第28話

「緊急着陸します!」


 操縦士の声に混じって、警報音が鳴り響く。

 ここまで来れば、斎藤の魔弾の射程外に到達できただろう。だが、それは飽くまで経験則だ。勘と言ってもいい。要するに、気は抜けない。


「冬美!」

「うん!」


 互いに声を掛け合う姉妹。すると、ヘリを包んでいた虹色の光が消えてしまった。否、ヘリの着陸部分に集中した。この機体を無事接地させようとしているのだ。


「きゃあああっ!」


 ゆったりと回転を始めた機体の中で、夕子が両耳を塞いで叫ぶ。本当は俺もそうしたかったが、辛うじて自分を押しとどめた。

 雨宮姉妹が魔力を使い果たしてしまうであろうことからして、最も戦闘力があるのは俺だ。俺がしっかりしなくてどうする。

 俺は念のため、無造作にラックに掛けられていた狙撃銃を手に取った。着陸予想地点に敵はいない。ならば、より遠くに警戒の目を向けるべきだ。


「着陸します! 全員、衝撃に備えて!」


 操縦士の叫び声に、全員が身を固くした。外を覗き見る余裕もない。


「チッ!」


 俺は狙撃銃を一旦捨て置き、シートの上で背中を折って全身を丸くした。衝撃を効率的に逃がすためだ。


「着陸まで、五、四、三、二、一!」


 操縦士の引き攣ったカウントダウン。それが、俺たちの緊張感も否応なしに高めていく。しかし、


「一! ……一! あれ?」


 着陸に伴う衝撃が伝わってこない。何だ? すると、ぱたり、と人が倒れ込む音が前方で重なった。

 誰が倒れた? 負傷したのか? その危機意識が、俺を現実に引き戻す。顔を上げると、冬美ががっくりと膝を着いていた。しかし、それより症状が大変だったのは、冬美に上半身を支えられた夏奈だ。


「高度零、着陸完了……」

「ちゃ、着陸? ふう……」


 拍子抜けした操縦士と小林の会話が聞こえる。

 それに割り込むように、俺は怒声を上げた。


「小林さん、例の船はいつ来るんです? まさかもう出航しちゃったとか、ありませんよね⁉」

「あ、ええ、私が確認した時刻まで、あと七分ほど余裕があります。医療受付体制もしっかりしているそうです」


 俺はほっとしつつも、何故こうも物事が上手く運んだのか、小林に尋ねた。

 聞けば、彼は電子機器の取り扱いに関する部署にいるという。そのノウハウを駆使して、現在この管区の海保の船舶に軽い電波妨害を仕掛けているらしい。


「そんなこと、できたんですか?」

「まさか味方にやられるとは、誰も思っていなかったんでしょう。いずれにせよ、ジャミングが効かなければ、人権保護団体の船も拿捕されてしまいます。報道されてはいないようですが、今頃管内は大パニックですよ。海上自衛隊にも通達がいっているはずですが、まあ、彼らが動く前に、団体の船の脱出は可能でしょう」

「いいんですか?」


 俺が問うと、小林は『何がですか?』と涼しい顔で問い返してきた。


「あなたの立場ですよ! 奧さんは病気で、娘さんはまだ小さいのに、捕まったらどうするんです?」

「なあに、どうにかしますよ」

「ど、どうにかって……」


 小林はシートベルトを外しながら、前方に視線を戻した。霧雨が、ヘリのキャノピーを優しく叩いている。


「自分がこの職務に就いて、妻が入院してから、ずっと娘のことは考えてあります。里親のことも」


 俺は思わず、ぎゅっと拳を握りしめた。


「あんたはそれでいいと思ってんのか⁉ 親に突然いなくなられて、その時子供がどんな思いをするか、それを分かって……!」


 痛いほどの沈黙が、ヘリの中に張り詰めた。その時だった。


「自分が」


 手を挙げた人物がいる。操縦士だ。


「自分が、その里親です」

「は……?」


 そのそばでは、小林がやれやれと首を振っている。


「自分は小林さんに、無理やり操縦士をやらされたわけではありません。状況をそれらしく見せるために、わざと小林さんに拳銃を向けられていただけです。本当は、脅されていたんじゃないんですよ」


 俺は気が抜けて、ぺたりと座り込んでしまった。

 操縦士は、小林とさして歳の変わらない、細身の男性だった。人当たりの良い、穏やかな笑みを浮かべている。小林と同じ部類の人間のようだ。

 彼は須山研一と名乗った。


「小林さんとは、高校、大学校とずっと先輩・後輩の関係でしてね。志を同じくしていると言ってもいいでしょう」

「須山には、『自分は小林に脅された』と供述させます。彼が罪に問われるようなことになれば、春子が路頭に迷うことになってしまいますからね」


 俺は少しばかりの安堵感が、胸中に湧いてくるのを感じた。しかし、懸念が完全に払拭されたわけではない。血の繋がらない親子というのがどういうものなのか、俺には見当もつかなかったからだ。


「大丈夫ですよ、鬼原警部補。須山はこう見えても三児の父です。子守は手慣れたものですよ」

「そう、ですか」


 そこまで言うなら、小林と須山の仲を信じるしかない。第三者的立場の人間として。


「あっ、見えてきました! 例の船です!」


 須山が前方を指差す。

 霧雨で霞がかけられたようになりながらも、小さなゴムボートが接近してくる。正面には高出力ライトが付いていて、点滅を繰り返していた。モールス信号のようだ。

 その奥には、巨大な豪華客船のような船体の影が見える。あれで偽装しているのか。


 俺は振り返り、女性陣三人の方を見遣った。一番大変そうだったのは夏奈だったが、歩けるだろうか。

 そう口にしようとすると、夏奈は冬美に抱えられながらも、顔を上げて笑みを浮かべた。

 穏やかで、温かくて、それでいて眩しい。彼女の上空だけ晴れて、光の筋が降りてきているかのようだった。


「ほら、姉ちゃん」

「え? きゃっ!」

「うわっ!」


 冬美が軽く、夏奈の背中を押した。ちょうど夏奈は、俺に抱き着く格好になる。いつかの学校の屋上で、土砂降りの中、治癒魔法をかけてもらった時のことが思い出された。


 あれからいろいろなことが変わった。俺の考え方も、他者との付き合い方も、人命に向かい合う意識も。

 俺は自分が、自分だけが不幸なのだと思いすぎたのかもしれない。それが改められ、暴力的でなくなったとすれば、それこそ夏奈のかけてくれた魔法のようなものだ。


「夏奈、冬美と一緒に、どうか元気で」

「涼真、あなたも」


 俺はそっと、夏奈の頭を自分の胸にかき抱いた。


         ※


 俺たちはヘリを降り、岸壁に向かって歩み出した。小林が流暢な英語で、ゴムボートの船員を話をしている。最終打ち合わせといったところか。

 

 その間、夏奈は俺と手を繋いでいた。結界が解かれた今、この状況はどこからでも丸見えである。恥ずかしいことこの上なかったが、まあ、仕方ない。

 はにかむのを止められないでいる夏奈。まあ、俺もそんなだらしのない顔をしていたんじゃないかと思う。理由は簡単。俺は夏奈のことが好きだからだ。


「これで、お別れだね」

「ああ」

「たぶん、セキュリティの関係で、連絡は取れなくなっちゃうと思う。観測技術が進歩したら、きっとテレパシーも観測されちゃうかもしれない。そうしたら、私だけじゃなくて皆の居場所が分かっちゃう」

「そうだな」


 いつの間にか、夏奈は俺の肩に頭をもたせかけていた。その時になって、ようやく夏奈が泣いていることに、俺は気づいた。夕子に授与された『朴念仁』という不名誉な言葉も、甘んじて受け入れねばなるまい。


「俺は、夏奈が元気でいてくれたらそれでいいよ。そう願ってる」

「もう会えないのに?」

「だから願うんじゃないか。確証がないから、人間はそうして『夢』だの『願い』だの、抽象的な言葉に頼るしかないんだ」

「う……」


 夏奈が肩を俺に寄せようとした、その時だった。

 俺は思いっきり、何者かに突き飛ばされた。完全に油断していたところを急襲された。何とか受け身を取る。

 俺の代わりに夏奈の隣に立っていたのは冬美だ。


「おい冬美、あぶな――」


 ザシュッ。


「な、何だ今の音は?」


 俺が首を巡らそうとした、その時だった。


「きゃあああああああ!」


 夏奈の絶叫が、埠頭に木霊した。

 俺が目を上げると、冬美がゆっくりと倒れてくるところだった。そして、俺は我が目を疑った。冬美の腹部に、大きな穴が空いていたからだ。


 俺はすぐさま戦闘体勢に入った。射角と方向から、冬美を狙撃した人物を見定める。そして、愕然とした。

 

 斎藤だった。放棄された資材コンテナの上部に立って、膝を着いている。まさか、またテレポートして、魔弾を放ってきたのか。


「全員伏せろ! 夏奈、冬美に治癒魔法だ!」


 叫ぶや否や、俺はヘリのキャビンに取って返し、先ほどの狙撃銃を取り出した。

 俺はスコープを覗き込み、狙撃態勢に入る。斎藤は魔力の消耗が激しいようで、次弾を生成するのに時間がかかっている。


 俺は斎藤の頭部に照準し、容赦なく引き金を引いた。パァン、と甲高い音を立てて射出される弾丸。それは、ABC弾頭、すなわち障壁破りだった。

 斎藤が怯んだように上半身を逸らす。しかし、これで斎藤が盾にできるものはなくなった。俺は狙撃銃の弾倉を確認、実弾が込められているのを見てから薬莢を廃棄。今度は実弾で狙いを定める。


 よくも。よくも冬美を。これ以上殺傷行為はしないと誓った少女を。


「くたばれ、斎藤ッ!」


 俺が引き金に指を掛けた、その時だった。

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