あの時

 砂浜にいた。わたしはあの時、砂浜にいた。あの男とはその時初めて会った。かわいい犬を飼っていた。一つ不思議だったことは、時々飼っている犬が変わることだった。あの男は犬は少しの間だけ預かっているんだと言っていた。自分の犬じゃないと。友人は不気味に思っていて、わたしにあの人は辞めた方が良いと言ってきた。わたしは忠告を無視した。男と付き合ったこともなくずっと格下と思っていたわたしが容姿端麗な男性を手に入れた妬みだと思った。わたしはあの時、友人の忠告に耳を傾けるべきだった。

 ある時、わたしも可愛がっていた犬が居なくなった。あの人に聞いたら、預かっていた人に返したと言っていたけど、あの人は誰か教えてくれなかった。どうしても会いたいのと言うと、あの人は今度はあの犬は実は逃げ出したんだと言ってきた。わたしは真に受けて、毎日犬を探した。いつも赤いスカーフを首に巻いていた、タロちゃん。タロちゃんを見たと聞けば隣の県まで行ったこともあった。あの人は犬を探すのは止めろとしきりに言って、良く喧嘩になった。

 わたしは犬を探すのをやめなかった。路地奥の空き地は散歩の休憩場所だったから良くそこで待っていないか見に行った。ある日、空き地の地面から何かが突き出ているのを見つけた。タロちゃんだった。顔を潰されて、前足を切り落とされていた。タロちゃん、どうして、誰がこんなひどいこと...埋め方が浅かったせいで、動物に掘り返されたタロちゃんは、自然の摂理で他の生き物たちの糧になっていた。臭くて、悲しかった。タロちゃんをその辺にあった廃材で摘んで穴から引き摺り出した。すごいにおいだった。タロちゃんの下には他の動物の、たぶん、犬の死骸が更に埋まっているみたいだった。どう考えてもあの人の仕業だった。わたしはその時初めて、友人の忠告の意味を知った。

 タロちゃんを埋め直して、わたしは家に戻って、どうしようか考えることにした。現実を受け入れられず、なにも考えが追いついていなかった。でも、家に戻ると部屋の中にあの人がいた。あの人は微笑んで、優しい声でわたしを呼んだ。たぶん、わたしは震えていたと思う。それで、わたしは...わたしは、あの人に、後ろから殴られた。金槌で。すごい衝撃があって、わたしは致命傷を負った。奇跡的に意識が辛うじてあった。下半身からいろんなものが垂れ流しになった。目が飛び出したせいか、視界が歪んだ。残酷な、人生最後の時間だった。身体がしたことも無いような痙攣をしていた。その時は気にも止めていなかったけど。今思い出すと、リアルな感触が呼び起こされる。死際だったからか、痛みは無かった。それであの人は笑いながら、あの人も失禁してた。興奮した顔で、わたしの血液を顔に塗りたくって、鉄パイプを持ってきた。金槌で更にわたしの顔面を潰して、もう見えなかったけど、鉄パイプをわたしの顔に突き立てて掻き混ぜた。

 わたしはあの人に殺されたんだ。ぎゅるっごりっという音、鉄の味、硬い感触、ぶちぶちと千切れた肉、におい、全部わたしの経験だった。シャワーの水音が戻ってきた。シャワーの水はもう赤く無かった。わたしが今見ているものはすべてわたしの夢だった。わたしは友人の忠告に耳を貸すべきだったのだ。


「ようやく気が付いたんだ」


 顔に空洞を作ったあの人が後ろに立っていた。聞き覚えがある声とセリフが聞こえた。鏡越しに見たあの人の手には金槌が握られている。あの人はアレをわたしに振り下ろすだろう。そのあと、私の顔に空洞を作る。あの夢に見た空洞だ。けれど、今もしまたここで殺されたら、わたしはまたあの砂浜に戻れるんだろうか?このまま消えてしまうんだろうか?後悔やら悲しみやら、いろんな感情が流れ出ては消えていく。もし次にあの砂浜に行ったなら、その時のわたしが全てを忘れていたなら、願わくばアレから逃げ続けてほし

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢の中のその日 QAZ @QAZ1122121

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る