六話

 東雲さんと駅前で別れて約半時間。

 

 今日一日で起こった波乱の出来事を頭のなかで整理しながら家路を急いでいると、気がつけば自宅玄関の前にたどり着いていた。


 幻想的な群青ぐんじょうが空を掌握しょうあくしだして、すでに視界の広範囲は薄暗くなっていた。

 次第に電柱の防犯灯に明かりがともりはじめて、いやがうえに夕闇が僕の身体を包み込んでいく。


 僕は玄関のドアを開けて帰宅の挨拶である「ただいま」の言葉も口にしないまま、二階の自室へと繋がる階段をのぼる。

 考え事をしていたせいか、足を踏み外し、ガタガタという質素な音とともに階段から滑り落ちてしまった。


「痛ったぁぁぁ・・・・・・」


 これがまた地味に痛い。

 ドアに指を挟んだり、口内炎を噛んだりした痛みに匹敵する。

 一時的な鈍痛があったものの、踏み板に軽く手足をぶつけた程度で大事には至らなかった。

 頭から落下したり、打撲だぼく捻挫ねんざをしなかったのは不幸中の幸いだ。


「あれ?お兄ちゃん帰ってたんだ。ていうか何事?」


 突然の物音に慌ててか、小走りで駆け寄ってくる人影がひとつ。


「ついさっき帰ってきた。見ての通り、階段から落ちたんだよ・・・・・・」


 調理器具片手にエプロン姿で登場した少女の名は真那まな

 僕には三つ下、つまり中学三年生の妹がいる。

 百六十三センチと女子中学生にしては高身長で、バドミントン部に所属している。

 本人いわく、学校でかなりモテているらしい。


 この前の夕食途中で「私、めちゃくちゃ学校でモテてるから。凄いでしょ?」なんて自意識過剰なれ言をほざいていたのも記憶に新しかった。


 もし実際に、自負するほどモテていたとして。

 こいつのどこにモテる要素があるのか。

 実の兄である僕にも、それは永遠の謎だった。

 

「うーわ。だっさ。さっすが、そそっかしさの極みだね〜」

「うるさい」


 黙っていれば普通の女の子なんだけど、人を小馬鹿にしたような態度をとるのがたまにきず

 真那の友達は知らないかもしれないが、こいつは意外と薄情な性格だ。


 それに関しては、兄である僕が一番よく知っている。

 同じ屋根の下で暮らしているからこそ、嫌というほどその姿を見続けているからこそ、知り得る情報だってある。

 それが家族もとい兄弟の、利便性の低い特権だったりする。


「そんなことより、ご飯用意できてるから早く食べないと冷めちゃうよ?」

「わかった。すぐ行くから」


 自室のベッドに学生鞄を無造作に投げて、迅速に着替えを済ませたあと、妹の待つ一階のリビングヘと向かう。


 適度に煮込まれたクリームシチューの良い匂いが、育ち盛り末期である僕の食欲を刺激する。


「あ、言い忘れてたけど。お父さんとお母さんは、親戚のお葬式があって今日は泊まりだってさ。明日の夜には帰ってくるみたい」


 真那がお玉杓子じゃくしを振り回しながら言った。

 そういえば、今日の朝、母親がそんなことを言っていた気がする。

 今日はいつも以上にのんびりできそうだ。


 真那と向かい合わせで椅子に座り、夕食であるクリームシチューを味わう。

 特に意味もなく、テレビのチャンネルをニュース番組に切り換える。


 殺人事件、放火事件、強盗事件、詐欺事件と物騒な凶悪犯罪の連続。

 毎日のように、こうして悲惨かつ凄惨せいさんな事件をニュースで目の当たりにすれば、平和という概念が不明瞭になるのも無理はない。

 

 事件の当事者にはならないにしろ、いつか被害者の立場になる可能性は少なからずある。


 思いも寄らない事件に、明日、巻き込まれるかもしれない。

 明後日、一週間後、かもしれない。

 はたまた、一ヶ月後、一年後、かもしれない。


 そう考えれば、僕達も他人事ではない。

 道徳心の片鱗へんりんもない事件の数々に、心なしか気分を害したのでテレビの電源を落とす。

 

 音源であるテレビが消えて、食器が触れ合う音だけがリビングに響く。


「どう、シチュー甘くない?大丈夫?」 


 最初に沈黙を破ったのは真那だった。


「うん、丁度いいよ」

「ほんと?それならよかった。生クリーム入れすぎたと思ってたから」


 安堵あんどの表情を浮かべる真那。

 真那は料理が得意で、頻繁ひんぱんに母親の手伝いをしている。

 もちろん、夕食のクリームシチューを作ったのも真那だ。


 掃除、洗濯、その他諸々。

 家事全般を難なくこなす。


 それが可能なのも、幼少期から積極的に母親の手伝いを買ってでていた賜物たまものなのだろう。

 こいつにモテる要素があるのだとしたら、該当するのはそれくらいだ。

 何かしらの職業に就くより、専業主婦が圧倒的に似つかわしいと思う。

 

「そういえば、今日帰り遅かったけど何かあったの?」

「あぁ、そのことなんだけど・・・・・・」


 真那にいてみるのも悪くないなと思った。

 僕は言葉を続ける。


「なぁ真那。ちょっと変な質問していいか?」

「何、変な質問って。相談事なら聞くけど?」


 真那はシチューを頬張りながら、思いのほか真摯しんしな姿勢で僕の質問に耳を傾けてくれるようだ。


 こんな質問を妹にするのは気が引けるけれど、この際だからと腹をくくる。


「女子ってのは・・・・・・気になる男子に悪戯いたずらとかしたくなるものなのか?」


 真那の動きが止まった。

 その瞬間だけを写真で切り撮ったように、その場で絶句している。


「どうした?」

「いや、お兄ちゃんが急に変なこと言うからビックリしただけ」

「だから忠告しただろ。変な質問していいかって」

「いや、まさか、そんな質問をされるなんて思ってなかったから」

「なんかごめん・・・・・・」


 真那は手元に箸を置いて、少し考える素振りを見せてから質問に答えてくれた。


「うーん、どうなんだろう。苦手だったら自分から話しかけたりしないと思うけど・・・・・・。まぁ、真那だったら好きでなもないのに悪戯とかはしないかなー」

「なるほどな・・・・・・」


 真那は椅子から立ち上がり、冷蔵庫のある台所へと歩いていく。


「てか、なんでそんなこと聞くわけ?まさかのまさか、お兄ちゃんに積極的に絡んでくる女の子がいるとでも?」

「その、まさか・・・・・・なんだ」


 真那は冷蔵庫から自家製の麦茶を取りだして、専用のコップに注いだあと、それを一気に飲み干した。


「あの無愛想で有名なお兄ちゃんねぇー。お兄ちゃん自意識過剰なんじゃないの?」


「お前に一番言われたくない」なんて言い返したりはしない。

 言い返したところで、不毛な口喧嘩に発展するだけだ。

 この場は何も言わないでおくのが得策だと思った。


「そうかもな」

「絶対そうだよ。それ以外、お兄ちゃんに限って有り得ないもん。もし有り得たとしたら、何かの罰ゲームぐらいでしょ」


 随分な言い草だ。

 実の兄である僕を一体なんだと思っているのか。

 そこら辺に漂う巨大な空気の塊とでも言いたいのか。


 ちょっと見くびりすぎだと思う。

 僕にだって、すずめの涙くらいの魅力はあるはず・・・・・・。

 あるはずだ・・・・・・・・・・・・。


 僕は自分の長所を探すのを諦めた。

 やるせない気持ちが無意識に湧いてくる。


『理不尽』

  

 その単語ひとつで全てが丸く収まってしまうのだから、この世界は恐ろしい。


 真那は麦茶を飲み終えると、今度は冷蔵庫からヨーグルトをふたつ取りだして、僕のところに戻ってくる。


「最初の話なんだけど。 さっきの質問とお兄ちゃんの帰宅が遅かったことと、なんの関係があるの?」 

「えーと、それはだな・・・・・・。その女子と一緒に書店に寄ってたんだよ。半ば強引に誘われて」

「やっぱりお兄ちゃん、自意識過剰だと思う・・・・・・」


 再び、真那の口から暗黙あんもくの無自覚自虐じぎゃくが飛びだす。

 絶妙に話が噛み合ってないが、こいつに訊いた僕が間違いだったと割り切っておく。 


 クリームシチューとヨーグルトを完食した僕と真那は、適当にバラエティ番組を視聴して、各自、自由時間を謳歌するための準備をする。


 僕はまず、速攻でお風呂に向かう。

 ゆったりと湯船に浸かって一日の疲れを癒やす。

 入浴後、いつものパジャマに着替え、歯磨きを済ませる。

 そして、自室に戻ってベッドに寝転がる。

 

 僕は天井の一点を見つめていた。

 天井はただひたすらに白いだけで、何も語ってはくれないし、何か教えてくれるわけでもない。


 数分後、何を血迷ったのか。

 普段使用する機会の少ないスマートフォンの自然言語処理機能を起動する。

 音声の指示に従って、とある言葉を投げかける。


 まるで得体の知れない感情に、前頭葉が憑依ひょういされているかのように。

 


【ご用件はなんでしょう?】



「しののめ めいか」



【すみません、よくわかりません】



「しののめ めいか」



【すみません、よくわかりません】



「しののめ めいか」



【すみません、よくわかりません】



 何してるんだろうと思った。

 自分で馬鹿じゃないのかと思った。


 今日の僕はどうかしている。

 こんなことをするなんて正気の沙汰じゃない・・・・・・。

 軽度ではあるが、明らかに錯乱さくらん状態におちいっている。


 この日、心のわだかまりが晴れることは決してなかった。

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君に手向ける最後の答辞 和泉 綯 @mirai3731

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