第23話 大佐の最期
二人を降ろした後、私は助手席に移動した。
「大佐、車を出してくれ」
大佐はハンドルに手を掛け、素直に頷く。ジェシカとケビンを残し、車が発進した。
「どこへ行けばいい?」
道はまだ混んでいる。私は迷彩服を、自分の服へ着替えながら言った。
「まずは適当に、セブの中を走る。検問はまだやっているのか?」
「ジェシカを見つけた後に解除した」
そう答えた大佐にはおどおどしたぎこちなさがあったが、私が上着を替えている隙に、彼が私のシートへ手を伸ばす気配があった。
シャツから頭を出すと案の定彼は、私に銃口を向けている。彼は、私がシート脇に置いた銃を奪ったのだ。そして予告なく引き金を引いた。
耳をつんざく轟音が、車内に響く。
次の瞬間、大佐は狼狽えた。もう一度、彼が引き金を引く。銃声が響く。しかし私は倒れない。
私は別の銃を、着替えたパンツのポケットから出した。
「この車がオートマティックで良かったよ」
私は大佐の左腿を撃った。
大佐が顔を歪ませ、苦しそうなうめき声を出す。隣で私が、ハンドルを支えた。
「停まるな。このまま進め」
大佐の額に、細かい汗が浮かんだ。彼は苦しそうに言った。
「私を試したのか?」
「空包だと教えていなかったな。だが、こっちは本物だ。信じてもらうために、痛い思いをさせてしまったがな」
「もう分かった。二度と逆らわないから、許してくれ」
「背中の爆弾の事も忘れるな。怪しい行動を取ったら、即座に起爆する」
「分かっている。少し質問していいか?」
「駄目だ。こちらから訊いた事以外、余計な事はしゃべるな」
それで彼は、素直に押し黙った。一発お見舞いしたのが効いている。彼は完全に、恐怖に支配された。
「どうして俺が車に残ったのか、気になっているのだろう」
彼は青い顔で、その通りだと言った。
「あんたたちが奪ったダークブルーを回収したい。これが残りの用件だ」
大佐の顔に、焦りが浮かんだ。左足の出血が、彼の制服に滲んでいる。
「あれはもう、マニラへ送った。セブにはない」
「それが本当なら、お前はもう用済みだ。目的を達成できなかった腹いせに、お前を殺したくなるかもしれない」
運転しながら、彼は私の方へ首を回して目をむいた。
「本当だ。頼む、信じてくれ」
「ならば、それはマニラのどこにある?」
「ケソンのUPだ」
「ということは、フィリピン大学ディリマンか?」
「その通りだ。そこで石が調べられている」
「あの石の件で、お前はどこまで知っている」
「強力な兵器を作る事ができるという事だけだ。それ以外は知らない」
「エリックに色々とオーダーしたのは、ジョセフ大佐、あんたか?」
「そうだ。私だ」
「大統領は、それを知っていたのか?」
「いや、知らない。私が勝手にやった」
「お前とエリックの関係は?」
「普段から、お互い便宜を図り合っている」
「どんな便宜だね」
彼は黙り込んだ。私は拳銃を、彼のこめかみに突き付ける。
「彼のビジネスを助けて、見返りを貰う」
「どんなビジネスだ」
彼は再び口をつぐんだ。私は銃を、更に強く押し付ける。
「ド、ドラッグだ。軍が押収した薬を、奴に横流しした」
「つまり、仲の良いお友達ってわけだ。そういうのは、フィリピンで合法なのかね」
「い、違法だ。つい出来心だった」
「しかし、今回の件は、なぜエリックなんだ? 軍を動かせばいいじゃないか」
「最初は、目立たないようにやれという指示だった」
「上からの指示という事だな」
「その通りだ」
「そこを左に曲がってくれ。アヤラモールに行きたい。腹が減った。一緒に飯を食おう」
「いや、私は大丈夫だ」
私は、胸のポケットから、ある装置を出した。
大佐が横目で気にしている。爆弾のリモートコントローラーと思っているようだ。
私がそれを操作し出すと、大佐は懇願した。
「た、頼む、飯を付き合う。だからスイッチを押さないでくれ」
私は構わず、スイッチを押した。
大佐がヒィっと声を上げて、首をすくめる。
録音されていた少し前までの会話が、再生された。
大佐は呆然と、私の手の中にある装置を眺める。
「大佐、これを然るべきところへばらまけば、どうなるか分かるな?」
大佐は観念したように、ハンドルの前にうなだれる。
「あんたが余計な事をすれば、これが世間に公表される。加えてあんたの家族の身にも、色々と不幸な事が起こるかもしれない」
「わ、分かっている。私は何も見ていないし何も話さない」
「煙草を持っているか?」
彼は胸のポケットから、赤のラークを出して私に差し出す。
私はそこから、一本を出してくわえた。
「あんたも吸うか?」
「いや、今はそんな気分じゃない」
「まあ、そんな事を言わず、一本どうだ?」
私は箱から一本取り出し、彼の口元へ持っていった。
彼は仕方なさそうに煙草をくわえる。
「そうだ、いつまでも爆弾を抱えているのは落ち着かないだろう。今取ってやる」
運転する大佐のワイシャツの背中をたくし上げると、ライターが落ちてきた。
私はそれを手に取り、大佐のくわえた煙草に火をつける。
「爆弾は、もう大丈夫だ」
大佐は、私の持つライターをじっと見つめた。
「悪く思わないでくれ。こっちも必死だったんだ」
車がアヤラモールの前で停まる。
「色々と手を煩わして済まなかったな」
大佐は不思議な物でも見るように、私を見ていた。
私は大佐に構わず、車を降りて歩いた。振り返ると、大佐はダッシュボードの辺りを探っている。
彼が頭を上げた時、大佐が私に銃口を向けた。
私は迷わず、ポケットの中でスイッチを押す。鈍い音が響いて、車の中が炎上した。
最初に作ったリモコンカー爆弾の残り物で作った、小型爆弾だった。それを車の後部座席に置いた事を、大佐に言い忘れていた。
これで私は、フィリピンで重大な犯罪を重ねたことになる。ラポラポベースで傷付けた兵隊や将校が死ねば、私はフィリピン軍のメンバーを、三人も殺したことになるのだ。
捕まれば死刑もあり得るケースだ。捕まらなくても、軍がリベンジを考える。
身元が割れる前に、さっさとフィリピンを引き上げたい気分だった。
ジェイソンの店に戻ると、全員が私を、亡霊でも見るかのように無言で見つめた。
店の端にあるテレビモニターに、大佐の車が炎上する様子が映し出されている。もうテレビニュースで流れているようだ。
「彼には気の毒な事をした」
ようやくジェイソンが反応する。
「随分派手にやったもんだ」
「ケビンはどうしている?」
ジェシカが答える。
「二階で休んでいる。少し眠れば、大丈夫だろうって」
「口の固いドクターだから、大丈夫だ」
そう云ったジェイソンが、コーヒーを口にする。
「お前がいてくれて、助かったよ」
グレースが席を立って、私に寄ってきた。彼女の目が潤んでいる。
彼女は私の前で立ち止まり、抱擁のように私の首へ手を回した。
耳元で、彼女が言う。
「ありがとう。みんなが無事なんて奇跡よ。私、本当は諦めていたの。ジェシカには、もう会えないと思っていた。本当にありがとう」
言葉の最後は涙声だ。
「ここまではラッキーだった。しかしまだ終わっていない。これからが大変だ」
「そうね。大変な目に遭わせて、本当にごめんなさい。あなたが厳しい事を言ったのも、今なら理解できる。これは本当に遊びじゃない」
レイチェルが、私の事を見ている。私はグレースの肩を掴み、ゆっくり彼女を離した。
カウンターに座り、レイチェルに言う。
「濃いコーヒーをお願いできないか」
レイチェルは頷いて、コーナーを淹れ始める。
コーヒーの香りで、ようやく帰って来たことを実感できた。
テレビでは、大佐の車炎上のニュースが、しつこく報道されている。
私は、無心にコーヒーを淹れるレイチェルへ言った。
「どんどん酷い事になっていくな」
彼女はそれに答えず、「お疲れ様」と静かに言い、私の前にカップを置く。
自分の平穏な生活が脅かされようとしているのに、相変わらず優しい女性だ。
こういう女性こそ、最後には幸せになってもらいたいと、私は心から願うのだ。
コーヒーが身体にしみた。この件の報酬は、これだけで充分だと思えるくらいだった。
この隠れ家は、いずれ軍や警察に知られるのだろうか。私はぼんやり、そんな事を考えていた。
いずればれるなら、私はジェイソンとレイチェルに、責任を取らなくてはならない。
フランスか日本への亡命。ダークブルーがもう一つあれば、フランス政府は彼らの亡命を受け入れるだろう。
やはりどうしても、残りのダークブルーを取り戻したいと思った。
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