学校の神様

コトリノことり(旧こやま ことり)

学校の神様

「あのね、この学校には神様がいるんだよ」


 ねー、と三人の女生徒たちがうなずきあう。

 母の出身校でもある、この女子高に転入して一週間目の茜に、校内案内やあの先生は気難しいだの近くのこのお店がおいしいだの、親切とおせっかいと転校生への好奇心でいろいろと教えてくれていた女生徒たちが突拍子もないことを言い出した。


「神様? って、神様?」

「そうそう。あのねー、この学校だけの神様なんだけど」

「学校のね、どこかにね、神様のほこら? みたいなのがあって、それにお願いごとすると叶うんだって」

「でも学校の神様だから、お金持ちになりたい! みたいな願い事は聞いてくれないの」

「じゃあどんなのなら聞いてくれるの?」

「んっと、次のテストで点数とれるように、とか?」

「私が先輩から聞いたのは、どーしても体育の授業がイヤで、なくなればいいってお願いしたら自習になったとか」


 神様というにはずいぶん範囲が狭いんだなあ、と茜は思う。けど、きゃっきゃと楽しそうにしている彼女たちに水を差すようなことも言えず、「そうなんだ」とだけ返した。

 両親の離婚がきっかけで、母親に引き取られた茜は母の地元であるこの町に引っ越してきた。それからこの高校に転入したのだが、女子高ではあるけれども、周辺地域の中学校からの持ち上がりが多く、外からやってきた茜は少なからず周りの興味を引いているようだった。

 それにしても、神様、とは。

 学校の七不思議のひとつ、みたいなものだろうか? 彼女たちの様子を見るに、茜をからかって言ってるようではない。


「えっと、ほこら? ってどこにあるの?」

「んー、それはわかんないの」

「なんか、北東のほうにあるとか。でも祠なんだっけ? ただの石だとか木だとかっていうのも聞くよ」

「見つけても、お願い事するときは周りに見られちゃいけないんだって」

「だから、見つけた人も、どこにあるかは言わないの」

「私たちも探したんだけどねー」

「それっぽいの見つかってないんだよね」

「だけど、神様はいるって、先輩も、先輩の先輩たちからずーっと聞いてるんだよ」


 又聞きの又聞きのような、まるで信ぴょう性のない話にしか茜には感じられない。

 まあ、彼女たちも本当に神様がいるかどうか、というのはあくまで話のタネでしかないのだろう。消しゴムに好きな人の名前を書いて、誰にも見られないように使い切ったら恋愛が成就する、みたいなおまじないを信じるくらいの話だ。

 女生徒たちは「スズなら何願うの?」「憧れの部長とデート!」「え、でも学校限定なんでしょ? 学校出たらとたんに興味なくされちゃうかもよ」「えー、キョウちゃんそんな意地悪いわないでよっ」と盛り上がっている。

 その中のひとり、特に茜と親しくしている、綺麗な黒髪のボブの女生徒が茜に話しかける。


「茜ちゃんだったら何をお願いする?」

「え? んー……図書室の蔵書を増やしてください、とか?」

「なにそれー。それくらいなら図書室のリクエストボックスに投書するほうが早いじゃん!」


 けらけらと楽しそうに笑う彼女は、それこそ茜が図書室で会って、仲良くなった子だ。

 もともと一人で時間を過ごすことが多い茜は、前の学校でも図書室を利用していた。だから転校初日も放課後にふらっと図書室に寄ったら、彼女が本を読んでいた。じっと本を読む姿は、それこそ写真におさめられた構図のようにきれいで、思わず見惚れてしまったのだ。

 あまりにもじっと見すぎていたせいで、茜の存在に気づいた彼女は、最初は驚いてたようだが、「あ、もしかして噂の転校生?」と言って、気さくに話しかけてくれた。

 それからは休み時間や放課後に会ったり、こうして昼休みに茜のクラスにやってきて他の女生徒に混じって談笑したりしている。


「茜ちゃん、もし神様のほこら見つけたら、こっそり私にも教えてね」

「見つけられたらね、いいよ」


 そこで昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴る。

 「あ、戻らなきゃ」といってクラスを出ていく彼女や、自分の席に座る女生徒に手を振りながら、心の中でこっそりため息をつく。


「かみさま、か」



 校舎は一度建て直しがはいっているらしく、茜たちの教室がある新校舎と、図書室や授業であまり使われない特別教室がある旧校舎に分かれている。

 図書室に行くには、一階の渡り廊下を渡るしかない。ただその渡り廊下はちょっと不思議で、新校舎と旧校舎の間に流れるちょっとした小川の上にかかっている。まるで川を渡るための橋のような渡り廊下だった。

 川、といっても、ちょっと踏ん張れば自分の足で飛び越えられそうなほどの幅しかない。それが本当に山とかから流れているような川なのか、人工的な用水路のようなものなのかは、転校してきた茜にはわからなかった。

 まあ本物の川なら、増水したときに大変だろうから、多分公園に設置されているような人工的ななにかなのだろう。けどわざわざわざ二つの校舎にかけるのも不思議だな、と思いながら、渡り廊下を歩こうとした。


「あれ、飛び石」


 ふっと横を見ると、幅の小さい川の真ん中に、ぽつんと川面から飛び出た石があった。渡り廊下じゃなくても、その飛び石を足場にして川を渡れるようだった。


「あれ一つだけって、足場の意味あるのかな?」


 けど気になって、茜は渡り廊下にはいらず、そちら側へ出て、なんとなく飛び石を利用して川を渡った。

 渡り廊下からいけば旧校舎の中にはいれるが、飛び石を使って渡ったことで、旧校舎裏につく。左手に旧校舎、右手に手入れされてない樹々がぽつぽつと立っていて、その奥に錆びたフェンスが立っていた。

 図書室は旧校舎の一番奥、そして茜のいる裏手側に位置している。


「……あれ? そういえば、図書室って、新校舎から見たら、北東のところ、か」


 ふいに昼休みに話していた女生徒たちの会話を思い出す。


「……まあ、そんなわかりやすいわけないよね」


 そう呟きつつも、茜は旧校舎に入らず、そのまま旧校舎裏をまっすぐ進んだ。

 もともと人の出入りの少ない旧校舎。部活で使うグラウンドもないので、あたりは静かだ。

 少し歩けば旧校舎の角に着き、左を見ると外からでも図書室の様子がうかがえた。誰もいないらしい。


「祠、ほこら、ね……そんなのあればみんな誰だってわかるよね……ん?」


 まるで信じていなかったが、一応祠らしきものがないかきょろきょろとしていたら、図書室の一番端の窓の下のところに、少し大きな石があった。

 大きさ的には茜でも両手で持てそうなくらいだった。それは少し黒ずんでいて、ずっと外に置かれて雨に打たれたせいか不思議とつるつるとしている。

 旧校舎の壁に寄り添うようにぽつんと置かれたその石を、茜はじっと見る。

 持ってみようか、とも考えたが、触ると手が汚くなりそうだったので、壁側、石の裏側をそっとのぞき込む。


「なにこれ、お札?」


 ぺたり、と破れそうになっている半紙のようなものが石にくっついていた。

 達筆そうな文字で何事か書かれているが、破れかけた神に書かれた崩し文字なんてものは茜には読めない。


「……まさかこれが、神様の祠?」


 いやまさかそんなものあるわけない、誰かが冗談でそれっぽい石にそれっぽくお札を貼ったのだろう、と冷静に考える。

 けど、不思議と茜はその石から目が離せなかった。

 周りは静かで、人気もいない。


 『お願い事するときは周りに見られちゃいけない』


 クラスメイトの言葉を思い出す。

 それから、茜はふと自分を振り返る。

 暴力をふるう父親。逃げるように離婚したけれど、精神を崩して一人でろくに生活もできない母親。

 前の学校で、痣を作って登校する茜を腫物のようにして扱う同級生たち。

 今は祖父母が優しくしてくれているが、茜の両親のことを知ったら、またここでも胡乱な態度をとられるかもしれない。

 茜はまだ高校生で、一人で何とかする力なんてものはない。なんとか自立するためには、高校に通って、卒業しないといけない。

 だから、せめて、新しい高校では、平和に暮らしたい。





「……なんてことをわざわざ神頼みするかっつうの!」


 がん! と音が出るほど目の前の石を全力で蹴った。

 足に反動で痛みが走る。全力で蹴ったのに、石は微動だにもしない。それが逆に癇に障った。


「むかつく。この石、どっかに捨ててこようかな」

「うーん、それは困っちゃうなー。一応それ、私の触媒? みたいなものだし」


 誰もいないと思っていたのに、背後から声をかけられた。

 はっとして振り向くと、そこには黒髪の、図書室で会う彼女が立っていた。

 驚く茜にむかって、彼女は悪戯っ子のように笑った。


「改めて、どーも私が学校の神様です!」

「……そういう冗談も言うんだ」

「んーん。ホントのことだよ? だって、ね、思い出してみて。クラスの子たち、私のこと名前で呼んだ? 私の名前、学年、クラス、なにか知ってる?」


 そういえば、クラスの子たちはお互いを「スズ」「キョウちゃん」と呼び合っていたけど、目の前の彼女は自然に会話に混ざっていても、誰も彼女の名前を呼んだことはない。

 そして彼女だけ、授業の時間になるとふらりと外に出ていく。

 今日のクラスの子たちだけではない。図書室や、廊下で彼女に会うことはある。明らかに他の学年の生徒とも親し気に話す様子を何回か見かけたことはあるけれど、茜は彼女の名前も、所属も、知らない。

 みんな、彼女が誰なのか知らないのに、彼女がいることを自然に受け入れてる。

 それに気づいたとき、ぞくっとした何かが背中を駆け上がった。


「神様っていってもねー、こんな小さい学校の中だけだし。なんていうか、学校の守護霊? くらいの力しかないんだよね。学校の外には出られないから暇だし、生徒のふりしてみんなとお話したりしてるの。もともとここの生徒だったしね」


 にこにこと笑う彼女の姿は、茜には実体のある人間のようにしか見えない。

 だけど、茜は彼女に名前を、クラスも聞こうとしたこともなかった。

 普通なら当たり前にするであろう発想が、こうやって言われるまで疑問にも思わなかった。

 そのこと自体が、おかしい。


「ま、ま。私が神様っていうのを信じるかどうかは置いといてー。茜ちゃんに正体を教えたのはね、次の神様になる気、ある? ってことなの」

「……え?」

「私が神様になったみたくね、茜ちゃんもここの神様になれるんだよ」

「……私、その石、蹴ったんだけど。罰当たりみたいなの、ないの?」

「んーん。そんなことでいちいち怒ってたらめんどくさいもん。それにね、神様になる資格はね、『神様にお願い事をしない』ってことなの」

「お願い事を、しない……?」

「そう。だって神様が、神様にお願いするって、おかしいでしょ?」



 だから、自分のお願いを蹴ってでも捨てた茜ちゃんには、神様になる資格があるんだよ。

 


 しん、と場が静まり返る。

 風の音も、木の音もしない。本当に静寂、という言葉がぴったりのような空間の中で、茜は、自称神様と向かい合う。


「……私が神様になったら、私ってどうなるの?」

「基本的にはみんなから忘れられちゃいます! この世にいなかったことになる、かな。だから、茜ちゃんが消えて、悲しむ人も、喜ぶ人もいません」

「神様ってなにするの」

「んー。ささやかなお願い事を聞いたり、人間のふりしてみんなとお話したり。部活にはいるのはさすがに難しいけど、練習に混じらせてもらうくらいはできるかな? あと、私はよく本読んでるよ」

「……私が神様になったら、あなたは、どうなるの」


 その質問が意外だったのか、彼女は目を真ん丸にする。

 そんな表情もするんだな、と場違いなことを茜は思った。


「んー……私の前の神様は、私が神様になるときに、もう充分楽しんだから、っていって、他のところ行っちゃったかな。私は神様成り立てだから、こんな早く次の神様候補がくるとは思ってなかったから、決めてないんだよねえ」

「それじゃあ」


 ぎゅ、っと茜は自分の手を握り締める。


「それじゃあ、もし、私が神様になっても、やめないでって、言ったら」


 胸がドキドキしているのがわかる。彼女は不思議そうに首をかしげている。


「一人で神様やるのが不安ってこと? 大丈夫、最初のほうはちゃんと引継ぎするし……」

「違うの」


 茜は思い出す。思い出すのは、家族の顔でもなんでもない。

 図書室で見た、本を読む、彼女の横顔。


「私が、あなたと一緒にいたいの。一目惚れでした。お願いします、神様になるから、私とつきあってください」


 勢いのまま告げて右手を差し出して頭を下げる。

 今時、こんな古風な告白の仕方をするものだろうか。

 けれど、茜は初めての恋にいっぱいいっぱいで、何が正解なのかなんてわからない。

 大体、神様相手に対するふさわしい告白の仕方なんてものも知らない。

 頭を下げて、手を差し出したまま茜は動かない。いや、動けない。

 もしも断られたら、という不安で、胸の動悸がやまない。

 茜にとっては一時間くらいに思えた無言のあと、くす、と楽しそうな笑い声が聞こえた。


「そうきたかあー。茜ちゃん、石蹴ったり告白したり、神様驚かせるの上手すぎだよ。んんー。これって神様へのお願い事になるのかな……」


 ぶつぶつと彼女は独り言を繰り返す。

 あ、神様へのお願い事にカウントされて、自分は資格がなくなる可能性があったのか、と気づいて茜は一気に冷や水を浴びた気分になる。

 彼女の顔を見るのが怖くて、茜は頭を下げたまま目を固くとじる。


「でも、神様になってつきあう、っていうのなら、範囲内だし、もともと資格はあるし……」


 それまで何も感じなかった空間に、さあ、っと風が吹いた気がした。

 それと同時に、感じる右手にふれる何かの感触。


「ま、何より楽しそうだし、私も茜ちゃん、好きだし」


 ぎゅ、と右手が包み込まれる。

 こわごわと、茜は顔を上げる。

 そこには、夕焼けに照らされた、神々しいまでの美しい彼女の微笑みがあった。


「ふふ。付き合うなら、私の名前を教えるところから始めないとね。これからよろしく、私の神様」


 そして彼女は―――茜の神様は、茜の耳元で自分の名前をささやいた。

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