第31話 モン・ブラン・オ・マロン


 ――これは、もう一つの新子友花が過ごす『聖ジャンヌ・ブレアル学園』のサイドストーリーである。



「はにゃ? 神殿??」

 新城・ジャンヌ・ダルクが、神殿愛の後ろからヒョイと覗き込む。

 その気配に、神殿愛は気が付いた。

「……ああ、これは、その学園祭の私達ラノベ部が出品する冊子よ」

 神殿愛は段取り良く冊子に帯を付けたり、いくつかの部活からお願いされたチラシを挟んだりしている。

 さっきからその作業を1人でやっているのであった。


 ――新城・ジャンヌ・ダルクと視線を合わせることなく。


「……神殿? なんか怒ってない??」

「別に、怒ってないってば……」

 この時、神殿愛の冊子を触る手が一瞬止まった。


 じー


 更に、よせばいいのに……。

 グイッと前屈みになって神殿愛の顔を覗き込もうと新城・ジャンヌ・ダルク、彼女の背にピッタリとくっつこうとして――

「新城さんってば! ちょい……重いって」

 ウザいぞ! という具合に神殿愛は肩に乗せてくる新城・ジャンヌ・ダルクの顔を手で叩こうとした。

 しかし、彼女はそれをひょいと後ろに反り返して躱す。


「ほら、やっぱ神殿って怒ってんじゃん?」

 両手を後ろに組んで、神殿愛を上目に見つめる視線。

「ああ! だから怒ってないって!」

 キッ――と神殿愛が両手をグーに握り、真後ろにいる新城・ジャンヌ・ダルクに振り向き様に叫ぶ!


 ……叫ぼうと……したら。


 新城・ジャンヌ・ダルクが、後ろに組んでいた両手を前に差し出す。

「――神殿。これお土産ですよ♡」

「お土産……って?」

 神殿愛は、両手をお椀の形にして差し出している彼女の手の中に、何か乗っかっていることに気が付いた。

「これ……って?」

 数回程瞬きを見せる神殿愛。

「とっても美味しいですよ!」

 そう言うと、新城・ジャンヌ・ダルクがニッコリと微笑んだ。

「だから、神殿。……機嫌直してくださね」


「――これ、モンブランだよね?」


 新城・ジャンヌ・ダルクが手に持っていたそれは――モンブランのケーキだった。

「今日は、私が聖ジャンヌ・ブレアル学園に転校した初日だから、その御挨拶のためにラノベ部に来たんですからね」

「新城さん? あなた……もしかしてこのモンブランッって」

 パチパチと瞬きしながら、モンブランのケーキを見つめる。

「……本場フランスのモンブランの――そのケーキを私に?」

 

「ミスさくら先生から聞きました。神殿って、モンブランが大好きなんだってことをです」

「大美和さくら先生から?」

「はい! 私ラノベ部のみんなに何かプレゼントをしたいなって。それも神殿――あなたにはこの前学園をエスコートしてくれたこともあったからね」


「……お、覚えていてくれてたんだ。新城さん」

 神殿愛が新城・ジャンヌ・ダルクと目を合わせる。

「できれば、神殿が気に入ってもらえる何かを渡したいなって……」

 微笑んだ顔のままで、こちらもパチパチと瞬きをして神殿愛を見つめる。

 その顔は曇り無く、無垢なままの素直な気持ちを彼女に伝えていた――


「……そ、そうなんだ。新城さん」

 内心、新城・ジャンヌ・ダルクに怒っていた神殿愛から殺気が消えていく……。

「はいな! それでミスさくら先生に相談したら――先生曰く、神殿愛さんは甘い物が、特にケーキが大好きですよね……って私聞いて」

「――先生。あ……ありがとう」

 さっきまで両手をグーにして新城・ジャンヌ・ダルクを嫌悪していた神殿愛だったけれど、今はそのグーも力を緩め下へと下ろしている。


「知ってましたか? モンブランってフランスで『モン・ブラン・オ・マロン』という白い山を意味しているんですよ。モンブランの山、いつも白くて綺麗ですから――」

 新城・ジャンヌ・ダルクは左手の指を使い、ここの……ところが……雪を表していて、山頂はマロンを表して――とかなんとか言いながら、神殿愛に自分なりに説明を始めた。


 うん、うん……。その説明を頷きながら聞き入っていた神殿愛。すると――


「ありがとう。新城さん」


 目の前で深く一礼をしている神殿愛――

「はにゃ? どうしました、神殿?」

 彼女のその姿を、不思議そうに見ている新城・ジャンヌ・ダルク。


 すると、時間差を開けて気が付いた。

「……オー! ミス神殿、ジュテームですよ」

 そのフランス語って、普通は男女仲で使う言葉だよね?

「けんもほろろですよ、私は……。そんな謙遜お構いなくですよ、神殿! だって、なんだかもう天津甘栗ですって、横浜チャイナでーす」

 左手を左右に動かして(右手にはモンブラン)、新城・ジャンヌ・ダルクは謙遜した。

 たぶん謙遜なのだろう?


 言葉の意味はよく分からんが、兎に角、気持ちは分かる。


「――ありがとう。私のために」

 神殿愛の涙腺が緩んだか? 目に涙がホロンと浮かんでいる。

「そんな……そんなに嬉しかった? ――神殿?」

 彼女の肩に左手を乗せて、新城・ジャンヌ・ダルクは小声で言う。

「そんな、大したプレゼントじゃないですからね……」

 と言うなり、あははっ……と、あっけらかんに笑ったのであった。


「そ、そんなことないもん!」


 グッと涙腺が緩んだか、神殿愛の眼に大粒の涙が溜まった――

「新城さん。本当にありがとう!」

 神殿愛が両手で新城の左手を握る。

「――神殿?」

 

「こんな嬉しいプレゼント! 私、本当に嬉しいんだから! 感謝感激雨霰なんだからね!!」

 大粒の涙は、いつしか一筋の涙へと流れている。

 モンブランのケーキって、そんなに感涙する程貰って嬉しいの?

 御嬢様の女子高生である神殿愛だったら、いつでも口にできそうだと思うけれど……。


「まあ……神殿って、生徒会長になったって先生から聞いたもんだから。そのお祝いも兼ねてまーす。コングラものですよ! 冠婚葬祭でーす」

 ――感謝感激に合わせたのか? その四字熟語はこの場では不適切だと。

 ちなみに『コングラ』とはコングラチュレーションの略である。

 一体、誰が教えたこんな奇怪な日本語の羅列を?


 ……あ。もしかして家庭教師のダーリンか?


「嬉しいってば……」

 神殿愛は新城・ジャンヌ・ダルクの右手に乗っているモンブランのケーキを、ひょいと手に取った。


 神殿愛の涙は、まるで役行者が当たる滝修行の如く、猛烈な勢いで流れている――

「……だって、本場フランスのモンブランを――モンブランを私にプレゼントするために……わざわざ日本にまで持って来てくれるなんて」

 スカートのポケットからハンカチを取り出し、涙を拭う神殿愛である。


「――ボンジュール?」

 しばらく、感泣している神殿愛を見つめてから、新城・ジャンヌ・ダルクはフランス語でそう言った。

 言ってから、なんだかキョトンと彼女を見つめている。


「神殿……グーテンモルゲン?」

 それはドイツ語だよね? なんで?

「そう! わざわざ本場フランスのパテシエが、朝早くかなんかに手作りで作ったのを、国際便の冷凍輸送で聖ジャンヌ・ブレアル学園まで届けてくれたんですよね?」

 滝修行の後に辿り着く達成感の如く、神殿愛の目にはキラキラと後光の如き星々が輝いている。

「――こんなに手間暇を掛けてくださって、本当にありがとう。新城・ジャンヌ・ダルクさん!」

 本場フランスのモンブランと出会うとは、アルプスの大草原で見上げる遥か先に見える万年雪の積もった山々。

 うわ~私! 今、本当にヨーロッパの大自然に包まれてる~的な感動だろう。


 神殿愛は、新城・ジャンヌ・ダルクの左手をギュッと両手で力を入れて握ったのであった――



 チッ チッ チッ……



 人差し指を左右に振って――いるのは、新城・ジャンヌ・ダルクである。

「……神殿? そのモンブランは本場のじゃないでーす」

 指でツンツンと指しながら、新城・ジャンヌ・ダルクがハッキリと言った。


「……本場のモンブラン……じゃない?」

 そう聞き返したのは、神殿愛。


「……はいな! それ学園近くのコンビニで売っていた100円のスイーツで~す。すぐそこで~す」

 モンブランから、今度は窓の外をツンツンと指している新城・ジャンヌ・ダルク。

 その先にあるのは、当然のことコンビニである。

 ラノベ部の部室の窓から看板だけが見えている――コンビニである。


「……ああ、コンビニスイーツなんだこれって。……ああ、そ……そうなんだね」

 神殿愛の表情は真顔になる――


 そんでもって、クルッと新城・ジャンヌ・ダルクに対して背を向けて、神殿愛は再び……机の上にある書冊を整理し始めたのであった。

 でも、ムスッとはしていない。

 なんだか、早とちりしてしまった自分が恥ずかしかった。


 ズココ――でしたね。




       *




「――あらら? 新城・ジャンヌ・ダルクさんも来ていましたか?」

 ガラガラと部室の扉を開けたのは、大美和さくら先生だった。


「あはは……。ああ! 先生、ご機嫌あそばせです!!」

 大美和さくら先生に気が付いた神殿愛が、手を振って応えた。

 あはは……。神殿愛は大笑いしていた。

 何がそんなに箸が転んでもの年頃なのか?


 ――さっきまで、モンブランのすったもんだでピリピリしていたラノベ部には、いつの間にか、雲間に空いた晴天の如く晴れ晴れとした談笑が響いていた。

「はーい! ミスさくら先生!!」

 新城・ジャンヌ・ダルクも先生に気が付いた。

 そんで、同じく手を振って応えた。

 彼女が座っている席は――前回と同じ忍海勇太の席である。


「まあ……あらら。これ文化祭の出品の書冊じゃないですか?」

 大美和さくら先生は自分の席に座りながら、机の上に数冊ずつ積み上げられている書冊に気が付いた。

「ミスさくら先生! この『あたらしい文芸』を読みましたか?」

 新城・ジャンヌ・ダルクは、一冊手に取って先生に見せた。

『あたらしい文芸』は、ラノベ部が販売する文芸誌のことである。


「ええ。先生も一読しましたよ」

 大美和さくら先生も、目の前に積まれている書冊から一部を手に取った。

「一読しましたけれど……でも、何がそんなに大爆笑なんですか?」

 

「ミスさくら先生も、おひとつ召し上がってくださーい」

 そそっと手で押した新城・ジャンヌ・ダルク。押したのは白い箱――モンブランのケーキセット。

「……モンブランですか? これは美味しそうですね」

 両手を合わせて、それを右頬に添わせる大美和さくら先生。

「……ああ、私が職員室で神殿愛さんの好みを教えたから。早速買ってきたんですね」

「はーい、ミスさくら先生。そうですよー」

 スプーンでモンブランのクリームを掬うと、パクリと口の中に含んだ。

「このモンブラン本当に美味しいですよ!」

 神殿愛はそう言いながら、ティーカップに紅茶を注ぐ。

「……これ、先生の紅茶です」


「はい、ありがとう。それでは……先生もひとつ、いただきますね」

 モンブランのセットから、ひとつを取り出す。

「うん♡ 美味しいです」

 ニッコリと微笑む大美和さくら先生。



 みんな甘い物がお好きですね――



「……で、何がそんなに談笑ものなのですか?」

 スプーンを小皿に置いて、大美和さくら先生が2人に尋ねた。

「だって! この文芸誌のメイン企画の――」

「そうでーす。新子の小説ですよ。ミスさくら先生!」

 神殿愛と新城・ジャンヌ・ダルクが、揃って各自手に持っていた『あたらしい文芸』の書冊を広げて、新子友花がメインの小説として書いたそれを指さした。


 すると、2人は瞬間見合い――またクスクスと笑ったのであった。


「……ああ、新子友花さんの小説ですね」

 大美和さくら先生が、そう気付くと。


「そうそう! 友花の小説!!」

「……新子って最高ですね~」

 神殿愛と新城・ジャンヌ・ダルクは、声を揃えて大笑いしたのであった。


「2人共……。新子友花さんの小説がそんなにおかしいのですか?」

 大美和さくら先生は2人顔をそれぞれ見つめながら、キョトンとした表情でそう聞いた。

「……だって! 友花のこれって暴露本並みの内容ですもの」

 あはは……と神殿愛。

「しかも! 自爆記事並みのぶっちゃけぶりじゃないですか」

 同じく、新城・ジャンヌ・ダルクも――



 ――その2人の笑い様を、じーっと見つめた大美和さくら先生は。

「神殿愛さん。新城・ジャンヌ・ダルクさん。……よく聞いてください」

 モンブランの小皿の傍に置いてある紅茶に一口付けてから――それを机に置いて膝の上に両手を置いた。

「2人共、新子友花さんが書いた小説を、そうして大笑いするのであれば……今すぐ、このラノベ部の部室から退室してください!!」

 大美和さくら先生は落ち着いて、神殿愛と新城・ジャンヌ・ダルクにそう言い放った。


 先生は怒っているようだ――


「……」

「……ミス」

 神殿愛と新城・ジャンヌ・ダルク――口に運ぼうとしていたモンブランの、クリームが乗ったスプーンの手を止めた。


「……2人共。ごめんあそばせ」

 大美和さくら先生は2人の様相に気が付くなり、そう言って少し俯いてしまった。



 しばらくして――


「……先生はね」

 大美和さくら先生の口が開く。

「先生は、小説というのは体験が必要なんだと思っています。それを新子友花さんに伝えました」


「……………」

「……………」

 神殿愛、新城・ジャンヌ・ダルクは黙って聞いている。


「先生は――大美和さくらは、新子友花さんが価値ある小説を書いてくれたんだと思いました。だから、メインの小説として、先生は新子友花さんに合格を出しました」

 大美和さくら先生は俯いたままである。

「……新子友花さんはね。『あたらしい文芸』を通じて、過去とお別れしたんですよ。すべて書き綴ることで――その切実な気持ちと決別したんですよ……。2人共、どうして彼女の真面目な告白を分かってあげないんですか?」

 そう言い終えると俯いていた顔を上げて――神殿愛と新城・ジャンヌ・ダルクの目を見つめたのであった。


 モンブランのケーキを乗せていた皿に添えていたスプーンが、瞬間揺れた――



 ――大美和さくら先生の言葉は、多分聖ジャンヌ・ブレアル学園での自身のイジメの経験から出たものだろう。

 メインの小説に込めた新子友花の気持ちが、本当によく分かるのだろう。


 書いたら書いたで……文句を言われ揶揄されて笑われて。

 親切丁寧に接したら、したらで……すっかりと恩も忘れられて。


 自己愛――ナルシシズムは、どうしてこうも相手の気持ちを思わないのだろう?





 大美和さくらよ――


 もういいじゃないか?


 今を生きようぞ。





 第三章 終わり


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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