第43話 傷の意味




【ガーネット 7歳 魔王城地下牢】


 龍が暴れ出したことで、地下牢が大幅に破壊された。

 腕の一薙ひとなぎで他の牢の壁も崩れ、鉄柵も崩れ去る。

 私は怯えて動けなくなっていた弟を片腕に抱えていた。これでは龍とは戦えない。

 リゾンは暴れ狂っている龍の首元に自身で鎖を巡らせ、まるで乗り回すように楽しんでいた。

 制御するように鎖を絞めたり緩めたりして遊んでいる様子だ。


「ほら! 殺さないとお前たちが死ぬぞ!」


 ――こんなことをして、魔王に殺されたりしないのか……?


 私は全速力で階段に向かった。一階分駆け上がって、折り返しの中腹で下から龍が突き破って出てきた。

 リゾンは鎖から手を放したらしく、もう龍の首にはついていない。


「兄さん……」

「ちっ……流石に分が悪い……」


 まだ身体すべてが上に出てきていないうちに、私は龍の下顎に思い切り蹴りを入れた。軽い脳震盪のうしんとうが起これば隙ができるだろうが、体格の差がありすぎてそうもいかない。

 龍は私に向かって魔術式を構築した。

 空中にいた私は体勢をすぐに変えることができない状態だ。


 ――マズイ……!


 龍の撃った炎に、私は間一髪で焼かれずに済んだ。

 弟が魔術式を素早く構築し、炎が私たちがいた空間だけ炎が消え、私たちの真後ろから炎が出るような形になる。

 短い空間だけだが、転移の魔術だ。


「お前魔術を使えたのか」

「兄さん、早く登って!」


 指示されるのは癪だったが、今は逃げることが最優先だ。

 龍が暴れてもがいている内に私たちは一気に階段を登った。

 牢の入口の大鬼が死んでいる場所まで駆け上がると、そこには小鬼や他の大鬼も集まっていた。


「何があった!?」

「この地響きはなんだ!?」


 質問に答えている余裕もなく、私は弟を担いだままその場を急いで離れた。

 龍は間もなくして牢からその強靭な腕を突き出し、大鬼を掴んだ。


「ぎゃぁっ!?」


 龍が力を籠めると、大鬼は握りつぶされた果実のように潰れて血しぶきをあげる。

 大鬼が鉄の棘付きこん棒を構えるが、炎の魔術で一瞬で焼き殺されて炭だけが残った。その炎は王城の壁も溶けて変形するほどの威力だった。


「何をあんなに暴れ狂ってるんだ……」

「兄さん、僕らじゃ倒せないかな?」

「無茶苦茶言うな。気を抜いたら一瞬で殺されるぞ。他の魔族に任せろ」

「…………兄さんは、あの龍に勝てないの?」

「なんだと……」


 その安い挑発に、私は乗ってしまった。

 子供だからと言えば単純な話だが、私はそういう性分だ。ヴェルナンド以外には負けたことがなかった私は龍にも負けるはずがないと頭によぎる。


「私が勝てないのはヴェルナンドだけだ」

「僕らでやっつけようよ! 僕が魔術で兄さんを助けるから」


 そうは言ったものの、暴れ狂っているその龍族を見ると、流石に厳しい戦いだと直感する。


「私が焼き殺されないようにしろ。いいな」

「解った」


 弟と徒党を組むなど、考えてもいなかった。

 今までろくに話すらしたことがない私たちが連携が取れるとも思えない。しかし、弟に馬鹿にされたまま引き下がる訳にもいかない。

 龍が咆哮を上げている間に、私は左右に振れながら龍に向かって走った。

 龍の頭を上から蹴るが、やはり鱗が鎧のように硬いためタメージが入らない。何度も殴ったり蹴ったりをするが、やはり龍はびくともしない。


 ――鱗を剥がすか? 下の肉は柔らかいはずだが……


 鱗を逆側から蹴り上げると、一枚漸く鱗が剥がれた。痛みが走ったのか龍は咆哮をあげる。

 しかし、一枚一枚鱗を狙って剥がしていくのは無理だ。特に身体の急所の部分は細かくて硬い鱗に覆われている。

 私が色々と模索していると急に龍の口に氷の円錐が突き刺さった。

 その氷の円柱はいくつも龍に突き刺さっている。硬い鱗に弾かれる部分もあったが、鱗と鱗の間は鋭い氷が突き刺さった。

 氷と、氷の中に金属のようなものが混合されていて、氷だけでは保てない強度を補っている様子だ。


「その氷を蹴って! 焦点が絞れていれば力が集中するから!」


 暴れる龍に刺さっているいくつもの氷の円柱を、龍に刺さる方向に力いっぱい蹴ると、龍の肉の部分に刺さって出血する。

 龍が暴れて苦しんでいる間、動きが読めないので私は一度離れた。


「兄さん、剣を使って」


 金属でできている長い刃の不格好な剣を弟が生成した。見た目はともかくとして、その刃の鋭さは確かだ。

 爪では鱗に傷をつけられないが、これだけの刃渡りなら柔らかい部分なら刃が通るだろう。


「僕が首の部分の鱗を剥がすから、鱗を剥がしたら背骨の隙間を狙って振り下ろして。そうすれば首が落とせる」

「下から切り上げれば柔らかい肉が切れる」

「切り上げるより、振り下ろす方が力が入るよ」


 ――いちいち生意気な奴だ……


 背骨の間など、そう言われてもどこが間なのか私は解らなかった。しかし、解らないとは言えない状況だったので私は龍に向かう。

 近づく間、無数に炎が飛んでくるが弟の魔術で炎は軌道を逸らされたり、転移したりで当たることはなかった。

 しかし、物凄い熱量で、気道が焼けるような感覚がある。

 龍の後ろに回り込む為に近づくと、剛腕による薙ぎ払いが飛んでくる。


「ガァアアアアアァッ!!」


 上に跳んで回避している内に、弟が龍の鱗を氷の魔術で剥がした。鱗の向きから反対方向に氷と金属の鋭い刃が龍の表面の鱗を勢いよく削ぐ。

 首の部分の鱗がほぼ剥がれ、血が滴った。


「これならお前がトドメを刺せるだろう!」

「駄目だ……僕の魔術では威力が足りない……! 兄さんの力が必要だ!」


 龍が苦しんでいる間、私は龍の首に剣を思い切り振り下ろした。

 その際に、ガキンッ! と硬いものに剣が当たる。骨だ。場所が解らずに適当に振り下ろしたら、やはり骨に当たったようだ。

 表面の皮膚は切れても、骨は断てない。


「くっ……」


 一度剣を引くと、鱗が剥がれた部分の血液が剣に付着する。

 龍は暴れ疲れたのか動きが鈍くなってきた。私は龍の首の上で一回転し、遠心力をつけてもう一度剣を振り下ろした。

 運よく首の関節の間に刃が入り、先ほどまでよりも深く切れる。しかし切り落とすまでには至らない。


「駄目だ、切断できない!」

「その位置なら……いける! 兄さん剣を手放して離れて!」


 弟が龍の首の下に、何か黒い塊を生成しはじめる。弟に言われた通りに龍から離れると、剣がその黒い塊に引き寄せられるように龍の首に食い込んでいく。

 更に弟が龍の血を剣に変化させると、その剣が更に龍に突き刺さって行った。


 ――強力な磁石か……


「ギャァアアアアッアアァアアアッ!!!」


 龍が首の剣を抜こうともがくが、もがくほどに刃が食い込んでいく。


「兄さん、あの剣の刃先を蹴りいれて。柄の方を固定するから!」


 再び剣を上から蹴ると、それがトドメとなりやっと龍の首は落ちた。

 太い動脈から勢いよく血しぶきが上がり、龍はやっと動きを止めて絶命した。


「はぁ……はぁ……」


 弟は息を切らしてその場に膝をついた。相当に疲れたらしい。

 私は一息ついて弟の方へ向かう矢先、後ろから龍の血でできた剣が勢いよく飛んできた。弟の方へまっすぐに飛んでいくその剣が私の隣を通過した際に、私はその剣を止める。


「本当に殺せるとはな」


 剣が飛んできた方向をふり返ると地下から悠々と出てきたリゾンがいた。

 彼も私と同様に血まみれになっている。その片手には鎖に頭が貫通して連なっているものを引きずっているのが見えた。

 牢にいた魔族の頭だろう。


「…………私に構うな」

「弟を助けに来るとは、魔族のくせに温情があるな?」


 私はリゾンを無視して息を切らしている弟を無理やり立たせた。


「魔王が来る前に帰るぞ」

「無理だよ……謝ろうよ……」

「私たちは侵入しただけだ。龍を解放したのは私たちではない」


 そうは言ったものの、この大騒ぎに既に大鬼と小鬼が集まっていた。そして、ズシンズシンと地響きのような足音と共に一番恐れていた魔王が到着する。

 龍よりも一回りは大きい。

 相変わらず恐ろしい見た目をしている。いくつもついている顔はどれも険しい顔をしていた。明らかに激怒している。


「これは何の騒ぎだ」


 威圧感のある声でそう諫められると、今から逃げられる空気ではないと悟った。しかし、私たちよりも首を連ねているリゾンの方に睨みを利かせた。


「リゾン、またお前か……今回ばかりは容赦できないぞ」

「私は大して殺してない」

「そういう問題ではない!」


 魔王が一喝すると空気が大きく振動する。龍が暴れて崩れていた部分が更に崩れた。


「そこの2人の吸血鬼は何のためにきたのだ。内乱が目的か」

「違います!」


 威圧的な魔王の言葉に私が流石にまずいかと考えていたら、弟が威勢よく反論した。

 いつも誰かの後ろに隠れているような奴だと思っていただけに、意外に感じる。


「僕の両親が殺されました。その殺した者が魔王城地下牢にいると聞き、1人で地下牢に向かい話し合いをしようとしました」

「ほう……どうやって牢の奥に入った? 門番がいたはずだ」

「門番には魔王様の使いの者として通りました」

「大鬼も幼い子供を信じるほど愚かではない」

「魔術で幻覚をかけました。僕の姿は子供には見えていなかったと思います」

「その歳でか……」


 魔王は驚いているようだった。

 周りを見渡し、氷と金属の円柱がいくつも龍の身体に刺さっているのを一瞥していた。


「それで、アレクシスが殺したという確信があって殺したのか?」

「いえ……話をしようとしたのですが、そちらの銀髪の方がその龍の鎖を破壊され……被害が拡大すると考えて僕らで倒しました」

「…………お前はヴェルナンドの下で稽古をつけている者だな」


 弟と話していた魔王は私の方に向き直り、話しかけてきた。

 何と答えていいか私は迷った。答えを一つでも間違えたらその場で殺されてしまいそうだ。


「そうだ」

「報告によると、門番を殺したのはお前だという話だが、本当なのか?」

「……私が殺したというよりは、相打ちで死んだ」

「………………」


 魔王は私の方をじっと見つめている。

 いくつもの顔がこちらをじっと見ているのはかなり不気味に感じた。

 小鬼が見たままの情報を魔王に言っている。私が目を潰したことは事実だが、大鬼が相打ちになったのは嘘ではない。


「父上、この者たちは不法侵入者だ。殺してしまおう」

「……殺しはしない」

「父上がそうしないなら私が始末する」

「待ちなさい。勝手に手出しすることは許さないぞ」


 魔王はそう言ったが、これ以上奴を調子に乗らせないように一度他にも知らしめておかねばならない。

 いくら魔王の子息と言えど、いつまでも調子に乗らせておくわけにもいかない。

 それに、龍を解放されたことで危うく死にかけた。


「私は戦うのなら構わない。ただし、お前に勝てたら不法侵入の件は不問にしてもらうぞ」


 弟に魔王の後ろに行くように指示した。

 弟を下がらせると、リゾンは私と自分の周りを鉄の棒を生成して檻のように囲った。


「弟の助力がなければ龍を倒せなかっただろう?」


 リゾンが話しているさなか、私はリゾンの喉元を目掛けて腕を振りぬいた。一瞬の隙があったが、リゾンは素早く体勢を変えて避けた。

 相当に素早い。

 この速度についてくるだけの実力があることは解っていた。

 降りぬいた勢いに任せ身体を回転させ後ろ蹴りをするが、やはりそれも軽くかわした。

 リゾンは手に持っていた頭の連なっている鎖を振り回す。その頭が叩きつけられるたびに血や肉が飛び散る。

 その血しぶきで視界が遮られた瞬間にリゾンは鎖を魔術で操り、私は四肢を絡めとられた。

 引っ張られる前に自分でその鎖を掴み思い切り引いた。鎖が突き出していた床ごと外れ、千切れる。鎖をその辺に投げ捨てると再びリゾンへと向かった。

 互いに魔術なしの体術での戦いとなる。

 爪の先がかするだけで皮膚が裂け、少し時間を置いて血が出てくる。

 力関係としては互角程度。

 受け流すための体術も、ヴェルナンドに習った通りの動きだ。


 ――動きを止めるか……


 リゾンの右腕が私の腹部を刺そうとしたのを、敢えてよけなかった。

 右手が腹部に突き刺さると同時に、驚いた表情をして一瞬私の方を見た。それと同時に手遅れだと気づいただろう。

 私の右手がリゾンの左の頬から額にかけて、目を含んだ部位を切り裂いた。


「ッ……!!」


 そのままなし崩しに腹部を思い切り殴りあげたらリゾンはその場に膝をついた。左目を抑えながらうずくまる。

 そのまま私は更に腹部に蹴りを入れると、そのまま檻に背中を叩きつけられた。リゾンは口から血液交じりの唾液を垂れ流す。

 声にならないうめき声をあげている。


「もう無意味だ。いいだろう。ここから出せ」


 大鬼に目配せすると、その周りの檻を両手で曲げて私が出られるように空けた。

 そこから私が出ようとすると、リゾンは私を呼び止める。


「待て……がはっ……ごほっごほっ……はぁ……はぁ……」


 死ぬ寸前のようにリゾンは息をあらげ、左目を抑えながらも残った右目で私の方を睨みつけてくる。


「……まだ終わっていないぞ……逃げるつもりか」

「…………これを逃げるというのなら、私はそれで構わない」

「この腰抜け! 逃げるな!!」


 リゾンが鎖を私に仕向けてくるが、その鎖はジャランッと音を立ててその場に落ちた。魔王が鎖を押さえつけたからだ。


「父上! 邪魔するな!!!」

「もういいだろう。これ以上醜態をさらすな。しばらくは牢で反省するがいい」

「くッ……」


 私はそれを横目で見ながら、心配そうにしている弟を連れて帰ろうとした。しかし、鬼たちが私の前に立ちふさがる。


「私の勝ちだ。不問にしてもらう」

「……いいだろう。今回の惨事は愚息が行ったことらしい」


 帰り際リゾンの顔を見たら、今にも飛びかかってくるような怨恨を漂わせ、私の方を相変わらず睨んでいた。




 ◆◆◆




 家に戻ると、私は真っ先に弟の腹部を殴りつけた。

 弟が苦しそうに腹部を抑える。


「自分が何をしたか解っているのか。そんな身体で魔王城に侵入し、あまつさえ牢にいる龍を暴走させる騒ぎにまでした。魔王まで出てきた。殺されてもおかしくなかったぞ」

「…………生きてさえいればいいの? 兄さんは……生きていることだけで、それで満足なの……」

「何を言っている? 訳の分からないことを……あの龍を殺せて満足だろう」

「僕は、理由が知りたかった……殺したかったわけじゃない」

「理由など、あの様子を見ればわかるだろう」


 青い瞳が、真因を求めるように私の方をじっと見つめる。


「あれは何か理由があった訳では無い。元々気が触れていたのか、突然気が触れたのか、そうして殺されただけだ。父と母は暴れるあの龍を抑える為に闘い、そして死んだのだろう」

「…………なんでそうなったのか……知りたかった……」


 また弟はグズグズと泣き始めた。面倒だと感じながら、無理やりに弟をベッドに寝かせる。


「早く身体を治せ。大して私たちのことなど気にしていなかった親だろう」


 弟は泣き疲れたのか、その後すぐに眠ってしまった。

 一息ついた私は、申し訳程度に置いてある椅子に腰かけた。

 身体中にうっすらとついた戦った際の傷を見ると、一瞬両親のことを思い出した。



 ――過去―――――――――――――――――



「ガーネット、また傷を作ってきたの? ほら、腕を出しなさい」


「お前は喧嘩早いな、弟をいじめるなよ?」



 ――現在―――――――――――――――――



 どうでもいいような記憶が一瞬浮かんでは、その時の暖かい手の感触や、困ったような笑顔を思い出した。


「馬鹿馬鹿しい……」


 私も疲れ、弟の隣で眠ってしまった。


 そんな私たちをヴェルナンドが様子を見ていたことに、私は気づかなかった。


「一時はどうなるかと思ったが……あの弟も見どころがある。ガーネットとは正反対だが、良い教育を受けさせるべきだな」


 独り言を言ったヴェルナンドは私たちの家に背を向けて去って行った。

 その長い髪を揺らしながら。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


「面白みのない話だっただろう?」


 話し終えたガーネットは気恥ずかしそうにそう言った。


「面白いって言うと……少し複雑な話だったけど、僕はガーネットのこと知れてよかったと思う。今と全然雰囲気が違うんだね。随分……冷たい印象を受けるけど」

「お前に会った頃とそう変わらないだろう」

「冷たいながらも、それでも相手のことを気遣うところは子供のころから同じなんだね」

「ふん……気遣ってなどいない」

「そうかな? それはガーネットが認識してないだけで、気遣ってると思うよ」


 ちらりと彼を見ると、やはり身体や顔にはひどい傷痕がいくつもあってその傷に目が行く。

 古傷はシャーロットには治せないのだろうか。

 綺麗な顔立ちをしているのに、本人はそう気にしている様子はないが、もったいなく感じる。


「明日は僕とクロエ、ガーネットとリゾンで決着をつけようか。お互いに晴れやかな気持ちでゲルダとの戦いに望めた方がいいでしょう」

「晴れやかなどと言って、お前が満身創痍にならないか私は不安だ」

「満身創痍になったらシャーロットに治してもらうよ。ガーネットは、僕が怪我することは気にせず戦って。僕もクロエと戦うときはある程度の怪我は想定してる」

「…………」


 不満そうな顔をしながらも、彼はそれ以上は言わなかった。


「さてと……もう休もうかな。明日に備えて」

「寝る前に策を考えておけ。一瞬であの腐った魔女のように燃えカスにされるなよ」

「ははは、クロエは僕を消し炭にしたりしないよ」


 楽観的に答えると、ガーネットはさらに不満そうな顔をする。

 僕は彼に背を向けて歩き出した。

 満天の星空が瞬き、僕らを見下ろしている。

 幾銭の願いを無下に輝く星の光は、僕の姿を明るく照らすことはない。




 ◆◆◆




 翌日、日が昇った後に食事を済ませ、いつも通りにリゾンのいる地下室を訪れた。


「ガーネットがリゾンと決着をつけたいって言ってるんだけど、どうかな」

「決着? そんなものはついている。私の圧勝だ。顔に傷をつけただけで図に乗りすぎだろう?」

「子供のころからの因縁があるって話を聞いたよ」

「幼い頃のことを引き合いに出していつまでも勝った気でいるのか? 馬鹿馬鹿しい。だが、あの役立たずを完全にねじ伏せられるならそうしてやる。ここに居ても退屈だからな」


 魔術の解読をお願いしようと考えていたが、やはり周りからの反発が多く同じ机を囲むことはできなかった。

 一部の写しをキャンゼルに再現してもらって持ってきたものの、今日は彼の気が乗らないようで手がつかない。


「外に出たい? 日差しが吸血鬼族には辛いと思うけど、太陽の光を見てみたくない?」

「“昼間”というやつか。本でしか読んだことがないが……ガーネットのやつはどうしているんだ?」

「ガーネットは日にあたらないように、顔や身体を隠しているかな。……いつも険しい顔しているのは眩しいからかな。最近、やっと落ち着いてきたのか昼間は自分の部屋で休んでるよ」

「見た瞬間に両目が焼けるなどと言うことはないだろうな?」

「んー……絶対にないよとは言えないけど……じゃあ少し、紫外線の試験をするね。腕を出して」


 リゾンはガーネットがいつもしているような訝しい表情をしながら、僕に左腕を差し出した。

 短剣で串刺しにした傷も綺麗に消えているのを確認する。

 ガーネットもそうだが、やはり病的に色が白い。一度も紫外線を浴びたことがないのだろう。


「弱い紫外線を当てるから、痛かったり、違和感を感じたら言って?」

「加減をしろよ。また腕が使い物にならなくなったら困る」


 ――なんだ、やっぱり腕治してもらってよかったんだ


 口に出したら全力で否定されると思った僕は、口には出さなかった。

 左手でリゾンの手を取りながら、右手で弱い紫外線を構成してリゾンの腕に当ててみる。


「………………特に何も変化はないな」

「腕だと皮膚が厚いからかな。首の辺りにしてみてもいい?」

「……いいだろう」


 リゾンにもう少し近づき、僕は彼の首に右手をかざした。

 やけに近く感じる。銀色の睫毛が瞬きするたびに揺れ、僕の方をまっすぐに見つめてくる赤い瞳が暗い中にギラギラと浮かんでいる。

 首に手をかざすときに、首にかかっていた長い銀色の髪に触れると、ご主人様と同じような硬い髪質だった。


 ――集中しろ……考えるな……


 ご主人様の面影がちらつきながらも、僕は魔術に専念した。


「…………!!」


 リゾンが僕の右手を「バシン!」と振り払った。

 自分の首を押さえ、痛がるようなそぶりを見せる。


 ――感光したのか……?


「痛い? 見せて」

「魔女め……加減をしろと言っただろう……!」

「加減はきちんとしてたよ」


 痛がる彼の首を確認すると、赤く水膨れのようなものができているのを確認できる。


「…………感光して水膨れになってる。シャーロットに治してもらおう。腕も……少し赤くなってる」

「これくらい……どうということはない」

「いいから。身体に傷が残っちゃうよ」

「は?」


 リゾンは汚物を見るような目で僕の方を見た。

 僕は変なことを言ってしまったかと慌て、考えを巡らせる。


「何か……変なこと言ったかな」

「魔族がそんなことを気にすると思うのか?」

「確かに……ガーネットはそう気にしている様子はないけど……でも、僕は気になるよ。痛い思いしたんだろうなって……僕は傷痕残らないからそうは見えないかもしれないけど、ガーネットに引けを取らない程本当は傷痕だらけのはずなんだよ」

「…………お前の身体を見せてみろ」

「えっ……嫌だよ……」

「勘違いするな。私がお前に散々傷をつけただろう? 腕のつなぎ目以外、顔の傷、身体の傷を見せろと言っているのだ」


 下心は感じられないが、かといって肌を見せるのはかなり抵抗を感じる。


「見せられるところだけね」


 僕は腕をまくって見せたり、リゾンの鋭い爪に引っかかれた顔の皮膚を髪をどかして見せた。

 しばらく僕の肌の様子を見ていたが、気が済んだのか観察するのを辞めた。


「本当に微塵も残っていないようだな」

「再生能力が他の魔女や魔族よりも強いみたい。ちょっと待ってて、シャーロットを呼んでくるから」

「お前の血を飲ませろ」


 相変わらずのその要求に僕は軽くため息を吐く。


「それはできない」

「二つの魔族と契約するとお前が破滅するか? あの役立たずとの契約を破棄して私と契約すればいい」

「……どうして僕にそう固執するの? 契約なんて、魔族にとっては不利な点しかないのに」

「逆だろう? お前が私に固執しているのだ」

「僕が……?」

「そうだ。お前は明らかに私に固執している。自分の気持ちを隠しながら、体裁よく私の誘いを断っている。気づかないのか? 私を見る時の目は、私を求めている目をしているのを」


 リゾンにそう言われ、確かにご主人様を重ねて見てしまっていることを再度自覚し、気まずさに目を逸らした。


「否定できないだろう? 全くの無自覚だったわけでもないはずだ。さっきも、魔術の最中に気が散っていたぞ」


 その鋭い指摘に、僕は返す言葉が出てこない。

 確かに彼の言っている通りだ。

 僕もリゾンに対して思うところがあったことも事実。


「だとしても……僕はリゾンと契約をすることはない」

「強情だな。いいだろう。その内に気が変わる。早くあの白い魔女を連れてこい」

「………………」


 腑に落ちない気持ちもありながら、僕は階段を登ってシャーロットを呼びに行った。

 シャーロットは怯えながらもリゾンの檻へ同行してくれた。枷を厳重に嵌めて動きを封じた上での治療だった。

 リゾンは信用できない。

 シャーロットが殺されそうになった時、治せるのはたどたどしい治癒魔術の使えるアビゲイルだけだ。深手を負わされた場合、助かる見込みはほぼない。


「これは……爛れた部分は治せましたが、その弟切草の長期的摂取による弊害までは治せそうにありません。昼間は外に出ない方がいいでしょう」

「そうか。じゃあ昼間は僕とクロエ、夜に彼らでいいでしょう」

「お前の殺し合いが見られなくて残念だ。せいぜい負けてあの男の魔女と床を共にすることにならないようにするがいい」


 リゾンは嫌味を言うとニヤリと笑った。


「悪いけど、僕が大敗したときに備えて拘束させたままにしてもらうからね」

「はぁ……好きにしろ」


 シャーロットと共に地下から上がり、外で待っているクロエの元へと向かった。

 外に出るとガーネットとクロエが落ち着かない様子でいるのが見えた。他の魔女もなんだかソワソワしている。


「クロエ、ここだと危ないからキャンゼルたちを見つけた砂漠の方でしようか」

「……俺はやっぱり気乗りしねぇ」

「不戦敗ってことで僕の勝ち……ってことじゃ、僕の気が収まらないでしょ」

「解った。抵抗ができなくなった時点で終わりでいいだろ?」

「何言ってるのさ、本気で来てくれないと。僕だって殺すつもりでやるんだから」


 僕の言葉に、クロエは眉間にシワを寄せる。


「お前を殺したくない」

「僕を殺せると思ってるの?」

「…………ノエルこそ、俺を殺せると思ってるのか?」


 僕らのピリピリとした雰囲気に、周りの魔女やガーネットも緊張感が漂った。


「あの……ノエル、審判を設けたらいかがですか? 例えば倒れてから時間をはかってみるとか……立ち上がらなければ相手の勝ちという規則にしてはどうでしょう」

「……良い提案だね」


 そう言った瞬間、シャーロットは少しほっとしたような顔をした。


「でも、僕らが全力でぶつかったらなんてないんじゃない?」


 再びシャーロットの表情が凍り付く。


「ははは、冗談だよ。真剣に戦うし、勿論シャーロットはいつでも治療できるよう準備しておいて。相手が負けを宣言したらその時点で終了とするから」

「……もう……脅かさないでください……」

「ごめんごめん。クロエ行こう。危ないから来ない方がいいけど……全員くるよね?」


 おずおずと、キャンゼルやアビゲイルも影から出てきて落ち着かない様子だった。どうやら僕らの戦いを見たい様子だ。

 殺し合いなど本当は子供に見せるものではないが、血なまぐさい殺し合いをするつもりはない僕は寛容に許した。

 これは身を護る術の勉強でもある。ゲルダと同等の力を持つ僕を見ることで、ゲルダから身を守るヒントを得てほしい。


「……解った…………」


 そうして僕らはキナに乗って何もない砂漠地帯に向かった。

 走るのではなく、僕らの歩く速度でキナを歩かせる。キナにとってもずっと同じ場所に繋いでおくのもストレスになってしまう。


「シャーロット、この馬を元に戻してあげることは出来る?」

「そうですね……アビゲイルを戻したようにできたらいいんですが……難しいでしょう。この馬は馬を媒体に鳥を合成しています。しかし、それは先代のことです。この……キナはその先代の子供です。ですから先天的にこの型なのです。生まれながらにこの遺伝子構造であるキナは分離のしようがありません」

「そうか……キナは先天的にそうなのか」


 ポンポンとキナの首を触った。


 ――生まれながらにそうなら、仕方ないね。上手く付き合っていくしかない


 僕は長い髪を邪魔にならないように括りあげた。

 それでも僕の長い髪はキナの歩行の動きに合わせて揺れている。長いかなと考えながらも、それでもまだ切る決意はできないままだ。


 ――そんなにすぐには変われないよね……


 キナは黙って僕を乗せて歩いている。ふと横を見るとアビゲイルが乗りたそうに見つめてきていた。


「乗りたい?」

「はい!」


 一度キナを止めてシャーロットが抱き上げるアビゲイルを僕の前に乗せ、手綱を握らせる。

 危なっかしい様子で乗っていたが、僕は片手でアビゲイルの身体を押さえた。


「しっかり乗って。落ちたら危ないよ」

「ありがとうございます」


 僕らが緊張感がない様子でキナに乗っている間、浮かない顔をしたクロエとガーネットが後ろで話をしていた。


「手加減をしろ。お前も悪いと思っているなら、手心を見せてやれ。多少痛い思いをすれば済む話だ」

「…………てめぇはノエルを俺に渡したくねぇだけだろ」

「いいから言う通りにしろ。あいつは無策でお前と闘うつもりなんだぞ? 正気の沙汰ではないだろう?」

「無策? まさかそんなわけねぇだろ」

「そう思うだろう? 本当に無策だぞ……あの様子では……」

「……まぁ、俺もそう本気で殺しにかかったりしねぇよ」

「ならいいが……」


 何もない砂漠にたどり着くと、僕はキナから降りた。

 離れているようにクロエ以外の全員に言って、距離をとらせた。距離をとらせたうえで、シャーロットに身を護る防御壁を張るように指示する。

 無事に防御壁を張ったのを確認したところで、僕は向かいに立つクロエを見据えた。

 乾いた風に吹かれると、僕の髪が赤く輝き靡く。クロエは鬱陶しそうに自分の髪をかき上げた。乾いた砂に元々鋭い目つきを更に細め、僕を見つめる。


「いくよ、クロエ。初めに言っておくけど、ガーネットは血を飲んでないから」


 自分の腕を軽く風の魔術で傷つけて、その傷が塞がらないことをクロエに確認させる。


「あぁ、かかってこい」


 次の風が吹いたとき、互いに合図もなくして戦いは始まった。




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