第二章



 玻璃と同居を始めて一週間ほど経った。一週間というのは、相手を知るにはある程度十分な時間だとアラストルは思っている。そして、かなり絶望を抱かされた。

 まず、玻璃は絶望的に料理が出来ない。今朝も朝食と言う名の炭化物を生産してくれた。一応刃物の扱いは慣れているらしく、食材を解体することは上手い。しかし、料理と呼べる物は一切作れていない。

 思わず頭を抱える。もしかするとここから何かの錬金術でまともな食事に変わるのかとどうしようもない現実逃避が浮かぶ程度には絶望した。

「……殺し屋ってよ……料理で毒殺、とか?」

 思わずそう訊ねれば、玻璃は丸い目で見つめてくる。

「毒集めはただの趣味。商売道具はナイフよ。剣も一応使えるけど……軽い方が好きかしら」

「ほぅ……で? もう一度聞くが、これは食品なんだな?」

 違うだろうと諭すように問えばあっさり「そう」と答えられてしまう。

 アラストルは深い溜息を吐いた。

「……仮にも女だからって期待した俺が馬鹿だった……」

 これが物語の世界ならば、拾った女は料理上手で働き者で……厄介な事件を運んできて、大抵、悪い奴に追われた女は最後は主人公と結ばれるのだろう。

 しかし、目の前の女にそんな期待は一切抱けない。厄介な事件を運んでくるという点しか合っていない。

 アラストルが台所に立ち、卵とベーコンを焼く。味付けは塩コショウのみ。薄く切った安っぽいパンに特価品のジャムを塗って食卓に並べれば、玻璃は感激したように目を輝かせた。

「アラストル、凄い……」

 尊敬の眼差しに悪い気はしないが、この程度で尊敬されるとなると玻璃の生活能力は極めて低いということになる。

 瞳は嘘を吐いていないようだ。ということは、彼女のこの生活能力の低さは嘘ではないのだろう。

 食べ終えた玻璃は当然のように玄関に続く廊下で丸まって眠ろうとする。どうも、床などの固い場所の方が落ち着くらしい彼女は毛布も被らず獣のように丸まって眠りたがる。

 別にそれに文句を言うつもりはなくなったが、今は邪魔だ。

「あのなぁ、俺はこれから仕事なんだ。どけ」

 そう言うと、玻璃は目を見開いて「驚いた」と言う。失礼な奴だ。

「俺をなんだと思ってたんだ?」

「無職、独身」

 即答で失礼なことを言う。

「独身は余計だ。これでも一応勤め先がある」

いて行っていい?」

「……どこの怨霊だよ。まぁ、元殺し屋なら問題ないか。商売道具はあるか?」

 そう訊ねると玻璃は長椅子の下からトランクを取り出し、その中から木箱を出した。

「ある」

 一体いつの間に用意したのだろう。

 玻璃は謎だらけだ。彼女の性格はある程度把握したつもりだが、生活はあまり把握できていない。

 アラストルが玻璃について知っていることは、生活能力が極めて低いことくらいだった。

「ついて来い」

 玻璃に声を掛けたが、途端に後悔しそうになる。

 勝手に連れて行って本当にボスを怒らせないだろうか。ボスは常に怒っているが、グラスをぶつけられる程度ならまだ機嫌がいい方だ。機嫌が悪ければ電話、もっと運が悪ければ机をぶつけられるかもしれない。

 急激に不安が襲う。せめてボスの嫁さんが機嫌取りをしてくれていることを祈ろう。

 自動車のエンジンをかけながら、何とか不安を振り払う。

 玻璃を一人にするわけにもいかない。

「玻璃」

 先に不安を解消しようと思い、声をかければ、少しぼーっとした表情をしていた。

 車に乗り込みながら玻璃にも乗れと声を掛ける。

 自動車が珍しくて見惚れていたのかもしれないなどと思いつつ、簡単な注意をする。

「絶対にうちのボスを怒らせるんじゃねぇぞ? 下手すりゃ殺される」

 機嫌が悪いとそこらへんの通行人を突然炭にしてしまうようなとんでもない男だ。

「ボス?」

「見りゃわかる」

 そう、見れば一目でわかる。あんなヤバい男はいない。この国で一番危険なのは間違いなくあの男だとアラストルは確信している。

 それでも、彼について行くと誓ったのは、彼が強いからだ。強大な魔力を持ち、なにもかもを炭に変えてしまえるほどの業火を操る強かな野獣。まるで本能を覚醒させたかのようなあの男に惹かれないはずがない。

 クレッシェンテは実力社会だ。強ければ国を牛耳ることができる。誰だって強いやつに従うのだから。

 たとえ、魔の道に落ちようとも、あの男を頂点に立たせる。アラストルの技は、あるじのために磨かれているのだから。


 玻璃を連れ、朽ち果てそうなほどの古びた建物に入る。廃墟のような外観に反し、内部は新築のようで、時折趣味のいい美術品なども飾られている。廃墟に見せかけているのは一般人が寄りつかないようにする為だ。意外にも、まともな時のボスは一般人を巻き込むことを好まない。

 少し進むと玻璃は一枚の絵の前で足を止めた。

「……これ……ステラの?」

 彼女が感情の読みにくい声で訊ねる。

「ん? 知ってんのか? 俺の部下だ」

「え? アラストルってなんの仕事してるの? 美術商?」

 珍しく沢山質問する玻璃に驚く。てっきりマスターとやらの資料に全て記されているものだと思っていた。

「いや、まぁ、お前と同業者ってとこか?」

 アラストルは暗殺と言うよりは護衛の方が多いが、似たようなものだ。戦闘員と表現する方が彼としてはしっくりするが、依頼人から見ればなんでも構わないのだろう。

「ステラも?」

「なんだ? ファンなのか?」

 少しからかうように訊ねると彼女は目を見開いた。

「敵」

 そう、口にした時、玻璃の目は、微かに赤さを増した気がする。

「美術展で、よく、私の絵の隣にあった」

 そう言って玻璃は壁に掛かった風景画を見る。

「……風を感じる……」

 木々と花の絵だ。しかし、実際にある風景ではないらしい。

「絵も描くのか」

「うん。仕事がない時は。壁に描いてマスターに笑われたこともあるわ」

 そう話す玻璃は表情は変わらないくせにどこか楽しそうだった。それに、『マスター』と口にした瞬間、いつもと違い柔らかささえ感じられる。とても大切な人の話をする時のように。

 きょろきょろとあっちこっちを見渡してはアラストルにはよくわからない芸術家の感性とやらが刺激されるのだろう。質問を口にする度に家に居る時には気付かない僅かな表情の変化をいくつも見せられる。

「まったく、遊びに来たのでしたら帰ってください」

 少し気取った声に振り向けば、いかにも高級志向の服に身を包んだラウムが眼鏡越しにアラストルを睨んでいた。貴族の真似事をするあたりが気に入らない。

「げっ……ラウム……」

「そろそろボスがキレますよ。おや? そちらの美しいお嬢さんは?」

 ラウムは気取った様子でそっと玻璃の手を取る。本当に女と見れば見境ない嫌なやつだ。

「どこかでお会いしたような……」

 それは彼がナンパの時に必ず言う台詞だ。とにかく女を見たら口説かないと失礼だと考えているらしいラウムに、アラストルは苦手意識を抱いている。

 どうも、アラストルとは合わないのだ。

「あなたなんて知らないわ」

 玻璃は不快そうに答える。手を放せと視線が告げているのに、ラウムは気にした様子も無い。

「これは失礼いたしました。ラウムと申します」

 彼はそっと玻璃の手の甲に口づける。その瞬間玻璃が硬直した。なにが起こったか理解するまでに暫く時間が掛かったようだ。そして認識した直後、彼女はワンピースの裾でゴシゴシと手の甲を拭いた。

「思いっきり嫌がってるんじゃねぇか……」

「……あいつ、ぶん殴っていい?」

 もしくは殺したいと言うように透き通りすぎる声が訊ねる。

「やめとけ、石頭だ」

 面倒ごとはもう沢山だという思いを込めて言えば、玻璃はしぶしぶ拳をおさめる。足下が少し澱んでいる気がするが気のせいだろうか。拳意外のなにかでラウムを仕留めようとしたような気さえした。

 一息吐こうとすると、途端に空気が重苦しくなった。

「おい、女を連れ込むとはいい度胸じゃねぇか」

 不快そうな声はまさしくアラストルが真の男と認めた相手の声だった。

「ル、ルシファー……」

 彼の存在だけで空気が痛い。常に殺気を纏っているというべきか、常に何に対しても怒りを抱いているように感じられる。特に今日は機嫌が悪そうだ。リリムが出かけているのだろうか。アラストルは思わず姿勢を正す。

 しかし、そんな空気をぶち壊す声が響いた。

「これがアラストルのボス?」

 玻璃はルシファーを指す。人差し指で真っ直ぐ。

「馬鹿! ルシファーに向かって【これ】とか言うんじゃねぇ!」

 慌てたがもう遅い。まるで大気が集まるような奇妙な幻聴が聞こえるほどに、強烈な殺気を感じる。

「てめぇの連れか……てめぇの責任だ!」

 鳩尾に一撃。アラストルはそのまま後方に吹き飛び、壁際にあった壺らしき作品と衝突する。壺は完全に砕け散った。

「あー、ちょっとボス、俺の作品壊さないでくれる?」

 音を聞きつけてきた金髪の男が少し暢気な声で言った。ステラだ。この男はいつだって自分を愛しすぎているせいか、所謂芸術家気取りだ。作品に関してならボスにさえ文句を言う。しかし、ボスが耳を傾けるはずがなかった。

「るせぇ」

 ルシファーは不機嫌にステラを睨む。

「どうせまた増えるんだ。減らしとかねぇと置く場所がねぇだろ」

「なるほど……ボスはいつでも俺の新作を傍に置きたいと……う~ん感激だねぇ。だけど、ボスの部屋の前の絵は壊さないでくださいよ? リリムにモデル頼むの結構大変なんで」

 この二人はある意味利害が一致している。壊したい男と創りたい男だ。アラストルは密かに二人は運命的な出会いを果たしたのではないかと思っている。

「わかった」

 少しだるそうに答え、ルシファーは玻璃を見た。

「てめぇ、どこのモンだ?」

 少し、威嚇するように響く声は、別に威嚇しているわけではないとアラストルは知っている。これが普段のルシファーなのだ。

「ドーリー。識別番号零四壱」

 玻璃は淡々と答えた。

「セシリオ・アゲロの部下か?」

 自分で名を口にして、ルシファーは心底不快そうだった。

 ルシファーはセシリオ・アゲロを恐れない代わりに純粋に嫌っている。と言うのも、王都に来たばかりの頃に知らずにとは言えうっかり口説いてしまった相手が男で、しかも子持ちだったという。彼にとっては最悪の記憶だ。それ以来一方的に憎んでいる。しかし全く相手にされていないどころかわざわざ相手が時々からかいに来るのだ。迷惑以外の何物でもない。

「棄てられた。任務失敗したら廃棄処分。今は解体班が探しているわ」

 玻璃はどうでもよさそうに答える。彼女が言うとどこまでが本当でどこからが冗談なのか把握しにくい。

「玻璃……てめぇ……俺には識別番号言わなかったくせに」

 起き上がりながら文句を言えば玻璃は人形のような無表情を見せた。思いっきり衝突したせいで腰が痛む。

「訊かなかった。それに、先にマスターの名前教えた」

「わかったよ」

 玻璃も、訊かれたくない部分がある。それくらいの配慮はしてやりたい。

 それにしても、任務失敗で即始末されるということはやはり新入りを育てる気が全くない組織なのだろうと思う。人間だ。誰だって失敗くらいはあるというのに、随分と容赦のないことだ。

「こいつ、俺の拾いモンで居候だから間違っても売り飛ばしたりするんじゃねぇぞ?」

「あ? こんな不健康そうなガキ、臓器も売れねぇよ」

 ルシファーは不機嫌そうに言いながら、ぽんぽんと玻璃の頭を軽く叩く。

 ああ、子供好きだったことを忘れていた。目が合ったら子供に泣かれるくせに、ルシファーは子供好きだ。玻璃のことは完全に子供に見えているのだろう。

「で? こいつをどうする気だ?」

「……そこが問題だ」

 頭を抱えていると告げればルシファーは深い溜息を吐く。

「だから使えねぇって言ってるんだ。見ろ。あの女呑気に絵なんか見てるぜ?」

 彼が言うとおり、玻璃はステラの作品を見て回っている。

「これ……」

「おっ、流石! お目が高いね。これは俺の最高傑作【月下美人】」

「コンクールで私の絵の隣にあったやつ」

「……ひょっとして君……【地獄絵図】の玻璃?」

 ステラは信じられないとかなり大袈裟な反応で玻璃を見た。

 玻璃はこくりと頷く。

「嘘っ! 俺、実はファンなんだ! あ、握手してください! サインとか貰える?」

 ステラが玻璃の返事も訊かずに彼女の両手を握り締めるせいで、彼女は大きく目を見開く。

 また、目が赤く染まった気がした。

「血文字でよければ壁にでも」

「いや……それ、かなり怖いから……」

「職業病」

 適当にあしらおうとして失敗した玻璃はまるで縋るようにアラストルを見た。つまりステラが嫌なのだろう。

 仕方がない。アラストルは軽く溜息を吐く。

「玻璃、あんまり近付くな。馬鹿がうつるぞ」

 そう言うと、玻璃は驚いた顔をする。

「馬鹿は感染するんだぞ!」

 かなり大袈裟に慌てた演技をして見せれば玻璃はおろおろしはじめる。まさか二十三にもなって本気で信じるなんて思わないだろう。

「ガキに嘘教えるな。本気で信じてるじゃねぇか」

「いけません、ボス。アラストルも本気で信じているのですから」

 ラウムが呆れたように溜息を吐く。

「このままでは彼女の将来が心配ですね」

「あれで殺し屋だ。利用価値はあるかもしれねぇ」

 ルシファーはそう言って椅子を回して背を向けた。

「ボス、俺らで保護する? こんな芸術家、殺すのは勿体無い」

 ステラの言葉にラウムが頷く。結局のところこいつらは女に甘い。

「ったく……てめぇらで面倒みろよ」

 ルシファーは不機嫌にそう言って、机の上のグラスをアラストルの頭を狙い乱暴に投げつけた。







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