第10話 魔力を帯びた剣

 夕食を取り終え、シャノンとファリレは教会の屋根裏に布団を敷いた。二、三人なら寝られるスペースだが、ベッドからあぶれる者がいなかったので使っていなかった場所だ。昨日、急遽掃除した。ベッドが余っていないのもあったが、何よりファリレを他の子供たちと一緒に寝させることをシスター長が躊躇ったのが大きい。そこで寝室から離れているこの場所が選ばれた。


 理由も理由なので、ファリレ一人で寝させるわけにもいかず、シャノンも一緒に寝ていた。興味本位に覗きに来る者もいたが、ほとんどは近づこうとしなかった。サリーは一度も訪れていない。彼女は二人が一緒に寝ることに随分と反対していた。


「質素な食事でごめんね」


 教会の食事は味気ないものが多い。普通の食卓と比べれば品数は少ないし、何より魔人の王族である彼女であれば、さぞ豪華な食事をしていたはずだ。それが急激にランクダウンしたのだから、口に合うはずがない。


 しかし、ファリレは何でもない様子で言った。


「別にいいわよ。不味いわけではないし。それより、私が一緒に食べてていいのかしら? みんな怯えていたわよ。あれでは味がしないと思うのだけれど?」


「ファリレが仏頂面で食べてるからだよ」


「しょうがないじゃない! 気まずいのよ! お前に分かるかしら? 人間の中に突如放り込まれた魔人の気持ちが!」


 声を荒らげるファリレを宥めながら、シャノンは横になった。思わず笑みを漏らすと、ファリレが怪訝な表情で睨む。


「いやさ、ファリレも気を遣うんだなって思ってさ」


「な、何よ! 私だって空気くらい読むわよ?」


「えー、絶対読めないと思ってた」


「失礼な奴ね!」


 ファリレは鼻を鳴らして、布団に身を投げ出した。シャノンとは反対側を向いて掛け布を肩まで上げる。


「明日も鍛錬するのだから、しっかり休んでおきなさいよ」


「うん、おやすみ」


 光石の入ったランタンを閉じて消灯する。


 シャノンは目を閉じて、湧き上がってくる興奮を宥めた。


 もっと。もっと強くなれる。


 待ちきれない鍛錬の時間に焦がれながら、ゆっくりと息を吐いた。気持ちとは裏腹に身体はしっかりと疲れていたようで、数分もしない内にまどろみの中へ沈んだ。




 それから数日が経ったある日。


 街外のいつもの場所に着いたシャノンは、頬に大きな紅葉を作っていた。隣にいるファリレは殺気立っていて、刺々しい感情がありありと伝わってくる。目が合う度に睨まれ、シャノンは意気消沈する。


「ほんっとうに最低!」


「ごめんって言ってるじゃん……」


「ごめんで済むと思っているのかしら? 大体、どうやったら他人の服の中に潜り込んで胸を揉むことになるのよ? 私が寝てる間にえっちなことしてたんでしょう!? この変態!」


「だから、誤解だよ。普通に寝て、起きたらファリレの服の中に入ってて、胸を揉んでた。それだけなんだよ。ファリレの胸って小さいと思ってたけど、意外と揉みごたえあったよ。何かいい匂いもしたし。いい目覚めだった」


 爽やかな笑みを浮かべながらシャノンが言うと、ファリレはわなわなと肩を振るわせ、怒声を上げた。


「お前ね! 何でそうも平然と言えるのよ? 羞恥心というものはないのかしら!?」


「結婚するんだし、別によくない?」


「よくないわよ! まだ先のことでしょう?」


「まだ、ね……」


「う、うるさいわね! 言葉の文よ! …………変なことばっか言ってないで、さっさと鍛錬を始めるわよ!」


 瞳を濡らし始めたので、シャノンはからかう手を緩めた。ファリレをからかうのは面白いので、ついやり過ぎてしまう。反省しつつ、気合いを入れた。


 鍛錬では、まず初めに魔力を体内に循環させる。これはかなり慣れてきて、ものの数秒で全身に満たすことが出来るようになっていた。


 次に魔力許容量の増大。ファリレから大量の魔力を流し続けて貰い、一度に流し込める魔力の量を増やす。量が増えれば、それだけ物質化させることのできる魔力が増えるため、戦力アップに直結する。


 最後にその魔力を物質化する。この物質化が肝要だ。今までのように、ただ魔力を放出して形作るのではなく、一工夫を凝らさなければならない。


 圧縮。魔力の密度を上げて、粒子の集まりを完全な個にする。魔力の密度が上がればその分だけ強度も上がり、破壊力も増す。


 自分の身長よりも大きな玉だったものを、片手のひらに収まる程度の大きさに凝縮させなければならない。魔力操作の才能があると言われたシャノンでも、これには手こずった。


 極度に集中しても人間の頭くらいの大きさに縮めるのが限界。その状態を保つのだけでも一苦労だった。


 試行を重ね、圧縮した玉を作ってから一〇分ほど手のひらの上で保つことができたが、ついに崩壊を始めた。玉の形が歪み、綻びが生じる。解れた糸のように飛び出た粒子が宙へと溶けていく。


 シャノンは腕を大きく振りかぶって、街とは反対方向へと放り投げた。一〇メートルほど先に落下し、大きな音を立てて地面を穿いた。


「やっぱり圧縮と固定が難しいね」


「当たり前でしょう? 通常の魔法使いが行う、魔力を練り上げ、より強い魔法を使うのと同じことをしているのだから。難易度が高いのは当然よ。むしろ、初心者のくせにたった数日でここまでやってのけたお前がおかしいのよ」


 苛立ちの混じった表情で言うファリレに、シャノンは頬を緩めて頭を掻いた。それが癪に障ったのか、繋がれた手から大量の魔力が流し込まれる。


「熱い熱い! 熱いって!」


「ふんっ、これくらいも御せないようではまだまだね!」


 それは初日に教会でファリレの魔力操作ミスによって流し込まれた量を超えていたが、シャノンは顔をわずかに顰めるだけだった。すぐに玉を作り出して、圧縮の作業に入る。


 夕暮れまで圧縮と固定を続け、ヘトヘトになったところで鍛錬は終了した。ファリレ曰く、限界までやらないと鍛錬にならない、とのことだった。


 疲労感たっぷりなシャノンとは相反して、ファリレは清々し表情を浮かべていた。一日中シャノンに魔力を流し続けても底が見えないファリレの魔力貯蔵量には驚きを禁じ得ない。


 街に戻り、メインストリートを歩く。人通りが多いが、ファリレへ注がれる視線は少なくなっていた。服装を変えてからこうなので、サリーたちの功績は大きかった。ファリレの方から住人に話しかけるのはまだ無理だろうが、そのうち普通にできるようになるのだろう。


 いつも通り真っ直ぐ教会へ戻ろうとしていると、前から来た中年の男に呼び止められた。シャノンと比べて一回りも二回りもある巨漢で、逞しい筋肉が服をはち切れんばかりに引き伸ばしていた。彼は先のファリレとの戦いで先陣を切り、あっけなく爆撃で吹き飛ばされた民兵だ。


「おっ、また鍛錬か。精が出るじゃねえか」


「レイドルさん、こんにちは」


 ファリレは口をすぼめてそっぽを向いた。


「相変わらず嬢ちゃんは素っ気ねえな」


「ふんっ、人間風情が私と口を利こうなんて一〇〇年早いわよ」


「こりゃ参ったなあ。一〇〇年後じゃ俺は死んでるぜ」


 ガッハッハ、と盛大な笑い声を上げるレイドルに、ファリレは顔を顰めて鼻を鳴らした。どうも、ファリレは彼が苦手らしかった。


「すっかり元気ですね。あんなに重傷を負ったのに」


「おうよ。医者に回復魔法を連日かけて貰ったからな。今日で通わなくていいってよ。ったく、嬢ちゃんの魔法は強かったなあ」


「ふんっ、悪運の強さだけは認めてあげるわ、死に損ない」


「何言ってんだよ。手加減してたんだろ? シャノンから聞いてるぜ」


「なっ――」


 声を詰まらせて、ファリレはシャノンを睨んだ。当のシャノンは曖昧な笑みを浮かべて頬を掻く。


「つい、この前口を滑らせて――」


 言うなり、ファリレはシャノンの手を掴んで強引に道端へ引っ張った。シャノンにだけ聞こえるように声を潜める。


「お前、余計なことを言うんじゃないわよ!」


「あはは、ごめん……」


「あのことは言ってないでしょうね?」


「結婚のこと? もちろん」


「ば、馬鹿なのかしら!? 魔人のことについてよ」


 言われて、シャノンは思い出したように声を上げた。もちろん、最初から分かっていたが。


「人間としか子供産めないことね。もちろん、言ってないよ。俺、結構口堅いよ?」


「ついさっき口を滑らせたと聞いたばかりなのだけれど……」


「そう言えば、お前ら知ってるか?」


 すぐ後ろから発せられた声に、ファリレは大袈裟に肩を震わせ、シャノンは自然に振り返った。


「何ですか?」


 今の話を聞かれた様子はない。ファリレが横で挙動不審にしていることの方が問題に思えて、シャノンは彼女の背中に手を添えた。そのまま、なぞるようにして指を下ろすと、たちまちファリレの口から気の抜けた声が漏れた。


「ん? どうした?」


「いえ、何でもないですよ。続けてください」


 ファリレの鋭い視線を無視し、シャノンは微笑みすら浮かべてレイドルに先を促した。ファリレが背中に弱点を持っていることは昨晩知った。


「ここから西に二日行ったところに岩壁があって、そこに穴が空いてるんだ。フレルライト洞窟って言うんだが、その奥に魔力を帯びた剣があるらしい。シャノンにぴったりじゃねえか?」


 魔力を帯びた剣。つまり、魔力がほとんどないシャノンでも、それがあれば一人で魔法を行使することができるということだ。


 シャノンの目が輝いた。


「レイドルさん、それ本当?」


「らしいぜ。俺も旅の人から聞いたんだが、何でも剣を守る怪物がいて、そいつを倒さないと剣は手に入らないらしい。今まで多くの強者が挑戦したって話だが、今も残ってるってことはそれだけ怪物が強いってことだ。それを手にできるのは、この街では唯一シャノンだけだろうぜ。何たって、魔王の娘を倒して街を救った英雄だからな」


 口端を大きく吊り上げて、レイドルは快活な笑みを浮かべる。


 そのことについて訂正しようとしたシャノンだが、そうすると色々と説明が必要になり、面倒なことになるので口を噤んだ。少し心苦しいが、いずれそれに見合う力を得るということでよしとした。

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