浸透圧

山野わぐり

浸透圧

 おばあちゃんちに行くと、たまに、近所の農家さんからもらったレタスで、おばあちゃんは夕飯のサラダを作った。


 私はそのサラダが嫌いだった。


 サラダは嫌いじゃない、セロリが入っていなければ。


 でも、おばあちゃんが作るサラダが食べられなかったのは、レタスが有機栽培だったから。有機栽培と言うと聞こえはいいけれど、それは野菜に虫がつき放題ということじゃないの、と少なくとも私はそう思ってしまう。


 その証拠に近所の農家さんからもらったレタスにはいつもナメクジがついてた。いや、いつもではないけれど私にとってはいつもついてたようなもの。


 嫌なことほど記憶に残るというのは案外ほんとらしい。


 そうしてレタスにナメクジがついてると、おばあちゃんはナメクジが乗った葉をむしって、シンクに放り入れる。


 おばあちゃん、そのあと、なぜかしばらく放置するのだけれど小一時間すると夕飯も終わって食器洗いをせねばならないのでレタスが邪魔になる。


 そういえばナメクジはこの小一時間のうちに逃げようともしない。逃げようとしたところで悪あがきに過ぎないけど。


 おばあちゃんが塩をナメクジに振りかける。その様子はなんだかとっても素晴らしくて、わくわくした。おばあちゃんは手際よくナメクジを粉雪に晒すようにして、死の灰を降らせた。


 私はどうにもこのナメクジの処刑というのが好きでたまらなかった。殺意とか狂気とかではなくて純粋な興味が私を熱中させた。


 ある日、中学校だったか、学校の授業で浸透圧を知った。不真面目な生徒だったので授業は適当に聞き流していたけれど、ふと先生が「ナメクジ」と言った、気がした。少し気になって、ちゃんと耳を傾けると、どうやらほんとにナメクジの話のようだった。


 先生はナメクジが塩をかけるとしぼんでしまうのは浸透圧のおかげだと説明した。おまけに塩分の濃さがナメクジの内側と外側でおんなじになろうとするからそうなることも知った。


 それ以降、特にナメクジについて考えることはなかった。


 いつの間にか社会人になった。おばあちゃんまだ元気で、家事は自分でやる。そのおばあちゃんからある日、段ボール箱が送られてきた。「いつものレタスですよ。新鮮です。サラダにしてね。」と達者な字が書かれたメモと一緒にレタスがあった。


ナメクジ。


ふと思った。ナメクジいるのかしら。いても干からびてるかしら。

会社帰り、疲れてた。一度お風呂に入ろうと思った。けれど辛うじて生きてるナメクジが乾いてしまうのではと、ナメクジを探したくて仕方がなかった。


レタスを箱から取り出して台所のまな板に置いた。葉を一枚一枚掻き分けた。水滴がついていて、触った感じひんやりした。たぶん朝露だ。



 ナメクジ。



 いた。なんというか小さいときは恐ろしかったのだけれど、見た目はそれほど凶悪じゃない、気がした。ウネウネ動くのは、きもちわるいのだけれど、ほんの少し可愛い、気もした。


 おばあちゃんみたく、レタスに乗ったナメクジを葉ごとシンクに投げ入れた。トン、と音を鳴らして葉が着地する。


 おばあちゃんがナメクジをすぐに殺さなかったのは優しさだったのかしら、それともためらいだったのかしら。


 塩を出した。さっきあんなに必死にナメクジ探したのに。殺すのか。自分に問いかけたけれど返事はない、聞こえないフリ。でも私はそうすること、望んでた。

 

 塩をかけた。かけてから数十秒はウネウネ動いてたけれど、次第に鈍くなっていく。


浸透圧。内側と外側がおんなじ濃さになる力。


 じっと、シンク上の細長い蛍光灯を眺めた。


 私ナメクジ。


 そういえば、なんだか、私と他人とが一緒になっていっている気がしてた。ずうっと前から。同調圧力かしら、浸透圧かしら。何かが私をかき乱して中身を引きずり出そうとしているような。十人十色、みんな違ってみんな良い。そんなの言うだけ。


 いつからか周りと違うことが怖くなった。ふつう、じょうしき、あたりまえ。みんな曖昧な価値にすがりついて、それ以外否定して。

私は誰かにあからさまに否定されたことも、否定したこともないけれど。窮屈。ひたすらに窮屈で。


 誰もはっきり言わないけれど、みんな互いに睨み合って生きるのが本当に楽しいのかな。


 なにもかも嫌になったこと、あったっけ。見えない何かにみんな侵されていて、でもみんなそんなの知らん顔で。気持ち悪くて、なにも信じられなくて、無力で。自分が希釈されて薄くなって消される。浸透圧に殺される。そう思えた。


 ナメクジもニンゲンもなにも変わらない。ナメクジみたいに私も浸透圧に殺されちゃうのかな。


 おもむろにシンクに目を向けた。ナメクジはちいさくしぼんで、もう死んでしまいそう、哀れね。


 ナメクジ。


 嫌い。大嫌い。自分を見ているような気持ちになる、惨めになる。


浸透圧に屈することしかできない、生き物。


 またおばあちゃんに、レタス送ってもらおうかしら。そうしてナメクジを殺してしまおう。浸透圧で殺してしまおう。


 そうやって私はナメクジじゃないって証明する、自分は違うんだ、って。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浸透圧 山野わぐり @WAGURI-02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ