「もう戻ってこないかと思った」と、彼は涙目で笑っていた

神野咲音

「もう戻ってこないかと思った」と、彼は涙目で笑っていた

お題「ここは俺に任せて先にいけ!」



 胸をちりちりと焦がす焦燥に押され、俺は無我夢中で足を動かしている。青ざめた、けれど頼もしく笑う相方の顔が浮かんでは消える。



『ここは俺に任せろ! その代わり、絶対に帰ってこいよ……。ほら、早く行け!』



 俺を力強く送り出した声が、耳にこびりついて離れない。


 なんとしても戻らなくては。今のあいつは丸腰なのだ。何か〈奴〉を倒せる武器を手に入れて、早く。


 足は重く、息は上がりきって上手く吸えず、ただ焦りと「戻らなくては」という使命感だけが俺を突き動かしている。


 ――戻るのか? 本当に?


 ふっと過ぎったその考えに、呼吸が止まりそうになった。


 だって、そうだろう。今の俺は〈奴〉から遠く離れた安全圏にいる。もうあんな恐怖を味わうことは無い。わざわざあんな場所へ……、〈奴〉のいるあそこへ戻って、対峙する必要などないのではないか。


 そんなクズな考えに、一瞬足が緩みそうになる。


 だいたい、俺は何も悪くないのだ。〈奴〉が出てきたのは相方のミスであって、おれは普通に……、そう、ただ普通に遊びに来ただけだったのに。


 そんな弱気な感情を、かぶりを振って掻き消す。


 〈奴〉は怖い。戻りたくない。本当は、このまま逃げてしまいたい。


 でも、あいつがいるから。今も一人で戦っているあいつを、見捨てるわけにはいかない。絶対に帰ると、約束したのだから!


 俺は走るスピードを上げた。肺が限界を訴えて悲鳴を上げているし、心臓だって爆発しそうだ。だがここで止まる訳には行かないのだ。


 その辺の小石に足を取られ、溝に突っ込みかけながらも、俺は辿り着いた。ようやくだ。やっとあの、漆黒を纏った〈奴〉を倒す武器が手に入る。


 そうして俺は、見つけたドラッグストアに駆け込み叫んだ。



「ゴキ○ェットください!!!!!」

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「もう戻ってこないかと思った」と、彼は涙目で笑っていた 神野咲音 @yuiranato

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