一話

 高三に進級して最初のホームルーム。

 僕は席につくなり、躊躇ためらいもなく大きな欠伸をこぼす。

 人間の三大欲求のひとつである睡眠欲には、基本的に誰も逆らえないのだから仕方がない。


 その日のクラスは、朝からやけに騒がしかった。


 春休みが明けてすぐの登校でテンションが高揚しているのか。

 もしくは、久しぶりに友達に会えてご機嫌なのか。

 どうやら、前者でも後者でもないらしい。



「今日、ワンチャン転校生来るかもしれないぜ」


 運動部の男子が、それなりにボリュームのある声で言った。


「ソースは?」


 続けて、運動部の女子が言った。

 別に興味があるわけではなかったが、特にやることもなく退屈だったので少しだけ耳を傾ける。


「さっき、朝比奈先生に用があって職員室に行ったら横に転校生らしき女子がいたんだよ」

「見間違いとかじゃなくて?」


 学級委員長である男子が割って入る。


「うん、見間違いとかじゃない。 本当にマジのガチのリアル」


 若者言葉を乱用しているせいか、どこか冗談っぽく聞こえてしまう。

 だが、彼の口調からしてノリと勢いだけで話しているわけではなさそうだった。

 

 クラスのあちこちでにぎやかさが増す。

 おそらく、クラスの連中はその正体不明の女子生徒に妙な期待を抱いているのだろう。

 転校生かもしれない、という憶測だけで、よくここまで盛り上がれるなと思う。


 ここで一つ言わせて欲しい。

 もちろん、口にはださないけど。


 たしかに、朝比奈先生は僕達の担任だ。

 だからといって、一緒に居たという女子生徒を転校生だと断定するには根拠が弱すぎるんじゃないだろうか。


 朝比奈先生は、二学年の現代文も兼任している。

 したがって、その女子生徒が二年生である可能性は十分にある。

 むしろ、そっちの方が圧倒的に信憑性が高い。


 それに、僕達は三年生だ。

 転校生が来るなんてまずあり得ない。

 そもそも進路がかった高三の大事な時期に、転校手続き自体受理して貰えるのだろうか。

 あまり聞いた試しがなかった。


 あり得ないとは言ったが、生徒数の多い都市圏の学校なんかに行けば、中途半端な時期の転校も日常茶飯事なのかもしれない。


 キーンコーンカーンコーン。

 キーンコーンカーンコーン。


 そうこうしているうちに、耳馴染みのチャイム、ウェストミンスターの鐘が流れる。


「おはようございます」


 チャイムが鳴り終えるのと同時で、担任の朝比奈先生が教室に入ってくる。

 教室内は自然と静かになった。


「それじゃあ、ホームルームをはじめます」


 朝比奈先生は出席簿を教卓の上に置くと「その前に」と付け加えた。


 もうすぐ、高校生活最後の一年間が始まる。

 僕は今まで通り、全くもって平凡な日常を送るものだと思っていた。

 当たりさわりのない毎日を繰り返し、いつとはなしに卒業を迎えるものだと思っていた。

 一縷いちるの希望すら失われた暗澹あんたんたる将来を、ただただ惰性だせいだけで生きていくんだと思っていた・・・・・・彼女と出逢うまでは。


 そして、彼女は、なんの前触れもなく僕のもとに現れた。


「突然ですが、転校生を紹介します。 さあ入って」


 クラス中の視線が黒板側のスライドドアに集中する。

 僕も例外ではなかった。


 数瞬後。

 一人の女子生徒が教室に入ってくる。


 均整のとれたモデル体型。

 鼻筋が真っ直ぐ通った顔立ち。

 ぱっちりとした二重に大きな目。

 セミロングくらいはありそうなつやがかった綺麗な黒髪。

 美しい容貌ようぼうの目立つ、凛とした少女だった。


 彼女の登場に触発されて騒然となる教室。

 朝比奈先生が「はーい静かにして」と呼びかけたところで、興奮冷めやらない連中に声は届かず。

 

 そこで、チョークを走らせる音が途絶える。

 自身の名前を黒板に書き終えた彼女は、教室で巻き起こる喧噪けんそうき消すように口を開いた。


「初めまして。 東の雲と書いて、東雲しののめ命架めいかって言います。 お父さんの転勤の影響で隣の市から引っ越してきました。 こんな中途半端な時期の転校ですが、仲良くしてくれると嬉しいです。 卒業までどうぞよろしくお願いします!」


 拍手が連鎖していく。

 僕もうながされるがまま小さく拍手をする。

 十一年間も学校生活を送っていると、時に珍しいこともあるもんだなと思った。

 

「えーと、東雲さんの席は・・・・・・あそこね」


 朝比奈先生は周囲を見渡すと、窓際の最後尾を指差した。

 そこに一つ、空席があった。


 そういえば、と僕は思いだす。

 朝登校した際、このクラスは生徒数三十五人なのに対し、机と椅子が三十六席分用意されていた。

 どうやら、その不自然な一席は彼女のものだったらしい。

 ようやく全てが一致した。


 そして気がつく。

 学校に登校した時点で、運動部の男子の発言を含め、転校生の存在を示唆しさするシチュエーションがそろっていたということに。

 だけど、僕にはどうでもいい話だったので、一連の記憶を抹消まっしょうしてしまうことにした。


「わかりました」


 彼女は透明感のある声で答えると、軽快な足取りで窓際の最後尾へ歩いていく。


 その間、彼女は終始笑顔だった。

 なんて優しく柔らかい笑顔をするんだろう。

 素直にそう思った。

 僕がいだいた彼女に対する第一印象はそれだった。


 ホームルーム終了後の教室は、一時限目の準備そっちのけで大いに盛り上がっていた。

 話題の中心に君臨している彼女、東雲命架の席の四方には、これは転校生の宿命だと言わんばかりに沢山の生徒が集まっていた。


「東雲さん、彼氏とかいるの?」

「ずばり!スタイル維持の秘訣とは?」

「好きな食べ物、嫌いな食べ物はありますか?」

「連絡先交換しない?」

「兄弟はいますか?」

「どこら辺に住んでるの?」

「放課後、一緒に遊びに行かない?」


 矢継やつぎ早に質問が繰りだされる。

 こうやって見ていると、転校生というのもせわしないなと思う。


「趣味とかありますか?」

「前の学校で何か部活入ってた?」

「どこのメーカーのシャンプー使ってる?」

「めいかちゃんって呼んでもいい?」

「お父さんってどんな仕事してるの?」

「もしかして、モデルさんとかやってたりする?」


 そのあとも続く質問の嵐に、彼女は嫌な素振り一切見せず、笑顔で丁寧に対応していた。

 アナウンサーとか看護師の職業に就いていたら、真っ先に好評をはくすタイプの人柄だと思った。

 彼女が学年の人気者になるのに、それほど時間はかからないだろう。


 滅多に遭遇しないこの時期の転校生。

 おまけに容姿端麗ようしたんれいときたら、学年中が黙っているはずがない。


 ふと窓の外に目線を移す。

 太陽が燦々さんさんと輝いている。

 校庭に描かれた白線と陸上部専用の赤パイロン。

 一羽の小鳥が大空を優雅に飛んでいた。

 近くの街並みがかすんで見える。

 遠くの連峰が存在感を放つ。

 

 いつもと変わらぬ風景。

 いつもと変わらぬ日常。

 いつもと変わらぬ自分。


 僕の永遠はここにある。

 どこを探しても、ここにしかない。

 クラスに転校生の一人や二人増えたところで、僕の世界は決して揺るがない。


 そう思っていたはず・・・・・・だった。


 彼女、東雲命架が転校してきて約一週間が経ったある日、全ての始まりとなる事件は起きた。


 寝耳に水だった。

  

「ねぇ、どうして西宮くんは笑わないの?」


 その一言を契機に、僕達の運命の歯車は静かに動きだした。

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