お前らは鬼龍院じゃない

米占ゆう

お前らは鬼龍院じゃない

 人間の趣味っていうのは普段あたしたちが思っている以上に実に多岐多様なものであり、その多様性ってもんを侮ってはいけないとあたしは常日頃から思っているところであって、まあ実例をあげるとすればフランスのルイ16世は錠前づくりが趣味だったって話だし、ロシアのピョートル1世は歯の治療に並々ならぬ熱量を持っていたそうだし、ムガル帝国のジャハーンギールは罪人の頭が象に踏みつけられるのを見るのがめちゃくちゃ大好きだったと伝えられてたりなんかするわけ。で、まああたしは正直なトコ、このトピックについてはジャハーンギールみたいな倫理観ゲキヤバなやつはさておき、錠前づくりなり、歯の治療なり、人にそんなに過度な迷惑をかけない範疇の道楽であるならば、別にいいんじゃないかな? 世には『愚行権』なんて言葉もあるぐらいだし、各人が各人の欲する道楽をせいぜい突き進めばいいじゃあないか、一度きりの人生、楽しんでいこう、ぐらいのごくごく一般的かつ穏当なご意見を持ってたりするわけなんだけれども、そんなあたしの道楽は「他人になりすます」ってものだったりするわけだ。

 ――って言ってもまあ、多分ピンとは来ないと思うから補足させてもらうと、「他人になりすます」、これはどういう趣味かって言えば、そりゃ文字通り他人になりすますっていうことをやる趣味であって、要は街中を散策して見つけたターゲットを観察・プロファイリングして、別日にその人と全く同じメイク、ヘアセット、服装をし、その人と同じ行動をして、なるたけ同じ人のように振る舞うと、まあそんなことをやってるわけで。

 といってもなかなか想像はしにくいものだと思うから、実例をあげさせてもらうとすれば、例えば今回はこの写真に写ってる彼、カフェでマックブックを開きながら、誰かと仕事の話を大声でしている、ちょっと化粧っ気のある小綺麗な顔のITベンチャー起業家、鬼龍院氏に化けてみたんだけど、どうかな。性別の壁を超えた割にはなかなかうまいこと寄せられてると思うんだけど。少なくともあたしの中の似姿偏差値的にはまず75ぐらいはあるね。うん、あたし史上でもなかなかな出来栄えの部類だと思うわ、実際。ってか彼、やばいよ。やばい。あたし彼のプロファイリングをしてるときにつくづく思い知らされたんだけど、彼、いわゆるハイスペって呼ばれる類の人でさ、仕事の電話がひっきりなし――と思いきや、ハイスペならではで彼女――ってかセフレ? 愛人? も何人もいるみたいで、そっちのお誘いもひっきりなし。いやー、すごいね、ああいう人も本当にいるんだねって思いつつ。ま、でもそういう人になれちゃうってのもこの趣味の魅力の一つよね、とか思いながらいざ、あたしは彼を発見したカフェに向かったわけなんだけど、さて。

 そこで、彼と同じように同じメニューを頼んで、「ご一緒に当店名物、ロシアン桃まんもいかがでしょうか?」とかいう謎サジェストも彼に似せてぶっきらぼうに断り、彼と同じテラス席に座り、彼と同じように読書をしていると、なんか青い服にピンクのポシェットをぶら下げた、小動物っぽい雰囲気のある女の子に声をかけられたわけなの。

「あの、あなたも鬼龍院さん、ですよね?」

「はい?」

 そう振り向きながらあたしは彼女の姿をもうちょっと注意深く観察するわけなんだけど、ふーむ、彼女のポシェット、オフィス用にしてはちょっと小さい気もするから、きっと彼女と鬼龍院氏の関係は私的なものなんじゃないかな、と推測。ってことはこの間の鬼龍院氏の私生活の特徴を鑑みるに、彼女は鬼龍院氏の愛人なのかも。いや、まあ流石に失礼すぎるから彼女に直接は言わないけど、でも、それに合わせた対応を心がけねば――とか思ってたら不意に彼女の後ろからこっちを睨みつけながら鬼龍院氏ご本人が登場して――は?

 え、あ……あれ? これ、終わった……? あれだよね? これ本人から詰められてボコされるパターンだよね? いや、人のなりすましとかやってるからいつかはこういう破滅が訪れるかなあとか思ってたけど、はー、今日だったか……! オワオワリでーす、南無! とか思ってたらその後ろから加えてもうひとり、計二人の鬼龍院氏が現れるわけで、は? いや、は? って気分なんだけど、

「おう、お前も鬼龍院か。よろしく」

「は、はぁ……」

「あなたも鬼龍院なんですね。よろしくお願いします」

「ど、どうも……」

 って二人が平然と挨拶をしてくるもんだから、あたしもおっかなびっくり挨拶を返しちゃったわけなんだけど、え、いや、いやいやいやいや、一人だったらわかるけど、二人はおかしいじゃん! 一人どっから出てきたんだよ! 同じ顔してるあたしが言えた口じゃないけどさあ!

 でもって、そんな光景を見ながら女の子はどうしてるかっていうことなんだけど、彼女。

「うーん、さてこれは、どうしたものでしょう……。あたし鬼龍院さんとお約束が合ったのですが……まさか三人いらっしゃるだなんて……」

 ってめちゃくちゃ困った顔をしてるわけなんだけど、いや、本当にそうだと思うよ! だってまさか、待ち合わせ場所に行ったら同じ顔が三つもあるだなんて、誰も予測してないだろうしね! 心中大変お察し致しますよ! まあ、かく言うあたしも場を混乱させてる当事者の一人ではあるんだけどさ!

 ――しかも、よ。え、ちょっと待って? あたしさ、さらなる発見をしちゃったと思うんだけども、あのさ……ちょっと待てよ、うん、いや、そうだよな……多分これ、間違ってないと思うんだけど、あたしの記憶がおかしくなければ――あるいはあたしの観察力がなまくらになってなければ――もしかして、二人の鬼龍院氏、どっちも本物じゃなくない? いや、確かに二人ともよく似てるし、研究してる感じは伝わってくるけど――さ。でもやっぱ別人だよね!? こないだの起業家の鬼龍院氏じゃないよね!?

ってな感じであたしは状況に目一杯困惑してたわけなんだけど、そんなあたしを尻目におもむろに女の子がぽんと手を打って言うことには、

「そうだ! じゃあみなさんのうち、誰が本物かをあたしが審査しましょう! それであたしが本物だ、と判断した方が今後本物の鬼龍院さんになる、ということで、いかがでしょうか?」

 ってことだったんだけど、え、いや、その理屈は絶対おかしくない? モノマネしてたら本人役に抜擢されたルパン三世の声優じゃないんだから――とあたしが突っ込む暇もなく他の鬼龍院たちは声を上げるわけで、

「おういいぜ!」

「……わかりました受けて立ちましょう」

 とか威勢よく言い始めるわけなんだけどなに? どうした? 一体何がそんなにお前たちをこの審査へと駆り立てるわけ? てかそもそもお前ら二人揃って鬼龍院じゃねえじゃん!

 でもそんなあたしの脳内ツッコミとは裏腹に女の子は二人に向かって「ありがとうございます」と嬉しそうにお礼を言うと、それからあたしにも向き直って「そちらの鬼龍院さんもそれでよろしいでしょうか?」とか聞いてくるわけでさ、えぇ……ちょっと待って……あたしに言わせてみれば、「それでよろしいでしょうか?」はこっちのセリフなんだけど……大丈夫なの? それともまさかマジであたしら三人のうち誰かが鬼龍院だと思ってるわけ? これが俗に言う「恋は盲目」ってやつ? あとあと面倒な事にならないだろうな……って思いつつ、まあでもいいか、こいつらこんだけ自信があるんなら、きっと鬼龍院にわかのあたしよりもいい成績を収めて、あたしの知らんところで事体収束まで持ってってくれることだろう、長いものには巻かれろ、空気は読め、セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)、なんて思いながらあたしはその審査を受けることにしたってわけ。

 ――でよ、その審査っての、結局なにすんのかってとこもあたしの疑問点だったわけなんだけど、どうもこれが彼女――名前は桃山さんっていうそうな――の出す質問に答えていく形式らしくって、まあ、ある意味じゃストレートド直球って感じではあるんだけど、まあ秘密の質問ってセキュリティの現場とかでも使われてるわけだし? まずまず妥当な方法かもね、なんてあたしも思ったりするわけ。

 で、その質問の様子なんだけどさ――

「それでは質問です。鬼龍院さんがこのカフェでいつも飲んでいるコーヒーはなんでしょうか? まずはそちらの鬼龍院さんから」

「おう! 男は黙って一番高いやつ! 名前はわからん!」

「……そうですか。では次、そちらの鬼龍院さんお願いします」

「はい……えっと……紅茶、とか?」

「うーん、なるほど……では次、そちらの鬼龍院さんお願いします」

「いやグアテマラだよね?」

「お見事! 正解です! 鬼龍院さんはグアテマラの酸味が好きなんです!」

 ――ってな感じで、いや、お前らお前らお前ら!! さっきまでの自信はどこに行った!? 「ああ! ソッチか!」じゃないんだよ! なにが『ソッチか』だ! ソッチもモスクワもないんだよ!!

 ……まあ、でもまだ一問目だしな、たまたまプロファイリングが抜けてただけかもしれない。そう、次に期待、次に期待――

「では続きまして……鬼龍院さんが最近、暇さえあれば読んでいる本は何でしょうか? まずはそちらの鬼龍院さんから」

「あ? 本? ……あぁ、あれだ! ホリエモンがちょっと考え事してる風の表紙のやつ!」

「……では次、そちらの鬼龍院さん」

「僕は最近またHUNTER×HUNTERを一巻から読み始めました」

「そうですか……。では次、そちらの鬼龍院さん――」

「いやユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』でしょ?」

 ってあたしは流石に堪えきれなくなって桃山さんの言葉が終わるちょっと前に答えちゃったんだけど、いや、いやいやお前ら? ちょっと! ちょっとちょっと! 適当すぎやしないか! もしかしてわざとやってたりしない? あたしを貶める目的で! ねぇ、ちょっと! おい!

 ……とまあ、そんなこんなで質問は続いて言ったわけなんだけどさあ。終始コイツラはこんな調子だから、張り合いも全く無くって、途中からはあたし、なにやってんだろうって自問自答というか、自分との戦いみたいな様相になってきて、それでもあたしはあたしでちょっと引っ込みもつかなくなってきたもんだから、とりあえず質問をこなしてるうちに桃山さんの用意してる十問全てをパーフェクトにこなしちゃって、最終的には、

「ということで、みなさんもお分かりのことと思いますが、本物の鬼龍院さんはこちらの鬼龍院さんでした!」「おおー」「さすが」

 とかなんとかで拍手までもらっちゃってるんだけど、あがが……。ホントあたし、何やってんだろうか。。。はぁ。。。ぐったり。。。とかあたしが伸びてるとその脇であたしそっちのけでなんか自然と談笑がはじまってさ、

「ちなみに俺、負けたから白状するけど、本当は猿山って言うんだ。モテ仕草を学ぶためになんかモテそうな人の真似をしてたんだけど……へへっ、まだまだみたいだな」

「そうだったんですね……。あ、僕は雉岡って言います。僕、他人からよく自信を持てって言われるので、自信をつけるために自信家っぽい人の真似をしようと思って……」

「なるほど、人の真似をする理由も、また人それぞれってことですね」

「だな」「ですね~」

 とかってうんうん頷き合ってるんだけど、え? なにそれ。そういう空気感だったらあたしだって参加してもいいよね? ってことで

「あ、ちなみにあたしは鬼龍院ではなくて実は本名を犬吠って言って」

 って言った途端、猿山と雉岡はあたしに向かって、

「何言ってんだよ、鬼龍院! お前鬼龍院だろ? お前は俺たちの目標なんだからな、しっかりしてくれよ!」

「そうですよ、鬼龍院さん! 僕、あなたみたいになりたいんですから!」

 とかってめちゃくちゃ背中を叩かれるわけなんだけど、は? なにこれ、令和時代のいじめ? とか思っちゃうわけで。いや、確かに自業自得の側面はあるけどさ、でも、だって、こんな仕打ちってある? ないだろ! なんでこの空気感の中あたしだけ鬼龍院RP全ツッパしなきゃなんないんだよ! てかな、大体あたしの自業自得とか言い出すならなんで同じことやってる猿山と雉岡はそんな安穏なポジションでのほほんとしてられるわけ? 世の中不公平だろ! とか一人でキレてると、ふと雉岡がこんなことを言うわけ。

「それはそれとして……そういえば、桃山さんは鬼龍院さんに用事があったんじゃなかったでしたっけ?」

 するとさ、桃山さんははっと我に返ったような顔をして、その後不意にちょっと緊張した面持ちであたしの方を見つめながらもじもじと言いにくそうに話をはじめるわけなんだけども、

「あの……本物の鬼龍院さん、実はあたし、折り入ってお話したいことがありまして……」

「え。……いや、待て待て、ちょーっとストップ!」

 ってあたしはつい桃山さんのことを止めちゃったんだけど、いや、ちょっとまってちょっとまって、それってさ、もしかしてホントのホントに本人じゃないと駄目なやつじゃないの!? 恋は盲目って言うけどさ、そんなところまで見えないんじゃだめだと思うよ!? あと猿山お前フゥゥゥゥゥ⤴じゃないんだよやめろ!

 でも桃山さんはそんなあたしに首を振っていうんだけど、

「いえ、違うんです。これは本物の鬼龍院さんにしかできないことで――」


「――あれ? よう、ブス!」

 と、その時だったね。急にそれまでのほんわかムードに豪速球を投げてきたやつがいて――って、あ、この人は――。

「なに、友達と一緒? おまえ陰キャっぽいのに友達いたんだなぁ……って、あ?」

「あ」

「う」

「……」

 ……目、あっちゃったよね。うん。いや、まあ、なんていうんだろ、あたしたちの目の前にいたのはモノホンの鬼龍院氏でさあ……。彼、絶句してたよね、うん。そりゃ、そうなるわ。一人ならまだしも、自分と全くおんなじ格好した人間が目の前に三人もいるんだもんね。そりゃなんも喋れなくなるわ。あたしだって無理だろうし、しかもその三人全員会ったことない人っていうのもポイント高し、って感じで。

 で、そんな沈黙の後で、彼の口からやっと出た言葉は、

「……おい、桃山。誰よ」

「本物の鬼龍院さんですけど」

 って感じで――って、え?

 ……え?

「あ?」

「聞こえませんでした? こちら本物の鬼龍院さんです」

「いや、いやいやいや、俺が鬼龍院なんだけど」

 そう言ってちょっと動揺した雰囲気を見せる鬼龍院氏に桃山さんはなおもきっぱりと言い張るんだけど、

「いいえ、あなたは鬼龍院さんじゃありませんよ。こちらの方が本物の鬼龍院さんです。先程そう決まりましたから」

「はぁ? なに言って……おい、お前」

「う」

 そんな感じであたしは声をかけられたんだけど、いや、もうそれが、敵意ビンビンなわけでさ。トホホ……いや、怖すぎでしょ。。なにその風格。威圧感。あれかな、起業家として社会の荒波を乗り越えていくにはそれくらいの攻撃力も必要とか? ってか困るって、桃山さん、何考えてんのホント! 悪い冗談なら二人だけのときにやってくれないかな!

 でもそんなあたしに桃山さんは耳打ちをするには、

「ごめんなさい本物の鬼龍院さん、ここは頑張って対抗してください! お願いします! 人助けだと思って!」

 とのことだったから、いや、全然わからん、なんでこれが人助けになるんだ? とか思いながらもなんか口調がマジっぽかったし、一応乗りかかった船だしってことで、もうやんぬるかなの精神で行くっきゃない! っつーことで、

「いや、俺が本物の鬼龍院なんだけど?」

 とかなんとか言って見るんだけど、どうにも迫力がなくて、そりゃそうだよなあ! だってあたし鬼龍院じゃないし! 犬吠だし! でもそんなあたしを援護するつもりなのかどうか、猿山と雉岡はそんなあたしの肩を持って、

「そうだそうだ! こいつは間違いなく本物だ!」

「本物は女の子にブスなんて言わないぞ!」

 とかやいやい騒いでるんだけど、いや、だとしたらあたしや鬼龍院氏とおんなじ顔してるお前らは一体なにものなんだ? 感が否めない感じになっちゃってて、あたしでさえそんなふうに思ったんだから、いわんや本物をや……とか思ってたら、案の定鬼龍院氏はこめかみに青筋をピクピク言わせてるわけ。やばたにえん。

 でも何故かそれを見て桃山さんは逆に意気揚々としてて、

「いい調子ですよ、本物の鬼龍院さん。このままもうひと押し、煽ってみましょう。大丈夫、本物の鬼龍院さんならいけますよ」

 とかなんとか耳打ちするわけで、いけますよ……? なに? 桃山さんは一体どこに行こうって言うわけ……? とかあたしは思ったりもしつつ、まあでももはや時局は毒を食らわば皿までだ、っつーことであたしが今できる精一杯の煽り言葉を発したわけなんだけど。

「だいたいさぁ、もし仮にお前が本物だったとして、『俺が本物だ!』つって知り合いが認めてくれない、その状況の方が問題なんじゃねえの? 普通どんだけ姿を似せてたって、どっちが本物でどっちが偽物かなんて、オーラで分かるもんだし、それがない時点でお前の負けだよな。わかる? わっかんねえかなあ、この理屈――」

「……あぁ?」

 ヒッ……って言葉をあたしはなんとか無理くり喉から胃まで落とし込んだんだけど……いや、やっぱ怖いわ、この人。オーラがないとか煽ってみたはいいけど、明らかにこの人、尋常でないオーラ出してるよね!? もう、怖い、だってほら、鬼龍院氏がこっちを睨みつけてくる表情、まさに悪鬼か明王か、みたいな面持ちでさ、って言ってるそばから鬼龍院氏の眉の上からはまるで般若面みたいに鬼の角がにょきにょき伸びてきてるし、これは間違いなくゲキヤバ事案――って、え、角? なに? あたしの見間違い??? とか思ってるとその般若面の裏から、今までの鬼龍院氏の声色とは全く似ても似つかないような、地獄の釜から聞こえてんの? ぐらいの低さで声が響いてくるわけで、え。

「貴様……人の子の分際で我をここまで侮辱するとは……許せぬ……」

 って言いながらどんどん身体の方も膨張して、もうすでにもとの二倍になってるんだけど、え、えへ? え、これ、どうすんの、マジで……ほら、そのへんのお客さんも軽く引いちゃってるし……あたし、無理だよ? こんなん、相手にさあ……って引きつった笑顔を浮かべてると、般若鬼龍院氏は邪悪を坩堝で煮詰めたような表情でニタリと笑うと、

「今更後悔したところで遅すぎるわなあ!」

 とか言ってまるでおもちゃを求める赤ん坊みたいにゆっくりこっちに手を伸ばしてくるわけで――あ、はは、これは……これは死んだ――


「桃山剛掌波!!」


 ゴォッ!


 ――と、その瞬間よ。あたし目を疑ったんだけどさ、それまで隣りにいた桃山さんが超高速の横スライディングであたしと般若鬼龍院氏の間に割り込んできたかと思ったら、なんか手のひらを前に突き出してその衝撃波かなんかで、最早自分の二回りも三回りもタッパのある般若鬼龍院氏を吹き飛ばしちゃってさ。で、あたしが口をあんぐりと開けて放物線を描いて飛んでいく般若鬼龍院氏を眺めている間にぶら下げてるポシェットからなんか白檀の香りがするシャンプーボトル大の陶器製の瓶を取り出して、蓋をスポンと抜くとなにごとかブツブツ唱え始めるわけなんだけど、

「……おんべいしらまんだやそわか……おんべいしらまんだやそわか……おんべいしらまんだやそわか!」

 って、え? なにその謎な響き、お経かなんか? とかあたしは思ってたんだけど、するとよ、そのお経みたいな呪文みたいななにごとかに呼応するように瓶からは煙が立ち始めて、必死で振り払おうとする般若鬼龍院氏の身体に次々とまとわりつき、次第にその巨体が煙に埋もれていくわけ。で、そんな頃合いを見計らってかどうか、桃山さんはをにわかにお経呪文を唱えるのをやめて、今度はすっと息を吸い込むと、それと時を同じくして瓶が立ち込めてた煙を吸い込んでいって――。

 ――やがて、全部吸い込み終わったとき、般若鬼龍院氏の姿はもうどこにも見えなくなっちゃったってわけなのよ。

 ……って、え? なに? 何が起こったの? いや、起きた出来事があまりにあんまりだったから、正直理解が追いついてないんだけど、ええっと……?

 ってあたし(と猿山と雉岡)は呆気にとられたり状況を汲み取れなくてキョロキョロしたり互いに目を合わせてみたりしてたわけなんだけど、すると瓶の蓋をキュッと固く閉めた桃山さんが、なんか妙にほっとした、力の抜けたような表情でこっちに向き直って、軽く頭を下げてこう言うわけ。

「ごめんなさい、巻き込んでしまいまして。彼は鬼だったんです。人に化け、人を食らう、昔から知られる怪異で。で、あたしはその鬼たちを封じる退鬼師なんです」

「鬼……?」

「退鬼師……?」

 ってあたしたちはそれぞれ桃山さんの言葉をただただオウム返しする他ないんだけど、なにそれ、退鬼師? それ、新しい漫画の名前かなんか……? あるいはゲームのジョブとか、それくらいでしか聞かない響きの単語だよね? でも、そんな感じで困惑するあたし(と猿山と雉岡)を置いて桃山さんは話を続けるわけなんだけど、

「鬼――特に現代の鬼は社会の中に擬態して、獲物を探します。ですからわたしたち、退鬼師も普通の人間のふりをして鬼に近づき、おだてたり、挑発したりしてボロを出したところで封印する、そういう風にしているのですが――しかし、鬼龍院さんの場合は、あたしが未熟だったせいか、それとも鬼龍院さんが一枚上手だったのか、あっちのペースにずっと引きずられっぱなしで、全然しっぽも掴めず、正直だんだんお手上げ状態になってきてたところでして……すみません、もしものときは守るつもりだったとはいえ、みなさんのことを利用してしまいました」

「は、はぁ……」

「へ、へぇ……」

「ほ、ほぅ……」

 ってあたしたちは三者三様の相槌を打ったわけなんだけども……うん、でも、そうしかやりようがないよねって感じで。だってさ、いや、確かに目の前で鬼を見たとはいえ、現実味なさすぎるんだもん。百聞は一見にしかずって言うけどさ、実際は一見しただけじゃ正直なんもわかんないんだわ。まあでも、ようわからんけど、うまくいったんなら良かったんじゃない? だってほら、桃山さんの話じゃ鬼って人を食べるんでしょ? だったら封印できてよかったんじゃない? とか雑に思うしかなくて。

「とはいえ彼はかなり人間界に深く進出していたと思いますので、むしろ――彼自身をどうするかも含めてこれからの方が大変なんですが……でも、それはこちらの話なのでおいておいて」

 と桃山さんは一息つくと、あたしたち三人を見回して言うわけ。

「それで、よければお礼をしたいのですが……」

「お、お礼?」

「はい。なんせみなさんを危険に巻き込んでしまったわけですから。だいたいの相場で言うなら皆さんにはそれぞれ――」

 って桃山さんはポシェットから財布を取り出すわけなんだけど、いやいやいや、なんか急に話が生臭くなったな! なに? それが退鬼師の慣習なの? いいよいいよ、そんなの受け取れないって! ってあたしと猿山と雉岡は同時に声を揃えて桃山さんを止めて、でも一方の桃山さんは「ですが、しかし」ってなんかめちゃくちゃ踏ん張るわけなんだけども、最後には結局桃山さんも折れて、

「そうですか……それでは、代わりにみなさんに一つ、奢らせていただけませんか? ここのロシアン桃まん、とっても美味しいんですよ。……『はずれ』はめちゃくちゃわさびが効いてて辛くはあるんですが」

 とのことだったから、それくらいなら、ゴチになりますってことであたしたち三人も納得したわけなのね。


 ……で。

「――お待たせいたしました。こちら当店名物、ロシアン桃まんでございます」

 って店員さんが持ってきてくれた桃まん。

 みんなで一緒に食べたわけなんだけどさ。

 うん。

 人生にはまさかの坂があるね。

 そう、まさか頼んだ桃まん全部が全部、あまーい桃まん、

 に擬態した、

 辛いわさび入りの奴だっただなんて。

 まさか誰も予想はできなかったってわけ。

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