第29話 聖人ジャンヌ・ダルクさまは魔女ではありません。

 新子友花は旅に出ます。



 もう学園なんか辞めて、たった一人で生きていきます。


 それで生きていけるのかと聞かれれば、もう死ぬしかないじゃないですか!

 それで、あたしは満足です。生きていけないのであれば、それで十分です。

 それが、あたしの寿命だとあたしは信じます。


 ――旅先は、何処がいいだろう?


 北海道の釧路湿原に行きたいな。

 長崎の大浦天主堂に行って礼拝したい。

 行きたいところは、どこにでもある。


 なんかさ、もうどうでもいい。

 こんなに我慢して、その結果、脳梗塞になってしまって、それでも脳梗塞になったお前が悪いという人間達なんて、そんなのあたしは関わりたくない。



「……新子友花よ」

 どこからともなく声が聞こえてきた。(このパターン、ちょっと多いですね。 ← 担当編集)


「お前は、自分の兄の病床を捨てて旅に出たいというのか?」

 その声は、当然、聖人ジャンヌ・ダルクさま。

「……はい。聖人ジャンヌ・ダルクさま」

「新子友花よ。それは信仰の結果なのか? 祖国フランスのために命懸けで戦った、我ジャンヌ・ダルクに対する無礼であるとは、そうは思ってくれないのか? 我は聖ジャンヌ・ブレアル学園の神であるぞ……」


「……………」

 あたしは、聖ジャンヌ・ブレアル学園さまを裏切っては――




「――ちょっと新子友花さん!! ノートパソコンに向かって何眠っているのです?」

「……んにゃ?」

 ラノベ部の部室だ――

 忍海勇太、神殿愛、東雲夕美、そして大美和さくら先生のみんなが、揃って新子友花を見つめていた。

 一方、キョトンと寝ぼけている新子友花……。

「あ、あたし……もしかして寝ていて……?」

「はい、新子友花さん。すっかり寝ていましたよ!」

 大美和さくら先生は、微熱で寝込んでいる我が子の頭を優しく撫でる様に……新子友花の席の横に立ち微笑んいた。


「新子友花さん。どうかしましたか? かなりうなされていましたよ……。悪い夢でも見たのですか?」

 大美和さくら先生はそう尋ね、新子友花のノートパソコンのモニターを覗いた。

 そこには、彼女がワード書いた『あたらしい文芸』のメインの原稿が書かれてあった。

 タイトルは……


【2021年 新子友花の旅】


「って書いてありますね。ふふっ。新子友花さん。また取材旅行に行くのですか?」

 新子友花の隣、自分の席に着席する先生。

 身体の向きを彼女の側へと向け、足を揃えその上に両手を乗せる。

「先生にはね、新子友花さんの気持ちがとてもよく分かりますよ……」

 大美和さくら先生は、いつものようにニッコリと微笑んだ。


「……覚えていますよ。新子友花さんが取材に行った瀬戸内の島。そのレポートを先生は読んで……」

「……お、覚えてくれてたんですか? なんだか……恥ずいです」

 ワナワナと両手を左右交互に振って、慌てた様子を見せる。

「当たり前です! ……ラノベ部の顧問なんですからね」

 先生は微笑みを解こうとはせずに、

「新子友花さん。あなたは立派に自分の仕事を終えましたよ。しっかりと書けていましたよ。取材したからこそ書けた……そう! 熱意というか真面目な取り組みというものを、しっかりと新子友花さんには……」

 彼女にはまだ気が付いていない“書く”とはどういうことなのか?

 メインの小説のテーマ選びの段階で悩んでいる姿を目の当たりに見てきて、その手助けになるかもと……取材旅行の話を持ち出して伝えようとした大美和さくら先生。


「先生……。あ、ありがとうございます」

「いえいえ。どういたしまして、新子友花さん」


(あたしの拙いレポートを……大美和さくら先生はしっかりと読んでくれていたんだ。あたしなんか、もう読み返したくないって思っているのに)

 そりゃそうだぞ。だって国語の先生なんだからね。

「先生……」

「はい。なんでしょうか?」

 深々と頭を下げて感謝の気持ちを伝えた後、新子友花は思い切って、

「その……あたし。正直言って何をメイン小説として書いていいのか悩んでいて……。ラノベ部だから、ファンタジーとか異世界とか、そういう娯楽を目指さなければいけないとは分かっているけれど。いざ、書いてみるとなると、どうしても……」

 何を書いたらいいのか分からない……という小説を書く者にとって必ず立ちはだかる試練。

 その攻略方法を、真正面にぶつけたのだった。

「どうしても……」

 ニッコリしたまま、大美和さくら先生は首を傾げた。

「その……その、どうしても自分の言いたい……書きたいことを書いてしまって。これってダメですよね?」

 自分で自分にダメ出しして俯く新子友花。


「……いいえ。それでいいんじゃないですか? ラノベだからファンタジーとか異世界とか……そういうステレオタイプな発想は『あたらしい文芸』には相応しくないと先生は思っていますよ」

「……はい、大美和さくら先生」

 と、また深々と頭を――


「……新子友花さん。もっと自信を持って書いてください」

 下げようとした彼女を肩を、大美和さくら先生は両手で持って止めたのだった。

「新子友花さんがいくつか書いてきた文章――これを“ライティング・キュア” と言うのですよ」

「ライティング……」

「……お兄さんの病気のことで、あなたは悔しかったのでしょう。腹が立ったのでしょう」

 先生は新子友花の背中まで伸びるロングヘアーを、静かに撫でた。


「でもね……人生というのはね、そういうことの連続なのですよ。前に合宿の時に、先生は新子友花さんに話しましたよね? 先生が受けたイジメのことを」

「……はい、先生」


「えええっ! 大美和さくら先生って学園の生徒の時、イジメられっ子だったんですか??」

 突如、神殿愛の大きな声が部室中に響く。

「先生、本当ですか?」

 続いて忍海勇太が、ボソッと疑問符を頭に浮かべながら聞く。

「……ええ。本当ですよ。大美和さくらはイジメられっ子でした」


 てへっ……


 微笑みを苦笑いに変えて、大美和さくら先生は隠さず教える。


「大美和さくら先生もさ、苦労したんだね~」

 なんだか最後に、ひょうきんな口調で東雲夕美が呟いた……。

「新子友花さん。この世に言葉が無ければ、私達はお互いの気持ちを知らずに生きていけるでしょう。でも、言葉があるからこそ私達はお互いを知ることができる。理解して嫌悪して……。愛し愛されて……」


 ――本当に大美和さくら先生は博識である。まだ、推定年齢27歳ですよ。


「でもね、新子友花さん。言葉があるからこそ人は人を愛し愛され、言葉があるからこそ私達はお互いを思い合うことができるのです」

 先生の言葉の一つ一つに頷いて、黙々と新子友花は聞いている。

「そして、物語が生まれて、ラノベが生まれて。……そりゃ時には悔しかった。腹が立った言葉もありますけれど。……先生も経験がありますよ。でもね、新子友花さん?」

 大美和さくら先生は席から立ちあがり、


「新子友花さん――」

 彼女の目を瞬がずに見つめて……。

「あなたの旅は、今この場所にあると先生は断言します!!」


「今、ここ……ですか?」

「ええ! だから、さあ新しく! あたらしい文芸を……ラノベを書いて行きましょう!! ラノベの道は一日にしてならずんば! ……ですからね」

 ちょっと最後の方で意味不明になったけれど。

 でも、大美和さくら先生からのありがたや~な、お言葉であった。


「……大美和さくら先生。あ、あの……ありがとうございます」

 そして、新子友花は姿勢良く着席している先生に、もう一度深く頭を下げた。




「ふふっ……。ところで」

「……はにゃ?」

 頭を上げた新子友花、パチクリと大きく瞬きして先生を見た。

「こんな大美和さくら先生を、新子友花さん? あなたはどう思いますか?」

「どう思いますかって……? 先生と思います」

 新子友花の至極当然な返答である。

「なんだか、あなたと話をしていて、先生は思い出しちゃいました……」

「……思い出しちゃ?」


「聖人ジャンヌ・ダルクさま!」


 おもむろに十字を切った大美和さくら先生……。

 それから、両肘を机に当てしっかりと握った。


 なんだなんだ??


「聖人ジャンヌ・ダルクさま……覚えていますか?? 私の文化祭のラノベ部の文芸誌を。大美和さくら物語を――」

「あの、大美和さくら先生??」

 新子友花はキツネに摘ままれた表情をしている。


「……………」 ×3

 忍海勇太、神殿愛、東雲夕美は唖然として言葉が出ない。



「……あの文芸誌のメイン企画を、私は、ここにいる新子友花さんの話を通じて思い出します。あの文芸誌のタイトル、それは――


【いじめないでください。私は先生になりたい。なって教えたいから……】


 ――私、大美和さくら。今こうして教え子達に囲まれて……聖人ジャンヌ・ダルクさま! 大美和さくらは、今こうして幸せな教師ライフを送っています」



 そして、大美和さくら先生は無言になる。

 みんなも無言になった。

 しばらくの間、みんな先生を見つめていた。

 けれど、先生はそれでも無言だ。


 懐かしい学園――青春『大美和さくら』まっしぐら? な頃を目を閉じてシミジミと思い出しているのだろう推定年齢27歳の……


(作者さん? もう、いい加減にしましょうね。<(`^´)> ← 大美和さくら先生からの苦情)


 なんだか、ラノベ部って話題尽きなくていいね!




       *




 ――聖人ジャンヌ・ダルクさまは、決して魔女ではありません!!


 ジャンヌ・ダルクよ。

 お前の頭の中に聞こえてくる、その幻聴の正体を教えてやろう――


 という声が、ジャンヌ・ダルクの頭の中に聞こえてきました。

「……その声は、イエスさまなのでしょうか?」

 ジャンヌ・ダルクはすぐにその場に跪き、十字を切りました。

「ああ主よ。私の名前はジャンヌ・ダルク。あなたに信心する迷える子羊。ああ感謝します」

 ジャンヌ・ダルクは、もう一度十字を切りました。

「主よ! 私を苦しめているこの声は、もしかしたら、これが悪魔の囁きというものなのですか?」


「私はあの栄光の光景を思い浮かべました。シャルル7世の教会で行われた戴冠式です。綺麗な教会でした。天井は高くて色取り取りのステンドグラスが太陽の光に照らされて、輝いていて――」

 ジャンヌ・ダルクは目を開けた――



 ――ここは牢屋塔の中。


 毛布が一枚、寝台を兼ねた長椅子に掛けられている。

 牢獄の角にあるのは簡素なトイレ。ちり紙が数枚。


「……………」

 ジャンヌ・ダルクは絶望的な気持ちだった。


「……ああ神よ! 私の栄光は無事に戴冠式を見届けた栄光は――今こうして牢屋塔の中で、不当な魔女裁判によって、やがては火刑台で失われようとしています。ああ神よ。主よ! イエスさま……」

 ジャンヌ・ダルクは牢屋塔の牢獄の中心で、静かにもう一度、今度は深々と十字を切りました。

 ジャンヌ・ダルクには、もはや、こうして祈ることしかできません。

 自らの運命を信仰によって受け入れることしか――今の彼女には、もう、それしか残されていないのです。


「ああっ。イエスさま!! 私には、何故かずっと悪魔からの虐げの言葉が聞こえてくるのです。『あいつはフランスの英雄なんかじゃない。あいつは魔女だ。関わるな』と……」

 ジャンヌ・ダルクは俯く。

「私は……私は、ただ祖国フランスのために戦っただけなのに……そう反論しても、その声は、私の言葉を魔女の呪いだと決めつけて、誰もが毛嫌ったのです。ああ神よ……。私の最後の審判の前に、どうか、どうか真実の教えを私にお与えください」

 ジャンヌ・ダルクは天を仰ぎ見て、こう叫びました。



「……ジャンヌ・ダルクよ。……教えてやろう。お前を苦しめている悪魔の囁きの正体を」

 ジャンヌ・ダルクの頭の中に、再び、声が聞こえてきました。

「それはな、シャルル7世の戴冠式を無事に行えたことに対する栄光の思い出を――お前は失いたくないという未練。それから、魔女狩りという人生の結果を受け入れようとしている――自己愛だ」


「……自己愛ですか?」


 ジャンヌ・ダルクは牢屋塔の天井を――かなり高い天井を見上げて呟いた。

 天井の格子窓の向こうから、太陽の光がジャンヌ・ダルクを照らす。

「ジャンヌ・ダルクよ……。お前は実は、自ら望んで魔女狩りを選択して、そして火刑により、自らの信仰をこの世界に知らしめようとしているのだ……」


「……自ら?」


「祖国フランスの将来に自分が憂い続けていれば、お前は、自らの命の価値を、自らに正当化することができる。……そう本当は思っている。確信している。――自分の愛するべき祖国フランスに虐げられたと、そう思い続けることで、お前は内在する“自愛”を、自らに“他愛”として正当化しようとしているのだ!」


「……………」

 ジャンヌ・ダルクにとって、主のその発言は到底受け入れがたい内容でした。

 しかし、主の発言であるからには否定することは、即ち信仰への反逆となってしまいます。


「例えば、ここに親子がいる」

 ジャンヌ・ダルクの頭の中に2人の人物、父親とその息子が見えました。

「父親は熱心な信者である。彼は息子を連れて、教会の大天使に礼拝するために来たのである。……が、その本当の理由は、息子の将来を憂いているために救いを求めて教会に来たのだ。父親は教会の入り口の前で、いつも通り十字を切った。しかし、息子は十字を切らなかった。父親は、その息子の姿を見て、ちゃんと十字を切れと怒った。息子は無言である」


「……私は、決して魔女ではありません!!」

 ジャンヌ・ダルクは声を荒げて、主の発言を否定しようとしました。


「――息子は、自分が十字を切らないことが父親に対する唯一最善の抵抗なのだ。父親にそれを公然と指摘されれば、息子は、もっともっと十字を切ろうとはしない。そうすることで父親に抵抗している。無言の抵抗だ。だがしかし、その抵抗は、はっきり言って自己愛そのものだ。誇大な自己イメージによる無意識のプライド。どちらも不幸だ。縁を切ればいいのだけれど……」


 親子の縁は、死ぬまで切れない――


「私は自ら望んで魔女になろうとは……思ったことはありません!!」

 信仰への反逆――無論ジャンヌ・ダルクにも気が付いていました。

 祖国フランスの英雄だった自分が、どうして魔女になんかすがろうか……。


 最後に魔女として命を終えることが、自ら望んだ信仰心の誇示――自己愛。


 ……主は、話を続けました。

「息子を連れて教会に行かなくても、自分だけで大天使に礼拝しても問題はないはずである。それと同じで、息子も一人にすれば、自ずと十字を切るであろう。……ほっておけば、ちゃんと十字を切れた。しかし、そうなってもらうと父親は『はけ口』を失ってしまう。父親は、息子にネチネチと言い続けたいのであり、息子を『飼い猫』にしたいだけであり、だから、それを言い続けられた息子が無言の抵抗をすることになるのは必然だった」


 なせなら、猫に言葉を求めていないのだから――


「ジャンヌ・ダルクよ……。お前は優しい優しい19歳の羊飼いの娘である。お前は優しい。どうしてみんな、自分に罵る言葉を浴びせ掛けてくるのか? ――ではなくて、ジャンヌ・ダルク。お前の頭の中に、お前への自由意志をいいように思わない、自由にしてもらっては困る。……と思っている人達からの“刷り込み”による、お前への甘えを、お前は間に受けているだけなのだ……」


「お前に劣等感を刷り込んで、自らの劣等感を紛らわそうとしている愚者達がいるのだよ。そして、その言動を利用して、お前は自己愛することで……この世界に残せた栄光の思い出を、自らに正当化しようとしている。魔女になることで……。それだけに過ぎない……」



「……………」


 自分はどうして魔女狩りを……ではなくて。

 自ら望んで魔女狩りを選択していたという……。

 それを主から教えられたジャンヌ・ダルクは、無言で牢屋塔を見上げました。



「……主よ。私には、もう時間が残されておりません」

 ジャンヌ・ダルクの頭の中に浮かんだ言葉は、これだけでした。




 ――ジャンヌ・ダルク。


 お前は決して魔女ではないことは知っている。


 もうすぐ、火刑がお前を待っている。

 今ここで、自分は魔女ではないと宣言することができれば、ジャンヌよ……。

 お前の火刑の運命は、もはや変えられないが……。

 決して、お前が苦しみもがいて死なないように手を差し伸べよう。


 そして、死してお前は魔女から――聖人ジャンヌ・ダルクに生まれ変われることができるように、全力を尽くそうぞ……。




 ジャンヌ・ダルクよ……。お前は、よく生きたと思うぞ。


  お前は主の前で、十字架の前で、

 火刑に処され……昇天し、

 魔女から聖人になり、


 そして、聖人として――





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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