第一章 二



 玻璃を保護したはいいが、家に置くとなると着替えやらなんやらが必要になるわけで、子供のようだとは言え仮にも女に自分の服を着せるわけにはいかない。

 なによりないとは思うが万が一にも「オジサン臭ーい」なんて言われた時には立ち直れなくなりそうだ。これでも気持ちだけは若いつもりだ。

 やむを得ず玻璃を連れて買い物に出る。

 婦人服店というのはあまり入ることがないせいか妙に落ち着かない。しかも、女と言うのは買い物が長い。似たような服一つでとても悩んでいるようだ。

 間に合わせだろうに。

 少し苛立つ。それに玻璃はどうも、黒い服ばかり選ぶようだった。

 白の方が似合うだろう。そう思ったが、彼女は同じ服でも黒を選ぶ。

「……趣味は似ているくせに……」

「別にあなたが着るわけじゃない」

「当然だっ!」

 周囲から見れば、兄妹に見えるだろうか。もしかすると、恋人に見られるかもしれない。悪くすれば親子か。まぁ、男女の関係なんてそのどれかだろう。

 そう考え、更に苛立つ。

「もういい、両方買うぞ」

 これ以上長居したくない。そう思って彼女の手からワンピースを奪い取る。

「これくらい買ってやる。他は?」

 そう訊ねれば、少し驚いたように目を見開いてから、微かに口元を緩ませる。

「自分で買えるわ。これでも、私の収入かなりすごいの」

 少し得意気に言った彼女はやはり黒一色で服をそろえた。驚いたことに服の中にじゃらじゃらと硬貨を隠し持っていたらしい。金貨や銀貨がずいぶんたくさん出てきたせいで店員が困惑していた。

 黒い服ばかり選ぶのには玻璃なりの意味があるのだろうか。そう、考えつつ、買物の計算がまともに出来ていない様子も気になる。

「あ……下着、買い忘れちゃった……」

 突然思い出したように口に出した玻璃に頭を抱えたくなる。

 流石に下着ばかりはついていくわけにもいかない。

「……ここで待っているから買ってこい」

 思わず、力が抜ける。こういうとこまでそっくりだ。注意力が足りないというか、行動に突拍子がない。

「来て、くれないの?」

 少し、不安そうに訊ねられる。しかし、アラストルにも立場がある。

「……男が、婦人下着店に入るのはどうかと思うぞ?」

 アラストルにとって、恋人に下着を贈るなどという話は世界が逆さになったとしてもありえないことだ。ましてや出会ったばかりの女の買い物に付き合うなど、屈辱でしかない。女の下着なんて、母親か夫しか目にしない物のはずだ。仮にも未婚の女だぞ。軽々しくついて来いなどと言う玻璃にも腹が立つ。

「ちゃんと……」

 不安そうな目がアラストルを見つめた。

「ちゃんと、待っててくれる?」

 その瞳は、幼子のようで、置いていかれるのをひどく恐れているようだった。

「ああ。ほら、行ってこい」

 ちゃんと居ると告げれば、ふわりと緩んだ口が「うん」と可愛らしい返事をする。

 あ、まただ。

 懐かしい感覚が蘇る。

 設置された長椅子に腰を下ろし、止みそうにない雨を眺めながら、瞳を閉じる。


「リリアン……」


 雨はなにも、洗い流してはくれない。

 寂しさも、悲しみも。

 遠い思い出さえ、雨音と共に甦るようだった。

 玻璃は似すぎている。不安そうな表情も、こちらの様子を覗う仕種もなにもかも。

 雨は、まだ、止む気配がない。


 暫くして戻ってきた玻璃と共に自宅に戻り、宅配のピザを注文する。

 大きなものを二枚注文したはずなのだが、アラストルは一切れも口にすることが出来なかった。

「五枚追加」

「……どーゆー腹してんだ?」

「胃袋と戦闘力はレディーボーイの獣人並みだってシルバに言われた」

 そう言い、彼女は勝手に追加注文の電話を掛ける。どうやらアラストルが掛けていた手順を覚えていたらしい。子供が親の真似をするように注文を済ませた。

 本当に遠慮という物を知らない。それどころか緊張感すらない。

「……お前……命狙われている自覚あるのか?」

 思わず呆れて訊ねれば、玻璃は少し首をかしげた。

「焦っても、死ぬ時は死ぬのよ?」

 硝子玉のような透き通る瞳で覗き込んでくる玻璃にどきりとした。

「お前……」

 本当に、よく似ている。

 底のない瞳以外は。透き通る瞳の奥は、底がないように思えて、少し、恐ろしい。けれども、不思議そうに首を傾げる姿がよく似ている。

「なに?」

 不思議そうに首を傾げる彼女を見た瞬間、左目に痛みが走る。

「いや……なんでもない」

 時折、突然痛む。生まれつき左目は殆ど見えない。せいぜい明るさがわかる程度だ。だから髪で隠しているというのもあるが片目でも日常生活にはそれほど支障はない。生まれ持った魔力のせいらしいが、生憎魔術は全く使えない。ただ、時々傷む。それだけだ。

「目、痛いの?」

 心配そうに覗き込まれると、胸まで痛む気がした。

「いや、元々あんまり見えねぇんだ。ちょっと光と色が分かる程度だ」

「不便?」

「まぁな……って! 近すぎるだろ! お前、絶対アレだ! 妖怪座敷童だろ!」

 菊人形みたいな髪型しやがって……。

 少し恨めしく玻璃を見れば、不満そうな顔をされる。

「……ロン毛三十路独身男」

「うぐっ……痛いところ突くな! どうせ男にしかモテねーよ!」

 失礼なヤツだ。思わず余計なことまで言ってしまった。

 怒鳴れば玻璃は両手で耳を塞ぐ。

「アラストル……声大きすぎ。絶対潜入とか出来ないタイプ……」

「うるせぇ」

 いちいち腹を立たせるやつだ。

 けれど、憐れに思う。それは玻璃の持つ幼い雰囲気が思わせるのかもしれない。

「お前さぁ……」

 思わず声を掛ける。

「なに?」

「セシリオって奴が好きか?」

 もし、好きと答えられたからといって、アラストルに出来ることなどなにもない。

「うーん? 好きってよくわかんない。ううん。人間関係なんて、マスターと部下、依頼者と標的しかしらない」

 少し、寂しそうに見えた彼女の髪を撫でる。

「寂しくないか?」

 問うだけ無駄かもしれない。けれども問わずにはいられなかった。

「寂しい?」

 不思議そうに訊ね返されてしまう。

 光を知らなければ闇を理解できないように、彼女は温もりを知らないのかもしれない。

 思わずそっと抱き寄せれば、彼女は抵抗すらせずに大人しく身を委ねる。

「……アラストル……あったかい……」

 しみじみと言われると、照れるものがある。

「普通だろ」

 少し、ぶっきらぼうに答えると、彼女は瞳を閉じる。

「……返り血を浴びた時よりも……引きずり出した内臓に頬を擦り寄せたときよりも……あったかい……」

 なんて猟奇的な女だ。少し、触れたことを後悔する。

 けれども、彼女の髪を撫でると、どこか懐かしい感じがした。柔らかく艶やかな髪質。アラストルとは違う。けれどもこの感触を覚えている。


 暫く彼女を抱きしめ、髪を撫でていると、ピザ屋が宅配に来た。玻璃は同然のように配達員を迎えその体には多すぎる量の箱を抱えて戻ってきた。そのはずだった。

 大量にあったはずなのに、すぐに玻璃の胃の中に消えたそれを見て、呆れる。少し寂しささえ感じつつ、彼女を風呂に入らせた。

 結局、一切れしか食べられなかった。本当にどんな胃をしているんだ。

 それに、食う割には随分と細い。

 ぼんやりと考えていると、いつの間にか風呂から上がった玻璃が新しい薄手の黒い寝衣を身に纏い長椅子の上でうとうととしていた。

「玻璃、お前、寝台を使え」

「……ここでいい」

 クッションを枕にして、半分以上夢路に向かっているようだった。

「おーい、毛布くらい被れ」

 彼女の上にばさりと毛布を落とせば、寂しそうな手が伸びてくる。

「……シルバ……ママはどこ……」

 どうやら、既に夢路に居るらしい。

「ったく……世話の焼けるガキだなぁ」

 仕方なく、毛布を掛けなおしてやる。

 途端に懐かしい感覚がして、寂しさが襲った。

「……リリアン……」

 彼女が生きていれば、丁度、玻璃と同じ歳だ。

 そろそろ、恋人を作ってきたかもしれない。いや、それどころか、純白のドレスを来て、祝福の花冠を被っていたかもしれない。

「……似過ぎなんだよ」

 寝顔が、泣きそうなのを堪える姿が、カップの持ち方が、服の選び方が、食べ方が……。

 全て、彼女と重なる気がした。

 あまりにも、懐かしい面影を抱きすぎている。

 きっと、もしも本人だといわれても、信じてしまうだろう。

 ふと、窓の外を見る。

 まだ、強い雨が降り続いていた。

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