第35話:劣等賢者は部屋を探す

 ◇


 無詠唱魔法についてその後色々と聞かれ、忘れていた入学資料を受け取った。

 真っ直ぐ宿に帰ったのだが、着いたのは正午。


「思ったよりも時間がかかったな……」


 部屋へ戻ると、良い匂いがしていた。


「あっ、アレンおかえりなさい!」


 純白のエプロンを纏ったアリスは、まるで天使だった。

 ふりふりのデザインが華奢なシルエットにとてもよく合っている。


「ただいま。もう作ってるのか……?」


「夜にはまだ時間がありますけど、下ごしらえくらいはしておこうと思って。……昼は軽くでいいですよね?」


「ああ。……っていうか、悪いな。全部任せちゃって」


「アレンは忙しかったのでしょうがないですし、私も練習して上手くなりたいんです」


「もう既に手際いいし上手くできてると思うけどなぁ。まあ、常に上を目指すのは良いことだと思うぞ」


「ありがとうございます。アレンに褒められると嬉しいですっ!」


 油断した隙にとびきりの笑顔を俺に向けてくるアリス。

 ヤバイ、気を抜いたら死ぬ。

 窒息死か、失血死か、あるいはショック死か……。


 照れを誤魔化すように俺は話題を変えた。


「っと、そ、そんなことより、入学が決まったことだし早く住むところを探さないとな!」


 高等魔法学院には、学生寮というものが存在しない。

 ……というか、寮という概念がないみたいだ。


 だから試験に合格したらどこか住む場所を探さなければならない。

 このように進学するとかなりの金がかかるから、金持ちじゃないと色々と厳しい。


「アレンはもう探すのですか……?」


「ずっと宿に泊まるのも割高だろうしな。入学してからしばらくは忙しいだろうから、今のうちにと思ったんだがアリスはまだここにいるのか?」


「私だけじゃなくて多分ほとんどは入学してからになると思います。一人暮らしなんて贅沢はできませんし……」


「え? 俺の兄さんが王都の剣術学院に通ってたときは一人で生活してたって聞いたぞ?」


「本当ですか……!? アレンの家はすごいですね……。十年くらい前から急激に王都の地価が上がってしまって私にはさすがに無理です」


「あー……そういや一人暮らししてたのは十年くらい前の話だったな」


「あっ、なるほどです。アレンも普通で安心しました……。今は入学してから気の合う友達を見つけてシェアして住むのが普通のはずですよ!」


「そんなもんなのか。となると、友達作り頑張らないとなぁ」


「私はアレンとシェアしても良いというか、アレンが良いというか……」


 その瞬間——


 バチバチバチバチ!

 料理に火をかけすぎたようで、激しい音が部屋に響いた。

 慌ててアリスが食材を転がして音が沈静化する。


 口元が動いていたので何か言っていたみたいなんだが、聞き取れなかった。


「ん、何か言ったか?」


「な、なんでもないです……! ということですから、まだ先のことなのでもうしばらくここに泊まるってことで良いですよね?」


 何か俺のことを言ってた気がしたんだが……気のせいだったか?

 まあ、大事なことならそのうち聞く機会もあるだろし気にするほどのことじゃないか。


「アリスが嫌じゃないならその方がありがたいな。今から数日だけのために新しく宿を探さなくていいのは助かる」


「良かったです! 私もアレンがいてくれると助かります!」


「なるほど、ウィンウィンの関係ってやつだな」


「うぃんうぃん……? 初めて聞きました」


「あーすまん、俺の故郷の言葉でな。ほら、普通に一人暮らしするのが高いってことは宿の値段もそれに応じて高いわけだ。俺は新しい宿を探さなくていいし、お金を出し合うからアリスも宿泊費を節約できるってことだろ?」


「え、えっと……そうですね。ちょっと違うんですけど……」


 ちょっと分かりづらかったか……。

 今でも咄嗟に出てしまうのだが、あんまり日本語を使うもんじゃないな。


「あっ、じゃあ昼食の用意をしますね! アレンはそこで待っていてください」


「何言ってるんだ? 俺も手伝うぞ。一応ルームメイトなわけだし、メインはアリスがやって、俺が補助するよ。料理の練習をしたいのはわかるけど洗い物くらいならいいだろ?」


「アレンってすごいです……。料理ができることもそうですけど、料理や片付けを手伝う男性って都市伝説だと思っていました。すごく助かります」


「そんなに珍しいのか……」


 確かに父カルクスも料理どころか家事全般を手伝ってるところを見たことがないな。

 やっちゃいけないってわけではないんだろうけど、これも文化とか価値観の違いってやつかな。


 俺は微妙にその辺が現代的なことがあって全部任せるのは悪いと思っちゃう方だから我慢できない。それに、全部任せて待ってるより一緒にこなした方が楽しいしな。


 なんやかんや入学までの数日間はアリスとゆっくり過ごした。

 こんな日々がずっと続けばいいんだが、さすがに入学してからずっと一緒の部屋に住むのは色々と問題があるだろうし難しいんだろうけど……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る