第11話 第二の偵察

 陽が昇ってくると、風は気休めにしかならずに暑くなった。

 勿論、陽射しを遮る物がないのは想定済みだ。帽子をかぶり長袖シャツを着込んではいたが、それでも太陽光線は、容赦なくじりじりと身体を焦がす。

 日傘などの目立つ物は使えない。ここは我慢のしどころだ。

 時々水分を補給しながら、三時間が経過していた。

 軍隊経験のある私は、そんな見張りに慣れている。半日でも丸一日でも、必要ならば身動きせずに見張らなければならないことはいくらでもあった。

 しかし普通の人間には、これが相当な苦痛となるはずだ。これは訓練を積んで、慣れるしかない作業だからだ。

 しかしグレースは、文句一つ言わずに偵察を実行していた。彼女の顔に、汗が滲んでいる。この女は夜のドレスも似合うが、ジーンズを履いて、汗をかく泥臭い仕事をこなすのも良く似合っている。

 こうなると、必死な気持ちにどうにか応えたいと思ってしまう。最初から分かっていた事だ。だから関わりたくはなかった。

 調査費にしても、利益度外視で随分使っている。全く、やれやれという感じだった。

 しかし、この手の仕事は、血が騒ぐのも事実だった。

 かつて経験した命のやり取りには、恐怖と背中合わせの興奮じみた何かがあった。私は久しぶりにそういう環境へ身を置き、どこかで子供の様にはしゃいでいる。

 殺し合いに興奮するのではない。ハードルの高い課題へ命を掛け、それをクリアするという、刺激に満ちた世界へ身を置くことへの興奮だ。殺し合いに何一つ良い事がないのは、既に嫌というほど思い知っている。

 この行動で分かった事は、エリックがまだその屋敷に住んでいる事、そして手下が、常に三十人ほど待機している事だった。

 それだけの見張り要員を常時確保するには、普段から相当大きな金を動かしていなければならないはずだ。エリックは相変わらず、この地で暗躍しているということだ。

 手下は交代で、屋敷の随所に立っている。真面目に警戒しているようだ。全員が、パンツの後ろへ拳銃を差し込んでいる。

 普段からこうも物々しいのかと、正直私は意外だった。まるで、非常事態の警戒態勢ではないかという気がしたのだ。まさかこちらの動きが、相手に漏れているわけではあるまい。

 こんな場合、外からの奇襲で相手の気を引き、その隙に内部へ忍び込むのが簡単そうだが、何分こちらは人手不足だ。

 ジェイソンに、一つだけ作って欲しいとお願いしたものがある。それはリモコンカーにカメラと爆薬を仕込んだ物だ。

 カメラ映像を手元のモニターへ送り、起爆もリモートでできるように改造する。それらを遠くから操作できるよう、電波出力を上げる改造も必要だ。そしてリモコンカーの上部には伸び縮みするアームの付いた電磁石を取り付け、電磁石のオンとオフもリモコン操作できるようにする。

 元々電子回路技師の彼は、そういった物を作るのが得意だった。彼は少し時間をくれと言い、その製作に取り掛かってくれているはずである。

 それが完成すれば、エリック邸へ向かう車の底へ電磁石で張り付かせ、エリック邸へ運んでもらう。

 エリック邸へ忍び込ませたら、電磁石を解除後、内部を偵察させる。その後はどこかへ隠し、いざとなったらリモコンで起爆させ相手を混乱させる。

 爆弾の大きさと威力を考慮すれば、出来ればC4のようなプラスチック爆弾を使用したいところだが、入手と差し込んだ信管の安全装置を解除する仕組みが必要となるため少々厄介だ。

 いずれにしても、本来そういった物が十台くらい欲しいが、作る手間を考慮し、最低三台をお願いしている。

 人手不足を補うためこうした工夫をしているが、相手が武装した三十人ともなれば、これはいささか厄介だ。目的はエリックの抹殺や組織壊滅ではないのだから、基本方針はできるだけ戦わない。多勢に無勢の不利を避けるのが賢明だ。

 何かあれば、逃げの一手。命あっての物種である。


 少し早かったが、十一時に鉄塔を切り上げた。陽射しが強すぎたためだ。

 グレースに彼のアジトを見てもらうという、その日最大の目的は果たした。エリックが住んでいることや、見張りの態勢も確認できた。初日の収穫としては既に充分だ。

 逃げ道や命綱のザイルは、全て回収している。流石に指紋を拭き取る事はしなかったが、自分たちの痕跡は一切残さないのが基本だ。

 ホテルへ戻り、一旦シャワーで汗を流す事にした。彼女が先にバスルームへと入る。

 彼女がシャワーを浴びる間、私はエリック邸へ近付くことを考えた。

 これは離れた鉄塔から様子を見るより、遥かに危険な偵察行為だ。

 下手をすれば、相手の銃の射程に入る。相手が闇雲に乱射したら、銃弾が当たる可能性があるということだ。

 とにかく今日は、直接的な収穫を求めてはいけない。まだ全ての準備が整っていないのだ。未だ情報が不足し、リモコンカー爆弾もない。

 秘密の通路は気になったが、グレースを連れて迂闊に近付くのは躊躇われた。

 あの辺りは、おそらく隠しカメラがある。あれだけ屋敷を警戒し、一つの出入り口になり得る秘密通路を、無防備に放っておくはずがない。

 バスルームから、お湯の出る音が漏れ出ていた。グレースがシャワーを浴びる音だ。

 彼女はバスルームに入った後、ドアにロックを掛けていない。ロックの音が聞こえなかった。どこまでおおらかなのか、あるいはそんなことに気が回らないくらい疲れているのか。

 エリック邸へ近付くには、カメラと人感センサーに気を付ける必要がある。しかし、それに対する対策がない。特殊金属探知機もなければ、電子機器が動いた時に放出する電波を検出する装置もない。レーザーの軌跡を見る特殊ゴーグルもないのだ。

 軍であれば全て揃っていたし、バックアップ体制も万全だった。

 センサーはおそらくレーザー式で、ミラーで反射させれば、複雑なトラップを作る事ができる。

 特殊な道具がなくても、パウダーを撒いて乱反射させる状況を作れば、レーザーは肉眼で見える。しかしそれは、ここにレーザーがあると分かっている場合のみ有効だ。まさか、絶えずパウダーを撒いて進むわけにはいかない。

 頭の中で状況を整理していると、バスルームから、黒地に赤い小さな花模様が散りばめられたワンピース姿のグレースが出てきた。

「あー、さっぱりした。あなたもシャワーして。それから直ぐにランチ食べる。私、お腹空いたよ」

 まだまだ彼女は、元気がありそうだ。

「午後一杯は休憩にする。奴の家には、暗くなってから行く。夜だから、お前はここに残ってもいいぞ」

 グレースは私の提案に、顔をしかめた。

「私なら大丈夫。シャワーを浴びたらすっきりした。私は早く行きたい。もっと自分の目で確かめたい。私がジェシカを探す。あなたは彼女を見たことない。私が行かないと調査にならない」

 どうやらグレースは、妹がその屋敷にいると決めつけているらしい。その可能性がないわけではないが、焦りは禁物だ。

「いいか、これだけは言っておく。仮に彼女を見つけても、絶対に取り乱すな。大声を出したり駆け寄ったりするなよ。今日はあくまで様子見だ。それを忘れるな」

 調査の主役は自分だと言わんばかりに勢いのあったグレースは、たちどころにしゅんとなった。

「分かってる。あなたがいないと何もできない。だから全部、あなたに従う。それでいいか?」

「それでいい。お前が必死なのは俺も良く分かる。しかしお前は素人で俺はプロだ。それを忘れなければ、お前はいいパートナーだと認めるよ」

 彼女の顔に、華やいだ笑顔が戻った。おそらくこの女は、最後まで頑張れるだろう。いや、お互い頑張って結果を出したい。思わずそんな気にさせる笑顔だった。

「いいか、奴らは家の周りに何かを仕掛けている。例えばレーザーによる人感センサーだ。これを見破るには、夜に行くしかないんだ。暗視カメラは、一個だが持っている。だから、暗闇でもある程度は周りが見える」

 セキュリティーで使用しているのは、十中八九レーザーだろう。

 これの欠点は、暗い場所でレーザーを反射するミラーが、赤く光ることだ。それが分かればパウダーを撒いて、レーザーがどこを通っているかを確かめればいい。

 それにしても、身体が少し痛かった。鉄塔へ登るくらいでこれだから、大分身体がなまっている。

 フィリピンへ来ると決まってから、筋トレやランニングをしたが、五日間では焼け石に水だったようだ。


 昼食後、グレースは少し休むと言い、ベッドの中で寝息を立て始めた。私は痛む身体に鞭を打ち、部屋の中で筋トレをやっていた。眠っているグレースを起こさないよう、できるだけ音を出さずに。

 そこへ部屋の電話が鳴る。

『ミスタージェイソンよりお電話ですが、お繋ぎしても宜しいでしょうか?』

 ジェイソンに繋がると、彼は私が部屋にいる事が、意外だったようだ。

『ホテルへ折り返しの電話を伝言してもらうつもりだったんだ』

「例の物ができたのか?」

 改造リモコンカーのことだ。

『それは今やっている。明日まで待ってくれ。四台用意する。それより電話をしたのは、エリックのことだ。今日、奴の手下が店へやってきた』

 早々とこちらの動きが察知されたのかと、身体に戦慄が走った。

「まさか、もう?」

『違うんだ。奴らはお前の事にはまるで気付いていない』

「だったら、あの事か?」

『いや、俺も焦ったが、それも違った。奴らは男の顔写真見せて、こいつを知らないかと尋ね回っている。その男というのが、以前送ってもらった、ケビンの写真だ。奴らのターゲットは、ケビンだ』

 ケビンというのは、ジェシカと同じく行方不明になっている、ジェシカの恋人だ。

 つまりケビンが、エリック一味から逃げているのは確かそうだ。

 ジェシカは単に、ケビンのやらかした何かに巻き込まれているだけなのだろうか。

 あるいは彼女は、ケビンと共謀し、当事者の一人としてエリックに追われる身なのか。

 もし後者ならば、既にジェシカはエリックに捕らえられ、現在エリックは、ケビンに的を絞り探し回っていることになる。

 思考が上手くまとまらない。

 ジェシカはケビンと一緒にいるのか、あるいは既に拉致されたのか。どちらの可能性も残っている。

 こうなると、ジェシカの捜索と並行しケビンのことも追いたくなった。

「分かった。また何かあったら教えてくれ」

『ああ、大したことはできないが、アンテナだけは高くしておくよ』

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