握った手、伝わる感情

春嵐

第1話 本名

 何かがあって、ここにいるわけではない。

 ただ、流れにのまれて、そのまま、気付いたらここにいる。

「本番五分前です」

 準備の人が声をかけにくる。緊張が現場を包む。

 そんな中で私一人だけ、ぼうっとしてる。緊張の感じようがない。どうでもいいから。無気力だから。

「いよいよここまで来たね」

「私たちの歌をみんなに見せてあげよう」

 皆これから出る番組への意気込みを口に出して、士気を高めている。

「なんでお前、普通にしてるの」

 後ろから声。

「だれ?」

「最初に歌う人間だけど。はいこれ」

 名刺。

「え」

 最初に歌う人間、と書いてある。

「バンド名?」

「シンガーソングライター。ソロ」

「おもしろい名前」

「おまえは?」

「はいこれ」

 生徒手帳を渡す。

「は?」

「本名で活動してる」

「いやおまえ、このご時世に本名とか」

「だって自分からここに来たわけじゃないし」

 普通にして、普通に街を歩いてたら、こうなった。

「普通にしてたらこうなりました、みたいな顔してるな」

「よく分かりましたね。その通りです」

「おまえみたいなのを、才能に恵まれたやつって、言うんだろうな」

「どうでしょう」

 準備の人がまた来た。整列させてくる。

「終わったらまた会おう。おまえの芸名考えといてやる」

 変な人だな。

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