3.狩る者、狩られる者

 里から少し離れた狩場は、周囲より比較的高い樹々が並んでいる薄暗い森だ。

 静寂の中に獣の雄叫びと、鳥たちが一斉に羽ばたく音が不規則に、そして唐突に響く。

 不気味で薄気味悪く、いかにも危険そうな場所だ。けれど樹々には丈夫な蔦が絡まっていて上りやすい。動物たちの死角で身を隠しやすいという点では、狩りに向いていそうだ。獲物も多いこの時期に成果がないということもないだろう。


――ただ一つ気がかりなのは、あの突然変異種だ。



3.狩る者、狩られる者



 レイは樹に隠れつつ、借りた弓と矢の具合を確かめる。

 日常で狩りをしているためか手入れは行き届いていた。これならば使っている最中に壊れることはないだろう。それだけ確認できればあとは十分。

 他の里人も各々の隠れ場所で獲物を待っているようで、とても静かだ。

 隣に座るルドーが準備を終えたのを見計らって、レイは尋ねる。


「で、狙う獲物は?」

「鹿、だな。ここは群れの通り道だ。通り過ぎるときに合図が行くから、示されたヤツを狙ってくれ」

「わかった。合図を送るのは……向こうにいる里人だな」


 二人とも話しつつも目は合わせずに、眼下の獣道を見据えていた。

 さわさわと風が吹いて、木の葉がさざめく音が空気を揺らす。揺れる葉が、悪戯するように頬をくすぐった。


「で、わざわざ誘ったんだ……何か話でもあるのか?」


 問えば、ルドーがびっくりしたようで、隣の気配が緩んだのが分かった。

 彼はしばし無言だったが、ぽつりと「他の里の花人と花守はどんな感じた?」と意図の読めない問いかけを口にした。

 それは個々の性格や特性の話なのか、雰囲気の話なのか、互いの関係性の話なのか。ぱっと答えるには抽象的な問い。


「どんな、と言われてもな……」


 昨晩に盗み見てしまった花守マリアとの一件や、先程の花人との会話。そして彼の態度から予想はできる。

 けれど会話の内容まで聞いていないので憶測でしかない。なにより、即座に答えて覗き見していたことが知られるのは不本意だ。

 ルドーは返ってきた言葉で自分の要領のえない質問に気が付いたのか、「あー……」と困ったような声を出す。


「花守と花人って、他の里では特別親しい間柄になるのかとか、さ」

「そういう関係もあり、真逆の関係になることもある。有体に言うなら、人それぞれだな」

「ふーん…ってことは恋人になる例もあるのか」


 今まで旅をしてきた中で、花守との間だけでなく、人と花人の恋の話は聞くこともあり実際に見たこともある。

 マリーゴールドと花守は隠してはいたようだが、この様子だとルドーは気付いていたのだろう。そのぐらいに、彼女のことをよく見ていたのかもしれない。


「それは許されることだったのか?」

「さぁ……それぞれの里の考え次第か。一般的にいうのなら、あまり褒められたことではないだろうな」

「そうだよな。花人は子供とか産めねぇし」

「……確かに花人に性別はないが、そこを重要視すると下世話に聞こえるぞ」


 両思いでも片思いでも、里によっては禁忌とされることは当然あった。

 この里ではそういう意識はあまりなさそうだが、彼は反対派なのだろう。いや、花守が花人とそういう関係になるのを嫌がっているのか。なんとなく、関係性が見えてきた。

 一般的に言うのであれば、人類が減り続けている今、成人した男女が子を成すことは重要事項だ。

 それこそ、里の中で血が濃くなり過ぎないよう他の里と生まれた子供を交換することもあれば、別の里から拉致してくることもあると聞く。個人の意志をないがしろにしても、種族の存続の危機なのだからと正当化されている里もあった。

 その思想はレイの故郷でも珍しくはなく、旅をしている中でも新しい血を取り入れたくて監禁されかけたこともあった。そのぐらいには人類にとって切実な問題だ。


 ただでさえ長い地下生活で、多くの同胞を喪い、今もなお各地で散り散りになった人間の生活は安定しているとはいいがたい。

 安定して人口を増やせるような豊かな里も、そう多くはないのだ。


「でさ、花人と恋人になった人間って、最終的にどうなったんだ?」

「そこまではわからない。一つの里には長く留まらないからな」

「じゃあ、お前の生まれた里では?」


 小声で会話を交わしていると、葉擦れの音が響く。風ではなく、獣が植物を踏む音だ。眼下を見ると鹿の群れがゆっくりと狩場に寄って来ていた。


「少なくとも、そんな話は聞いたことない。いたって普通の関係だったな」


 脳裏に赤い花がちらつく。

 声がした。甘く優しい、包まれるような声が自分の名を呼んでいる。


――私を殺して、レイ


 首を振って、追憶に沈みかけていた思考を現実に引き戻す。


「まぁ、過去のことまでは俺にもわからないけど」


 ひょっこりと、立派な牡鹿が草木をかき分けて出てきた。

 空気が張りつめ、すべての自然の音が遠くなる。


「ふーん。今は里に帰ったりしないのか」


 ぽつぽつと鹿が顔を出し、牡鹿達のあとから女鹿が、そして小鹿。どれを狙うべきかと獲物を見定める。ちかりと銀板で反射された光が、群れで二番目に大きい牡鹿と他二体を示す。あれらを狙えという合図だろう。レイもルドーも、会話をしつつも静かに矢を番えた。


「もう無くなった場所だからな」


 すとん……と、レイが放った矢が吸い込まれるように牡鹿の眉間をとらえた。

 ルドーは気がそれて狙いを外してしまったせいか、鹿の足元に刺さってしまう。他に何本か、牡鹿に矢が刺さる。


 襲撃に気付き、鹿たちが慌ただしく走り出した。仲間だったはずの数匹を置いて、一目散に、脇目も振らずに。

 強い風、ざわめく森。鹿たちが走る地響きの音に、鳥たちの羽ばたき。葉を荒らす風に乗って、息絶えた鹿の血の香りがレイに届いた。

 鹿たちが去って、空気が緩む。あとは血抜きをして里まで運べば終わるだろう。


「かわいそうに」


 ぽつりと呟いたのは憐れみ。いざとなれば、誰も助けてくれないのが世界の厳しさだ。それは鹿も人も変わりはしない。

 横たわる鹿たちが、自分の母だった女の影に重なって見えてしまった。


「綺麗に入ったな」


 ぴゅうと口笛を吹いて、ルドーは矢を下ろした。と、その時だ。

 ざわり、とまた空気が静まり返り、時が固まったように凍てついた。重力さえ感じる圧迫感に、ひゅっと隣で息を呑む音が聞こえる。

 今まさに下に降りようとしていた他の里人たちが、ただ事ではないと樹の上に素早く戻っていく。


 そしてドドドと、何匹か動物たちが駆けてくる音が、今しがた鹿たちが去っていった方角から聞こえた。

 ほどなくして、鹿たちが戻ってくる。ここで仲間が死んだことなどお構いなしに、来た道を引き返してきたのだ。

 先程の逃げ方など本気ではなかったかのように、必死に、死に物狂いで逃げていく様子は、見ている人間たちの恐怖をも掻き立てる。


 仲間だった鹿たちを踏みつけ越えて行く。骨が折れ、内臓が潰れる音と共に、息絶えた鹿の口から、血があふれでる。最期の一匹が過ぎ去って一拍置いた後、ソレは姿を現した。


 黒い塊だ。


 のそりのそりと地面を揺らしながら歩いている。ピンッと空気が張りつめ、この場にいた誰もが呼吸を止めた。

 巨大な熊だった。レイにとって何度も見たことがある生物ではあるけれど、見たこともない大きさの個体だ。

 それは臭いを嗅ぐように顔を左右に揺らした。ぎらりと光る赤い瞳は、通常の熊ではありえない。


(熊の突然変異種……レールの近辺にいたやつか)


 レイはそれを確信すると、そっと腰にある己の武器に手を伸ばす。固い鉄の感触が指先に触れた。

 コレに遭遇すると分かっていたのなら、スイを置いて行くことはしなかったのにと、内心で後悔する。

 もし誰かが悲鳴でも上げようものならば、この化け物は間違いなく人間を襲ってくるだろう。


 誰も微動だにしない沈黙の中、突然変異種は前方にある、人間たちが仕留めた鹿の死骸を見つけた。熊はそのうちの一番大きいモノを咥えると、軽々と持ち上げて、来た道を引き返していく。


 獲物を横取りされたことに憤る人間などいない。むしろ、この程度の犠牲で済んだのだから安いものだとばかりに、誰もが鹿を持ってさっさとどこかに行けと願う。その祈りは通じたのか、熊の姿は見えなくなって、地響きも遠ざかってく。


 樹の下には、生々しい鹿の血の跡と、人の顔の倍はあるだろう足跡だけが残されていた。

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