第44話 砂上の戦い




 人間の書いた小説は、いつも弱い者が強い者に打ち勝つという展開になっている。

 知恵を絞ったり、修行をつけたり、仲間と結託したり、そうして強大な絶対的な敵を打ち倒すのだ。


 ――そんなこと、いつもいつもうまくいくわけがない


 どれほど努力しても、元々の能力値の限界がある。

 才能とは絶対的な物だ。

 どれだけ努力しようとも、たどり着けないものがある。治癒魔術が使えない僕は相変わらず、何をどうしても小さな傷すら治すことは出来ない。


 ――どうしても、成しえないことは、成しえない


 だから、僕はクロエに一撃たりとも受けるわけにはいかない。

 腹部や脚に大きな傷を負えば、立ち上がることすらできない。そうすれば視界の範囲に制限がかかり、死角からの攻撃に対して対応が困難になり、突如として不利になってしまう。

 そう解っている分、防御に回りがちだ。

 しかし、防御ばかりしていても勝てない。


 ――クロエ……


 僕が魔術式を構築すると、僕の身のの周りに水の柱が渦を巻きながら巻き起こった。


「水? おいおいノエル、いくらなんでも自殺行為だぜ!?」


 バチバチバチッ!


 音を鳴らしながらクロエが僕に電撃を打ち込む。僕の水の柱はクロエの電撃をまともに受けた。


「ノエル!」


 遠くからシャーロットの叫び声が聞こえた。


「なにっ……」


 ザァーーーー……バシャン……


「不純物を含まない水に絶縁性があることを知らなかったのかな」


 僕は水の弾丸をクロエに向かって打ち込む。

 しかし、元々の身体能力の高いクロエはそれを見切って左右によけながら僕の方へ向かってくる。


 ――体術戦になったらまずい


 砂の壁を生成し、クロエとの距離をとろうとする。魔術を使いながらかわすための正確な動きをするのは難しいだろう。

 周りにいくらでもある砂を使って壁を生成する。しかし強度はない。クロエは巧みに身体を翻して魔力を温存している。


 ――僕との魔力の差は明らかだからな……ただのバカではないか……


 僕との距離はせいぜい5メートルもない。

 水は常に僕の周りを柱になって回り続けている。一先ずは砂に水を含ませ、砂の殻を作る。


「引きこもるなんてお前らしくないぞ、ノエル!」


 外からクロエの声が聞こえる。

 どう考えてもクロエは防御型ではない。

 超攻撃型だ。

 それも、体力的は僕よりも豊富にある。疲れさせるのも容易ではない。


 ――ザリッ……ザリザリッ……


 砂の表面をクロエが触っている音がする。

 僕が音を頼りにクロエの位置を特定し、その砂の表面を鋭利な棘にして幾重にも突き出した。柔らかいものを突き破る手ごたえがあった。


「ッつぅ……」


 肩、右耳、左腹部に砂の棘がかすったクロエは痛みに顔を歪ませながら後ろへ下がった。

 砂の殻の隙間からクロエを見ると、肩と腹部はそれほど深い傷ではなくかすり傷程度。

 右耳の辺りからは酷く出血している様子が見えた。

 僕はクロエに聞こえるように話す音を収束させてクロエに話しかける。


「クロエ、聞こえる? 大丈夫、右耳はシャーロットに治してもらえるよ」


 半ば殺そうとした相手に対してこんな優しい言葉をかけるのは物凄く違和感がある。


「流石に聞いたぜ……ジャリジャリする……あと少し避けるのが遅かったら死んでたかもな……」


 やけにクロエは落ち込んでいるような表情をしているのが見えた。

 少し伸びた前髪で目元が隠れている。クロエの背中を太陽が照らして丁度顔は日陰になって、尚更暗い表情をしているように見えた。


「痛い? 僕はそれよりもずっと痛い思いをしてきたよ」

「知ってる……改めて言われなくてもな……」

「クロエはどんな思いをしてきたの? 僕と夜半を共にしたらその苦しさは和らぐの?」

「…………そうかもな」

「なら、僕に勝たないとできないよ。手加減してたら勝てないからね」


 クロエが手加減をしていることくらい、始まってすぐに解った。

 彼が本気を出したなら、僕はアナベルのように一瞬で炭にされていただろう。


「はっ……そうだな」


 僕の言葉で何かが吹っ切れたのか自分の血を振り払い、クロエは先ほどまでの迷いのある表情から覚悟を纏った表情へと変わった。




 ◆◆◆




【クロエ 現在】


 何度夢見た事か。

 何度、狂おしく思ったことか。


 その赤い髪。

 その赤い瞳。

 その燃えるような赤に映える白い肌。

 滑らかな感触、光に反射する美しい色彩。


 あどけない表情は曇ってしまったが、それでも美しい彼女。

 他の魔女とは違う。何もかもが違う。魔族でありながら、魔女でありながら、誰よりも神聖に見えた。

 何度触れたいと願ったことか。

 何度身体を重ねたいと願ったことか。

 どれほど俺がノエルを求めていたのか、ノエルに理解してほしい。ノエルをもっと知りたい。どんな些細なことでもいい。


 ――ノエルがほしい


 どんな屈辱にも耐えてきた。

 何度も何度も魔術の練習を影でしてきた。恐れられ、迫害されるほどの実力のあるノエルをそばに置きたいと思った。

 それには自分が強くなるほかない。

 弱い自分にノエルは見向きもしないだろう。


 ――そう思っていたのに……


 ノエルが好きになったのはただの人間だった。

 何の力もない、俺が少し魔術を使ったら死ぬような弱い存在だった。それを、庇護欲とでも言うのだろうか。

 それでも、ずっとノエルを追ってきた俺を差し置いて、横からかっさらうようにノエルを持って行った人間に対して憎いと感じる。

 力づくでノエルを自分のものにしようとしても、ノエルは全く自分に見向きもしない。


 ――……一度でいい。一度でも抱けばノエルも気が変わる


 一縷の望みに縋るような思いだった。

 そして今、ノエルと向き合っている。俺が勝てばノエルは一晩俺の腕の中で俺のものになると言った。

 そうだ。

 これは最後の機会。


 ――俺は負けねぇ……絶対に……ノエルを俺の女にする……


 ノエルの一撃を受け、右耳はよく聞こえない。前方にザラザラと動き続ける砂の球体があるだけだ。その中にノエルがいる。


 ――雷が効かない砂の中にいられたら俺は何もできねぇ……迂闊に近寄るべきじゃなかったぜ……


 心のどこかで、ノエルは俺に刃を向けないとタカをくくっていた。殺す気はないと。それでも、さっきは砂の表面の魔術の感知が遅れたら内臓に砂の棘が突き刺さっていた。

 右耳の方は右目に突き刺さるところだった。


 ――いや……右目だけならまだしも、脳に達していたら俺は即死だったかもしれない……


 本気で俺を殺そうとしたのか? と、考えるものの、ノエルから殺意のようなものは感じない。

 だが、殺すのに殺意なんていらない。

 いつも息をするように殺しをするゲルダを見てきた。何人もの魔女が、大した理由もないのに目の前で殺されて行った。

 俺も逆らえばそうなるのだと、ゲルダに逆らうことは出来なかった。いくら俺が貴重な男の魔女だと言えど、ゲルダは見限れば容赦しない。

 そういう演技だったのか、それとも本心だったのか、ゲルダは俺に惚れている様だった。


 ――ちがう……惚れていたわけじゃない……


 体のいい玩具が手に入っただけだった。

 無理な交配はなんどもあった。血の濃さから奇形児が生まれたこともあっただろう。しかし、処分することによってゲルダは隠し続けていた。

 心のどこかで、その冷徹なゲルダとノエルは重なる部分があると感じる。時々見せる冷たい表情はどこか似ている。

 そんなことをノエルにつけられた傷口を押さえながら考える。


 ――今は集中しねぇとな……


 俺はノエルの防御壁を崩す術を考えた。

 砂に絶縁体の水……すべての破壊の魔術系統を使えるノエルが相手だ。たたみかけられたらマズイ。


 ――策がねぇなんて言いながら、あの調子で魔術で防御されたらここじゃ抵抗できねぇ……


 考えている内に、魔術式が素早く構築されるのが見えた。そこから砂の弾丸が幾重にも跳んでくる。背後に回転しながら避けると同時に、今度は跳んだ先に水柱が立ち上り俺は足をとられた。

 素早く水を蹴り上げ逃れる。

 その際にわずかに残った水が凝固し始めるのが見え、慌ててその水を高速に移動し振り払った。


「いつまで閉じこもってるつもりだ!? そんな勝ち方でゲルダに勝てると思ってるのか!?」


 力で押し切るしかないと考えた俺は、アナベルに向けたようないかづちを当てた。すさまじい音も左耳でしか聞こえない。

 ノエルなら防ぎきるだろうと信じての威力だ。並の魔女なら防御する間もなく絶命するだろう。

 砂の殻が跡形もなくなっていて、且つそこには大きなくぼみができていた。

 ノエルの姿や、ノエルの遺体がある様子はない。


 ――どこだ?


「こっちだよ」


 声は後ろから聞こえた。それと同時に両腕が焼かれる感覚に襲われる。あまりの熱量と痛みに何かの冗談なのではないかという考えが脳裏に巡る。

 こんな痛みは感じたことがない。


「いつまでも閉じこもってるのは、僕の方じゃないだろ?」


 ゲルダのいる街を滅ぼす手前だった魔術と同じ高熱量の光線だと気づいた瞬間に、俺は自身を雷に変化させて腕を切り落とされるのを逃れた。


「自分の殻に閉じこもり続けてるのはクロエでしょ?」

「俺は……閉じこもってなんかいねぇ!」


 素早くノエルの声のする方に向き直り、立っているノエルの背後へ一瞬で回り込んだ。

 ノエルは反応できていない。

 俺がどこにいるか追えていない。


 ――両腕を切り落とせば大人しくなるだろ……!


 雷の刃をノエルの腕に叩き込む。手ごたえがあった。これなら決着がついただろう。

 そう思ったが、ノエルの腕はついたままだ。水の膜が腕の部分だけに器用に巻き付けている。まるで俺が腕を狙うと解っていたかのようだった。

 他の身体の部分には水は存在していない。


「考えが甘いんじゃない?」


 ふり返ったノエルの赤い目と目が合う。その冷たい視線に俺は息をのんだ。

 怒っているような目だった。

 心底俺にがっかりしているような、失望しているような目に見える。


 ――どうしてだ……どうしてそんな冷たい目で俺を見るんだ……


 心の奥からどす黒い感情が湧き上がってくる。

 深い悲しみとも、激しい怒りとも、永遠の苦しみを与える憎しみとも取れる感情。


 ――お前だけには、俺にそんな目を向けてほしくない……


「そんな目で俺を見るなよ……」

「………………」


 それでもなお、ノエルはその突き刺すような冷たい目で俺を黙って見つめた。

 まるで「いつでも殺せる」と目で訴えてきている様だった。


 ――お前にとって俺は、死んでいても生きていてもいい、どうでもいい存在なのか……?


 考えるほどに、視界が歪むほどの激しい感情に飲み込まれて行く。


「見るなぁッ!!!」


 ドォオオオオオオオオオオオン!!!


 自分でも制御できない轟雷が鳴り響く。

 あの日、幼い俺が逃げた先で周りの木々をなぎ倒したときのように。

 間髪入れずに俺は何度も周りに轟雷を落とした。あの冷たい目から逃れる為に俺は必死にもがくように魔術を行使する。


「はぁ……はぁ……」


 俺が息を整えて砂煙が消えるのを待った。

 嫌な汗をドッとかいている。それは砂漠と太陽の熱さで出た汗ではないことだけは解った。

 魔術を半ば暴走させ、ノエルがどうなってしまったのか全く分からない。


「ノエル……どこだ?」


 もう右耳や脇腹の傷の痛みすらぼんやりとしてきている。そんなことどうでもいい。ノエルがどうなったのかだけが俺の気がかりだった。

 その中、シャーロットの声が聞こえてきた。


「ノエル! しっかりしてください! ノエル!!」


 砂煙の中からシャーロットの叫ぶ声が聞こえて、俺は心臓を掴まれたような焦燥感と嫌悪感を覚え、目をせわしなく左右に泳がせた。


 ――なんだ……この焦った声は……


 その焦った声の理由を、俺は煙が晴れた時に理解した。


「……ノエル……」


 そこには半身が焼け焦げて息をしていないノエルの姿があった。

 俺は知っている。

 何度も何度も、そのような状態になって絶命している魔女を見てきた。


 ――助からない……


「あ……あぁ……あぁあああぁああッ!!!」


 俺は、自ら終わりのない地獄に足を踏み入れてしまったのだと、正気を保つことができなかった。

 泣き叫んでも、ノエルが息を吹き返すことはない。

 そうして膝をついて、暫く俺は声にならない声で叫び続けた。シャーロットの声も、他の魔女の声も聞こえない。

 意識すら確かに保つことができない。それが一瞬なのか、永遠なのかもわからない。

 叫びすぎた俺は、喉が枯れ、息が乱れ、意識が乱れ、どうすることもできなかった。


「ノエル……俺が悪かったよ……俺が……ずっと…………ずっとお前に言えなかった……嫌われたくなかったんだ……」


 嫌われたくないと願うけれど、それでも俺の意思に反してノエルはどんどん俺から離れていってしまう。


「冷たい目で俺を見ないでほしかっただけだ……」


 ノエルに嫌われたら、今まで生きてきた糧が全てなくなってしまう。これからどうしたらいいのか、解らなくなってしまう。

 聞かれることのない懺悔を懸命に絞り出す。


「ノエル……俺の負けで良いから……いなくならないでくれ……」


 なんて都合のいい話だろうか。

 自分で手にかけておいて、いなくならないでほしいなんて虫のいい話……。

 これで計画も総倒れだ。ノエルなしでゲルダを何とかできるはずがない。

 一時の俺の感情で何もかもが台無しになってしまった。


「セージのこと……ずっと後悔してたんだ……俺が悪かった……お前から大切な人を奪ったのは俺だ……ノエル……」


 今更、こんなことを言ってもノエルは聞いてくれない。

 笑ってもくれないし、言葉をくれることもない。

 怒ってすらくれないのだと考えると、吐くものもないのに俺は嗚咽した。


「本当に負けで良いの?」


 ノエルに駆け寄っていたキャンゼルが俺に対してそう言ってきた。


「負けとか勝ちとかじゃねぇだろこんなの……俺が悪かったよ……負けだ……生きていてくれなきゃ……俺の負けだ……」

「そう……」


 キャンゼルは半身が焼け焦げてしまっているノエルの傍らから立ち上がり、俺の方へ歩いてくる。


 ――俺を殺すつもりか? まぁ……もうどうでもいい……


 俺は目を閉じた。

 閉じると同時にポタポタと乾いた砂に涙が落ちる。


「じゃあ僕の勝ちだね」


 ――……?


 今、確かにはっきりとしたノエルの声が聞こえた。

 俺の視界が歪み、景色がゆっくり変わって行く。俺はノエルの前にひざまずいていた。彼女は無傷だ。


「ノエル……?」


 いや、さっき明らかに半身がアナベルのように炭になって、絶命してしまっていたはずだ。

 シャーロットが叫んでいた声はまだ記憶に鮮明に残っている。


「僕の勝ちだね、クロエ」

「何が……どうなってるんだ……?」


 更に涙が流れていく。

 悪夢から覚めた安堵を噛みしめながら涙を流すように、心臓が激しく脈打ってるのが聞こえてくるようだ。


「幻覚魔術だよ」

「幻覚魔術……じゃあ、お前は本物なんだな?」

「そうだよ。触ってみる? 焦げてないよ」


 ノエルの差し出された手の肌に触れてみると、なめらかな感触がした。ざらざらした炭の感触ではない。

 何度も俺はその手を確認するように触れる。

 その手を自分の頬に持ってくると、暖かかった。その手に涙が伝っていく。ノエルは俺の様子を見ていた。あの冷ややかな目ではない。

 いつもと同じ、優しい目だ。


「悪い冗談だぜ……勘弁してくれよ……」

「そんなに怖かった?」


 なんの悪びれもなくノエルはそう言う。


「何もかもが終わりだと思った……」

「そう……うわっ!」


 俺はノエルの手を引っ張り、抱きしめた。

 強く抱きしめると、暖かさを感じた。生きている暖かさだ。焼け焦げて嫌な匂いもしない。手入れしていないが綺麗なままの赤い髪を確かめるように撫でる。


 ――本当に良かった……


「おい、貴様……!」

「ガーネット、いいから。少しだけだから」


 泣きながら抱きしめる。

 みっともないとも感じたが、どうしても悪夢を完全に消し去ってしまいたかった。

 吸血鬼は不満そうな顔でこちらを見ている。


「酷すぎるぞお前……ッ……俺にお前を殺させるなんて……」

「でも、それは自分の意思だったでしょ?」

「俺がお前を殺したいわけないだろ……お前が冷たい目で俺を見るから……お前にそんな目で見られたら生きていけない……」


 ノエルはそっと俺から離れた。俺から離れて俺の目から流れる涙を指ですくってくれる。


「僕がいなくてもクロエは大丈夫だよ」

「お前がすべてだ、お前がいないと俺は生きていけない……」

「他にも生きる目的はあるよ」

「ねぇよ……お前なら俺の気持ちが解るだろ……?」


 そう言うと、ノエルは物凄く悲しそうな表情をした。


「解るよ。でも、自分でも違う生きる道を見つけようとしてる。今までとは違う道を歩んでいかないといけないっていうことも解ってる」

「違う道なんか……俺には探せない……」


 暫く俺はそうやって、駄々をこねるようにノエルに訴え続けた。

 それでも本当は解っていたんだ。

 ノエルが違う道を探しているように、俺もその選択肢を探さないとならないことを。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 拠点に戻り、一時も僕から離れようとしないクロエをなだめすかし、僕は疲弊しきっているクロエをベッドに寝かせた。

 ずっと僕の服の裾を握っている。傷はシャーロットが治してくれたので、すっかり元通りの姿だ。右耳も聞こえている様子だった。


「勝負には負けたけどよ……せめて眠るまで傍にいてくれ」

「解ったよ」


 あまりに酷く傷つけてしまったようだ。その点に関しては反省する。僕だってご主人様を殺したりしたら立ち直ることは出来ない。

 酷なことをクロエにしてしまったが、それでも僕しか生きる意味がないと言っているクロエには、僕がいなくなった後のことを考えるきっかけになってほしい。

 とはいえ、ここまでクロエが衝撃を受けるとは思わなかった。


「お前、俺を本気で殺そうとしたのか……?」

「ううん」

「でも、右耳じゃなくて脳に突き刺さってたら即死だったろ……」

「そうだね。でも、クロエなら避けられるって信じてたよ」

「なんだよそれ……」


 話をしているとクロエは疲れたようで、そのまま眠ってしまった。

 僕はそっとクロエから離れ、部屋の扉を開けた。一階に降りると、椅子にガーネットが座っていた。

 シャーロットたちは外でお風呂に入ったりして羽を伸ばしている様だった。


「無策だと言っていたが、しっかりと対策していたようだな」


 ガーネットは安堵したようにそう言う。本当に安堵している様子だった。彼は心臓の辺りを押さえている。


「だから言ったでしょ? 僕が負けると思ってるの? って」

「無策だと言ったではないか」

「無策ではあったけど、基礎知識の差と魔術系統の差があったね」


 特に考えはなかったけど、本で読んだ知識もあった上、クロエの性格や魔術特性を考えればそう策を練るところでもない。


「ふん……では、私があの男の魔女を飼い被りすぎていただけか」

「そうじゃないよ。クロエは僕のこと大切に思ってるから、結局本気は出せなかっただけ。クロエはかなりの実力者だよ」

「……得意げに言うな。結果として良かったものの、負けたらと考えると気が気ではなかった。殺し合いなど……」

「僕の心配もなくなったし、次はガーネットでしょう? 相変わらず僕は命の危険に晒されてるんだけど?」

「それこそ、私が負けると思っているのか?」

「リゾンには何度も酷い目に遭わされたし、いい予感はしないけどね」


 魔術を使える分、リゾンに分配が上がるのは当然だ。

 リゾンの詳しい魔術系統が解らないが、解っていることは鎖を操ること、そして目を見るとかかる幻視の魔術。


「クロエにかけた幻覚の魔術は、魔女で使っているのがいたのと、あとリゾンが使っていたからそれを参考にしたの。相手を視界に捕える時に目を見られないのは大変だね」

「リゾンのあれは……元々弟の魔術だ」

「そう言えば話の中で弟さんは幻術を使ってたね」

「そうだ。だからかあれは私には効かない」

「そうなんだ? 魔術系統で抵抗があるのかな?」

「詳しいことは解らないがな。弟は優れた魔術使いだった」

「そっかぁ……もしかしたら弟さんがガーネットのこと守ってくれてるのかもね」


 非現実的なことをわざわざ口に出してみるものの、ガーネットは弟さんの話をするとどうにも暗い表情をする。

 励ましたつもりだったが逆効果だったようだ。


 ――早く“死の見えざる手”で話しに行けばいいのに……


 このリゾンとの戦いの間に異界に連れて行こうかと考えたが、異界の移動で往復で身体に負荷を二度かけるのは得策ではない。


「これが終わったら、弟さんに会いに行きなよ」

「……何故だ」

「最終決戦目前に、心に引っ掛かりがあったらまずいんじゃない?」

「………………」


 ガーネットはどうにも気まずそうに顔を逸らした。弟に会うのが気恥ずかしいのだろうか。

 そう言う僕も、ラブラドライトを助けられなかったことを謝罪したいと考えていた。

 ガーネットは弟さんのことで何かの区切りが必要だ。


「……そうか、解った。考えておこう」

「そう……じゃあ準備しておくから。負けないでね」

「私が負けるわけがない」

「信じてるよ」


 僕らは日が沈むのを待った。

 ガーネットが部屋で休んでいる間に僕は自分の部屋で異界に行く準備をしていた。

 ガーネットが弟さんに会いに行くと前向きに検討しているのなら、それを後押ししなければならない。

 放っておいたら寿命を迎える寸前くらいに先延ばしにされそうだ。


 ――ガーネットは気難しいからな……たたみかけるように追い込まないと……


 そう考えていると、コンコンコンと扉を叩く音が聞こえた。


「はーい」

「私です」


 僕の真っ暗な部屋にシャーロットが入ってくる。

 そこかしこに魔術式のメモが貼ってあり、歩きづらそうに僕の方へ近づいてきた。


「どうしたの?」

「あの……頼まれていた魔術式ができました」


 異界に行く前にシャーロットに頼んでいたものだ。


「……本当!?」

「ええ」

「そうか……」


 それを聞いて僕は気が抜けた。

 ずっと気を張っていた部分が、これで少しは楽になるだろう。


「そっかぁ……でも、試してみないと解らなくない?」

「試して大丈夫ですか?」

「んん……まだ、試すにしても試すことはできないかな……」

「気軽に試すこともできないですから……」

「そうだね……でも本当に良かった。ありがとうシャーロット」

「…………まだまでには時間がありますし、精度をあげておきます。確実に行えるように」

「信じてるよシャーロット」

「ええ……。それにしても……ノエル、ガーネットに言っていた寿命の件ですが、どうして嘘をついたのですか?」


 やっぱりそのことについて言われるかと、その話はしたくないなと考えていた矢先にシャーロットが鋭く指摘してくる。


「魔女の寿命は確かに長いですし、混血のあなたには計り知れない部分があるのは事実です。でも……あなたは無理な実験を何度も何度もされていました。そうあなたが計算するよりは長くは生きられませんよ。人間よりは長く生きるにしてもです」

「……なんとなく解ってるよ。別にいい」

「契約による負荷も並大抵のものではないはずです」


 治癒魔術を専門にしている彼女が言うのなら、確かにそうなのだろう。


「異界に行く前に……クロエの父親のお話をしたのを覚えていますよね? アナベルに言われたときにクロエが激昂したのはそのことでしょう……」

「あぁ……兎の肉を吐きそうになった話ね……」


 シャーロットに小声で耳打ちされた話だ。

 今思い出しても嫌な気分になってくる。


「そうです。クロエの父親は……生殖の為の道具として生き続けさせるために魔族と契約しましたが……確かに魔女の平均の寿命よりは圧倒的に長生きしてます。しかし、正気を失い、自我を失い、ただひたすらに生かされているだけの存在になってしまいました。魔族の方も動きを封じられ、同様の状態でした」

「改めて言い直さなくても覚えてるよ……」

「無理な再生を繰り返した結果です。私は……あなたが心配なんです……」

「僕も心配はしてるよ。ほら、これ見て?」


 僕は自分の上唇を少し押し上げ、自分の八重歯をシャーロットに見せた。すると、シャーロットは驚いたように口を両手で覆う。

 僕の八重歯が明らかに尖ってきていたからだ。


「その牙は……」

「んん……同化と言うべきか……僕とガーネットの身体に異変が起きてるんだよね。まだまだ序盤だと思うけど」

「ガーネットにも変化があるのですか?」

「うん……本人は物凄く僕に隠してるから、何も言ってないけどね」

「大丈夫なのですか……?」

「どうだろう。自我に乱れとかはないよ。まぁ、いいよ。しばらく様子を見ようと思う。ガーネットには内緒ね。一生懸命隠してるからさ」

「…………はい」


 腑に落ちない様子のシャーロットだったが、それ以上何か言ってくることはなかった。

 クロエの父親のことを考えれば、クロエが僕とガーネットのことを良く思っていないのは納得ができる。ただソリが合わないだけだということもあるだろうけれど。


「日も落ちたでしょう。それじゃ、僕はリゾンのところへ行くから。シャーロットはよく休んで。頼まれてくれてたこと、ありがとうね」


 そう言いながら僕は地下のリゾンの元へ向かう。

 彼は退屈そうにベッドに身体を預け、僕が手わたしていた魔術式の紙を眺めていた。


「やっと日が落ちたのか。待ちくたびれたぞ」

「日は落ちたよ。どう? 解読は進んだ?」

「いや。断片的には理解できるが、総合的には理解できない」

「そう……」


 ――ご主人様のことも心配だし……早く事を片付けたいのに……


「私が勝ったら、私と契約してもらうからな」

「それは飲めない条件だね」

「ほう……ガーネットが負けると、少しでも思ってるのだな?」

「万に一つも、リゾンと契約することはできないって意味だよ」

「面白みのない勝負だな……」


 やる気のなさそうなリゾンに対して、何かやる気がでるような条件がないかどうか考えた。

 どれもこれも万に一つもガーネットが負けた時のことを考えると、クロエに提示したような条件は提案できない。


「リゾンが勝ったら……何か、好物を持ってくるよ」

「好物? 私の好物が何か解っているのか?」

「何?」

「ユニコーン族の血液だ」

「ユニコーン? あの角が生えてる馬のこと?」

「……お前、ユニコーン族の前でそう言ってみろ。八つ裂きにされるぞ」

「ご、ごめん。異界に行って仕入れてくるよ」

「そう簡単に手に入る代物ではないぞ。気高い一族だからな。お前が処女なら好まれるだろうが……処女ではないだろう?」

「………………」


 確か、ユニコーンというのは処女を好むという逸話があるということがセージの持っていた本に書いてあったのをうっすらと思い出す。


「僕は処女じゃないけど、それでも少し血液を分けてもらってくるから」

「ふん……期待しないで待っている」


 牢から出したリゾンと共に地下から出ると、ガーネットが落ち着かない様子で待っていた。


「待ちくたびれたぞ」

「血気盛んなやつだ」

「貴様にだけは言われたくない」

「ガーネットが勝ったら、何か欲しいものはある?」

「欲しいもの……? 具体的に何とはないが、考えておく」


 リゾンとは違って欲のない姿勢に、僕はホッとする。

 もしガーネットではなく、あのとき山の中で会っていたのがリゾンだったら僕たちのこれまでの歩みも全く違うものになったのではないだろうかと僕は考えた。


「行こう。僕が審判をするね。負けだと思ったら仲裁に入るから殺さない程度に頼むよ。お互いに」


 日も落ちて少し肌寒くなってきた外気を身体に受けながら、2人を連れて再び僕とクロエの戦禍が残る砂漠へと向かう。

 少しの不安が頭によぎりながらも、2人のわだかまりが少しでも解消されるならと僕は考えていた。

 魔王城の地下牢で「こいつを殺せ!」と言っていたガーネットのことをふと思い出す。


 ――本当に大丈夫かな……


 そう考えながらも特に会話のないまま、昼間に歩いた足跡が消えている砂漠を歩いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る