畑の、のどかな風景に夢葉は大げさなくらい感動していたが。


「まあ、ええ景色やけどな。ただ、この『愛妻の丘』っちゅうネーミングは何とかならへん? なんや虚しくなってくるやん」


 翠は、妙に穿った見方で、この丘の名前を気にしていた。もちろん、大学生の三人は、いずれも結婚などしていないのだが。


 小休憩の後、向かったのは、同じく「つまごいパノラマライン」の南ルート。


 国道144号を越えた先から南側がこの「南ルート」で、こちらは北ルートよりも短いが、穴場感がある。


 どちらかというと「ツウ好み」なルートで、山岳路が中心で、カーブも多いが、ふと丘陵の合間から覗く遠望感は、北ルートよりもむしろ豪快な感じすらするルートだ。



 ようやく長い、つまごいパノラマラインを走り抜け、再び国道406号から、今度こそ長野市に向かうと思っていた二人だったが。


 途中、鳥居峠を越えた後、真っすぐに国道406号を進まず、国道144号を上田市方面に向かって走る怜。


 その後ろ姿を眺めながら、


(怜さん。一体どこに向かってるんだろう?)


 そう思いながらも、内心はドキドキ、ワクワクするような胸の高揚感を感じていた夢葉。


 やがて、怜は国道144号を上田市中心部に着く前に右折して、さらに険しい山道に入って行った。


 だんだん人家がなくなり、深い森だけが辺りを包む、険しい山道になっていく。

 内心、夢葉も翠も少し不安になっていたが。


 着いた先にあったのは。


 地蔵温泉


 という場所にある、とある日帰り温泉施設だった。


 こんな山奥に温泉があるとは思わなかった夢葉だったが、この秘境感が逆に新鮮な感じがしていいとも思った。


 何よりも、バイク乗りと温泉は相性が抜群にいい。


 しかも、朝から霧に遭い、秋の涼しい、というか肌寒い山道を散々駆け抜けてきた彼女たちだ。


 温泉は、ツーリング後の最高の贅沢とも言える。


「ふわぁ。なんだか眠くなってきますねえ」


 風呂で湯に浸かりながら、夢葉は大きなあくびをしていた。


「やっぱ、ツーリング後は温泉だな」


 怜は頭にタオルを巻いて、長い髪を束ねていた。


「せやな。もう長野市まで行かなくてもええわ。ここで寝て帰らへん?」


 翠もすっかり温泉に心を動かされ、幸せそうな顔で湯に顔を半分くらいまで浸けていた。


 結局、長風呂をした後、風呂上りにサウナにも入り、さらにここで遅い昼食を取って、食後にそのまま休憩室で3時間ほど寝てしまった三人だった。


 起きた時には、時刻はもう夕方近く。


「長野はまた今度でええやん?」


 翠はもう帰る気満々の様子だった。


「そうだな。行き当たりばったりも旅の楽しみだ」


 妙に達観したような表情で、怜はそう言った。


「ですね。結構行き当たりばったりでしたが、楽しかったですよ」


 温泉に浸かり、眠ってすっかり疲れが取れたような、すっきりした顔をしている夢葉。


 だが、この時期の温泉は確かに素晴らしいが、バイク乗りは帰り道もまた寒い中、帰らないと行けないのだ。


 「家に帰るまでがツーリング」と言うように、最後の最後まで気が抜けない。


 結局、当初の目的地だった長野市には到着もせず、上信越自動車道、関越自動車道、圏央道と帰り、自宅近くで解散した彼女たち。


 ただ、夢葉は、旅の魅力について、改めて考えさせられた気がするのだった。

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