第5話 We're not gonna die young

「……ねえ、どうして学校来ないの? 高校どうするの?」

 ずり、と一歩お尻で距離を詰めて私は訊いた。

「行かねえ」

 目を閉じたまま、彼は答える。


「中卒で、働くってこと?」

「知らん」

 苦悶くもんの内から突き放される。

 無性にイラッときて、私は身を乗り出した。


「知らんって、自分の人生でしょ? 今ちゃんとしないと将来大変なことになるよ」

「将来?」

 ぎろりと彼の目が向いた。

 白目が、見たことないほど血走っていた。

「誰の将来だよ。バカみてえ」


 吐き捨てられた言葉に、心臓を貫かれた。


 私の将来。

 100点に手が届かない。失望され、罵倒ばとうされ、殴り蹴られる。

 私のせいで母は狂った。父はそう信じている。

 ……私さえいなければ。

 でも私は私を消せないから、引き続き100点にすがり付く。

 だって愛されたい。平穏へのパスポートはこれだけだ。

 もう間違えない。今度こそ。

 そういう名前のカミソリの、刃の上を歩いていく。

 いつまで?


 ……バカみたいだ。本当に。


「もう行く」

 ふらりと私は立ち上がった。


 打ちてようと思った。

 川がいい。

 目蓋まぶたに焼き付いた、光るナイキのマークに乗って。


 踏み出したその時、突然膝ひざに冷たいものが当たった。

 ひゃっと叫んで、スカートのすそを払う。

 蛙か何かだと思ったけど、違った。

 マウンテンデューの缶が、押し当てられていた。


「返すよ」

 無表情で彼は言う。

 私は脱力し、ため息をついた。

「要らない。私炭酸飲めない」

 ゆっくりと首を振って、違う、と彼は笑う。


「お前も、ボコられてんのな」

 赤目の充血が、私の視界にまで染み入った。


 息ができない。


 見抜かれていた。

 隠していたのに。裸を見られるより屈辱的だ。

 誰にも知られたくなかった。

 世界中の、誰にも。


「ごめん。オレ、暴力にはビンカンだから」


 瞬間、痛みが舞い戻った。

 殴られた頬。引きり回された頭。赤黒く腫れた膝。

 痛みの地層。身体の全部。


 痛くないわけがないんだ。

 たいしたことのない傷なんて一つも無い。

 打ちのめされたのは、身体だけじゃない。

 ヒリつく頬に、熱いものが流れ落ちた。

 全然大丈夫じゃないのに。

 次から次へと。

 こんなにもつかえが取れるのは、なぜ。


 くずおれ、そのまま嗚咽おえつした。



 彼はただ私のそばにいた。

 肩も抱かない。背中も頭も撫でない。

 ただ黙って、私の隣に。


 そして唐突に、声を出した。

「あっ流れ星」

「えっ」

 思わず、顔を上げる。


「願い事するヒマもねえな」

 ぽかんと上を見たまま呟く。


 確かに彼は見たのだろう。

 えー、と私は気が抜けたように笑った。

 顔の筋肉を動かすと、泣き腫らした目も痛い。

 ……けど今日初めて、私は笑ったかもしれない。


 願い事か、と考える。


 非常階段のジグザグに、夜空が切り取られている。

 空というより破れ目のようだ。

 手のひらに収まりそうなほど小さいのに、手の届くものは一つも無い。

 見上げていると、吸い込まれていきそうな気がした。 


 私達の頭上に降り注いでほしい、と思った。

 流星の雨。

 大気圏を突破してなお燃え続ける彗星すいせい

 それってもう隕石じゃん。


 できるだけ鮮明にイメージし、私は目を閉じる。

 少し眠くなってきたかもしれない。


 きっともうすぐ日付が変わる。



(了)


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