第36話 交わらない想い




【シャーロットとクロエ 現在】


「おせえなぁ……いつ戻ってくるんだよ……殺されたんじゃねぇのか?」

「それはありません。ノエルが残していった羽に魔術がかけられたままですから。死んでいるならその魔術は消え去るでしょう」


 白い一枚の羽からは淡く発光しており、魔力を帯びている。

 シャーロットは髪を後ろでまとめ、相変わらず魔術式を必死に地面に書いていた。

 クロエは暇そうに時折近くに来た生き物を感電させて仕留めては、適当に捌いて食事の用意をする程度で他にすることもない。


「時空を超えて魔術の継続なんかできるのか?」

「ノエルならできるのでしょう。ずっと自分の翼を隠すために継続的に魔術を使っていましたし」

「どこまでも規格外だな、あいつは」

「世界を創造しようなんて考える人は何人もいそうですけど、実際にその計画を実行して作ろうとする人はノエルくらいなものでしょうね」


 ノエルが発ってから3日が過ぎた。

 シャーロットが書いている魔術式を時折クロエは見てみるものの、クロエにとっては難しく何を書いているか解らなかった。

 何を書いているのか聞いてみても、シャーロットは言葉を濁し、教えてくれない。


「そもそも世界を作るなんて俺たちにできるのか?」

「イヴリーンがしたように、理論上は可能なはずですが……あの時はイヴリーンの魔力に合わせ、何人もの魔女が協力しました。異界の魔族たちはそれほど魔術が上手い者がいるとも思えませんね……いくらノエルといえど、この少人数では世界を作るなんて無理です」


 何の変化もなくシャーロットが頭を悩ませている中、唐突に変化が訪れた。

 横たえられている白い髪の少女の指がピクリと動く。

 重い瞼を開けると、その少女の目には光がさした。ゆっくりと白く長い睫毛の生える瞼をあげると、そこは森の中だと気づく。


「お姉……ちゃん……?」


 その声を聞いて、シャーロットは驚いて振り返った。

 意識の戻ったアビゲイルは、自分の身体の状態を確認している。自分の腹部や脚、心臓の部分を何度も何度も確認して、それが間違いなく自分の身体だと解り、目の前にいる姉の姿を見て安堵したのか、アビゲイルは目に涙を浮かべた。


「アビゲイル!」


 シャーロットが走って駆け寄り、アビゲイルを抱きしめた。


「お姉ちゃん……!」

「良かった……ずっと心配していたのよ……」

「お姉ちゃんごめんなさい……」


 泣きながら抱き合う2人を、クロエは複雑な気持ちで見つめていた。


 ――無償の愛か……


 ノエルが残していった羽を手で弄びながら、自分にはほど遠いものだと諦められない。

 ノエルが戻ってきたら自分のものになってくれると信じている自分がいることは、クロエ自身も知っていた。

 それが希望的観測だということは解っていても、捨てることは出来ない。

 希望がなければ、人間も魔女も生きられないのだから。




 ◆◆◆




【ノエル 現在】


 城に戻った僕らは、魔王様のいる大広間に行った。

 そこには鎖と枷で拘束されたリゾンもいる。彼を見ると腕を切り落とされた痛みを再度思い出す。

 魔女に実験されていたときは内臓を生きたまま取られたこともあった。それと比べればまだ可愛いものだと思おうとするが、自分を凌辱しようとした彼に嫌悪感を抱かないわけがなかった。

 僕が顔をしかめてリゾンを見ると、リゾンはニヤリと笑う。それが僕の気持ちを逆撫でる。

 2人で戻った僕らを魔王は見据え、リゾンの処遇を問うた。


「して、ノエルよ。リゾンの処分はお前が決めるがよい」


 僕はリゾンの前まで歩み寄った。

 恐怖も怒りも拭えなかったが、怯むことはなかった。

 真っすぐにリゾンを見つめる。


「殺すならさっさとしろ」


 リゾンのだらりと垂れている腕は一応はついているようだ。しかしピクリとも動かない。

 恐らく、神経までは繋がっていないのだと悟る。


「……殺しはしない」


 そう言うと、リゾンはニヤニヤするのをやめて、驚いたように僕を見つめた。

 自分の気持ちと反することを言うと、胃の中の胃液が逆流して吐き気がしてくる。


「その代わり、僕に協力して」

「協力だと……? 笑わせるな」


 睨むように刺すような目つきで僕を見るその顔は、確かに魔王の子息の迫力であった。


「協力するならその動かない腕を治せる魔女の元へ連れていく」

「協力など……」

「僕は殺したくない」


 あくまで協力しない態度の彼に、それでも僕は語気を強める。


「やったことは容易には許せないけど、命を以て償うほどじゃないと思っている」

「何を甘いことを言っている……あちらの世界がどうか解らないが、こちらでは強者が絶対だ。それ以外の道理など存在しない」

「なら、勝った僕が絶対だよ」


 膝をついたまま僕を見上げるリゾンに冷たく言い放つと、彼は牙を向き出しにして怒りを露わにした。


「……解っていないようだね」

「自惚れるな。穢れた血風情が!」

「そうじゃない。僕が言っているのは別の方だよ」


 魔王様の方を見ると、僕を黙って見つめていた。


「魔王様がガーネットではなく、僕に処分を任せると言ったのは僕が被害者だからでも、僕が絶対的に強いからでもない。僕があなたを殺すという選択をしないと解っているからだ」

「なに……?」


 リゾンが険しい表情で魔王様を見ると、魔王様も黙ってリゾンを見つめていた。


「魔王様の愛情が微塵も解っていないようだねって言ったんだよ」

「魔族にそんなものはない!」

「………………」


 第二のガーネットのようで、僕は頭を軽く抱えた。

 これ以上、今彼に言ったとしても説得することは出来ないだろう。


「……僕らはもう少しこっちにいる。僕らがあちらに帰るまでに考えて決断してほしい。帰る前にもう一度問う」


 魔王様に一礼し、僕はリゾンに背を向けた。


「待て! 話は終わっていない!!」


 咬みつく勢いの彼を僕は無視してガーネットの隣まで行って、魔王様に向き直った。


「別の部屋を用意してある。そちらで休まれよ。血まみれの身体を洗うとよい」

「おい! 話を聞け!!」

「黙っていなさい」


 魔王様が牽制すると、リゾンは黙った。

 まだ言いたげなことが沢山ありそうだが、魔王様に逆らうことはしないようだ。


「ありがとうございます」

「今から42時間後にこちらの全土の者が一堂に会するよう手配をしておいた。私からも話をするが、お前からも話をするがいい」

「しかし……僕は異界の言葉が不自由なので……」

「ガーネットに翻訳させたらいい。それでよいだろう?」


 ガーネットは渋々といった様子だったが「解った」と返事をした。


「24時間後、部族長が集まる会議を開く。そこにまず出席するといい」

「解りました」


 リゾンを一瞥した後、僕は案内の小鬼についていった。ガーネットがついてきていなかったので振り返って見る。


「どうしたの、ガーネット」

「少しコイツと話がある。先に風呂に入っていろ」

「…………解った」


 僕は魔王の大広間を後にした。

 ガーネットは僕を見送った後に、魔王様に向かって不満を口にし始める。


「魔王……ノエルが殺さないと解っていたな……」

「ははははは、ノエルが殺すなどと言うと思っていたのか? 私の方がノエルのことを理解しているようだな」

「……汚いやつだ」


 魔王様が笑っているのを不愉快そうに顔をしかめた。リゾンは銀色の髪が床についていることも気にせず、ガーネットを睨んでいる。


「ノエルに今度手を出してみろ、ノエルが殺さなくても私が殺す」

「魔術も使えないお前が私を殺せるわけがない」

「ふん、のたまっていろ」


 ガーネットは熱く口論せずに僕の後を追って部屋を出た。リゾンはギリギリと歯を食いしばって悔しがっているのを、魔王はただ見ていた。




 ◆◆◆




【ノエル 翌日】


 僕は魔族相手の会議を行うべく、各魔族の長が集まったところで僕は前に立った。錚々そうそうたる顔ぶれに僕は息を飲む。

 重々しい雰囲気に、ビクビクしているとガーネットに背を軽く押される。


「しっかりしろ」


 ガーネットを見ると堂々としていて、各部族長の威圧感をものともしない姿勢でいるようだった。


「うん」


 僕は混血であるということも、最後の翼人の生き残りということも、片翼であることも何もかもをこの場では捨て置いた。

 片翼の自分の翼を隠すことなく見せる。

 真剣に見つめてくる各部族長たちに僕は向かって話し始めた。ただ言葉が通じないので、ガーネットに通訳になってもらって会議を進める。


 内容はこうだ。

 魔族の中で高度な魔術が使える者は一時的にあちらの世界に行き、世界を創造する魔術の手伝いをしてもらう。それは物凄く複雑な魔術式だ。

 前日に世界を創造する魔術式を解読していたが、火、水、土、雷、木、光と闇、重力、ありとあらゆる魔術系統が複雑に絡み合っている。すべては読み解けていないけれど、膨大な魔力が必要だということだけは解る。僕だけでは到底成しえない。

 だから協力してほしい。

 僕がそう言い終わり、ガーネットが通訳をし終えると、部族長側から僕に質問を投げかけてきた。


「しかし、世界を創造できたとして魔女は世界を超えて干渉する事ができる以上、隔離したとしても意味がないのではないか?」


 吸血鬼族の長、ヴェルナンドは異界の言葉でそう問う。


「勿論そう。隔離する前にすべての魔女を制約で縛る必要がある。それについてはイヴリーンがそうしたように『魔女の心臓』を使用する」


 つつがなくガーネットは通訳してくれたようで、ヴェルナンドには伝わった。


「その魔女の心臓はどうやって手に入れるつもりだ?」

「魔女の女王の心臓を使おうと考えている。この災厄の元凶の女王は僕の片翼を移植したせいで狂乱の渦中にいる。危険だが、そうする価値はある」

「ではその女王を倒さなければならないわけだな。それなら話も早い。我々にこの仕打ちをした魔女の女王には相応の償いをしてもらわねばならない」

「当然そのつもりで考えている」


 険しい表情でそう言う僕を、心配そうな顔でガーネットが見ていたことに僕は気づかなかった。

 両親やセージを奪い、ご主人様や他のたくさんの魔女に驚異を与え続けるゲルダを放ってはおけない。


「世界を作るのを先に行う。女王討伐はそのあとだ」

「我々には関係のないことだが、各地に散らばる魔女をどうやって新たな世界に移すつもりだ?」

「魔女の心臓で制約を課せばいい。“魔女は新世界で暮らす”と。魔女全員をまとめて送る」

「それでは貴殿も対象となるのでは?」

「例外の文をつければいい。その辺りは上手いやり方を考えているから問題はない」

「では我々魔族は、世界を創造する魔術の為、魔女の女王の討伐の為の二つに尽力すれば良いのだな?」

「いや……女王退治はかなり危険だ。僕がやる」


 僕がそう言うと、ガーネットは一度通訳を止めた。


「お前だけで倒せなかったではないか。ただの肉塊になっても尚、翼と心臓を核に再生していたのだぞ」

「あの翼をなんとかしない限りは誰が何をしても無駄だってことでしょう? あの翼は僕の魔力でこそ安定するのなら、僕が……元の持ち主が触れれば僕の魔力に感応してゲルダから剥がせるはず」


 確信はなかった。

 保証もない。

 ただ、他に手立てというものも見当たらない。


「それができるなら何故あのときしなかった?」

「覚えてないんだからそんなこと言われても……とにかく通訳してよ。後で話すから」


 不満げにガーネットが通訳すると、各部族長たちは一斉に声を上げた。

「納得できない」「私たちの積年の恨みは自ら晴らす」「協力した方がいい」という主旨の言葉を発していた。


「かえって非効率だ」


 そんなことは一言も言っていないのにガーネットはそのような事を言った。

「効率的ではない」という意味は理解した。


「こいつはどちらかというと守ろうとすると力を発揮できない性分だ。大勢で立ち向かったところでこいつの足手まといになりかねない」


 僕は何を言っているのかよく解らなかったが、部族長たちがまた次々に声をあげだしたことを考えれば、相当に反感を買うようなことを言ったのだろう。


「やかましいやつらだ。ノエル、お前の力を証明しろと言っている」

「え、僕の?」

「そうだ、お前の魔術を見せてやれ。本気の魔術だ」

「本気って……城が壊れちゃうよ……」


 ガーネットは僕の腕を引っ張り、窓の方へ向かっていく。大窓を開けるとそこから異界の景色が見渡せた。

 相変わらずいい景色というよりは禍々しい景色だ。


「空に向かって撃て」

「……本当にするの……? 部屋が揺れるというか……少しは壊れるよ絶対」

「そんな些細なことは魔族は気にしない。やれ」

「…………じゃあ下がってて」


 反発を強めている魔族長たちを納得させるにはそうするしかないといけないと感じた。

 衆人環視の中、というと彼らは人ではないから語弊があるが全員が僕を見つめる中、魔術式を構築し始めた。

 一度、ゲルダのいる街を全部吹き飛ばす寸前だった大型魔術式だ。

 どんどん大きく複雑になっていく魔術式は強いエネルギーを一点に集めていく。

 小規模な太陽ができているように部屋がジリジリと熱を帯びてくる。外でやるのとは勝手が違う。

 これでは本当に危険かもしれない。


「ねぇ、本当にやるの?」


 僕が不安になってそう言うと、他の魔族長たちは「構わない」と言う。構わないという返事をしている者もいたが、既にこの時点でやめたほうがいいと感じている者もいた。

 魔族の表情は良く解らないが、うろたえている様子くらいは解る。


「どうなっても知らないよ……!」


 一点に集めたエネルギーを一気に打ち出すと、僕は反動で後ろによろけそうになるが足をしっかりと固定してそれに耐える。

 高濃度のエネルギーは一筋の太い光線となり、空へ放たれた。

 部屋が眩しい光で白色に飛ぶ。

 エネルギー放出は貯めた時間の半分ほどだったが長い間に感じる。

 部屋の窓や、窓枠が破壊されて跡形もなくなった。ドロドロに溶けて発光している。


「っと…………これでいい?」


 部屋を振り返って見渡すと目を押さえてのたうち回っている者や、唖然として言葉を失っている者、物の陰に避難している者など阿鼻叫喚の状態だった。

 ガーネットは目を閉じていたのか、少しのダメージで済んだようだ。しかし目を押さえてつらそうにはしている。


「これが本気か?」

「八割くらいかな……流石に城を壊す訳にもいかないし……」


 それを一先ず落ち着いた魔族長たちに告げると、皆が驚いていたがゲルダ討伐の任は僕がやるということで異論はなかった。

 皆怯えて僕を見るのかと思ったが、各魔族長たちは僕を讃えた。

「魔王様と並ぶほどの強者だ」「味方で心強い」「魔術を教えてほしい」等の声が上がる。


「来るべき時がくるまで、少し待っていてほしい」


 会議を終えようとした矢先、僕はあることを思い出した。


「あと……吸血鬼の墓地で見かけた黄色い小さな花のなる植物は、魔族のどの程度が食べている?」

「あの植物は異界全土に生息しており、ほとんどの種族は口にしている。食べない方がいいと言っていたが……何故だ?」

「あれは、向こうの世界で“弟切草おとぎりそう”と呼ばれる植物で、ある種の毒がある。食べるとその毒が皮膚に作用を起こさせ、紫外線に感光するとその毒性が発揮されて爛れなどの症状が出る。人間の場合だけど、最悪の場合は壊死してしまうんだ。太陽の紫外線にさらされないここなら食事にしても問題はないと思うけど……」

「そのようなことが……」

「だからあの植物を好んで沢山摂取している魔族は、向こうに行くことは危険だと思う。勿論皮膚を隠す何かがあればいいけれど、完全に紫外線を防ぎきることは難しい。あるいは夜間の活動になるでしょう」


 僕がそう言うと、植物に詳しい木精族が異界とあちらの知識を共有したいと申し出た。火精族も高エネルギーの集め方について僕に後で村にきてほしいと申し出たり、あらゆる部族から知恵を求められた。

 ガーネットが慌ただしく通訳してくれるが、口々に色々なことを言われてガーネットはついに途中から通訳を辞めた。

 辞めたが、ある言葉だけ通訳してくれた。


「『三賢者として異界に留まらないか』と言っているぞ」

「え……」


 そう訪ねられたときに、セージの後継ぎができるのは嬉しかったはずなのに、すぐに肯定できなかった。


「……考えておくね」


 それはご主人様と違う世界で生きるということ。

 確かに空間が同じでも、生きている世界は違う。でも、本当に違う世界で生きることなんてすぐには決断できることではなかった。

 僕らが会議室を後にすると、緊張していた糸が切れたのかどっと疲れが出る。


「ガーネットありがとう。通訳がいてくれないと話が進まなかったよ」

「本当に魔族がお前の滅茶苦茶な作戦に同意するとは思わなかった。アラクレ者ばかりの、自分のことしか考えていないリゾンのようなやつばかりだったが……私があっちに行っている間に少しずつ何か変わったんだな」


 ――それは、ガーネットが知ろうとしなかっただけのことだと思うよ。本当は、魔族も優しい心を持っているんだと思う


 そう、言おうと思ったけれど、僕は眠気に襲われた。魔力を派手に使ったせいだろう。

 寿命を削ると言われていたが、僕はそんなこと全く気にならなかった。


「…………僕少し疲れちゃった。部屋で少し休むから、なにかあったら起こしてくれないかな」


 魔力も結構使ったが、不思議と身体が痛くならない。

 こっちの空気が僕の身体に合っているからなのか……僕はやっぱり魔女よりも魔族よりなのだろうか……そんなことを眠い頭でぼんやりと考える。


「お前は植物に対して博識なのだな」

「そこそこはね」

「あの赤い花はなんという名前だ? 弟の墓に植えたものだ」

「あれは……彼岸花って名前の花だよ」

「ヒガン? とはなんだ」

「彼岸っていうのは向こうの岸って意味。人間が名付けたんだけどさ、死んだ者は死者の国との狭間を別つ川を渡った向こうに行ってしまうという人間の概念があって、死人の花という意味で彼岸花という名前だと聞いたことがある」

「ふん……人間は空想に浸るのが好きな生き物なのだな。しかし死者の世界は確かにあった。間違っていた訳でもなかろう」


 空想に逃げて、現実を忘れるしかできなかったのではないかと考えた。

 現実では死んだらそこで何もかもが終わり、途絶える。

 僕らは特別に魔王様に教えてもらったから知っただけで、永遠に違う世界があるなどとは思わないだろう。

 大切な人が亡くなったことを大抵の場合は受け入れられない。死者を想い、祈り続けることしか生者はできないからだ。


 ――だから死の世界で死者は拘束されてしまう……


 それはなんて皮肉なことだろうか。


「お前が植物に詳しく、助かった」

「うん……セージの持ってた本を読んだり、ご主人様の治療の為に草を色々勉強して試したんだよね……意味なかったけどさ」

「……結果だけを見るな。お前は……大義を成し遂げたのだぞ」

「まだ何も成し遂げてないよ」

「お前に自覚がないだけだ。普段は険悪な関係の各種族をまとめ、一つの志の元に結託させたのだぞ。異界の革命と言って良いだろう」

「…………そっか。ならよかった」


 少し無理やり笑顔を作ってみたが、疲れが顔に出ている。あまり上手には笑えていない。


「ノエル……三賢者の話は断るのか?」

「考えてはいるよ……僕にはもう帰る場所がないから」

「………………」

「疲れちゃったから、少し休むね」


 僕は異界にいたほうがいいのだろうか。それも考えなければならない。

 考えることが沢山あるほうがいい。それならまだご主人様のことを考えずに済む。


「あぁ、私はまだやることがあるから、部屋で休んでいろ」

「うん。本当にありがとうガーネット……僕の勝手だけど、契約してよかったよ」


 ガーネットがいなかったら僕はここまで来ていないだろう。

 めちゃくちゃに思われた計画にもなんとか現実味が帯びてきた。


「…………馬鹿なことを言っていないでさっさと行け」

「あはは、じゃあまたね」


 僕は部屋に入るとベッドに倒れこみ、事切れたように眠りについた。




 ◆◆◆




【ノエル 翌日 魔王城控え室】


 魔族が一同に集まっている光景は圧巻だった。魔族長たちが集まっていた威圧感とはまた別の威圧感を感じる。

 魔王城に続く階段の最上段、大広間になっているところに魔族が集まっていた。

 魔族長たちを筆頭にあらゆる魔族が一丸となり、一つの大きな目的の為に結束しているようだ。

 僕らはそこを見渡せる城の部屋にいた。

 大窓を開けるとそこに演説に相応しい一角だけせりでている場所がある。


「このようなことは前例がないことだ。それだけ魔族全土が魔女に怒りを募らせているということだな」


 ガーネットが窓越しにそうつぶやく。

 本当に、僕が異界に飛び込んできたのは無謀だった。一歩間違えたら僕は骨も残らないような状態になったかもしれない。


「私が漏れのないように通訳する。お前はお前の好きなように話せ」


 ガーネットはもうボロボロのローブではなく、高潔さを漂わせる赤と黒の燕尾服のような服を着ていた。

 本来の吸血鬼族の正装なのだろうか。ガーネットがまるで別の人に見える。

 金色の髪は整えられていて、顔の傷も見慣れているはずなのにそれが一層彼に泊がついているように見えた。

 僕も翼を隠すことなく、そして破れた服ではなく過去に翼人が纏っていたという翼の部分に配慮した服を与えてもらってそれを着ていた。

 真っ白な袖の長い服だ。


「何を見ている」


 僕がガーネットを見ていたら彼は少し戸惑いながらそう言った。彼の声に最初に逢った頃のトゲトゲしさはもう無くなっている。

 僕はそれを嬉しく思った。


「ガーネット変ったね。最初は気むずかしすぎてどうしようかと思ったよ」

「自覚はないが……」

「ねぇ“好き”って解った?」

「なっ……こんなときに何を言っている」

「ふふ、そろそろ解ったかなと思ってさ」

「ふん……永遠に解らないだろうな」


 僕はガーネットが嘘をついていることに気づかなかった。

 彼の本心に気づくことなく、僕は出会ってから色々なことがあったと回想する。


 ――初めの頃は質問をしても全く答えてくれなかったんだっけ


 少しずつ良い方に変わってくれて僕は嬉しい。


「そういえば、ガーネットって何年生きているの?」


 ガーネットは初めて会ったときに、歳を聞いたら教えてくれなかった。今になって急にそれが気になり、問うた。


「…………26年だ」

「え? 26年? あはははは、僕と大して変わらないじゃない。それなのにあのとき『300年生きてから物申せ』なんて言ったの?」


 僕はなんだかそれがおかしくて笑った。

 てっきり300年以上生きているのかと思っていたのに、ガーネットは見た目通りの年齢だった。


「……笑うな。未成熟な魔女の分際で……」


 そのセリフもあのときと同じだ。

 僕はひとしきり笑った後に彼の顔を改めて見つめた。

 いつも通り、少し不機嫌そうに腕を組んでそっぽを向いている。しかし、それは彼の照れ隠しだということを僕は解った。


 こんな風に異種族同士でも解り合うことができるのに、どうして魔女とは争わないといけないのだろう。


 そんなこと……改めて考えるまでもなく解りきっている。

 罪を崇拝している今の魔女たちに、平和的な解決なんてできるわけがない。ゲルダは話し合いでどうにかなる相手ではないことは、過去の経験から痛いほど理解していた。

 僕らが話をしていると、魔王様が大扉から入ってきた。


「準備はよいか?」

「はい」

「では行こう」


 僕は魔王城の部屋の一室からガーネットと魔王様と共に外に出た。ざわめいていた空気がピタリと止まり静まり返る。

 音声を拡散させる為の魔術式を構築して魔王様が話し出した。


「皆のもの、良く聞くがよい。我々を脅かす魔女をこの者たちが隔離し、干渉しないよう取り計らってくれる。しかし我々もただいがみ合いながら待っているわけではない。部族長から説明があったろうが、それ相応に力を合わせなければならない。心して聞け!」


 魔王様が異界の言葉で話したものをガーネットは翻訳して教えてくれた。

 魔王様が身を引き道を空けてくれた。僕が話す番だということがわかり、僕は魔王が退いた演説台へと乗る。


「僕はあっちの世界からきた魔女と翼人の混血……穢れた血と忌み嫌われる者だ。僕のことをよく思わない者も多いと思う。だけど話を聞いてほしい。僕は魔女に両親を殺された。そして僕を育ててくれた翼人……セージも殺された。そして……そしてまた今度は僕の最後の生きる意味すらも奪おうとしている。僕は魔女を別の世界に隔離したい。僕は……魔族の未来がどうとかそんな大層なことを言うつもりはない。僕は僕の為に戦う。利害の一致の関係だけでいい。僕を利用していい。僕も魔族を利用する。だから……――」


 僕は大きく息を吸い込んで、そして吐き出した。

 そしてなるべく静かな、それでいてはっきりとした声で言う。


「力を貸してほしい」


 僕は頭を深々と下げた。

 ガーネットが通訳し終えたとき、魔族たちからは大きな歓声が沸き起こった。

 もうここまできたら後には戻れない。

 戻るつもりもない。


 ――待っていてください。ご主人様。必ず僕があなたの為に魔女を世界から隔離します


 僕はたとえこの身が滅びようとも、必ず成し遂げると固く誓った。




 ◆◆◆




 魔王様と僕は2人きりで対峙していた。

 この場には小鬼すらもおらず、誰もいない。

 僕は魔王様にもらった魔術式が書かれている洋紙を持って、異界を後にする為に荷造りを済ませていた。

 ガーネットはヴェルナンドや他の吸血鬼族たちと話をしているようだったので、僕は1人で挨拶に訪れた。

 魔王様を初めて見た時は怖かったが、穏やかで優しい方で本当に良かったと思う。


「魔王様は加勢していただけないのですか?」

「すまないが、私が異界から離れるわけにはいかない。これを機に、異種族同士でのいさかいいをなくし、互いに手を取り合って生きていけるよう、新たな道を子供たちに示したいのだ。この戦いが終わりではない。戦いの先の未来が子供たちにはある。その命を、守ってやらなくてはならない」


 明確な“先”が見え、堅実な考え方で魔族をまとめる魔王様が僕とってには羨ましかった。

 僕には先なんて見えない。

 今はただ目の前の課題に取り組んでいるだけで、明確な先というものが想像できない。


「解りました。魔族の未来をお願いします」

「ノエルよ」

「はい」

「お前も魔族としてこちらで生きてもよいのだぞ。少しばかり住みづらいかも知れないが、魔女が消えた後に人間に怯えて暮らすことはなかろう」

「……僕は……ガーネットもおりますし……それも考えてはおります。しかし、世界を隔てて大切な人を置いてきてしまうのは……まだ決心がつきません」

「ほう……それは今や半身となっているガーネットよりも大切なのか?」

「……難しいことをおっしゃるんですね。ガーネットも勿論大切です。しかし、僕はどうしても彼が心配なんです……体も弱いですし、人付き合いは苦手ですし、町の住人からは煙たがられていましたし……これから僕がいなくても平気なのかと……」


 魔王様は心配する気持ちでソワソワしている僕を見て「落ち着きなさい」と言う。


「こういう言い方は気に障るかもしれないが……お前が心配するのも解る。だが、なくなったらなくなったで、なんとかなる場合もある」


 僕がいなくても平気なご主人様を考えると、せつない気持ちになる。

 僕がいなくても問題ない方が心配しなくてもいい。

 しかし、それは悲しい。

 僕を必要としてくれたご主人様に必要とされないのはつらい。


「それは…………解っているのですが……」

「愛情が深ければ深いほど心配になる気持ちは理解する。だが、これからの長い間、お前は生き続けるのだ。今は岐路に立っている」

「………………」

「まぁ……そうは言っても感情は制御はできないものだ。後悔しない道を探し、選びなさい」


 後悔しない道をここ数日ずっと考えていたが、選択肢など2つしかない。


 側にいて死なせてしまうか、離れて忘れるかだ。


 忘れられるのだろうか?

 何度も何度も考えたが、やはり彼の代わりなんてない。僕が魔女でなくなればと考えたが、それはどう考えても無理だ。生まれ持った性質は切りはなそうとしても切り離すことはできない。

 飛べない鳥が飛べる鳥になろうとしてもできないのと同じだ。逆もまたできない。

 飛べるのに飛べない風を装ったとしても、それはただという選択をしただけに過ぎない。

 まして命に関わることだ。慎重になって当然。


「魔女が人間になる方法は……ご存知ですか?」

「…………いや、残念だが」

「……そうですよね」


 別の生き物になろうとしたところで、それは無理だ。

 変化の魔術はあるが、それは見かけが変わるだけで解決にはならない。


「ありがとうございました。お世話になりました」

「構わない。武運を祈る。またいつでも来なさい」

「はい」


 一礼して魔王様の部屋から出て、やはり僕は人間になれないのだと痛感する。


 ――そんな都合のいい話はないよね……


 僕は魔王城を出て、ガーネットと合流した。

 魔族たちは階段上の大広間からははけていたが、とどまっている者たちも見受けられた。別の種族同士で話をしている。


 ――魔女と人間もこうだったらよかったのに……


 ガーネットは他の吸血鬼族たちと話をしていたが、僕の気配を感じると話を切り上げてこっちにやってきた。僕を見た他の者たちはこちらについて来ようとするが「くるな」とガーネットが牽制するとピタリと足を止めた。

 6人程で女性が多いように思う。


「まだ話しててもいいよ」

「冗談ではない。くだらない与太話をせがまれるこちらの身にもなれ」

「例えばどんな?」

「魔女がどんなものか、向こうの世界はどんなものか、お前となぜ契約したのか、契約とはどんなものなのか……そんなところだ」

「ふーん……随分ガーネットはモテるみたいだね」

「モテル? なんだそれは」

「異性に人気があるってこと」

「ふん、くだらん。私の伴侶ツガイになりたいなどと。弱い者には興味がない」

「ガーネットって、なんというか……そうかもしれないけど、クロエとかリゾンと違って硬派だよね」

「あの者たちが異常なのだ。好きあらば色情に駆られるなど、知性を持つ生き物として――――」


 僕がガーネットの話を聞いていると、見覚えのある者が現れた。

 以前ガーネットの前に現れた美しい女性の吸血鬼だ。確かエルベラという名前だった気がする。


「(何故……魔女……選択……自分……拒絶……疑問)」


 荒っぽい口調で話している。そのせいでよく聞き取れない。


「……待っていろ」

「うん……」


 ガーネットとエルベラは激しい言い争いになった。

 とは言っても、口調だけがその手がかりで、早すぎて何をいっているかは殆ど聞き取れない。ただ「魔女」「伴侶ツガイ」「選択」という単語は解った為、僕の話をしているということは理解できた。

 声を荒げているのはエルベラの方で、ガーネットは落ち着いた様子で話をしている。


「おい、話にならん。行くぞ」

「え……でも……」


 エルベラは物凄い形相で僕を睨み付けて怒っていた。


「何か僕、不味いことしちゃった……かな?」

「お前はなにもしていない。こいつが難癖をつけてきているだけだ」

「なんで怒っているか教えてよ」


 言いたくなさそうにしていたガーネットは、重い口を開いて話し始める。


「…………簡略的に言うと『何故自分と伴侶ツガイにならずにそんな魔女を選ぶのか』ということを言っている」

「それは誤解だよ……ガーネットは僕から離れられないだけで……僕を選んでる訳じゃ――――」

「……鹿には解らないようだな。時間の無駄だ。行くぞ」


 有無を言わさずに僕の腕を取り、ガーネットはエルベラは無視して歩き始めた。抵抗もできずに引きずられるように僕はその場から離れる。


「(逃げる……否定!!)」


 エルベラは腰につけていた棘のついている鞭をとり、思い切りそれを振った。

 空気をヒュンと切る音が聞こえ、その鞭の餌食になる寸前に僕は水の壁で弾く。しかし間髪いれずに何度も鞭を振るってくる。鞭さばきが早く、水の防御壁は弾き跳ばされた。


「ちっ……」


 ガーネットは舌打ちすると、鞭の猛攻を器用に避けながらエルベラの方へ素早く走った。エルベラの鞭捌きは激しくなるが、ガーネットには当たらない。

 エルベラの鞭の射程距離よりも近くなったところで、ガーネットはエルベラの腹部に自分の拳を叩き込んだ。エルベラは嗚咽をしてその場に崩れ落ちる。


「ガーネット……やりすぎじゃないの」

「こんなものは優しい方だ。八つ裂きにしないだけいい」


 ガーネットに再度腕を掴まれて引っ張られ、僕はエルベラから遠ざかった。

 うずくまっていた彼女は顔を上げて僕らを赤い瞳で睨みつけてきた。その目には嗚咽したからなのか、それとも別の要因でなのか、涙が浮かんでいた。


「(何故!?)」


 振り絞るように叫ぶエルベラは、なんだか可哀想に見えた。まるで泣いているように再びうずくまる。

 遠巻きにそれを見て、僕は戸惑いながらもガーネットに引きずられるように引っ張られて行く。

 階段を降り始め、エルベラが見えなくなったときに僕は足を止めた。


「ガーネット、せめて理由くらい答えてあげたらいいのに……泣いてたよ」

「……理由が聞きたいのか?」

「だってあんなに綺麗で強いのに……やっぱり僕のせいなの……?」


 不安げに僕は彼にそう尋ねた。

 一度ガーネットは顔を逸らした後、少し間を空けてから再び僕を見つめた。わずかな生ぬるい風で彼の金色の髪が揺れて目にかかっている。


「そうだ。お前のせいだ」

「…………ごめん」

「……鹿め。お前は……本当に……。もういい、モタモタするな」


 僕はガーネットに腕を引かれるまま階段を降りる。

 少し冷たいガーネットの手を感じながら、負い目を感じていた。


 ――やっぱり、僕のせいなんだ……


 自分のせいだとはっきりと言われ、エルベラに対しても、ガーネットに対しても申し訳ない気持ちになる。


 ガーネットは僕からは表情は見えなかったが、いつも通り険しい顔をしていた。

「鈍い奴め」と思いながら、ノエルの言葉を思い出す。


 ――ねぇ“好き”って解った?


 ガーネットはそんな気持ちなど解りたくなかった。

 知らないままでいられたら、今彼の手にある僕の腕の暖かさに戸惑ったりしなかったのだから……――――



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