第38話 正義の在り方




 その場にいる者の中で、アナベルだけが平気そうな顔をしていた。

 他の全員は怯えた表情で凍り付いているのに、アナベルは手に入れた自分の身体を丹念に確かめていた。「この身体、胸が足りないわね」なんて呑気なことを言っている。


「ゲルダがバケモノになったって……どういうこと?」


 呆気に取られている僕はアナベルに向かってそう聞いた。


「そのままの意味よ。もうギリギリ保ってた自我も完全に崩壊していたわ。リサの腹をかっさばいて食べていたし」


 その光景を想像すると、僕は気持ち悪くなってきた。

 確かにリサは激情に駆られやすかったかも知れないが、あまりにもその仕打ちは可哀想だと感じる。


「…………なんで?」

「知らないわよ。でもそのお陰であたしは抜け出せたんだけどね」

「それで……リサを食べてただけならバケモノって程じゃないけど……?」

「それだけならあたしも驚かないけど、食べはじめて少ししたら……身体に異変がおきて膨張するように大きくなっていった。あんなものはもう魔女じゃないわ、バケモノよ」

「身体が膨張……? どういうこと……」


 何故リサの肉を食べて身体が変異するのだろうか。

 あるいは、理性を完全に失ったのが引き金となって翼に食われて変異したのか解らないが、とにかくもう話が通じるような状態ではないだろうと考える。


「堕ちるところまで堕ちたな……」

「ていうか、世界なんか作ってどうすんの?」

「……ゲルダを殺せなかった時のため、隔離するように作る」


 僕はアナベルに嘘をついた。魔女を全員隔離するなんて言ったら、アナベルは協力しないだろうと考えたからだ。


「ふーん。でも、それなら世界を作るなんて面倒なことしないでなんとかして殺したり封じ込めたらいいんじゃない? 拘束用の魔術具ならあたし作り方解るわよ」

「死ねない身体のゲルダをいつまでも封じていられないと思う。それに僕に対して使ってたあれ……すぐ壊れてたし……」

「確かにそうかも。ていうか、ゲルダ様は異界に干渉できるのよ? 別の世界に隔離したとしても、無駄じゃないの?」


 次々に尤もな質問をしてくるアナベルの相手をするのが面倒になった。こんな砂漠の真ん中でいつまでも話していたくない。


「アナベル……文句ばかり言ってないで殺せなかったときの対応を少しは考えてよ」

「……まぁ、あたしは世界を作るってこと自体は賛成よ。滅多にできることじゃないし、研究者としてやってみたいわ」


 ゲルダを殺せなかったときの対応策は思い付かなかったようだ。適当に話を誤魔化してくる。


「それで、この魔術拘束はいつ解いてくれるの?」

「お前は信用できない。暫くそのままだ」

「酷いわね……まぁ、そういう遊戯も面白いわ」


 僕らは全くアナベルを歓迎していないのに、アナベルは飄々ひょうひょうとしていた。

 相手の敵意を感じないのか、相手の敵意や殺意を気にしないのか解らないが、そのふてぶてしい態度は尚更ガーネットを苛立たせた。

 世界を作るまでの間、上手くやって行けるか物凄く心配だ。


「自己紹介してなかったわね。あたしはアナベル。『強欲』の罪名を与えられた魔女よ。得意魔術は死体操作。よろしく」

「強欲? 色欲じゃなくて?」

「ふふふふふ……いつでも相手してあげるわよ? あたしは何でも知りたいし、ほしいのよ」


 アナベルがそう話している間、彼女はガーネットが担いでいるリゾンに興味津々なようだった。


「ねぇ、その担いでるのは誰? 綺麗な銀色の髪ね」

「……吸血鬼だよ。気をつけなよ」


 切り裂かれたとしてもアナベルは死なないだろうけど、そういう嫌味で言ったわけだが彼女は気づいていないようだった。


「どうでもいいだろ、帰ろうぜ? ノエルも帰ってきたばっかなんだろ? 異界での話聞かせてくれよ」

「あたしも聞きたい!」

「……アナベル、信用したわけじゃないけど……暫く行動を一緒にしてもらうよ。まずはキャンゼルを運ぶのを手伝って」

「えー、肉体労働はだけにしてよー」

「うるさい。早く肩を貸せ」


 そうして僕らは全く足並みもそろわないまま、拠点に帰るべく帰路についた。アナベルからはえもいわれぬ死臭がする。

 しかし初めて会ったときよりはまだマシだ。


「……?」


 列の最後尾を歩いていたクロエは“あるもの”を発見し、目を凝らした。

 よく見ると、それがなんなのかクロエには解った。「おい」と、口に出そうとしたが今話すべきかどうか一瞬迷い、その者と2人きりになったときに話そうと考えた。


 ――おいおい……これはまずいぜ……


 クロエは焦燥感を覚えたが、どうそれを話していいか解らずにいた。

 一番後ろにいたクロエはその動揺している様を誰にも気づかれなかった。




 ◆◆◆




 僕は異界であったことを要点をまとめて話し始めた。

 アビゲイルとキャンゼルとリゾンは眠っていた。シャーロットとクロエ、アナベルは僕とガーネットの話を相槌を打ちながら聞いている。


「本当によく帰ってこられましたね……」

「その銀髪の吸血鬼は魔王の子供なんだ。全然魔王っぽくないわね」

「ノエルに手ぇだしたそいつ、今からでも殺していいか?」


 各々色々感想はあるようだったが、僕はひとしきり話を終えた後に魔王様からもらった魔術式を全員に見えるように広げて見せた。


「当面はこの魔術式の解析をすることになる。魔力は魔族が貸してくれるから潤沢だけど、それを上手く操れる人数は限られているから、最大限に効率的な役割になるように配分したい」


 アナベルは目を輝かせて魔術式を見入っていた。クロエはやはり得意ではないようで「全然わかんねぇ」と言っている。


「アビゲイルも手伝えると思います。明日から手伝わせましょう」

「そうなの? まだ子供なのに、すごいね」

「あのアホも手伝わせるのか?」


 ガーネットが顎でキャンゼルを指すと、全員で考えた。


「アホだし無理じゃね?」

「……彼女が魔術式を理解できるかは期待できないですね」

「魔術のセンスがないんだよねー、無理なんじゃない?」

「私から見ても到底無理だと感じる」


 満場一致で使えないという意見だった。しかし、僕はそうは思わない。

 再現魔術で『魔女の心臓』を作り出したほどだ。世界を創造するのに一番向いている魔術系統だと僕は考えていた。


「難しいことは解らないかもしれないけど、きちんとキャンゼルが想像ができれば魔女何人か分の仕事はできると思う」


 そう言うと全員「うーん」と考える。


「まぁ、あのアホちゃんは罪名持ちじゃないけど、この子のお陰で助かったわ」

「どうやって逃げてきたの?」

「あたしがゲルダ様の殺した魔女の胴体を操ってあたしの身体にしたの。ようやく動けるようになって逃げてたんだけど、途中であのアホちゃんに会ったのよ。一先ず一緒に逃げてたんだけど、途中でロゼッタに会ったのよね。もう……ロゼッタが完全に目がイッちゃってて、アホちゃんが自分の分身を身代わりにしてロゼッタから逃げたの。危なかったわ」

「ロゼッタ……いつの間にかあのとき部屋からいなくなってたのか……正気じゃないように見えたけど、判断は意外と冷静だったのかも……」


 そんな話をしている内に僕は眠くなってきた。シャーロットもしきりに目をこすり、眠そうにしている。クロエとガーネット以外は全員が疲れている様だった。


「もう疲れたし、明日にしようか」

「ええ。ていうかこんなところで寝るの? ベッドがいいんだけど」

「わがままを言うな。拠点は明日作ろう……長丁場になるだろうから」


 柔らかい草の引いてある場所に僕は身体を横たえた。他の者も同じようにそれぞれの寝床に入る。

 アナベルは不満そうだったが、砂の中に半ば埋もれていたことを考えればまだマシだと思ったのか、ため息交じりに横になる。


「寝首を掻かれないよう、見張っていてやる」

「ありがとう……ガーネット…………」


 ――明日からやっと本格的に解読作業に入れるな……


 目を閉じると、僕はすぐに眠りに落ちてしまった。




 ◆◆◆




 ガーネットはノエルが眠ったのを確かめると、焚き木の火を見つめた。

 夜は長い。以前、自分は夜に何をしていたのだろうかと考える。

 ガーネットは眠っているノエルの寝顔を見ていると時間が経つのも忘れてしまいそうだった。


 ――一時は目覚めないかと思ったときは肝を冷やしたが……目が覚めてよかった


 これからどうなるのか、どこまでできるのか解らないが、それでも立ち止まれない。

 考え事をしていると、ガーネットの視界に目障りな者が映っていた。

 目つきの鋭い嫌に腹の立つ表情の男だ。


「なぁ、吸血鬼。中々2人で話すこともねぇだろうから少し話をしようや」


 心底嫌そうな顔をして睨むが、クロエは意に介している様子はなかった。


「お前と話すことはない」

「俺はあんだよ。お前とノエルに関わることだ」


 無視したいが、しきりに話しかけてくるクロエを無視できない。

 せっかく眠りについたノエルが起きてしまう。


「やかましい魔女だ……ノエルが起きるだろう……小声で話せ」

「俺に偉そうに命令すんな。ま、ノエルが起きるってのは一理あるな」


 立ち上がったクロエはガーネットの隣まできて腰を下ろした。

 ノエルの寝顔を見てニヤニヤと笑っているのを見て、ガーネットは尚更不愉快に思う。


「気色が悪い。なんだ? 手短に話せ」

「……お前、ノエルの血をどのくらい飲んだ?」


 藪から棒にあまりにも立ち入ったことを聞かれて、ガーネットは表情を更に険しくする。


「お前には関係ないだろう」

「もったいつけないで言えよ。どう感じてるか知らねぇけどな、お前がノエルの血を飲みすぎるとお前が正気を失ってバケモノになるんだぜ?」

「私は正気を失ったりしない。バケモノなどにはならない」

「俺はてめぇがどうなろうが関係ねぇけどよ、お前がそうなるとノエルもそうなるんだよ。だから今言ってんだ」


 その話にガーネットは動揺し、焚き木の方を見ていた視線をクロエに向ける。

 彼はいつものヘラヘラとした表情ではなく、真剣な表情でガーネットを見ていた。


「お前……最近、自分でもおかしいって思ってるだろ? ノエルに惚れてる自覚ねぇのか? お前とノエルが会って間もないのに、全ての魔女を殺したいと思ってたお前がそう簡単にこいつを好きになる訳ねぇんだよ」

「…………お前などに、私とノエルの関係についてとやかくと言われる筋合いはない」

「ばーか。お前は気づいてねぇだろうが、それはノエルの血に当てられてるからそう錯覚してるだけだ」


 ガーネットはクロエの胸ぐらを掴み上げ、鋭い爪を首元に突き立てる。


「これ以上ふざけたことをのたまってみろ……喉元を切り裂いて殺すぞ……」

「おうおう……こりゃ重症だな……お前、自分の首を触ってみろ」


 首を触れと言われ、不審に思ったガーネットは言われるがまま自分の首に触れてみる。


 触れた瞬間、その赤い瞳を見開いた。


 普段は自分の首など気にしていなかったが、首の後ろの部分から何やら硬い芯のようなものを中心にフワフワとした感触がした。

 小さいその異物は量は少なかったものの、確かに以前はなかったものだと感じる。

 クロエから手を放し、懸命にその実態を探ろうとするがガーネット本人には見えなかった。


「……羽だ……羽が首から生えてんだよ……」


 感触からしてそうではないかと感じた。

 背骨の中心を境に、左右に別れて生えているようだ。しかしそれはまだ目立つほどではなく、髪の毛で隠れる程度に収まっている。

 ガーネットはその首元を服の襟で覆い隠した。


「……解っただろ? お前はこれ以上ノエルの血を飲むな。今はそれで済んでいるけどよ……ノエルの爪を見てみろ」


 ノエルの爪を見ると、若干爪先が鋭くなっているように見えた。

 起こさないようにノエルの唇に触れ、ゆっくりとめくってみると歯も若干八重歯が鋭くなっているように感じる。

 それは注意を注がないと気づかない程度の変化だ。ノエルは特に気づいている素振りはない。

 それを見たガーネットは表情が凍り付いた。


「契約しているからこそ、ゲルダに勝てる見込みはあるかもしれねぇが……ゲルダを殺せたとしてもお前らがバケモノになってみろ。それこそ手が付けられねぇよ」

「白魔女がいる今……無理に血を飲む必要もない……」

「…………せいぜい気を付けるこったな。ノエルは俺が言っても聞かねぇから、お前がノエルに言え」

「あぁ、明日の朝にでも契約についての話をする……」


 話が終わったクロエは元居た自分の場所に戻り、横になった。

 ガーネットは自分の首が気になってしまい、ついつい触ってしまう。

 羽の一本をむしり取ろうとするが、しっかりとその羽は自分の皮膚の下までしっかりと生えていて容易に抜ける気配がない。

 もどかしさが限界となり、思い切り一枚毟り取るとガーネットは首に激痛を感じた。大切な神経まで一緒に千切れてしまったのではないかと一瞬不安になるほどの痛みだった。


「痛っ……なに……」


 ノエルは痛みで目を覚ました。

 首から少しばかり出血している。勿論ガーネット自身も羽を無理やり抜いたところから少々出血していた。


「ガーネット……何かあった? ……あれ……血が出てる……」

「……お前、寝返ったときにでも岩で切ったのではないか? 気をつけろ」

「……そう……ごめん。気を付けるよ……」


 ノエルは首から微量に出血している傷を確認せずに、再び眠りについた。

 自分の首から毟り取った物をガーネットは握り締めていた。わずかな血液と共に手の中にあるものを確認するのに覚悟が決まらない。

 ゆっくりと自分の握りこんでいる手を開くと、そこには一枚の小さな白い羽が握られていた。羽の付け根の部分には自分の赤い血液らしきものが微量についている。


「………………」


 首に生えているその羽の枚数や大きさはよく確認は出来なかったが、全てむしり取りたい気持ちに駆られた。

 しかしたった一枚でこれだけの痛みを伴うのなら、ノエルに隠しおおせるはずもない。


「……お前にこれを話したら……お前はどうする?」


 誰にも聞こえない程度の声量でガーネットはノエルに話しかける。


 ――必ず契約を解く方法を見つける。それまでは僕の背中を守ってほしい


 ノエルがそう言っていたことがガーネットの胸の中でずっとつかえていた。

 契約という繋がりが途切れたら、自分がノエルのそばにいる大義名分を失ってしまう。

 どこにいくにも必ず共に歩んできたのに。それは半ばしかたないことだったとはいえ、それでも側にいたいと考えていた。

 ノエルにとって特別なのはリゾンでも、クロエでも、レインでも他の誰かでもない。

「自分なんだ」とガーネットは自分に言い聞かせる。


 ――今更……ただ「お前の側にいたい」などと言えるわけがない……


“好き”などという厄介なものを自分に知らしめたくせに、契約が切れたらどこかに消えてしまいそうだった。

 それこそご主人様とやらの後を追って自殺しかねない。


 ――あいつは俺が死んだら後を追うって言ってんだろ


 ノエルの主がそう言っていたのは、間違いではないとガーネットは理解していた。

 何故、あんな人間に執着するのか、ノエルの感情は理解はできずとも、理屈では解る。

 両親を殺され、育ての親のセージを殺され、何もかも奪いつくされ拷問にかけられていたところに現れたノエルを魔女と解らずに普通の人間として扱う人間だった。

 その初めての優しさに触れたノエルが強く依存するのも理屈は解る。

 それはガーネットやレインがノエルに対して感じるものに近い感情なのだろう。

 助けてくれて、種族に縛られず、一つの個として尊重してもらえる関係性は心地がいい。

 自分の唯一の居場所に執着するのは当然だ。


 ――ノエルをあの人間と共に死なせるわけにはいかない……


 契約をしているから、契約者の命の為にノエルは自身の命を繋いでいるだけにしかガーネットには見えなかった。


 ――駄目だ……ノエルには言えない……


 ガーネットはぬぐいきれない不安に対し臆した。

 言ったら、世界を作るよりもまず契約を解く魔術の方を探し始めるだろう。


 ――……何のことはない、ノエルの血を飲まなければいい話だ


 これ以上悪化しなければ、それほど顕著な変化でもない。

 クロエや他の者にはノエルと話し合ったということを伝えればいい。我々の繊細な問題だからノエルにはこれ以上このことを言うなと言っておけば、いくら無神経な魔女たちでも踏み込んで言わないだろう。


 それに、クロエに「お前は気づいてねぇだろうが、それはノエルの血に当てられてるからそう錯覚してるだけだ」と宣言されたことも完全に否定できるわけでもない。

 確かに身体や精神の変化が起こったのはノエルに会った後、つまり契約をしてからだ。可能性の話に過ぎないが、契約がなくなれば変調をきたした精神までもまた昔のように戻るかもしれない。


 ――また、ただ自分の強さを誇示し、略奪するだけの生活に戻るのか……?


 そんなことはない。

 これはノエルの血のせいなどではない。

 そう懸命に自分に言い聞かせながら、ガーネットはノエルの寝顔を見ていた。

 赤い髪がゆらゆら燃える炎に照らされ、美しく輝いていた。




 ◆◆◆




 眩しい朝の陽ざしで僕は目を覚ます。


「ううん……」


 僕が身体を起こすと、近くの木にもたれてガーネットが目を閉じていた。他を見渡すと、まだ起きている者はいない。

 寝癖のついた自分の髪を撫でつけていると首に違和感を感じる。

 その部分に傷ができているようだ。ほぼ塞がりかけているのは確認できたが、首の後ろなので視認することができない。

 自分の手を見ると、乾いた血がパラパラとついている。


 ――そういえば……寝てるときに首を切っちゃったんだっけ……


 僕は自分の眠っている柔らかい草を手でかきわけるが、鋭い岩などは見当たらない。


「起きたのか」


 草を分けて探している僕は手を止めて声のする方を振り返る。眠っていると思っていたガーネットは起きていたようだ。


「うん、見張りしてくれてたんでしょう? ありがとう」

「礼はいい。ちょっとこっちへ来い。お前に話がある」

「え、うん」


 ガーネットに連れられて僕は野営地から十数メートル離れた場所にきた。


「どうしたの? みんなに聞かれたくない話?」

「あぁ……私たちの契約の話だ」

「…………魔王城の階段のところで言ってたこと?」

「……それもある」


 そう言われると僕は寝ぼけていた頭を懸命に起こす。いい加減な気持ちでこの話を聞くわけにはいかない。


「それで……なに?」

「お前は私と契約していて、不便を感じているか?」

「ううん、感じてないよ」

「随分返事が早いな……本当にそう思ってるのか?」

「思ってるよ。あ、でも……」


 僕が「でも」と言った後、ガーネットは緊張したような面持ちで僕を見つめていた。


「僕が怪我をすると、ガーネットも怪我をするでしょ? それは申し訳ないなって思うかな……」

「それはお互いに同様なのだから負い目を感じるところではないだろう」

「んー……それは少し違う。ガーネットが傷ついて僕が怪我するのはいいけど、僕が怪我をしてガーネットに傷がつくのは嫌なんだよね」

「……同じことだ」

「今まで傷がついた原因は殆ど僕の方だしさ……」


 いつも僕のせいで怪我をさせてしまう。僕がいつも不注意と力不足で傷つけてしまった。

 僕が狙われる立場なのは解っているけれど、それでも僕が傷つくと同じ痛みを背負わせてしまう。


「気にすることではない。他には何かあるか?」


 彼はそんなことは全く意に介することもない様子だった。それに、なぜそんなに僕に聞いてくるのか、不安になってくる。


「そうだな…………本当に特にないよ。不便を感じているのはガーネットの方でしょう?」

「…………まぁ、お前は手がかかるやつだが、迷惑とは思っていない」

「でもエルベラをフッたのは僕のせいなんでしょ……?」

「あれは……別に直接的にお前のせいという訳ではない……咄嗟にそう言ってしまっただけだ」


 咄嗟に僕のせいだなんて言って、僕はそれについてずっと悩んでいたのか。

 そう思うとここは怒るところかもしれないが、僕はその言葉に安堵した。


「……そう……でもどうしたの? 急に……」

「だから……その……なんだ……お前は契約を解く方法を探すと言っていたが、このままでいい」

「……なんで?」


 あのガーネットがそう言いだすと思わずに、僕は戸惑ってしまう。


「目先のことを言うなら、魔女の女王と戦うときは少しでも有利な方がいいだろう。それに、今後についてもセージにお前のことを頼むと言われているからな」

「そう……まぁ、契約を取り消す魔術式も解らないから、今はどうにもできないよ。気持ちは嬉しい。ありがとう」


 そんなに責任を感じてくれているというところは嬉しく思った。

 少し過保護なんじゃないかと思うような彼の態度に僕は苦笑いする。


「それから……お前の血を飲むのは控えようと考えている。平気とはいえ、あまりに過剰に飲むと……後の反動がないわけではないからな。ここぞというときの為の手として温存したい。治癒魔術の魔女がいる今は、無理にそうする必要もないだろう」

「反動って、ガーネット身体……どこか良くないの?」

「なんということはない。少し怠くなる程度だ。そうすると動きが鈍るからな」


 なんともないと主張するガーネットのことを心配すると、彼は「大丈夫だ」と言う。


「本当に大丈夫? 少し身体をシャーロットに診てもらった方が……」

「まったく……心配しすぎだ。お前は目の前にあることに集中しろ。私ができるかぎりのことはしてやる。なんともない」

「……うん。本当に、無理だったら早めに相談してね? 色々考えててありがとう」

「あぁ。この話は……他の者には話すな。気恥ずかしいからな」

「ははは、そう。解ったよ」


 僕らが話をしていたところに、後ろから近づく足音が聞こえた。

 ふり返ると寝ぼけている様子のクロエが立っていた。寝起きは不機嫌なのか、目をこすりながら難しい顔をしている。


「なんだよお前ら朝っぱら2人っきりで……俺に隠れてやましいことしてんのか?」

「馬鹿なことを言うな」


 ガーネットはクロエを睨みつける。相変わらず仲が悪いようだ。


「ノエル、こいつからはされたか?」

「え……うん……」

「私とノエルの問題だ。は終わった。お前がずけずけ入ってくるな」

「けっ……いけ好かねぇ吸血鬼だぜ……」


 僕らは野営場に戻ると、やることを整理した。

 まずは魔女たちが協力してこの場所に簡易的な家を建てる事。世界を作る魔術式の解読には時間がかかるだろう。

 それから食料の調達もしなければならない。

 肉ばかりとっていても人数分用意するとすぐに近くの動物たちを皆殺しにすることになってしまう為、食べられる果実や野菜を調達する為に現地調査をすることにした。

 そうこう考えている内に、リゾン以外は全員が目を覚ましたのでその旨を伝える。


「僕は食べられる植物の調達をアナベルと行く。シャーロットとアビゲイルとキャンゼルは拠点となる家を作ってほしい。クロエは……えーと……過剰にならない程度に肉の調達をしてきてほしいな。ガーネットはリゾンを見ていてほしい」


「解りました」

「頑張る!」

「えー、家なんて作れないよ」

「植物の調達なんて面倒くさーい」

「こんな輩に狩りができるのか……?」

「るせぇんだよ死ね」


 と各々言いたいことを言った後に、僕は半ば強引に全員に指示を出し、追い立てたた。


「アナベル、行こう」

「はーい」


 アナベルと2人きりで植物を取りに出ると、その森の中は様々な植物が生えていた。

 僕らはそれなりに植物に知識があるから、集めるにはそれほど苦労はしなかった。


「ねぇ、そんな黙ってないで、お話しましょうよ」


 アナベルが沢山の食べられる植物を両手に抱えて、無邪気に話しかけてくる。

 頭は良いようで、どれがなんの植物なのかの知識はあるようだ。


「……そうだね、ゲルダの話を聞かせてほしいかな」

「あぁ~ん、堅い話ね。あたしはもっとくだらない話のほうがいいんだけど?」

「…………くだらない話って、例えば?」

「あの吸血鬼2人とクロエ、どの男が好みなの? それともリサが好みだった?」


 聞いてみると本当にくだらない話で、僕は首を横に振って無視した。

 アナベルは僕に無視されてムキになったのか、僕の視界の中に無理に入ってくる。


「ねぇ、いいじゃない? 堅い話ばっかりしてると嫌われるわよ?」

「別に好かれようと思ってない」

「ふーん……クロエはこういう素っ気ないのが好みなのね」

「アナベル、僕は……僕らはお前を信用したわけじゃない。いいか? 自分のしたことの重大さを少しは自覚しろ」


 冷たく言い放つが、アナベルは肩をすくめてまったく僕の言葉が響いているようには見えない。

 少し罪悪感があればあんなことはできないだろう。

 あの残忍な実験ができたということは、彼女には良心というものが欠けているということだ。


「まぁ、あんたが興味のない話題に全く食いつかないお高く留まってる魚なのは解ったわ。それなら少しは興味のある話をしてあげる。あたしの話にあんたは食いつくはずよ」


 面白半分に話し出すアナベルは相変わらず軽薄な様子だ。


「あんた、人間に惚れ込んでるんでしょ? たまーにいるのよね。奴隷を囲い込む魔女」


 僕はご主人様を奴隷呼ばわりされたところにムッとしてすぐさま反論する。


「あの人は僕の奴隷じゃない」

「そうなのよね、だからあのアホちゃんの作った魔女の心臓の誓約に縛られなかった……尚更変わってるわ、あんた」

「僕を挑発してるのか……?」


 アナベルを睨み付けると、両手を振りながら「違うわよ」と言う。


「魔女と人間の確執は知ってるわよね? 人間は魔女を長い間虐げてきた。人間が定めた罪そのものだったの。魔女だというだけで、人間にとって罪なのよ」

「……昔からそれは変わってないみたいだね。人間と魔女は憎しみあってるみたいだし」


 お互いに歩み寄れないほどの軋轢あつれきがある。それは肌で感じていた。


「あたしはゲルダ様の考えに賛成だった。強いものが絶対なの。世界ってそういうものでしょう?」

「まぁね、それがすべてではないけど」

「そうね。でも……強い力を手に入れたゲルダ様は徐々におかしくなっていった。女王になる前のゲルダ様は不器用にでも、魔女をまとめようと真剣に考えていたし、魔女の未来を考えていたわ。あたしはあんたの母親のルナ様よりもゲルダ様の方が女王に相応しいと思ってた」


 アナベルが何年生きているのか僕には解らなかったが、ゲルダと縁のある魔女なのだということは今の話で解る。


「ある日ゲルダ様は身体の半分がぐちゃぐちゃになって異臭を漂わせながら、他の魔女に担がれて帰ってきた。そのときにあんたの半翼の三枚を握りしめていたのよ。ゲルダ様にどんなに治癒魔術を施してもその酷い爛れは治る気配がなかった」

「僕の両親が殺されたときの話だな……」

「そのとき、大昔の文献から魔族の生命力に目をつけていたあたしは、あんたの翼を移植すればもしかしたら生き残るかもしれないと考えた。これが大正解だった反面、大間違いだったわ」


 ここまで世界の話が滅茶苦茶になった事の発端はこいつのせいか……と、考えると僕のアナベルに対する表情は尚更険しくなる。


「ゲルダ様はあんたの翼を移植して、一命はとりとめたものの、毎日翼に魔力を喰われるようになって、激痛に苛まれ、ついにおかしくなった」

「馬鹿なことをしてくれたね……そのまま見殺しにしたら良かったのに……」

「そうかもね。でもあたしは自分の知的好奇心に抗えなかったのよ。自分の理論を試してみたいでしょ?」


 自身を容易に正当化するアナベルに殺意が沸いてくる。もしそこでゲルダが死んでいたら、セージもラブラドライトも、あの赤い龍、数多の魔族も命を落とすことはなかったはずだ。

 しかし、もしそうなっていたら僕はご主人様に会わなかっただろう。

 そこだけは複雑な思いになる。


「魔女に対する支配も、人間に対する支配も過激になっていったわ。それだけでは飽きたらず、異界に干渉する術を知ったゲルダ様は魔族にも手を出した」

「どうやって異界に干渉する魔術を知った?」

「『セージの書』よ。それを手に入れたの。あんたと一緒にね」


 セージが殺され、僕が捕らえられたときにセージの記した本が魔女に盗られたのだろう。

 そこに異界に関する知識が詰め込まれていたはずだ。


「それから不安定な翼の力を安定させようと、片端から翼人を制約で呼び出し、縛って、ゲルダ様に翼を移植して安定させようとしたんだけど、どれもあんたの翼と対等にはならなかった。当時、魔女は魔族を縛る術は未完成で、翼人たちの反撃に遭った。戦いになったわ。なんの収穫もなかったのに、沢山死んだ。かろうじて魔女が勝ち、翼人は絶滅して、最後の生き残りがあんたなのよ」

「………………」

「他の魔女に、対になるよう翼人の翼を移植しようともしたけど、魔族と魔女は相容れないものだったせいか、片端から移植した魔女は死んでいったわ。成功した例なんてなかった」


 同じ魔女をそんな風に扱うなんて、やはり残酷な話だと僕は感じた。知的好奇心は恐ろしい。どんなに残酷なことでも容易にしてしまう。


「あんたの翼は、あんたが半分魔女だから移植が上手くいったのよ。それでも、こんな状況で“上手くいった”なんて言えないわね……」


 アナベルは珍しく、しおらしげにうつむいた。


「あたしは日に日におかしくなってくゲルダ様を見ていられなくなって、地下にこもりきりになった。魔女の心臓を作れって言われて、研究してたの。まぁ、無理だったけど、毎日毎日死体が運ばれてきて、死体の相手ばかりよ。魔族の死体やら、魔女の死体、人間の死体、動物の死体……生きてたのはリサとアビゲイルくらい」


 そのリサは死んだ。アビゲイルもかなり危ない状況だった。

 死体ばかり相手にしていたから残虐なことが平気になったのか、平気だから残虐なのか解らなくなる。


「リサはあんたを暴走させたことと、ロゼッタや他の魔女に怪我をさせた罰としてフルーレティが連れてきたの。リサは嫉妬の罪名持ちだったし、実験の足しにしろって」

「僕には……罪名って概念がやっぱりよく解らない。罪状から決まるんだろうけど、それがあるからなんなの?」


 僕には解らなかった。

 人間に近い感覚で育った僕には、罪を崇める風習は理解できなくて当然だ。

 悪いことはしてはいけないとセージによく教えられて育ったから、殊更に解らない。


「罪名を与えられるとき、魔女は讃えられるのよ」

「讃えられる?」

「罪は誰もが犯すもの。罪のない者なんていない。でもその罪や罰を決めるのは誰? 時代によって美徳のありかたは変わる。自分が正しいと思えば、周りの全てが罪になる」


 人間が罪そのものと虐げられた魔女にとっては、人間の定めた罪は美しいものに映るのだろうか。


「人間が罪と定めたものを全て捨てて、楽しく生きられる?」

「……どうかな」

「怒りがなく、何もかも受け入れられていたら何の進化もしなかった。食べ物がない貧しいときは、食べられるときは食べようとするのは普通よ。多くを求めるから人は前向きになれる。怠けて生きていられるなんて幸せだと思うの。常に死を隣に置いたら疲れてしまうわ」


 軽薄に話す口調とは裏腹に、尤もな理論をアナベルは並べてくる。


「嫌なことに憂鬱になるのも、自分を飾って見せるのも、自分を気高く見せるのも普通よ。性欲がなかったらとっくに絶滅してるし、誰だって“愛”って幻想を追っているのよ。罪だと咎められたって自分が良ければそれでいいじゃない。他人の為に生きてるわけじゃないんだから」

「……そうだね。でも、力ずくで奪いつくして強いものだけがいい思いをするのは知性のある僕らには相応しくないと思う」

「あんたは夢見すぎなんじゃない? 罪と咎められたって、生きる権利はあるわ。魔女だからって皆殺しにしようとした人間は昔から変わらない。今も魔女を隙あらば殺そうとしてるでしょ?」

「僕が魔女だと知っても、優しくしてくれた人間はいるよ……」

「そんなの稀でしょ? あんたの慕ってる人間だって、あんたがあたしの頭を蛇の腹に放り込むような魔女だって知ったら嫌いになるに決まってるわ」

「知ったような口をきくな」


 バチバチバチッと僕の周りで電撃がほとばしる。

 アナベルはそれを見ると「そんなに怒らないでよ」と焦ったように言った。僕はイライラしながらも矛を収める。


「人間が忌避する罪を、魔女は栄誉の象徴として罪深いほど讃えられるのよ」

「…………リサは罰せられたのに?」

「魔女にも犯してはならない規則があるわ。今……今っていうか、ゲルダ様がまだまともだったころ……ゲルダ様に逆らうことだけはしてはいけなかった」

「随分と……独裁的な政治だな」

「ゲルダ様が翼を得て死なない身体になってからは、女王の座から降ろすこともできなくなっていた」


 しかし、何故不死身の身体になってしまったのだろうか。

 ゲルダと同じように半分の翼がある僕は、いくら力が強くても不死身ではない。


「どうして死なない身体になったの?」

「んー……そうね、いろんな魔族の細胞を移植したりしたからかしら……突然変異みたいなものかもね」

「…………本当に最悪だ。考えれば考えるほど倒せるのか不安になる」

「理論上は、あんたの翼なんだしあんたに戻すのが一番だと思うのよね。あんたの血液か何かで反応させるとかね」

「なら僕が大人しく捕まってた時期にしたらよかったじゃない」

「あんた、馬鹿なの? あんたに翼なんて戻したら今頃世界が滅んでるわ」


 不躾な物言いに一々僕は苛立ちながらも、拠点へ戻り始めた。

 アナベルはかんに障るが、言っていることは的を射ている。研究者をしているほどだ、それなりに頭がいいのだろう。


「あんたの罪は……『傲慢』と『強欲』かしら? 昔は『憂鬱』だったかしらね。それとも人間に紛れて生活してたし『虚飾』……それとも『怠惰』?」


 頭がいいのは別にして、人格は破綻しているのは手に取るようにわかる。


「うるさい。話してないと死ぬのかお前は」

「冷たーい。地下で死体の相手ばっかりしてたんだからいいじゃない。死体は話しかけても返事してくれないのよ?」


 鬱陶しいと思いながらも、道を進み拠点へ戻った。アナベルは僕が話さないと、それはそれとして周りの植物などに興味を示していた。

 移り気な性格のようだ。本当にうまくやって行けるのか不安になってくる。


 僕らが戻るとシャーロットたちは立派な家を作ってくれていた。かなり大きく、僕ら全員に個室がある家だ。

 一階は広間で、二階、三階と上方向に伸びている。


「シャーロット、すごいじゃない」

「おかえりなさい。この辺りの木材と石を使って作ったのですが……強度が不安ですね。設計の知識がないので……」

「それなら石の柱を等間隔に置いて、それから――」


 アナベルはシャーロットに助言をしている様だった。

 シャーロットはアナベルのことを快くは思っていないだろうが、争うこともなくアナベルの助言通りに家を作って行った。


 ――シャーロットは大人だな……


 そう考えているとアビゲイルは僕の後ろに隠れるようにしてアナベルから遠ざかっている。


「キャンゼルはどこに行ったの?」

「あの人は……そこで石の原料を作ってます」


 炎の魔術で懸命に様々な石や土を混ぜていた。それほど強い火力でもないが、なんとか煉瓦のようなものができあがっている。

 しかし、ひとつひとつ作っている為に数えるほどしかできていないようだった。


「…………キャンゼル」

「あっ……ノーラ、どう? あたし頑張ってるでしょう?」

「……そうだね。その煉瓦は……シャーロットに使ってもらおうか」


 彼女なりに頑張っている様だったので、責めはしなかったが何かもっと向いている仕事はないだろうかと考える。


 ――再現魔術……解けたら消えちゃうしな……


 そんなことを考えている間に、クロエが狩りから戻ってきた。クロエが戻ってくると、アビゲイルはシャーロットの方へ走って行った。アビゲイルはクロエのことも苦手らしい。

 クロエの手には大型の草食獣の遺体があった。ズリズリとひきずってこちらへ歩いてきている。意外と細身の身体の割には力があるようだ。


「ノエル、大物だぜ? これなら暫く食えるだろ」

「鹿だね。ありがとう。こっちも食べられる植物取ってきたから」

「家もまぁまぁだな。俺はお前と同じ部屋でいいだろ?」

「…………良いわけないでしょ」


 そう言っている間に、クロエが僕の後ろを見て目を大きく見開いた。


「ノエル!」


 ガーネットの僕を呼ぶ声が聞こえた瞬間、クロエの首が鋭利に切られ、血が噴き出すのが見えた。


「がはっ……!」


 ――え……?


 何が起こったのか解らず、膝をつき自分の首の傷を必死で抑えるクロエに触れようとした。

 しかし、僕は外的要因でそうすることはできなかった。


「お前、本当に愚かだな」


 その声が誰の声か解った瞬間、僕の腹部から血まみれの鋭い爪の手が生えたのが見えた。

 本来絶対にその場所に手など見えるはずもない。

 僕の脊柱が背後から砕かれ、腹部にあるはずの内臓の一部がその血まみれの手に握られている。

 痛みと熱さを同時に感じる。

 あまりの痛みで激しい吐き気に襲われる。


「リ……ゾン……」

「言っただろう? お前に凌辱の限りを尽くすと」


 僕はその場に倒れ込んだ。腰の脊椎が破壊されたため下半身が動かない。

 神経が断裂されてしまっているのだろう。


「ちょっとあんた!? 何してんの!?」


 キャンゼルやアナベルがかけよってくるが、それもリゾンの素早い攻撃にすぐさま陥落する。キャンゼルは左腕を切り落とされ、アナベルは首が地面に落ちた。

 僕はその光景を朦朧と、手放しそうな意識を懸命に繋ぎ留めながら見ていた。


 ――駄目だ……動かない……痛い……苦しい……


 僕はリゾンに首元を掴まれ、成す術なく引きずられて森の中へと入って行った。

 息もあがり、あまりの痛みに吐き気を催した。

 吐くものもないのに僕は嘔吐する。すると、胃液のようなものが口から出た。


 ――ガーネット……


 僕と同じように腹部に穴が開いているガーネットは、僕と同様の外傷を負い、倒れていた。


「ノエ……ル……」


 彼は懸命に僕に手を伸ばすが、その手は届くことはなかった。



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