第9話

 両親の死を知らされたのは、退院の前日だった。

 死因は研究所で発生した爆発事故だという。赤色灯でよく見えなかったとはいえ、あの遺体の散らばり方は、確かに爆発によるものだろう。言われてみればそうだと、僕は冷めた頭で納得した。

 また、どうして爆発が起きたのかは分かっていない、という説明にも、むしろ合点がいった。あそこは『最先端の』技術開発を担う場所だったのだ。原因は諸説あるに違いない。


 ここまではいい。だが、俺にはその時、つまり五歳という幼い時期に、すぐにでも確かめねばならないことがあった。


『どうすれば、自分でこの事故を調べられるようになりますか』


 唐突に発せられた、分不相応な問い。大人たちは顔を見合わせた。俺自身、こんな言葉がするりと出てきたことに、不気味さを覚えた。しかし、すぐにあることに気づいた。


 ああ、そうか。俺は怒っているんだ。だからこんなことが言えるのだ。落ち着き払って、冷静に、大人びた口調で。

 俺の心は、両親の死を悲しむよりも、その死に怒りを覚える方へと舵を切った。しかし、次に大人たちから発せられた言葉もまた、この場には相応しくなかった。


「大人の人たちが調べるから、涼真くんは事故のことは忘れてしまいなさい。新しいお父さんやお母さんとも会えるから」


 次の瞬間、俺はキレた。

 何と言ったのか、具体的な言葉は覚えていない。しかし、おぼろげながら主旨は覚えている。曰く、


『死んだのは俺の両親だ、調査を他人任せでよしとはしない。それに、事故を忘れて里親を受け入れるというのは、実の両親に対する背徳行為だ、絶対にしない』


 と、いったところだったと思われる。

 この発言が周囲に与えたインパクトは絶大だった。そして、良かれ悪かれ、俺の人生を大幅に捻じ曲げる結果となった。


 翌日。退院したまさにその日の午後。

 俺は、診察をしてくれた心の先生に連れられ、久々に外に出た。ちょうど年が明け、街が、日本が、世界が踊り狂っているように思われた。

 そう、『狂っている』。だが、そんな捻くれた表現をしたがったのは、一種の思い上がりのせいかもしれない。『自分は他人より不幸だ』『もっと我を張っていいはずだ』という馬鹿げた幻想だ。


 それはさておき、俺は心の先生の車に乗せられ、件の踊り狂った街中を走り、郊外のひっそりとした区画に入った。

 住宅街の外れにあり、地勢的には近所の裏山の麓に当たるところ。そこにあったのは、幼稚園を連想させる建物だった。車から降り、先生について行く。

 頬を切るような冷たい風に晒されながらも、俺は建物を観察した。


 窓の内側では、俺に近い年代の子供たちの姿が見えた。今は流石に外で遊んでいる子供はいなかったが、皆楽し気だ。

 ここは幼稚園なのか? だとしたら、俺が通っていた施設より数倍の規模があるが。それほどの人数の子供が集められている、ということか。


 先生と僕が近づいていくと、下駄箱の並んだ入り口から、一人の人物が表れた。初老の女性で、セーターや冬物のズボンを着込み、その上からエプロンを、更にその上から厚手のダウンを着用している。

 その表情はにこやかで、この寒空の下、まるで彼女の周りだけ太陽に照らされているかのようだった。


 先生とその女性は、軽く新年の挨拶を交わし、建物に入っていく。


「鬼原くん、あなたも入って。寒いでしょう?」


 そう女性に心配してもらえたことが、心の底から嬉しかった。俺はすすっ、と鼻を鳴らしながら、ゆっくりと建物に足を踏み入れた。


 通されたのは、簡単な応接室といった部屋だ。小さな窓に、温風を送り出す石油ストーブ。しっかりとした対面式のソファと、部屋の隅には急須や湯飲み、給油ポッド一式。


「こんにちは、鬼原涼真くん。今日からここが、あなたの家よ」


 俺はお茶請けのどら焼きに伸ばした手を止め、女性を見つめた。


「ほら、鬼原くん。訊きたいことは何でも訊いていいんだよ」


 先生に促され、俺は遠慮なく尋ねた。


「ここはいわゆる児童養護施設なのですか?」


 唐突に社会的用語を口にした俺に、女性も先生も驚いた様子だった。しかし女性――施設長は、すぐに穏やかな笑みを浮かべ直した。


「鬼原くんは、難しい言葉を知ってるのね」

「ありがとうございます」


 これ以上、施設長の前で気を張る必要はない。俺は今度こそ、どら焼きに噛り付いた。

 次に問題になるのは――。


「ここには、三歳から十五歳の子供、若者が共同生活を送っています。六歳からは、きちんと学校にも通ってもらいます。三歳から九歳までと、十歳から十五歳までで、生活区画が分かれています。鬼原くん、皆と仲良くしてくれますか?」


『相手次第だ』と言いたいのは山々だった。だが、施設長の機嫌を損ねるのは俺の本意ではない。それに冬休み前まで、俺も一般的な幼稚園には通っていた。問題あるまい。


 施設長は再びにっこりと笑みを向け、それから先生に視線を移した。

 そこから先に為されたのは、俺の与り知らぬ会話だ。自分の身柄の引き渡し先が安全らしいと読んだ俺に、これ以上口出しする理由はない。


 二十分ほど会話が為されただろうか。施設長が『あら』と声を上げた。


「ごめんなさいね、大切な書類を準備しそびれちゃったみたい。少し待ってくださいます?」


 先生が了解の意を示すと、席を立って廊下に顔を出した。


「浦西くん、ちょっといいかしら?」


『はい』という短い返答がある。応接室に入ってきたのは、眼鏡をかけた、長身痩躯の男性だった。副施設長だという。その時、何故かこの男性の名前だけは、しっかりと頭にインプットされた。浦西副施設長。


『失礼しました』と告げて、施設長は数枚の書類をテーブルに置いた。その遣り取りを、俺はぼんやりと見つめる。


「それでは、ありがとうございました。鬼原くんを、よろしく頼みます」

「分かりました。よろしくね、鬼原くん」


 再び俺に微笑みかける施設長。俺は笑みを浮かべるのは無理だったが、素直に頷くことはできた。


 こうして俺は、この施設の一員となった。

 友人と呼べる仲の人間はいなかったし、要らなかったが、かといって排斥されることもなかった。俺の生き方――基本的にスタンドプレー、あるいはツーマン・セル――というのは、この時培われたのだと思う。

 

 俺の目的は、両親の死の真相を探ること。そのために警官になり、過去の機密資料を探れるようになること。そして、犯人を抹殺できるだけの力と権限を持つこと。


 これらの目的を達するため、俺は必死になった。座学にしろ実技にしろ、勉強はひたすらにやり込んだし、他者を観察する目を持つことも止めなかった。また、わざと一匹狼を演じることで、不出来な人間だと思わせて他者を欺くことも、いつの間にかできるようになっていた。


 俺の計画は、上手くいっていた。

 四年前の夏、施設長が心不全で急死するまでは。


         ※


 ふっと、意識が現在に戻った。左肩の治癒をしてもらっている、たった今という意味の現在だ。ちらりと横を見る。そこには当然ながら夏奈がいる。意外だったのは、彼女が神妙な顔つきをしていること、そして、その顔があまりにも近くにあることだった。


「どわあっ! っていってぇ……」

「ちょっと、涼真くん! まだ治りきってないよ!」

「おっ、お前がそんなに俺をじろじろ見るからだろうが! びっくりしたんだよ!」

「だって涼真くん、見たことないほど真剣な顔してたから」

「どんな顔しようが、人の勝手だろうが!」


 と言いつつも、俺は我ながら『俺らしくないな』という感慨を抱いた。

 俺は他人をシャットアウトしてきた。任務上の相棒である小林に対してですら、心を許していない。そんな俺が、何故夏奈に見つめられて、こんなにも動揺するのか。

 

「ほら、ちゃんと座って! 治療の続き!」

「あ、ああ……」

「それと……」

「ん?」


 今度は夏奈の方がもじもじし始めた。


「な、何なんだよ?」


 彼女らしくないな。そう思って、睨みつけるような目で夏奈を見ていると、彼女はおずおずと口を動かした。


「も、もしよかったら、話の続きも」

「え?」


 何だ、そんなことか。きっと施設長の急死のところで話を中断したから、俺に気を遣ったのだろう。


「大丈夫だ、そもそも話す予定だったよ」


 ここまで連続して話すことになるとは思わなかったが。


「あれは、副施設長だった浦西が、晴れて施設長の職に就いた日の夜のことだ」


         ※


 夜中。何故か俺は、胸騒ぎがして眠れなかった。

 二段ベッドが二つ並んだ、四人部屋の一角。俺は上段から、梯子も使わずに飛び降りた。周囲を見回したが、誰も起きる気配はない。俺はそっと部屋を抜け出し、自分の足の赴くままに、施設内を歩んでいった。

 廊下の照明は消えていたが、たまたまその夜は晴れていて、月明りを当てにすることができたのは幸いだ。

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