第2話 背中




会社の昼休憩。

俺は食堂の飯を食いながらついている小さなテレビを眺めていた。

今日のメニューは定番のカレーと、漬物、小さなしなびたサラダと牛乳がついている。火曜日はいつもカレーだ。

別に美味しくもないそのカレーを俺は毎週注文して腹を満たしている。

食堂にはそれなりの人数がおり、大体はテレビの方を見ながら同僚と話をしながら食事をしていた。

流れているニュースは、数週間前からやっている謎の変死事件の話題だ。


「都内でこのガムテープ変死事件はこれで合計10件にものぼります。警察関係者への取材によると、密室の中で起きている事件であり、殺人との関連は――――」


――またこの話かよ……気味が悪い……もう夏なんだから、海開きのビキニの女でも映してればいいんだよ。まったく、なんも解ってねぇな……


心の中で毒づきながらも俺は無言でカレーをグチャグチャに混ぜてそれを口に運ぶ。


「よぉ、横田。隣良いか?」


俺の返事を聞く前に、隣に同じ部署の板垣が座った。

高身長で俺と違ってガリガリだ。分厚い眼鏡をかけている。白髪交じりの黒髪を七三分けにしている俺と同い年の男。


「まだいいなんて言ってねぇだろ」

「堅いこというなって」


軽薄にそう言うと、板垣も俺と同じカレーをカチャカチャと音を立てて食べ始める。


「最近、なんか元気ないな? なんかあったのか? 彼女がでてきてソッコーふられたとか?」

「ちげーよ……彼女いない歴=年齢の俺には縁のない話だね」

「じゃあなんだよ?」


カレーを口いっぱいに含みながら、もごもごと俺に話しかけてくる。

板垣の歯は俺よりも不ぞろいで雑多に並んでいた。嫌に歯並びが気になる。


「朝、電車人少ない車両があってよ。なんか気味が悪いんだ」

「そうだよな。あの車両、やばいもんな」

「え? やばいって何が?」

「横田知らないのか? 一か月前くらいにあの時間のあの電車でさ、駅のホームで突き飛ばされて電車に頭を強く打って死んだ女がいるんだって。首が酷く折れてねじれちゃったらしいんだけど、その後の捜査で『目』だけが見つかってないんだって。その頭を打った車両のどっかにあるんだって噂があってさ。気味が悪くて誰も乗りたがらないんだってよ」




『 見 て る の 。 』




その紙の言葉を思い出した俺はゾッとした。


「なんだよそれ、やめろよな……」

「お前、まさか……あの車両乗ってるのか?」

「だったらなんだよ……」

「えっ…………」


板垣はまだ食事が途中なのにもかかわらず、食器を持って席を立った。


「お、おい、板垣?」


呼び止めるほどの時間もなく、板垣はいなくなった。

それを見ていた周りの連中も俺を見ていたが、俺が周りを見渡すと俺を無視してそそくさと食事を済ませて立って食堂から消えていった。

そうして唖然としている俺は一人になった。


――なんだってんだよ……


誰もいなくなった食堂はシン……と静まり返っていた。いつも誰かがいて、いつも談笑の雑音がうるさいくらいなのに、まるで水を打ったかのように静まり返っていた。

すると、俺はふと視線を感じる。


真後ろだ。


しかし、俺はその真後ろを振り返れない。

クーラーが効いていて涼しいはずなのに妙にじっとりと汗が噴き出してくる。

息が徐々に荒くなって行くのを感じた。

それでも、ゆっくり、ゆっくりと首を左向きに向けていく。目を強く瞑り、息を震えながら吐いて、思い切って後ろを振り向く。


「っ……!」


そこには何もいなかった。

誰もいないし、何もいない。静まり返った食堂があるだけだ。


――んだよ……やめろよな……


そう思いながら、俺は食べ終わっていないグチャグチャに混ぜてあるカレーと、ろくに手を付けていないサイドメニューを返却口に返し、食堂の出口へと向かった。


――何もいねぇよ。ばかばかしい……


半ば怒りすらも感じながら、俺は食堂を最後に見渡して出て行く。

机を椅子の間の隙間から『見られている』ことにも気づかずに。



◆◆◆



日に日に俺が乗っている電車の、そのいつもの車両だけが乗っている人数が減って行った。

俺も不気味には思いながらも、その他の車両に分配された更に酷い満員電車を見ると、とても俺には乗る気にはならなく、いつものその空いている車両に。


――何ビビってんだ……俺もガキじゃねぇんだぞ……


電車がくるまでの間、ホームをずっと気にして見ていたが、やはりこの場所は誰も乗ろうとしない。しかし、乗るために並んでいる人は何人かいる。

その中に、気になる人物がいた。

やけに周りを気にしている。

しきりにキョロキョロと周りを見渡し、目を手で覆い隠し、目を何度も何度もギューッと閉じたり開いたりを繰り返していた。


――なんだ……あいつ……


「まもなく、4番線に列車が参ります――――」


――早くしてくれよ……ただ通勤するだけだってのに……


列車が先頭から俺を通過していく最中、その電車の窓ガラスに何か異様な者が映っていた。

一番初めに気づいたのは、その足元が裸足であったことだ。それに、白い服なのに何故か途中からおかしな感じで赤くなっている。

徐々に上の方を見ていくと、首の辺りが更におかしい。

何か、首があり得ない方向に向いてしまっているような――――


ドンッ……!


背中を強く押された。

俺は体勢を崩し、前のめりに倒れそうになる。目の前にはまだ高速で動いている電車がある。


「うわぁっ!?」


足がもつれながらも、俺はすれすれのところで電車と接触しないように踏みとどまった。

慌てて後ずさって電車から離れる。


「はぁっ……はぁっ……!」


心臓の鼓動が周りに聞こえてしまうのではないかと思う程、激しく脈打っていた。

息も、100mを全力で走った後かのように荒い。

俺はその場にへたりこんだ。瞬きすることも忘れ、その電車の扉が開いたのを、揺れる視界で見ていた。

後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。

ポケットからハンカチを出して汗を拭こうとしたときに、ふとポケットに紙が入っていることに気づく。

混乱している俺は勢いに任せてその紙を取り出し、読んだ。


『見て■の。■■を。見■る■。』


「あぁっ!!」


俺は電車に乗らず、その場から逃げ出した。


「小さな目の前にあります! 幸せは! 小さな目の前の逃したら!!」

「掴み幸せならないのです! 幸せの自分の手というものは!」

「休みの家庭のほんの事故は美味しいご飯! 睡眠の災害で引き裂かれ心地よさ! 当たり前の例えばならないのです!」


演説している女の声が聞こえてくる。

何を言っているのか支離滅裂になってしまっているような気がした。それでも目を血走らせて演説を続けていた。

そんなこと、俺の頭に入ってこない。

駅のホームで後ろから背中を押された後、俺は警察に駆け込んだ。

周りの目も気にせずに俺は大声で窓口で訴え続け、そしてやっと担当の者に通される。


「殺人未遂ですよ!? もっと真剣に聞いてください! 俺はホームで押されたんだ!!!」

「解りましたから。駅の監視カメラの映像を解析してみます。落ち着いて。まずはその押されたという服に犯人のDNAが残っているかもしれませんから、お借りしてもいいですか?」


俺はスーツを脱いで押されたであろう部分を初めて確認した。


「ひっ……」


息がヒュッ……と、喉が詰まるような感覚がした。

息をするのも忘れてしまいそうだった。

長い髪の毛が何本もその背中についていた。それも、数本ではない。数十本、あるいは数百本。

それに、なにか赤黒い液体のようなものがついていて、髪の毛がそれを糊のようになってはりついていた。


「なんなんだよこれぇえええっ!!?」


俺がスーツを投げ捨てると、警察の人もそれを見て後ずさる。

そして俺のスーツのポケットからはらりと落ちた紙を拾い上げ、警察がそれを拾い上げる。


「見て……る……の。…………おを。見……る……の?」


警察官二人はその紙を見て顔を見合わせた。


「横田さん、これも証拠としてお借りしてもよろしいですか?」

「好きにしろよ!! なんとかしてくれ!!!」

「ええ、わかりました。ご連絡先を教えていただけないでしょうか」


一刻も早く俺は家に帰りたかった。

乱暴に自分の連絡先を書き記すと、警察官に渡した。スーツの上着ポケットから乱暴に自分の携帯を取り出すと、逃げるように帰路についた。

携帯を開くと、着信が沢山入っている。

競歩で揺れる視界の中、チラチラとそれを確認するが、全て上司からのようだった。

会社に休むということを伝えることすら恐怖で忘れていた。

俺が電話をかけようとすると、そこに着信が再び入る。


「はい。横田です。すみません、事件に巻き込まれて連絡できずにいました。実は――――」


矢継ぎ早にそう話している中、なんだか電話の向こうの様子がおかしいことに気づく。


「……はははは……――――――きゃはは……――――」


女の子のような、子供もがじゃれ合っているような声が遠くに聞こえる。


「もしもし? 課長? もしもし?」

「………………」


突然何も聞こえなくなった。耳から携帯を離し、通話が続いていることを確認しようとする。


「……る……の」

「はいっ? 課長? もしも――――」

「 見 て る の 」


目が眼窩から落ちてしまうのではないかと言う程、俺は目を見開いた。

競歩で歩いていた足が止まる。


「はっ……はっ…………はっ……」


息がうまくできない。

電話を切りたいのに、身体が硬直して電話を切ることができない。


「……てるの……かお……見て……の…………かお――――――」


俺は携帯を投げ捨てた。

どこかの生垣に携帯は姿を消した。俺は辺りを見渡した。


右を見る。

左を見る。

上を見る。

左を見る。

上を見る。

右を見る。

下を見る。


すると、石畳の隙間に何かあることに気が付いた。

瞬きを暫くしていない俺の目には、それが霞んでよく見えなかった。

何度か瞬きをすると、ようやくソレが何なのか解った。


目だ。


石畳の隙間から、目が俺の方を覗いていた。

顔を、見ていた。


「うわぁああああああああああああああああっ!!!!!」


走り出した。


――早く……早く逃げないと……!!!


鞄が重い。

鞄を捨てる。

靴のせいで上手く走れない。

靴を脱ぎ捨てる。

ネクタイで息がよく吸えない。

ネクタイを捨てる。

そうして俺は家に全力で走った。



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